表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

輝く星空に

作者: 満月

輝く星空に



ある戦乱の時代。国々は何百年と戦争を続け、疲弊し飢餓に苦しみ弱り切っていました。しかしそれが増えるたびにまるでそれが活力剤のように戦争は増えていきます。戦争は戦争を呼び、最早誰がどうして戦争を始めたのかさえわからなくなりました。戦争に理由が無くなったのです。まるで国同士が交易するように、いえ、人が息をし食事をし暖かい家族に囲まれるのと同じように、当たり前のこととして戦争が起こるようになっていました。


しかしその中でも一つの王国だけは依然として平和で豊かな生活を送っていました。


そこはシュテルン王国と呼ばれる国でした。


シュテルン王国は大陸南部に位置する小国で、王国北部が工業地帯、南部と西部が農村地帯、東部が山脈となっている国です。


確かにこの王国は国土が豊かで経済力もそれなりにありました。しかしそれ以外に目だった地理的な特徴はありません。


北部には軍事大国として名高い、キュロス帝国があります。東北部には現在キュロス帝国と戦争を続ける聖リーグレット皇国があり、西部には、新興国で、現在最も領土拡大に力を入れるクリメイト共和国があります。


そんな国々から、真っ先に狙われそうな豊かな国。しかし、この国が狙われることはありませんでした。それはこの国が誇る、あるシステムのお陰だったのです。




そのシステムはこう呼ばれています。


「マザーホルダー」と


このシステムが生まれたのは、何千年も前の昔でした。当時この国は戦乱の中にあり、他国との厳しい戦争に悩まされていました。まさしく現在の各国と同じような状況です。


そんな中考え出された、と言うより机上の空論だった理論に見合う人材が見つかったということで実行されたのが「マザーホルダー」です。


この理論は昔からあるものでした。まずある一点に魔力を大量に集めます。そしてそれを放射状に展開する。ただそれだけの話です。実はかつてこの理論は実行に移されており、一般の人間を使えば、家一つぐらいは囲むことができました。


その防御力は凄まじいもので、剣も矢も火も何一つ効きませんでした。しかし、その中にいる住人は出入り可能なまさしく最強の防壁でした。


しかし、国を覆うほどの防壁は作れませんでした。


たくさんの人が試行錯誤を行いました。


ある人は小さな防壁を並べて、巨大な防壁にしようとしました。しかし、莫大な費用がかかると共に、展開にも時間がかかり、さらには魔力が互いに干渉し発動者が死亡するということが起こりました。


ある人は、たくさんの人から魔力を一点に集めることに成功し、それを使って防壁を作ろうとしました。しかし、やはり異なる魔力は反発しあい、成功しませんでした。




そんな中現れたのは、一人の女性でした。名をソフィア・パールヴォルトと言います。蒼い左目と翠の右目を持ち、銀色の髪をした美しい女性だったそうです。それは全くの偶然でした。偶々城下町に降りた元帥殿が奴隷市場で見つけてきたのです。その目と髪は強すぎる魔力の影響によるものでした。


元帥はその奴隷を購入し、城で実験を行いました。



そしてついに成功したのです。



その防壁のお陰で王国には平和が訪れました



しかし、元帥は手放しに喜べませんでした。何故ならソフィア・パールヴォルトは次第に衰弱していったからです。


この王国の平和の為には永続的な防壁の維持が必要でした。


そこで元帥は、彼女に子供を産ませることにしました。


どのような人間との子供ならば一番優秀かわからなかったため彼女は様々な人間と交わされました。そして彼女が閉経を迎える48歳まで、当時14歳で第一子を産んだ彼女は32人の子供を産みました。


しかし、その中に彼女と同じ量の魔力を持ったものはいませんでした。そこで元帥はこの子供達同士で、子供を作らせました。子より孫の方が似ていることが多い、というのは当時もよく知られたことだったからです。


そして元帥の思惑通り、一人だけ望まれた生を受けた子供がいました。


その子供の父と母は、双子でした。


元帥はその双子をなんとか王族に入れることに成功し、その子供は王女の資格を得ることができました。


そしてソフィア・パールヴォルトが死んだ日、その孫に再び鎖が課せられました。享年56歳でした。


その後、やはり孫に適性を持つものが現れました。そしてやはり女性でした。


元帥が亡くなった後も、彼の意向を引き継ぐものが現れました。


こうして王国は恒久の平和を手に入れたのです。


















「今日から貴様は、ソフィア第二王女様の護衛に当たることになる。精一杯励むように!カムネ・オーブ兵!」


「は!了解いたしました!」


鼓膜が裂けるかと思えるような上司の声に、背筋を伸ばし、精一杯の敬意を込めた敬礼を行うこの男。カムネ・オーブは謎多き男だった。出身不明、実年齢不明(本人は20歳と主張)、最たる才能も知識もなく、目だった成績も残していない。そんな彼がどうして重要人物の警護に任されたのか。それは一重に、ただ人がいなかったからだ。噂では今のお姫様は相当な変わり者らしく誰も護衛をつけたがらないのだ。それを憂いて現国王、つまり彼女の父親は、少し強めに叱ったのだが、すると城の一番高い塔の上に家を建て、そこに生活するという結果に。


