決戦へ
薩摩の要項がまとまりました。
これで確定となります。
度重なる変更、本当に申し訳ありません。
薩摩型一番艦『薩摩』
全長:323m
全幅:43m
満載排水量11万8000トン
最大速力30ノット
主砲:45口径51cm三連装3基9門
副砲:15cm三連装2基6門
対空兵装
12,7cm連装高角砲12基24門
25mm三連装機銃50機
12糎28連装噴出砲16基
電探:二一号、二二号
1944年 9月28日 広島柱島
秋の涼しい風が吹き抜ける柱島の桟橋で
海を見つめる男がいた。
連合艦隊参謀の海原洋一郎である。
彼は"彼女"が現れるのを今か今かと待っていた。
「あれは!」
水平線に最初に見えたのは艦橋だった。
徐々にその姿は大きくなり、
視界に収まりきらないほどになる。
『大和』を大きく上回るその船体。
全長323m、全幅43m
満載排水量11万トン以上
51cm三連装主砲9門は太陽に照らされて光輝いていた。
「凄い・・・・」
改めて自分が計画した『薩摩』のすごさを実感する。
装甲の薄く、砲もない空母よりよっぽど強そうに見える。
『薩摩』の周囲を守る最新鋭甲巡『鞍馬』『伊吹』も
多数の対空砲で武装し、航空機などおそるるに足らずと
言いたげだ。
実際、この3隻には海軍艦艇として初めて
十二糎二八連装噴出砲を搭載。
これは接近してくる航空機に小型の対空榴弾を
撒き散らすという新兵器だ。
射撃したのちの冷却が難しく、3分に一度しか射撃できないと
いう致命的な弱点があったものの、
海上自衛隊の砲に付けられた自動冷却装置を
参考になんとか完成にこぎ着けた。
この戦艦は航空機に対するあらゆる対策をとった
まさに不沈と呼ぶにふさわしい戦艦だった。
「これなら勝てる・・・・!」
海原の目に"サイパン奪還"という夢が見えてきた。
サイパン島は3ヶ月の激闘の末、5月に陥落。
しかし、アメリカ側にも多大な出血を強いた。
アメリカ側は今回のサイパンでの戦いで
正規空母2沈没,2大破
軽空母4沈没,1大破
巡洋艦4,駆逐艦8沈没
航空機410機
海兵隊9500人戦死、2万8000人戦傷、海軍兵1万5000人戦死
という大損害を受けた。
兵器の損害はそれほどでもなかったが、
人員の損害がひどく、歴戦の兵はほとんどが
戦死、もしくは戦傷した。
日本側の損害は
空母『蒼龍』
航空機560機
守備隊4万5000人
である。
陸軍の戦闘機隊は補給のない中で奮戦し、
弾薬が尽きるまで米軍機に損害を与え続けた。
守備隊4万5000人も島で壮絶なゲリラ戦を展開。
米軍の侵攻力を半年に渡って奪ったのである。
奪われたサイパンの飛行場からは
米軍の新型爆撃機B29が毎日のように発進している。
これに対し日本側は高度10000での戦闘が可能な
新型局地戦闘機雷電を配備。
厚木基地などを中心に50機が配備された雷電は
護衛のいないB29を何度も叩き落とし、
米軍を悩ませていた。
「次はフィリピンか、サイパンか・・・・」
その時、海原は後ろから名前を呼ばれて振り向いた。
『薩摩』艦長の松田千秋少将だった。
彼は『大和』の艦長を務めた経験もあり、
また、標的艦『摂津』の艦長時代に得た
操舵技術は海軍随一との呼び声も高い。
「いよいよだな。この『薩摩』がいる限り負けはせん!」
「頼もしい限りです。こちらも最高の作戦を
たててみせますよ。」
ふたりは夕日をバックに笑いあった。




