○の中から世界が見える
「ずっと……好きだったの!」
放課後の体育館裏。向かい合う男子女子。そしてそれを覗き見る私たち。
ベタすぎる告白シーンだけど、これは成功間違いなしでしょ。
だって私には見えている。
○
給食を食べ終わって昼休み。窓際に集まって、仲良し四人組でダベるのはいつものお決まりだ。
それでも今日は、みんなの口調も自然と軽くなる。
「やっぱみなみちゃんに相談して良かったー」
昨日、告白を成功させた理恵ちゃんは、朝からにやけっぱなしだ。ずっと樋口君のこと好きだったんだもんね。今日くらいはノロケも許してあげる。他の二人も同じみたいだ。
理恵ちゃんは満面の笑みで続ける。
「なんてったって、みなみちゃんは『恋愛の神様』だもんね!」
○
なんていうか、大げさなネーミングだ。いろんな友達の恋愛相談に乗っているうちに、そんな大それた名前が付いていた。
別に縁結びの力があるわけじゃない。ただ私には、『見える』だけだ。
「んんー? やっぱ副キャプテン、マネージャーさんに気があるよなぁ」
私は左手の親指と人差し指で作った輪っかを、目から離した。
放課後の教室。窓からはサッカー部の練習風景が見えていた。
これこそが私の秘密。丸の中から人の気持ちが『見える』んだ。
なんでこんな力があるのかは分からない。物心付いたときから丸の中から覗くことで、人の気持ちが『見えて』いた。
みんな『見える』ものだと思っていたから誰にも言わずにいたけど、普通は見えないものだと気付くのは、そう時間の掛かることじゃなかった。
人にペラペラ話すものじゃあないなと思ったし、必要以上に『見』なければ人付き合いに問題が出るものでもなかった。
そんなわけで、脈アリだよナシだよと友達に教えているうちに、『恋愛の神様』だなんて呼ばれるようになったのである。
「マネージャーさん、きっとうまくいくよ」
私はグラウンドに向かって小さく呟いた。
今回はサッカー部のマネージャーさんから相談を受けていた。『見た』先では副キャプテンの想いが踊っていた。
ガラッ
突然響いたドアを開ける音に、私はびくっとなってしまった。
「あ、岩下まだ残ってたんだ」
そこにいたのは同じクラスの廣瀬君だった。
「う、うん。ちょっとね」
私はびくっとなってしまったのを気付かれないように、なるだけ普通の調子で答えた。ただでさえ『見てた』ところだ。今の聞かれてないかな……?
「ふーん」
廣瀬君は忘れ物でもしたんだろうか。机の中をごそごそあさっていた。そしてプリントを見つけると、顔を上げて私の方へ向き直った。
「岩下さ」
夕日が当たって輝いて見える廣瀬君の表情は、真剣なものだった。
「人の気持ちが見えてね?」
○
なんで私がこんなことしなくちゃいけないんだ……!
私は一人、放課後の教室で日誌を書いていた。今日の日直は私じゃない。廣瀬君だ。理不尽な頼みごとに、私は筆圧も強く日誌を書いていた。
「終わったー?」
のんきに花瓶を片手に廣瀬君は戻ってきた。花瓶の水換えは自分でやってくれたようだ。
私はシャーペンを放り出す。
「終わったよ! でもなんで私がこんなことしなきゃいけないのよ!」
私はがまんできずに大声を上げてしまった。廣瀬君は教卓に花瓶を置いて振り返る。その顔は心底不思議そうなものだった。
「だって秘密、バラされたくないでしょ?」
私はぐっと押し黙った。廣瀬君はにこにこと余裕の表情だ。
昨日、咄嗟のできごとに違うと言えなかった私は、バラされたくなかったら言うことを聞けという廣瀬君に従うしかなかった。
宿題を見せてあげたり、日直の仕事を手伝ってあげたりとささいなことばかりだからまだいいけど、やっぱり納得がいかなかった。
私は黒板に明日の日直を書いている廣瀬君を、こっそり『見て』みようとした。
「おっと、俺を見るのはナシだよ?」
背中に目でも付いているんだろうか。廣瀬君はくるりと振り返ってそう言った。私はぐぬぬと歯ぎしりする。
「……なにが目的?」
廣瀬君はきょとんとしていた。そしてその意味が分かったのか、にっと笑うと、私の方に近付いてきた。
「好きな子がいるんだ」
かたんと廣瀬君は私の前の席に、後ろ向きに座る。
「岩下には協力してほしい。その力はナシで」
廣瀬君は丸の中から目を覗かせた。
ますますわけが分からなかった。
○
『見た』らそっこーバラすと言うから、地道にいくしかない。
「廣瀬君の好きな人?」
昼休み、いつものメンバーに探りを入れてみることにした。
「なに? 今度は廣瀬君で頼まれた?」
「まぁそんなとこ」
私は深々とため息をつく。恋する女の子の相談は可愛いけれど、これはどうにも気が滅入る。弱みを握られているというのは、こんなにもきついものなのか……。