国王も妃も大変に悩んでおられる。


そしてカムネも使い捨てられるだろうと思われた上で任命されたのだ。


周りの者達も、謎の兵士が身動き取れなくなってせいせいした、といった感じだった。























その日の昼過ぎ彼、カムネ・オーブは初めての姫への謁見が行われた。

姫の住む場所は本当に城の一番高い所。苦労してそこまで行けば、こじんまりとした一軒家が場違いな雰囲気で建っていた。


カムネはそこの扉を3回ノックして叫ぶ。


「今日より、姫の護衛の任に就くことになりました、カムネ・オーブと申す者です!どうかこの扉を...」


だがその言葉を最後まで言うことは無かった。


突如として、バン!と勢いよく開いたドア。それにもカムネはびっくりしたが、次の一撃で思い知らされることになる。この姫の護衛とはどういう仕事かということを。


ベチャ!!


その光景に、見知ったものはため息を、初めて見たものは息を飲んだ。


黒い絵の具がカムネの顔から転々と落ちていく。投げつけられたのは墨汁だった。


「はっ!何が護衛よ!こんなものも満足にかわせない奴に私の護衛なんか務まるもんですか!!」


それだけ言ってのけるとものすごい勢いでドアが閉められる。




これが2人の出会いだった。口もきけず、カムネには姫の顔さえ見る事が叶わなかったが、とにかく二人はこうして出会ったのだ。



















「どうだったよ、姫君は?」


カムネの友人である兵士が笑いながら尋ねる。


カムネは顔にへばりついた墨をなんとか落とそうと井戸で顔を洗っていた。


「...この結果を見てわからないのか」


少しイライラした口調で返答するカムネ。この墨、なぜかなかなか落ちてくれない。普通の墨では無いようだ。


そしてさらに大きな笑い声を上げる友人にさらにイライラし、引っ掻くように頬を洗いなんとか落とそうとする。


「無駄無駄。それは姫特製の染色液。ついたら3日は取れねえって噂だぜ」


井戸水をゴクゴクと飲みながら答える友人の兵士。


「全く世も末だよな〜。あんな我儘姫が今度のマザーホルダーだなんて」


「おい、口を謹め」


カムネはイライラをぶつけるように咎める。同意できないことはないが、それでもこの国を守る要となるお方だ。


「へいへい。んじゃそろそろ俺は失礼するわ。上官がうるさくてな」


そう言って手を振りながら帰っていく友人。


一方カムネもそろそろ姫の夕食の支度に行かなければならないと思い、未だ黒いシミが残る顔で歩いていった。




















「...なんだ.........この料理は......!!!」


彼は絶句した。姫への料理を持っていくようにと言われ、食堂から姫専用の料理が運ばれてくると言われ、まあ姫だから専用の料理があってもいいか、と思いながら彼は受け取ったのだ。


だがそれは、本当に料理人が作った料理か疑問があふれた。


例えば寿司屋やステーキ屋などの所謂レストランなどは多少はそれを考えてはいないだろう。なぜならそこが毎日通うような場所ではないからだ。


だが城の食堂となると話は別だ。ほぼ全ての城に住むものが、一年間約1100食、食べているのだから当然それを考える。


それとはつまり栄養だ。


だがこの食事はそれとは程遠かった。多分、一般的な子供100人にアンケートを取らせその上位に来た料理だけ選んだらこうなるのだろうか。いや、失礼。子供はカレーとかが好きだから一概には言えない。


要はだ。野菜が一切ない上に脂ギッシュな料理とお菓子系に溢れているのだ。


本当にこれを成長期の子供に食べさせるのか?とカムネは疑問でしょうがなかった。これじゃあ国を守る前に肥満で死ぬぞ?


