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ぐうの音も出ない

作者: ポンテ

 会社に一人の新人が入ってきた。姓は佐々木。名前は知りたくもない。平成生まれのゆとり世代。私は「ゆとり世代」というものに特別な偏見があるわけではない。礼儀正しく、我慢強い。そんな見込みのある新人は何人も入社してきた。


 遅刻や無断欠勤だけでなく、私に暴力を振るってきた佐々木は、時代が産み落とした怪物か、はたまた彼の先天的特性なのか。先日「やっぱり夢をあきらめきれません。実は僕、サーカスに出演するのが夢でした。中南米で修行してきます。今まであざっした」と言い残し、会社を辞めていった今ではもう、確認する術はないのだが。なぜ中南米なのかも含めて。


 私は入社8年目の営業課。佐々木の教育係を担当することになった。

彼の第一印象は決して悪いものではなかった。むしろ素朴、誠実と言った言葉がよく似合う好青年だったのである。丸いフレームの眼鏡をかけ、髪を短く刈ったその風貌はまるで稀代の作曲家、滝廉太郎のよう。


「君の教育係を担当する、池田だ。よろしく」


「佐々木です!よろしくお願いします」


こちらが気持ちよくなるほどの溌剌さ。これなら成長は早そうだ、と安堵したのもつかの間、次に佐々木は早速その片鱗を見せる。


「貯金いくらですか?」


「え?」


「あ、いや、実際問題この会社ってお給料どうなのかなって」


「、、、ま、まぁしっかりと頑張りを認めてくれる会社だよ」


「なるへそ!じゃあ僕頑張ります!」


「う、うむ」


初対面の上司に貯金額を聞くその愚かさよ。


そして私は今、「なるへそはタメ口か否か」について誰かと熱燗を飲み交わしながら議論したい気分だが、今は佐々木という人間の恐ろしさについて考察しなければならない。


 なるへそ!僕頑張ります!そう意気込んでいた佐々木であったが、その翌日から遅刻を繰り返す。私は感情をあらわにするタイプではないので、冷静に、なぜ、遅刻をしてはいけないのかを延々と説く日々が続く。謝罪はするものの、私の言葉は彼の耳から右に左に突き抜けていく。もうこいつはダメかもしれない。私を彼の教育係に命じた上司に相談すると、「でも他の子達はちゃんと成長してるよ、君の教え方がダメなんじゃないの」私の評価すら下がっていることにこの時初めて気がついた。それからの私は佐々木のどんな些細な失態にも、心を鬼にして接しよう。今考えれば、この時こんな決意などするべきではなかった。素直に負けを認め、匙を投げるべきだったのだ。


 ある日、またしても遅刻をしてきた佐々木に対して私はイラつきながら言った。


「いい加減にしろ。いつまで学生気分でいるつもりだ」


「はい、すみませんでした」


「もういつクビになってもおかしくないんだぞ?」


「はい」


「昨日頼んだ資料はコピーしたのか」


「あ、、、」


「おい。そういう凡ミスはダメだっていつもいつも言ってるよな?もう無能だよ。無能」


「、、、はい」


「なんで治せないの!?」


「それは、、」


「だらしがないからでしょ!?」


「、、、」


「ぐうの音も出ないか」


「はい、ぐうの音も出ません」


「頼むぞほんとに、、さっさとコピーしてこい」


「はい」


「ったく」


そう言って自分のパソコンに向き直った。


しかし、何やらただならぬ気配感じた私は、佐々木がいた場所をもう一度見る。すると、コピーをしに行ったはずの佐々木がこちらを睨んで立っているではないか。

そして佐々木は怒気を含んだ調子で一言。


「ぐう!!!」


と言い放ち「っす」と軽い会釈をして微笑むと、何やらすっきりした様子で私の前から立ち去ろうとしたのだ。今までどんなに叱っても決して言い返すことのなかった佐々木が初めて反応的態度をとったのである。このままやつを行かせるわけにはいかない。


