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戦艦薩摩  作者: 呉提督
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薩摩進水

1943年 10月 大本営



ここではまたしても陸軍と海軍がもめている。


「サイパンを放棄するとは何事だ!」


叫んだのは陸軍参謀本部の参謀である。

海軍はここにきて、なんとサイパンの防衛を

放棄すると言い出したのだ。


「ヨーロッパでイタリアが降伏し、ドイツも劣勢になって

おります。あと2年持ちこたえれば有利講和が

可能になります。そこで我々は考えました。

わざと敵に勝たせることで、こちらの懐に侵攻させ、

これを叩き潰して戦争を長期化させる。

そのうち米ソは対立し、戦争は終わるでしょう。」



海原参謀が説明した。

だが、海軍も意思の統一ができていないのが

現実である。


海軍には、

一、新鋭戦艦にすべてを託そうとする海原ら大艦派

一、航空機こそ最強と考える井上中将ら航空派


だいたいこのふたつの派閥にわかれている。

本来ならこの年の4月にブーゲンビルで戦死するはずだった

山本五十六連合艦隊司令長官は中立の立場をとっている。


そして、このサイパン防衛放棄についても海軍内で

意見が割れていた。

海原はその行動力と山本五十六長官の信頼から

海軍内でも一目おかれているが、たかが一少佐の

出過ぎた行動を快く思っていない人も多い。



「米軍の新型爆撃機はどうするのだ!?

本土が空襲されたら貴様は陛下に対してなんと

申し開きするのか!?」


感情にまかせ、怒鳴る陸軍参謀に海原はいう。


「今海軍では、高度10000mでも戦える

局地戦闘機を開発しています。

本土の防空はお任せください。」



それでも、サイパンの放棄は陸軍が許さず、

当初の予定どおりサイパンで米軍を迎え撃つこととなった。





・・・・

1944年 2月 旅順



世界最強にして最大の軍艦が産声をあげた。

『薩摩』進水式である。

式には宇垣纏旅順総督をはじめ、豊田副武大将、

海原特別参謀、牧野造船少将など、建造に携わった

およそ500人が参加した。


艦橋などは既に取り付けを完了し、

あとは51cm三連装主砲を取り付けるのみだ。

起工からわずか2年足らずで進水という、

帝国海軍最速記録を達成できたのは、

海原以下、海軍幹部の尽力と、造船官の努力のたわものだった。

その後はテストを行い、10月には連合艦隊に

編入される見込みである。


「この軍艦を『薩摩』と命ず!」


宇垣総督が海軍省からの文書を元に命名し、

ここに戦艦『薩摩』が誕生したのだった。

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