だがやはりこれが姫の料理であることに間違いはないようで、不本意だったが運ぶことにした。





「姫!料理をお持ちしました!」


ドアに向かって叫ぶ。しかし返事は来ない。


「...開けますよ」


そう言ってドアに手をかける。正直開くとは思っていなかった。ちょっとした脅しのようなものにしようと思っていただけだったのだ。

彼は驚きながらも、ここまで来たら姫の顔でも一目見てやろうと意気込んだ。


部屋は真っ暗だった。まるで誰もいないかのように。しかし彼には、独特の人の匂いというものを感じ取っていた。


「姫?」


すると耳に入ってきたのは、涙を啜る声だった。


嗚咽を漏らしながら、何かに耐えるように必死になって涙を流す音が彼には聞こえた。


手に持っていた灯をつけると、部屋がオレンジ色の光に包まれる。


そして部屋の右端、王族のものとは思えない小さくてシンプルで硬そうなベッドの上に、王女はいた。


いつもとは違う、いやあれこそが彼女の有りのままの姿なんだろうと彼は思えた。


いつもの何かの式に出るような煌びやかな衣装とは違う、彼女の普段着。町娘と変わらなかった。何も変わらない、一人の少女だった。


「マザーホルダー」の人間は世間から見ればどこか浮世した存在だと思われている。それが普通なんだと思われている。


でも、この姿を見れば、


シュッという音が耳元をかすめる。それと同時にタン!という乾いた音が響く。


「出て行け......」


彼が横目で見た先には、包丁。それが見事に壁に対して垂直に突き刺さっている。


彼は血の気が引くというのをリアルに体験した。


普通包丁を投げて突き立てるなど、素人にできる技じゃない。刃物の投合を習得したプロでないと、つまり暗殺者じゃないと無理だ。


だとすればこの女、アサシンの才能があるかもしくは限りなく強運の持ち主なのか。


だが彼にとってはどっちでもいい。今殺されそうだという事実に変わりはないからだ。


「出て行け!!出て行け!!出て行け!!!!」


姫は大量の刃物を一斉に投げてきた。しかも、眉間、眼球、喉笛、と的確に。


彼は驚いて急いで部屋を出て扉を閉める。その瞬間、扉に何かが突き刺さる音が響き続けていた。


彼は安堵のため息をつきながら、耳を立てる。少しの間、鼻息の音が聞こえていたがやがて食器がぶつかる音が響く。きちんと食事を取ってくれているようだ。



もう一度安堵のため息をつき、空を仰ぎ見る。


空はどんよりと薄雲がかかっていた。月のない夜だ。そんな中でもオリオン座だけは自分の存在を主張するように光っていた。







それからというもの姫はカムネを目の敵にしたらしい。


翌日、朝食を持っていく。以前護衛をしていたものによると食事を持っていけば、少しだけドアが開き、食事を受け取ってすぐに閉める、といった行動をしていたそうだ。そこでカムネも同じようにドアをノックした。するとその瞬間、扉が勢いよく開き、例の墨が飛んできて、


「うるさい!!あんたが持ってきたもんなんて食べたくなんかない!!」


と叫ばれ、また瞬時に扉が閉まった。


それが次回から一週間も続いた。一応食事は墨がかからないように死守し、扉の前に置くというのが続いた。


その結果、カムネの顔はどんどんどんどん黒くなり、医者から


「次かかったら君は黒色人種になるよ」


と言われてしまった。


冗談じゃない。何が悲しくて墨をかけられて人種が変わらなくちゃいけないんだ、とカムネは憤慨し、対策を練った。



いつものように姫に食事を持って行き、扉をノックする前に、彼は扉に向かってこう叫んだ。


「あーあ、今姫の大好きなティラミス持ってるんだけど、次姫の攻撃がきて守りきれるかなぁ。実は利き腕を怪我してて使えないんだよな」


彼にしてみれば独り言である。なんともくさい芝居だったが意外に効果はあるようで、姫はちょっと扉を開けて、サッと食事だけぶんどって部屋に閉じこもった。


もちろん姫の好物も一緒に。







またある日、その日はいつもとは違って王の近衛兵が姫の部屋に来ていた。


何やら姫と口論しているようだった。カムネはそっと聞き耳を立てる。



「何回言われても返事は変わんない!!私はここから出て行く気はない!!」


「どうしてそんなこと言うのですか!!あなたはこの国の名誉ある第一王女。いずれこの国を背負って立つものですぞ!!」


「はっ!!笑わせないでよ。どうせマザーホルダーの燃料になって一生子供を産み続けるだけじゃない!!それのどこが名誉ある王女様なんですか」


「それはこの国の運命!仕方のないことです!そのためにも知っておくことがたくさんあるんです!王様も王女様の身を心配しておられました!」


「「マザーホルダーの身を」の間違いでしょう?!あの人は私の心配なんてしてない!」


「それは王女の発言であっても許されないものです。口を慎んでいただきたい!王は毎晩毎晩あなた様のことを思って」


「違うわよ!あの男は自分のことしか考えていない!自分の保身とマザーホルダーのことだけ考えてるのよ!」


「口が過ぎます!とにかく王にあってください!」


「......離してよ!!嫌だ!!」


「ダメです!強引にでも...


「あ、おい護衛!!こいつをどうにかしろ!!」


カムネに気づいた王女が呼びかける。しかし相手は王直属の近衛兵。一体どうすればいいのかと考えていると、


「さっさとしなさい!でないと首にするわよ!!」



そう言われた瞬間、カムネは勢いよく近衛兵に飛びつき、足を引っ掛け、流れるような動きで地面にねじ伏せる。


「......この!!一介の兵士が!!タダで済むと思うなよ!!離せ!!離すんだ!!」」


しかしいくら近衛兵が叫んでもカムネはビクともしない。


やがてねじ伏せた部分がミシミシと嫌な音を立て始める。流石にやり過ぎかな、と思い始めたカムネだが、話した途端剣で切られるかもしれない。カムネの腕なら簡単に防げるだろうが、姫を巻き込む可能性もある。


「......ここから立ち去る、と約束してくれたらいいですよ。それで二度とここに近づかないことも」


冷たくカムネは言った。今まで誰も見たことがないくらいの独特の雰囲気を醸し出していた。


「わ、わかった!!約束する!約束するから!」


そう近衛兵が言った瞬間に離してやる。勢い余った近衛兵は地面に叩きつけられる。


「た、タダで済むと思うなよ!」


肩を抑え激しく息をしながら、捨て台詞のテンプレを吐いて逃げていく。



カムネは自分の掌を見つめながら、心底落胆していた。国王を守る人間であるはずの近衛兵。それがあまりにも弱すぎたからだ。自分ですら簡単にねじ伏せる事が出来、さらに痛みにも殆ど耐性がないときた。これでは国を守ることなど......。