「うーん、あんまり噂聞かないよねぇ。廣瀬君、誰とでも仲良くしてる気がするけど」
クラスの中心じゃないけど男女分け隔てなく接する廣瀬君は、割かしみんなに好かれている。顔も悪くないし、バスケ部でそこそこうまいみたいだし、廣瀬君のことを好きそうな女子は何人かいそうだ。
だけどみんなに平等に接しているから、廣瀬君が誰を好きかなんて検討も付かなかった。
「珍しいね。男子からの相談受けるなんて」
「ちょっと……成り行きで」
事情を説明するわけにもいかず、私はあいまいな表情を浮かべた。
○
「おー岩下ー」
振り返ると、廊下の向こうから歩いてくる廣瀬君の姿が見えた。
「そんな顔すんなよ」
苦笑いで廣瀬君は言うけれど、どの口がそんなことを言うのか。私の眉間にはくっきりとしわが寄っていた。
私は大げさにため息をついた。
「無理に決まってんでしょ。だいたい廣瀬君の好きな人って誰なのよ」
「そこを言っちゃったらおもしろくないじゃん?」
廣瀬君はにーっと笑った。
おもしろい、おもしろくないの問題じゃない。
「相手も知らないのに協力なんてできるわけないでしょー!?」
憤慨する私に、廣瀬君は楽しそうに笑っていた。
廣瀬君は窓枠に浅く腰掛けた。廊下にはまだ残っている生徒がいて、廣瀬君は声を潜める。
「岩下はさ、見えるんだろ? それで『恋愛の神様』なわけだ」
その名前が出てくるとは思わなかった。女子の間で密かに広まっているものだと思っていた。
私は思わず口ごもる。
「廣瀬君もそれ知ってるんだ……」
「岩下のおかげで付き合うようになったやつが、彼女から聞いたんだってさ」
正直なところ、あんまり噂が広がると『見づらく』なる気がしてた。私の力を疑う人も出てくるかも知れない。
そろそろやめどきかなぁ。
「でも見えなくてもアドバイスできりゃあそれに越したことないじゃん? トレーニングとして俺で付き合ってよ」
人の良さそうな廣瀬君の笑顔も、今の私には胡散臭く見える。私は睨み返すけど、廣瀬君には効かないようだ。
やめどきならば、その訓練をした方がいいかもしれない。だけどそれを廣瀬君に手伝ってもらうのはなんだか癪で、私は大げさにため息を付いた。
「いいけど」
廣瀬君は心底嬉しそうに微笑んだ。
「やった!」
○
「二組の篠原さん」
「違う」
「一組の西田さん」
「違う」
「分かった! バスケ部マネージャーの川崎さんだ!」
「ちーがーうー! お前当てずっぽうに言ってるだろ?」
う、ばれたか……。
結局一週間経っても廣瀬君の好きな人は分からなくて、私は適当に可愛い子の名前を言ってみていた。
今日は私が日直の日だ。弱みを握られたのは私の方だけど、なぜだか廣瀬君にも手伝ってもらっていた。ちょうど先生に掴まってしまった廣瀬君が悪いんだけど。
この前の日誌を書いたのが私ってばれて、手伝えって怒られていた。自業自得だよね。
「しっかしまぁ、よく今までその力ばれなかったよなぁ」
廣瀬君が感心したように言った。
「小さいときはみんな『見える』ものだと思ってたんだけどね。一回お兄ちゃんに言ったことがあるんだけど、見えねーよバーカって言われちゃってね」
それも小さいときの話だ。そうか見えないのかと幼い私は納得してしまった。
廣瀬君は日誌を書く手を止めて、顔を上げた。
「岩下、お兄さんいるんだ」
「うん、四つ違いだから見たことないと思うけど。二人兄妹だよ。廣瀬君は?」
「俺は一人っ子」
「あー、そんな感じ」
「どういう意味だよ」
広瀬君はシャーペンで頭を小突いてくる。
私たちはひとしきり笑い合った。
「それにしても、お兄さん大物だなぁ」
廣瀬君は思い出したかのように言う。
「小さいときのことだからもう忘れてるかも。それから誰にも言わずにきたから、今知ってるのは廣瀬君だけだよ」
廣瀬君は横を向いて、口元に手を当てている。その表情はよく見えないけれど、どうやら笑っているようだ。
「それに……気味が悪いでしょ?」
顔をこっちに向けた廣瀬君は、さっきまでとは打って変わって、真剣な表情をしていた。
あんまりこういうことを言いたくはないんだけど……。
「心の中を読まれたら気持ち悪い、ってマンガとかドラマとかでよくあるじゃん? だから人に知られたくないなって……」
もう少し明るく言うつもりだったのに。思いのほか、暗いトーンになってしまった。
案の定、廣瀬君の表情は悲しげなものになっていた
「でも岩下はさ、必要以上には見てないんだろ?」
予想とは違う言葉が飛んできて、私は目を瞬かせた。