「ちょちょちょちょ」


「え?え?え?え、あ、この度は遅刻をしてしまい申し訳ございませんでした!」


私はもうそこにはいない。


「出てたよね?」


「はい」


「ぐうの音出てたよね?」


「いやぁ、どうでしょう」


なにがどうでしょうか。


「なんか不満あるのか」


「そんな!あるわけないじゃないですか!僕は先輩のおっしゃる通りダメな人間なんです」


「、、、じゃあ、もうぐうの音はでないのね」


「はい!ぐうの音も出ません」


見つめ合ったまま、しばし沈黙。私もこんなくだらないことは忘れて仕事に取り掛かればよいのだが、それができない。佐々木がこちらを見つめながら何かを必死に我慢するように、ブルブルと震えているからである。やがて佐々木は右手でチョップのような形を作り、自らの腹にそれをつけた。


「ぐ、、ぐ、、ぐ、、ぐ、、ぐ」


彼が私の顔を見ながらそう呟くたびに、右手が腹から首の方に上がっていく。

きっとメーターのつもりなのだろう。


「ぐ、、ぐ、、ぐ、、ぐ!」


メーターが口の辺りに差し掛かる直前、彼の左手が右手を一気に下げる。


理性が勝ったのだ。それを私は成長と呼ぼう。


しかし佐々木は「ぐう!!!!!!」


それはメーターなどではなかった。ポンプ式であった。


私は今、何を言っている。


佐々木はすっきりした表情を浮かべると「クリアアサヒが、家でまぁってる。心ウキウキワクワク〜」と歌い出し、小粋なステップを踏みながら立ち去ろうとした。


私は後ろから小走りで近づき、彼の頭を叩いた。


一瞬ムッとした佐々木だが、すぐにニヤけた顔を作り「頭冷やせよ〜」とクリアアサヒの歌に合わせて私に言った。小粋なステップを踏みながら。


ブチ切れ。「てめぇなめてんじゃねえぞコラァ。私はお前のためを思っているんだ。バーカ!バカ!バカ!バカ!バカ!バカ!バカ!」


「先輩、、」


「私はお前に一人前になってほしいんだ。そんなに私の言うことが聞けないのなら、会社辞めてしまえ。バカ!」


「すみませんでした」


さすがの佐々木も驚いている。しかし、


「今の、先輩のお言葉心に、ぐう!!!っときました!」


それ、どっちかな?と思った。


「これからは、ぐう!!!体的な計画を立て、ぐう!!!ちることなく働きます!」


やはり、潜ませている。


「あ!そういえば今度僕、ぐう!!!アムに言って、バードウオッチンぐう!!!をして、はしゃぐう!!!予定なんですよ」


こいつは一体何の話をしているのだ。いや、違う。ただただ潜ませたいのだ。


私はもう、謝りたい。


「旅行の模様は、ブロぐう!!!に、ぐう!!!ルメの写真とともに載せておきますんで、ぜひ、スマホで、ぐう!!!ぐう!!!ってみてください」


怖い。もうこの狂気には耐えられない。いますぐ泣き出してしまいたい。


「先輩」


「なな何ですか?」


佐々木は私に向かって拳を突き出し「ぐう!!!」


その拳をひろげると果汁グミが一粒。


「ミ、食べます?」


もう謝ろう。この男を教育することなどできやしないのだ。


「せ、せっかくですが、結構です。というか、、いろいろ偉そうなこと言ってすまなかった」


佐々木は「グウ〜」と親指を突き立て満足そうにうなずいている。


このままでいいのか。私は。いや、俺は。危なくなったらすぐに逃げる。いつだって事なかれ主義。そんなんじゃねえだろ。男の人生ってやつぁ。


俺は言った。


「でもな!やっぱりお前は社会人として、、、」


勝ち誇っていた佐々木の表情が一変し、右手を大きく振りかぶる。


そして、俺の、いや、私の、顔を「ぐう!!!!!!」と殴りつけたのであった。薄れゆく意識の中で私はなぜか、プロ野球選手の松坂大輔を思い出す。


「平成の怪物」


そんな言葉が脳裏によぎったからである。


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― 新着の感想 ―
[一言] えっマジ? 体験談かと思う位凄いな、もうウザさで読むのが嫌になるような。 ...回想?なにか日記とも違う、心の描写が上手い。 一番凄いなと思ったのが地の文から繋がってセリフが合って画面の中央…
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