だが彼はここでふと思い直す。


この国を守っているのは、兵士でも民でも王でも神でもない。ただのマザーホルダーというシステムなのだと。そのたった一人の人間によって守られているのだと。


こんな夢に溺れたような国、果たしていつまで平和を続けられるのか。




「......姫?怪我はありませんか?」



ふと思い出したように声をかけるカムネ。


すると姫は数秒かけてその言葉を理解し、


「こ、この私を先に心配しなさいよ!!何一人で考え込んでんのよ!!バッカみたい!!」


どうやらかなりご立腹のようだ。そして怪我はないようだ。


「こ、こうなったらカムネ!あんたは四六時中ここにいて警護しなさい。いつまた近衛兵がやってくるとも限らないから!!」


「良いですよ」


「断ったら首にしてやるから............へ?」


「もちろん、私から提案しようと思っていたことですから。喜んで引き受けさせていただきます」


カムネはそう言って微笑む。姫は訳がわからない、と言った表情だ。


「実を言うと私もあの王様にはムカついていてですね。今日でちょっと見限ったかもしれません。こんな可愛い娘に暴力を振るうような者を差し向けるなんて」


彼はなんの他意もなくそう言った。すると姫は顔を一気に上気させ、


「な、ななな何言ってんの??!!お父様のことをそんなこと言って......あんたどうなるかわかってんの??!!」


「............まあ、いいですよ。その時に考えます。それよりも早く部屋に入らないと風邪を引きますよ?」


姫の姿は明らかに寝巻きだった。しかもかなりの薄着。袖は肩ぐらいまでしかなく、襟元からは鎖骨が見え隠れしている。


「う、うるさい!!子供扱いすんな!!」


今度は多分別の意味で顔を赤くしたであろう彼女は、勢いよく部屋に飛び込み扉を閉める。


「約束したわよね!!ちゃんとそこにいるのよ!!」


部屋の中から姫の声が響いてくる。カムネは小さな声で「はいはい」と呟き、壁に背を向けてすわる。




その時、突然、彼の視界にここからの景色が飛び込んできた。夕暮れのオレンジ色の空と、照らされ、淡い朱色に染まった山脈の山肌とたなびく雲を見つめていた。


彼は息を飲んだ。ここからの景色が目に入ってこなかったわけではない。


長年この城には従事していた。もはやこの城で知らない場所はないと言い切ってもいいだろう。だが彼の瞳に焼きつく景色は彼が今まで見てきたどの夕陽よりもエネルギーに満ち溢れていた。


「.........潮時なのかもな...この国も」


その夕陽に今までの姫の姿が、現れては消え現れては消えていった。その姿は常に彼にとって、忌まわしい、笑顔しかなかった。


「......なんでなんだろうな」


マザーホルダー越しにしか見えない夕陽を見ながら、彼は憂う。この鳥かごの中の平和に住まう国、これが本当の太陽か、空か、雲なのか。途方も無い年月、国民は本物を見たことがない。



夕陽が沈んでいく。


まだ夜は長いと思い、彼は考えることをやめ静かに瞼を閉じた。



















一ヶ月が経った。相変わらず時々近衛兵がやってくる。だがカムネの姿を見ると逃げ腰になって去っていった。



カムネは常に姫の部屋の側にいた。トイレと湯浴みの時だけ数分離れていたが、それ以外は常にだ。食事を持ってくる時でさえ彼は到底数分で帰ってこれないような距離を1分もかからずに往復してしまう。並大抵の苦労ではないだろう。それがわかっているのかいないのか、姫の態度は少しずつ柔らかくなっていった。








そっと姫は扉を開ける。空は既に群青色に染まっており、肌寒さを感じる。


ゆっくりと周りを見渡す。居て欲しいのかいないで欲しいのか、姫にはわからなかった。だが期待に応えて、あるいは反して、彼は星空を見つめていた。


姫が近づいても気づくそぶりも見せない。だけど多分気づいているのだろう。その目が僅かに泳いだから。


「............寒くな.........気づいてるんでしょ。挨拶ぐらいしたら?」


姫は初めに言おうとした言葉をやめ、少し怒りのこもった口調で言う。


「あんたは私の護衛、つまり下僕と一緒なんだから、最近偉そうになってきてるけどちゃんとわかってよね」


心にもない言葉だった。本当に、彼女は今まで他人に抱いたことが一切ないぐらいにカムネに感謝し頼っている。それがどういう感情かというのも気付き始めている。


だがカムネは「はい......」と聞いてるのか聞いてないのかわからないくらい小さくて気の無い返事をした。

それに少し怒りを覚えた姫だったが、すぐにゆっくりと別の感情が湧き上がってくる。


「......別に断っても良かったのよ。あの時」


一転して静かな口調になる。彼女自身も星空を瞳に写している。


「......ええ。ですが私には仕えるのをやめるという権利もあります。それを行使しないのと同じことですよ」


つまり彼はこうすることも仕事の一貫だ、と言いたいのだ。そう姫は解釈した。


ーーーなんだろう。こんな気持ち、初めて......。



姫は恋愛感情というのをもちろん知っていた。いっちょまえに王女なんてやってるだけのことはあって、王族のパーティーなどで男は群がってくるし、年上の人に淡い恋心を抱いたことだってあった。