「人に頼まれて最低限しか見てないんだろ? だったら気持ち悪いとか思わねぇよ。人の気持ちをちゃんと考えてるやつが、気味悪いわけがねぇ」
廣瀬君は初めて私の秘密をばらした人だった。だから、こんなときになんて言ったらいいのか分からない。
「分かんないよ? こっそり悪いことに使ってるかもよ?」
少し、声が震えてしまった。そんなことはしていないけれど、やっぱり人がこの力をどう思うかは気になる。
廣瀬君は本心ではどう思っているんだろう。『見れたら』いいけれど、それも叶わない。
『見えない』ことがこんなに怖いなんて。
廣瀬君はふんっと息巻いた。
「そんな顔をしてるやつが、悪いことするわけねぇだろ」
その時の私はどんな顔をしてたんだろう。
廣瀬君のその言葉は、すごい力で私の暗い気持ちを吹き飛ばしていった。
熱いものが込み上げてきそうで、「ありがとう」と小さく呟くだけで精一杯だった。
○
廣瀬君を観察してみたけれど、廣瀬君の好きな人は相変わらず分からないままだった。
観察、だ。よこしまな感情があるわけじゃない。
「みなみ最近、廣瀬君のことよく見てるよねー」
昼休み。いつものようにダベっていると、理恵ちゃんがふいに口にした。
「あっ私も思ってたー」
「なになに? 恋の予感?」
わかばちゃんも明美ちゃんも目をキラキラさせながら食いついてくる。
「違うよ! 相談に乗ってるだけだよ!」
慌ててそう言うけれど、三人ともニヤニヤしながら私の方を見ていた。
ひとしきりからかうと、理恵ちゃんはまじめな口調で言った。
「まぁいいけどね。でも恋愛相談なんでしょ? 好きになったら傷付くのはみなみの方だよ」
そうだ、廣瀬君には好きな人がいるんだ。私はそれに協力しているだけ。好きになるわけがない。
――なっちゃいけない。
○
結局廣瀬君は好きな人が誰か教えてくれないままで、私たちは前よりも話すことが多くなっていった。
いいのかなって思いが心の中にある。廣瀬君の好きな人がこの状況を見たら、勘違いしちゃうんじゃないだろうか。仲良し四人組でさえ怪しいと言ってきたくらいだ。私だって二人で話している男子と女子がいたら、勘違いしちゃうかもしれない。それは廣瀬君にとって、とてもまずいんじゃないだろうか。
だけど私は廣瀬君が笑顔を向けてくれることが嬉しくて、そのことを言い出せずにいた。
もう認めるしかなかった。私は廣瀬君が好きだ。
だからこそ、その笑顔が痛かった。
○
「そこはこの公式使うんだよー」
バスケ部が休みの放課後。私は廣瀬君に宿題を教えていた。例のごとく『見る』力をネタに頼んでくる廣瀬君に、私の心はちくりと痛んだ。
私にこうして接してくれるのは、この力があるからだ。
音楽室から吹奏楽部の練習する音が聞こえてくる。二人っきりの教室は静かだった。
「あ、なるほど。岩下数学得意なんだなー」
別に、ともごもご言ったけど、褒められた私の心が浮かれているのは明らかだった。
廣瀬君はそんな私には気付かずに、次の問題を解いている。
『見れば』一発でこの状況を動かすことができたかもしれない。気持ちを『見る』のは一瞬だ。
だけど彼との約束を破るのは、どうしてもできなかった。
それに、廣瀬君の本心を知ってしまうのが怖い。
『恋愛の神様』なんて呼ばれて調子に乗っていたのかもしれない。自分のことは全然ダメだ。
「なんでこんなに見てて分かんないかなー」
私は机に突っ伏して、ため息を付く。『見た』ら一発なのに。あれからずっと廣瀬君を観察してきたけど、廣瀬君の気持ちは全然分からなかった。
「え、おまえ見たの?」
廣瀬君が慌てたように尋ねてくる。
「あぁ違う違う。そっちの『見た』じゃなくて普通に見る方。ずっと廣瀬君を観察してたんだけ、ど……」
言葉を続けることができなかった。
顔を上げた先にあった廣瀬君の顔が、今までに見たことがないくらい真っ赤になっていたから。
どうして廣瀬君が赤くなっているの? 今話していたのは、私が廣瀬君を『見て』いたかどうかのはずだ。
「ちょ、こっち見んな……!」
廣瀬君は慌てて顔を背ける。それはどう見ても照れてる顔で。
私もつられて顔が熱くなってきた。
「違ったらごめん、なんだけど……」
もしかして、と思う気持ちが心の中を駆け巡る。
廣瀬君はこっちを見ようとしない。私も廣瀬君を見続けることができなくて、俯いてしまった。
「廣瀬君の好きな人って……私?」
言ってしまった。これで間違いだったら恥ずかしすぎる……。
沈黙が流れる。なかなか返事が返ってこなくて、ちらりと視線を上げた。廣瀬君は口元を手で押さえて横を向いているけど、耳まで真っ赤だ。
そういえば、廣瀬君が口元に手を当てるのはよく見ていた。照れているときのくせだったのかな……?
