序章 ある歴史
<序章>
―人は善よりも悪に傾く。
昔、こんな格言を残した男がいたそうだ。名前は、なんと言っただろうか。この世界の中で誰も知らないだろう。わずかに記憶されていることは、この男の考えが世界に大きな影響を与えたことだ。だがそれも、その男が死んで後のこと。そして、時には本人の考えと異なって理解され、賛同と非難の応酬を浴びたそうだ。
そんな彼の思想が、どう影響したかは今となってはもう分からない。ただ、その後の世界では、多種多様な思想・政治体制・秩序などが構成され、やがて寛容と拒絶が入り乱れ、過熱して暴走し、やがて滅亡へと足を踏み込んだ歴史が生まれた。栄華を誇っていた人類は、僅かに生き残った程度だった。戦争があり、環境が変わったというのがその原因だという。それだけ当時の人類は、今のこの世界とは異なり、優れた文明を有していたそうだ。
だが、滅び行く人類に、神はどう答えたか。何もなかったのだろうか。僅かに記録されていることは、多くの宗教が入り乱れ、時に異教徒を虐殺していたという事実がある。相手を殺すだけの価値を、その宗教の信者は感じていたのだろう。
しかし、そこまでしたのに、神は現れなかった。
そして、その信者も救われずに死んでいった。だが、わずかに生き残った人々は異なった。自分たちは神に選ばれたと。だから生き残れたと。当時としては、藁でも掴みたい気持ちであったのだろう。こうして、新しい宗教が生まれた。これが「大地の教え」の本当の成り立ちである。やがてこの教えから「聖アース教」が成立し、今やどこの国でも、民はこの宗教を信じている。
しかしあの時、神が現れなかった事実は隠された。当たり前である。今や教会は、世界を支配できる唯一の力である。国々は、その力を時に利用し、時に怯える。民は、お布施や奉仕などで神に仕える。それは、全て教会のものになる。そこには、神が存在するからだ。神は、やがて来る人類が滅ぶ時、善良の神の民を救う。なのに、神が現れなかったという歴史があれば、教会にとってそれは不都合でしかない。だから、この件は神話となって伝承されているのだ。
しかし私は、歴史学者としてそれを否定した。どんなに自分が脅されようとも。その結果がこれだ。異端尋問でどれだけ痛めつけられたことか。だが、幸いなことに書くことが出来る。後は、どうやってこれを隠すかだ。何を思ったか、一人の兵士が私に興味を持ってくれた。なかなか反骨心旺盛な男で、力はあるがどうも上司とうまくいかなかったそうだ。左遷されて看守となっている。この手紙をどうにかして残してくれるそうだ。大変ありがたい。
もう時間は無い。しかし怖くはない。私だって信者だ。だから、事実はそのままにしてほしい気持ちでいっぱいだ。そうすれば、いくらかは教会の強権的な権力から民が救われるかもしれない。私にとって心残りなのは、その歴史をこの眼で知ることが出来ないことだ。だが、いつかは変わることが出来る。貧富の差が激しいこの世の中から、人々が救われることを。
-聖アース教歴史録第23章にて
―聖暦1211年4月9日。聖モネ王国、首都モネにて、神を冒涜し教会と民を惑わす歴史学者を、異端として火刑。記録抹殺刑により、全ての書物からこの異教徒の名を抹消。また、全ての所持物も焼却処分。
-聖モネ王国常備軍賞罰碌にて
―聖暦1211年4月11日、聖モネ王国モンテベーロ監獄所属、コスモ・バルバーロ一級上尉、任務放棄し脱走。理由不明。同年10月3日に、国境の村、ミレーモ・ヴィアにて捕縛。尋問後、同月18日斬首。最後の言葉「神よ、我と民と供に救われることを。」