その感情に似ている、と言えるが、同じではない。何かの歯車が別の部品に変わってしまったような違和感がある。



「今日はやけに静かですね、姫」


するとようやくカムネは笑いを押し殺したような、感情のこもった声で姫に話しかける。すると姫は、カムネはとても驚いたが、特に強く反応することもなく、ただ、「そうね」と呟いただけだった。


「今日は特別な日だから.........というか特別な日になったという方がいいのかしら」


姫もカムネの隣に腰を下ろす。そして彼がそうしてるように星空を見つめる。




「今日ね..........その.........あの......初経がきたの」


姫は唐突にポツリと呟く。


「......意外に痛みは無かったし、比べたことないからわかんないけど、血の量もさほどじゃなかった。ただちょっと頭痛だけは酷かったかな。あれが月一であると思うとホント気が滅入る」


姫は自分の言いたいことを押しつぶしながら、口から出てくる言葉を並べる。もちろんこれは誰か知識のある人に聞いてもらいたい話ではあったが、カムネに聞いてほしい言葉ではなかった。


「まぁ、こんなことあんたに言ったって何の意味も.........」


「誰にも、言ってないですか」


抑揚のない不気味な口調で姫の言葉を遮るカムネ。その目は星を移したまま、暗い宇宙を見ていた。


「...ええ。あなたが最初」


その言葉を聞き、心の奥に強い葛藤が生まれる。ついにカムネは姫をその目でしっかりと捉える。姫は星を見ていて気づいていない。ただその幼い横顔に隠された聡い心が見え、その心に響くこの言葉は、一体どんな結果を示すのか一気に不安になっていく。


ーーー何度もそうしてきたはずだ。今更、何を。



溢れ出るような、今までずっとずっと溜まってきた心に、また蓋をする。


溢れることも暴発することもない、単なる器。深く深く伸びていった器に容量はない。


「姫、言いにくいことですが.........王と子供をなしてもらうことになります」


言った瞬間、奇妙な頭痛に見舞われるのを感じたカムネ。蓋が開こうとガタガタ揺れているのがわかる。

だけど姫が静かにしている姿を見て、スッと揺れが引いていく。


「ええ。知ってる」


そう静かに、無機質に返事する彼女にカムネは目を丸くする。


ーーー言ったことなど一度もないことなはずなのに。


ただ彼女は、遠くを、本当に遠くを見つめながら続ける。


「......遺伝子的に考えれば、直ぐに納得できる。特別な力を持った人間と特別な力を持った娘の父親。そりゃあ特別な人間ができましょうて」


彼女はそう言って笑った。乾いた、馬鹿にしたような笑いだ。マザーホルダーなんてものに頼らないと生きていけない王国。そして自分のような人間に特別な力を与えた神に笑った。


「......博識ですね」


この王国は平和だ。だから、それ故に他国と比べて大きく遅れている。「遺伝子」なんて言葉、この国の人間は普通知らないはずだ。


「違うわ。.........知りたいのよ。生い先短い人生、何にも知らない籠の鳥なんて嫌だから」


姫の瞳に光が再び灯っていた。しっかりと力強く若い、青い星を捉えている。


「プレアデス星団。確かキュロス帝国では、あの星団が何個見えるかどうかで軍隊に入るかどうか決めるらしいわ。.........強さの証ってことよね」


彼女にはいったい何個に見えているのだろうか。


「......自分にはもう殆ど見えません。......仕方のないことですが」


ふと口から自然に言葉が漏れ出た。口にしたくないことだったが、何故か無意識に喋っていた。

そして一度蓋から漏れ出たら止まることを知らない。



「.........姫。もしあなたが望むなら、..................王との事を邪魔することだってできます」


言ってはいけないことだった。彼の目的と相反するものだからだ。

彼は言ってから後悔した。だが一方で後悔していない自分もいることにもすぐ気付いた。


肯定されることを望んでいた。国の行く末と姫、その二つがまた釣り合おうとしていた。



「遠慮するわ。何を偉そうに。ただの護衛が王族のことにちょっかい出さないでよ」


少し怒ったような口調で、そして笑いながら彼女は否定した。押しつぶしたような表情に見えた。その言葉がどういう意味なのか彼女には十二分にわかっている。開き直っているのかもしれない。




「............姫、私は」


「ただし!」


姫は、彼の言葉を遮るように。もしくは本当に彼の心に蓋をするために喋っているのかもしれない。


「その代わり、3日に一回、うーんやっぱり一週間に一回でいいわ。私の言うことを絶対に聞いて」


「え?」


彼女は急に元気な元のような我が儘な口調に戻って話す。


「だからもうずっとずっとここに居なくていいわよ。ただし私が望んだ時は絶対に居てよね」


何を言ってるのかイマイチ、というか全然わからないカムネ。まず一言目からツッコムと、


「今まで我儘は全部聞いてきたじゃないですか......、それを一週間に一度って......冗談ですか?」


カムネのいうことは事実だ。少なくとも姫の護衛という立場ではそうしてきたつもりだ。

だけど彼女が言いたいのはそうではなく、


「違う。どんなお願いでも絶対に聞いてって言ってんの。それも姫の護衛が聞くんじゃなくて、カムネ・オーブ自身として聞きなさい」


それはつまりどういうことなのか。それが察することができないほどカムネは馬鹿ではなかった。いや、カムネの今までの経験から言えば、もしかしたら当たり前だったのかもしれない。彼には普通ではない量の女性の悩みを聞いてきた。それは軽いものから命に関わるような重いものまで、そして今の姫のような、約束も。


