サイパン沖海戦 3
1944年2月21日 15:00 『赤城』艦上
「長官!明日にでも第二次攻撃をすべきです!
こちらにはまだ200機近い艦載機が残っています!」
草鹿龍之介参謀長は攻撃を強く主張した。
稼働機が0になるまで攻撃すべきだと言うのだ。
それに待ったをかけた人物がいた。
真珠湾攻撃指揮官だった淵田美津雄である。
「我々の攻撃が成功したのは敵戦闘機が補給の
ために着艦しているところを運よく襲えたからです。
今度は無数の戦闘機に襲われ、いたずらに敵の撃墜数を
増やすだけでしょう。
敵空母を2隻沈めただけでも十分です。
ただちに勝ち戦で離脱すべきです!」
南雲は迷った。
どちらの意見も一利ある。
しばしの沈黙。
それを破ったのは南雲だった。
「今回は淵田参謀の意見に分がある。
我々はこのまま離脱する。」
その直後だった。
「長官!『蒼龍』『飛龍』に魚雷複数命中!!
敵潜水艦の雷撃です!」
「なんだと!?」
一航艦司令部の面々は慌てて外を見た。
『蒼龍』と『飛龍』が黒煙を吹き上げて傾いている。
『蒼龍』の方は既に退艦命令が出たのか、
海に飛び込む兵の姿が見える。
護衛の第一水雷戦隊が爆雷を放っているが
撃沈には至らない。
一瞬の隙を狙われた悪夢だった。
結局『蒼龍』はその後20分で沈没。
『飛龍』は沈没を免れたが、速力は5ノットに
低下し、本土へ回航されることになった。
・・・・
同年同日 15:30
米機動部隊も少なくないダメージを
受けている。
軽空母は2隻が沈没。2隻が飛行甲板を粉砕され、
現在修理中である。
正規空母は『ヨークタウン』『サラトガ』が沈没。
エセックス級は撃沈こそされなかったものの、
『ハンコック』と『タイコンデロガ』が
撃破された。
特に『ハンコック』の損傷はひどく、ハワイへの
回航が決まった。
そんな中、サイパンから発進した航空機の攻撃である。
戦闘機隊も相次ぐ発進に消耗していた。
日本軍の攻撃は軽空母に集中。(日本側は軽空母なのか
正規空母なのか判別できていなかったが)
損傷していた1隻と新たに1隻が撃沈された。
最初は9隻いた軽空母もいつの間にか4隻に
なっていた。
・・・・
同年2月23日 ブルネイ
第一護衛艦隊旗艦『しょうかく』には
連合艦隊から海原参謀がやって来ている。
「八谷少将。サイパン沖に巨大な低気圧を
確認しました。気象士官に尋ねると観測史上
最大規模のものだそうです。
もしかしたら、貴殿方の時代に戻れるかもしれません。」
第一護衛艦隊一同は驚いたような、うれしいような、
困惑したような表情を見せた。
「そうか。わかった。」
「もし出航なさるなら、燃料を用意いたしますが・・・・。」
八谷は腕を組み、椅子に深く腰かけた。
そして、迷いなく決断した。
「我々は明朝、ブルネイを出航し、サイパンへと
向かう!諸君、よろしいかな?」
艦長の中に反対するものはいなかった。
その夜、出航と低気圧の件が全乗組員に通達され、
艦隊からは歓声が巻き起こった。