しばらく視線を泳がせてから、ちらりとこっちを見た。
「……俺がさ、なんで岩下が見えることに気付いたと思う?」
私は思わずぽかんとしてしまった。質問に質問で返されるとは思わなかった。
私が黙っていると、廣瀬君は続ける。
「ずっと見てたんだよ。『恋愛の神様』って呼ばれてる子がいるって聞いて、どんな子なんだろうって思ってた。そしたら案外普通の子でさ。でも人はバンバンくっつけるのに、自分には興味がなさそうで……。こんな子が好きになるやつってどんなやつなんだろうって思ってた」
廣瀬君はそこで一旦言葉を切った。そして意を決したように、口を開いた。
「気付いたら目で追ってた。それで、たまに岩下がこう、指で丸を作って覗いてるのに気付いたんだよ。なにしてんのかなーと思ったんだけど、この前ので分かった。岩下この前、ここでサッカー部の先輩のことを呟いてたじゃん?」
私は小さく頷く。まさかあれを聞かれてるとは思わなかった。
「って言っても確信したわけじゃなくて……。しゃべるきっかけになるならなんでも良かったんだ。まさか本当に見えてるとは思わなかったけど」
そう言って廣瀬君はくしゃっと笑った。
周りをちゃんと『見てる』のは私の方だと思っていた。人の気持ちを『見て』、誰かと誰かをくっつけて。
私を見ている人がいるなんて思いもしなかった。
廣瀬君は困った顔で笑っていた。
「利用するような真似して、ごめん」
私はふるふると横に首を振った。
私だって同じだ。廣瀬君と一緒にいられることが嬉しくて、廣瀬君の気持ちに気付かないふりをしてこの状況に甘えてきた。
気持ちが『見えない』ことは、こんなにも難しい。
「私……。廣瀬君に気持ち悪くないって言ってもらえて嬉しかった……」
だけど『見えない』からこそ分かったことがある。
廣瀬君は黙って聞いている。
「この力を悪いことに使おうとかは思わないけど、誰かに知られたら気味悪がられて避けられるんじゃないかって……。でも廣瀬君はそんなことないって言ってくれた。そして『見え』ても『見え』なくてもいいって言ってくれた」
「本心だよ」
「それが嬉しかったの。……ありがとう」
廣瀬君は優しく笑っていた。
『見え』なくても見えるものがあることを教えてくれた。
ふわりと頭になにかが触れた。それが廣瀬君の手だとすぐに気付いたけど、私は嬉しくて、恥ずかしくて、顔を上げられなかった。
「……で、結局どうなの……」
「なにが?」
廣瀬君は首を傾げた。
「廣瀬君の好きな人!」
「あぁ。……見てみりゃ分かるんじゃない?」
廣瀬君はにやりと笑う。
私はむっとして、左手で丸を作った。その手を上げかけたけど、やっぱり下ろすことにした。
「どうしたの?」
「言わなきゃ分かんないよ!」
ずっと利用されてきたんだ。このくらいのいじわるは許されるだろう。
廣瀬君は仕方がないなぁといった感じで手招きした。
「耳貸して」
廣瀬君は余裕そうな顔をしている。でもちょっと赤く見えるのは、夕日のせいか、違うのか。
私は耳を寄せる。
「ずっと前から好きでした」