「......要はつまり、姫の命令は......たとえば護衛をやめろってもし言われたらやめてもいいんですね?」


カムネは喜びと悲しみと哀愁が入り混じった、いや確実に喜びの勝った声音で話す。その姿は姫が、強いては仲間の兵が誰一人としてみたことがない表情だっただろう。


「やめてもいい、じゃなくて辞めるのよ。権利じゃなくて義務なんだから。ま、そんな言葉、出てくるかわかんないけど。精々、言われないようにガンバンなさいよ」


最後の方の言葉は殆ど早口になってしまって、カムネには聞こえることはなかった。それにどれだけの思いを照れ隠しとともに放ったとも彼は気づいていないだろう。そして気づいていないということにすぐに姫は気づく。


ーーあなたは一体?


いつもは欲しい言葉をすぐにくれ、してくれる人だ。しかし今は自分のことに夢中になっているふんいきが漂ってる。


ーー私が話してる時は......私だけを......。


そこまで思って彼女はふと......なんとも言えない虚しい気持ちになった。溢れ出てくる思いがグルグルと渦巻き、一つ一つの言葉を言うなら簡単なのに複雑に絡み合ったせいで全く引き出すことができない。


「...私が死ねって言ったら死ぬのよ。その覚悟があるの?」


つついて出てきたのは結局どこか軍人のような固っ苦しい言葉だった。こんな言葉が言いたいわけでは決してないのだが。彼女としてはいつもの飄々とした口調で言い返してくれると思っていた。冗談のつもりだった。というかそもそもこんな言葉冗談と受け取らない人間の方が稀だろう。

少し構ってくれたらそれで良いって思った。


「........................!!」


すると彼は、口をぽかんと開けて、だらしない目付きでこっちを見つめていた。その目はしっかりと姫を見つめている。そしてそのまま数秒、突然彼の瞳に映る姫の姿が歪んだ。


「ちょ...!!何泣いてんのよ!!」


「......え?あれ...?」


言われるまでカムネは気づかなかった。薄っすらと、小さく水滴が彼の瞳を覆っている。無意識に泣いていた。


「な......なんで...」


彼が瞳を拭い、指先についたそれを眺めながら、戸惑いがちに呟く。

......その意味に少しだけ彼は思い当たる節があった。だがそれにカムネの心が気づくことはない。彼の使命がその思いを覆い隠し握りつぶしていたから。だから彼は、その涙が嬉し涙などではないと気づくことはなかったのだ。


「......ふふっ!私の提案に嬉しくて泣いてるんでしょう。構ってもらってよかったでちゅね〜カムネちゃん」


姫は戸惑いを掻き消すような声で馬鹿にしたような声を発する。


そんな彼女を見て......彼はそうであろうと納得し......彼は少し照れたような笑みを浮かべる。


「......今日が新月でよかったです。姫にこんな顔見せちゃいけませんから」


彼はたくさんの明るい星々に照らされた夜空を背に、三日月よりも余程明るいこの場所で、静かに雫を垂らしたのだった。







月日は流れた。


「一週間に一度の約束」それはずっと守っていた。


姫は本当に一週間に一度しか我儘を云わなかった。以前の姫からしたら考えられないことだった。相変わらず家出してるような場所で生活してることに変わりはなかった。だがその態度はかなり軟化したらしい。儀式に出るとなればきちんと正装し、カムネには信じられないような礼儀正しい態度で礼儀正しい口調をし、各国の要人を魅了していた。


対して、王の機嫌はそこまで良くはならなかった。

この国の王族、すなわちマザーホルダーとなりうる素質を持つ一族は、親子兄弟が一緒に暮らすことはほとんど無い。その理由は色々と政治的な思惑も絡んでいるのだが、一番は近親的な人間であると認識させないためだ。そうでなければ子を成す行為に対して消極的になってしまうからだ。

だからある意味、王は娘のことを女としか見ていないし、姫は王のことを男としか見ていないとも言える。そして王はともかく、姫から見れば、決められた義務的な行為であることに変わりはないのだから「男」というカテゴライズしかなく、そこに例えば、安心する心や憧れる、もっと言えば恋心や愛情、逆に嫌悪や恐怖すらもない機械的な存在。王とはそういうものでしかなかった。


王は姫と子を成すことを望んでいた。それは間違いなかった。そこに愛情など無くても望んでいたのだ。

だからこそ、日に日に態度が軟化していく姫に、それと同時に日に日に接近していく身分の違う二人を見て、どこか焦りのようなモノを感じていたのは確かであった。



一方、一週間に一度の約束というのは、例えば


「ねえ、ちょっとこのお菓子もう飽きた〜」という超子供っぽいものから、

「カムネ、ここの本全部読んで飽きたから、なんか買ってきて。面白いやつ」とかいう知的なものとか色々あった。


前者についてはカムネは自分でお菓子作りをした。


「あんた......料理できたの?」


と姫はとても驚いていた。


「ええ、一応この国での調理師免許は持ち合わせています。あとは他の国の料理についても少し」


カムネは珍しく少し自慢気に言っていた。彼はこの特技を、自分が唯一誰かを笑顔にできる方法であると自負していたからだ。


そして用意した少しこの国では変わったお菓子を出すと、最初は姫も怪訝な表情をしていたが、料理の作り方を言うと少しずつ興味を持ち始めてくれたようで、


「ふわああああ!!美味しい!!」


そしてそれはその通りで、姫は頬が落ちそうなくらい大きく微笑み、満面の笑みでお菓子を食べていた。


「あんた、こんなの作れるのね!これなら料理人とかになった方が良かったのに」


彼女はきっと冗談、と言うより普通に思った感想だったんだろう。カムネも、その言葉に悪意なんてないとわかっていたから、その笑顔に合わせるように口角を上げて、


「......まあ、人生には色々あるんですよ」


少し皮肉げな笑みを浮かべたカムネ。実はこのお菓子は異国のお菓子、と言ってもその国は数百年前に滅んでいた、そしてそのレシピは、その国を滅ぼした国が同化政策を行い文化を消失させたためもう既にこの世に残っているはずのないものだった。


「...でもこんなお菓子見たことも聞いたこともないわね。色んな国のお菓子の本を読んだけど、こんなお菓子は見たことないわ」


カムネはその言葉を聞き、背筋を凍らせる。


「だけどまあいいか。美味しいし。後で作り方教えてよ」


姫は特段気にするようなことでもなかったようで、変わらず幸せそうな表情で食べ続けている。そんな表情を見て、こんな景色がずっと続けばいいな、とそのお菓子を見ながら思ったのだった。





後者の方、例えば姫が何か新しい本が欲しいと言ってきた時、彼は非常に困り果てた。

というのも、姫の部屋にある本はこの国にある本のほとんどを網羅していた。それだけ姫が本好きだというのもそうだが、一番はこの国に新しい本が殆ど発行されていないからだ。最近では技術力の遅れも相まって、科学的な本というものはますます減ってきている。代わりに増えてきたのは純文学もどき、と思えるようなこの世界、つまり自分たちがいる世界は一番素晴らしいと延々語る本だ。或いはなんの確証も物的根拠もないまま、ただの仮説を並べただけの本とか。


カムネ自身、それらの本はとてつもなくつまらないと感じていた。なんの生産性もなんの進歩もない哲学もどきにすぎなかったのだ。

これはかつて滅んだとある国の書物に似ている。その国では、全ての仕事を奴隷に任せ、本を書くような所謂知識人達は自分たちの叡智をより確かなものに、或いはその優れた弁論と話術を使った頓知によってこの世のあらゆる事象を解決しようとしたのだ。


だから文章自体は優雅で複雑で精密なガラス細工のようだけど、すぐに壊れてしまうように中身のない話だった。



そこでカムネは隣国のキュロス帝国の本を渡した。題名は「世界の戦争と科学技術」というものだ。


戦争によって科学技術は進歩する。それをある意味皮肉に綴った本だ。得てしてこう言った本は倫理観の説明になってしまうが、この本は科学技術の発展を要因から結果と影響まで丁寧に細かく書いた本だ。


ただ専門用語が物凄く出てくるのだが、それの心配は要らなかった。多分姫はこの国の知識人よりも遥かに多い知識を持っている。

約8000ページもあるのに、一週間後には読み終えてしまっていたのだから、この人の集中力はどうなってるんだ?とカムネは思ったほどだ。























もう既に今のマザーホルダーは死にかけていた。カムネは感じ取っていた。この国が再び陥る状況に危惧していた。
























ある日、カムネは王に呼ばれ謁見の場に赴いていた。普段はしない正装をし、髪を整え、完璧な礼儀作法だ。



「オーブよ。今夜はあの塔に近づくことを一切禁ずる。良いな」


王は尊大な態度で二の句を継がせぬ命令口調で言い放つ。

たったこれだけの文章だったのにカムネにはそれがどういう意味なのか瞬時に分かった。


「.........王よ。お聞きしてもよろしいでしょうか」


カムネは思い切って王に切り出す。


王はその目を僅かに揺らしたが、特に話す様子もない。カムネはそれを肯定と受け取った。


「隣国との関係......特にキュロス帝国とクリメイト共和国とはどのようになっていますか」


そう聞くと王は嘲るような笑いを浮かべ、


「キュロスの野蛮人の事など余は知らぬ。クリメイトの方は何やらほざいておったが......なんでも条約の解約をしたいとか......じゃが気にはしておらん」


カムネはじっとその真意を図ろうと王の目を見る。しかしそれに裏の意味があるようには思えなかった。


「オーブよ。何を恐れる?我が国にはマザーホルダーがある。それがあれば我が国が襲われる事などあるまい」


オーブはその言葉で煮え繰り返るような怒りに襲われる。荒波に揉まれるように嵐の海で溺れるように。


どうしてわからない。マザーホルダーなんてものはただの犠牲の上で成り立った偽善で仮初めの砂で作った堤防よりも脆い代物だということが。一つでも歯車が狂えば全てが終わる、トランプでできたタワーの上にいるようなものなのに。


「......わかりました。ありがとうございます」


だがそれを作ったのは紛れもなく.........























「姫、今日も失敗しましたよ」


姫が眠っている時間帯。誰もいない、誰も聞いていない、姫の部屋の外側で呟く。


「今回も......ですね。どうして気づかないんでしょうか」


彼は自嘲気味に笑った。卑下していた。


「姫......どうしてあなた達はずっとそんなに強いんでしょうね。本当に......分けて欲しいです、一欠片でも」


彼は空を見上げた。プレアデス星団が見えた。力の象徴。それはこの国でも嘗ては一緒だった。もう何人目だったか。そう言われた。


「姫、今夜です」


日付が変わったのを見て彼は言った。


「......ごめんなさい」






















その日は約束の日だった。いつもなら開口一番に何か言ってくるはずだった。でもその日は、その日に限って姫は何も言わなかった。

姫はいつものように我儘を言って叶えられないと言われては駄々をこね、少しだけ頑張ると満面の笑みを作った。

カムネは今日は一日中暇だと言った。すると姫は城下町に行きたい、と行ってこっそり抜け出し、あちこち見て回った。


いろんなものを買っていろんなものを食べてみて、いろんなところに行った。姫はずっと笑顔だった。この上なく幸せだったに違いなかった。



















「姫、こちらへ」



ただ呼んで、地下に降りる。



「姫、こちらです」


硬い扉を開ける。


バイタルの音が響く。カムネの目には、不謹慎というか、何か違うというか、姫の目は輝いてるように見えた。


ここだけ場違いにオーバーテクノロジーだった。薬品の匂いと機械の音が響いている。


誰もいない。静かだった。二人ともまるでお互いすらいないかのように感じた。





奥に進んでいくとまるでアクアリウムのようなガラス壁とその奥を満たす透明な液体、そしてその中心にある細長い管のような、たくさんのケーブルやチューブが伸びた、複雑な機械。


「これが、したかったことなの?」


姫は1人つぶやいた。


「終わらせる......絶対に......」


カムネは一つの装置を指差した。それは姫の一族でなければ起動できない装置。姫はそれに触れる。


姫の目の前にプールのようなものが現れた。


ドン!


姫は一瞬宙に浮いた。プールの中に落ちる。


「.........しょうがないんです」


青年は呟いた。


「誰かがやらなくちゃいけない、誰かが後を継がなくちゃいけない」


引き剥がすように叫ぶように、


「僕の事を殺してください」


青年は言った。


「今あなたが僕に触れれば、そこから出れば僕は死ねます。この国も終わります。姫の望んでいたことです」


「..............................」


「姫はとても優しい人でした。だからきっと......」


青年は手を差し出した。こうしないと自分は死なないから。殺して欲しいから、彼はこうしていつも.........


「やーだよ。誰があんたの命令なんて聞かないといけないのよ」


姫はその手を取ることはなかった。沈んでいく身体を不思議そうに見ていた。


「そうそうじゃあ一週間に一度の約束。これからも生きてこの国を守って」


姫は微笑みながら言った。いつもの悪戯が成功した時のように、子供のような無邪気で無垢で天真爛漫な笑みを。



カムネは聞いて、心の奥にそれが拡散するように広がってそして、


激高した。


「あなたは、あなた方は!!またそうやって僕を縛り付けるんですか!あなた方に......あなた方に僕をこんな風に......僕は......こんなことしたくなかった!こんなことのせいで!!」


心の奥に広がったたくさんの言葉が噴火するように溢れ出て全てを侵食していくように、


「結局此の国は腐っていった。僕のせいで、僕が............こんなもの.........王はただ自分のことしか考えず、家臣はただ人の不幸で私欲を肥やし、テキトーな指導者にいい加減な国民。いつも笑って、その下にいる人間に気付こうともしない。そんなやつらの脚に踏まれ続けるのはもう嫌なんです!あなただってそうでしょう」



カムネは暗い目を向ける。暗闇の中で何もわからない、迷ってわからない。何も見えない。一寸先も千里先も果てしない先まで彼は暗い部屋の中で命を辞めたがっていた。


「じゃあそんな顔しないでよ」


姫は呆れたように言った。そんな風に取り乱す姿を見ても何も思わないかのように。


「.........今日なんで城下町に行ったかわかる?」


姫は遠くを見るように言った。もう腰あたりまで液体に浸かっていた。


「見たでしょ?笑顔を。あれを見て、あれがそんな汚れた笑顔に見えたの?」


もう助けられない。あと少しでもう助けられなくなる。


「良いじゃない。それで。あなたが守ってきたのよ。あなたがしてきたの。だからもっと誇っていいのよ」


少女は青年にウインクした。


「きっとあなたはまた繰り返すんでしょう?じゃあ一つだけ。きっと私達は後悔してない。あなたがこんなに優しいんだから。惚れない奴なんかいないって」



青年は手を伸ばした。助けたいと思った。だけどもう間に合わなかった。



















「王よ。マザーホルダーが張り直されました。今後60年は安泰です」


「そうかそうかよくやった。褒美をやろう。何がいい」


「では一つだけ」






















その人が好きだったのは小川のほとりの、芝生だった。虫がいっぱいいて獣が時折顔を出す。


そこに一つの墓を作った。


青年は花を置いた。この季節には咲かない、綺麗な紫の花だ。メープルみたいな甘い匂いが特徴でその人が好きだった。






そして青年はそこを後にした。














立ち寄った城下町は枯れることのない、綺麗な笑顔に全てが満たされていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