幼い頃の記憶
0、
それは幼い頃の夢だった。
今でも忘れない――あの時の夢。翔の尊敬する、兄にまつわる夢。
その日は両親が出かけていて、自分は広い家の中で一人ぼっちだった。
何しようかな。降り出してきた雨を見る限り外で遊ぶことはできない。
家にも誰もいない。誰も、遊んでくれる人がいない。
『お兄ちゃんはどこへ行ったんだろう…』
自分が大好きで尊敬している兄の姿がないことに多少の疑問を抱きつつも「まぁいいか」と呟く。
兄も忙しいのだから仕方ない。用事さえ終われば、きっとすぐに帰ってきて自分と遊んでくれるだろう。
そう、思っていた。
しかし、帰ってきた兄は当時まだ小学生の自分には目も当てられない程悲惨な姿で。
もう光の無い目、血みどろの体になって帰ってきた。
もう自分で歩く事すら出来ない。そんな兄はある少女に引きずられて戻ってきた。
「お、にいちゃん…?」
息をしていない。その事実がすぐに分かって、顔が真っ青になっていく。
それを見て、兄を引きずってきた高校生くらいの少女は顔を俯かせた。
何か言いたいことを押し殺すように。きゅ、と唇をかみしめた。
彼女は今にも泣きだしそうな翔の肩にそっと手を置くと、ゆっくりと唇を開き、
「10年後また―― 」
1、
「どうした翔?」
「………ッ!」
ユウマの声で、ビクッとなりながら慌てて体を起こす。
自分の腕の下にひかれている数学のノートを見ると、問題が分からなすぎて寝てしまっていたようだ。
まさか授業中の居眠りであんな夢を見るとは…と翔はため息をついた。
「…悪い夢でも見た? 凄いうなされてたけど…」
「あ、いや…まぁそんなとこかな…ははは」
力なく笑う翔にユウマが「そっか」とだけ返してきた。
こういう時に深く詮索してくれないでくれるのでユウマは助かる。
ちゃんとこっちの気持ちを察して、それでいて黙ってくれているのだろう。
そんなユウマの気遣いに感謝しながら、翔は汗で少々濡れてしまったノートに触れる。
そこにはミミズのような字で意味の分からない公式がたくさん書いてあった。
「…ああまた問題が分からなくなる…!」
「………ちゃんと授業聞かないからだよ」
「いつも授業サボってるユウマには言われたくなかった…!」
まぁ彼は聞かなくても高校で学ぶ内容くらい熟知しているのだろう。
なんせ彼はここの入試を当日受けることに決めて来たくらいだろ言っていた。
しかもその入試の日まで勉強は何一つしていなかったらしい。
何でそんなに怠けてたかは知らないがそれで入れているのだから大した物だ。
「ま、いざとなったら慶田が教えてくれると思うよ。なんだかんだ面倒見いいし」
「教えられる間に僕、何発殴られるんだろう……!」
「…テスト範囲を完璧に分かるようになるまでに身体がボロボロになりそうだね」
「本当洒落にならない…!」
テメェこんなのもわかんねぇのかよ…私の授業聞いてるか…? と言いながら殴られそうな気がしてならず、思わず身震いしてしまう翔。
だが確かに瑞希が面倒見がいいのは確かだ。
あまりにも成績が悪い翔を心配して個別補習とかもしれくれるし、彼女は自分の教え子には時間を惜しまず使ってくれる。
そこがなんだかんだで人気の高い理由なのだろうな、となんとなく翔は予測しておく。
「じゃー、授業も終わったし俺はもう帰るよ。翔も早く準備しな。俺はもう帰るよ」
「え、今日は先に行っちゃうの…!?」
「悪いけど今日は行くところがあるから」
行くところ…? と尋ねる間もなく、ユウマは教科書が入っていない軽いカバンを持ってヒラヒラーと手を振ってその場を後にする。
そんなユウマの後姿を見ながら翔は「どうしたのかな…?」と頭をひねるが、それに答えてくれる者はいない。
彼が行きそうなところというとこれっぽっちも思い当たらないのだが…まぁそこはおいておこう。
先ほど彼も自分に深い詮索はしなかったし、友達同士でも聞いていいことと悪いことがある。
そんなことを思いながら翔は白のジャケットの袖に腕を通して帰り支度を始めるのだった。
2、
「…うあー、今日はなかなかあっついな…」
ここ最近は梅雨でジメジメした天候が続いていたが、今日はいい天気だ。
久々に湿気も気にならず、むしろ太陽の陽射しが身に染みる。
今日みたいな天候の日に日向ぼっこをしたら気持ちがいいだろうな、と翔は思った。
『しかし…、』
気にかかるのは数学の授業中に見た夢の内容だ。
小さい頃の思い出…なのは間違いないのだが、いつもあそこで記憶は終わる。
最後に…兄を引きずってきたあの少女が何と言っていたのか。
覚えているのは10年後また……というセリフの冒頭のみ。
兄を引きずってきた、少女の外見すら翔は覚えていない。
『お兄ちゃんは…間違いなく誰かに殺された』
あの少女が犯人である可能性も十分にありえるかもしれないが…、
それなら何故あの少女は兄を家まで引きずってきたのか?
翔に見せるためか? 恐怖を植え付けるためか?
では何故最後に謎のメッセージを自分へ残していったのだろう?
『はぁぁー…謎が多すぎて良くわかんないよ…』
大きなため息を漏らしながら、翔は頭を掻く。
唯一、気に欠けなくてはいけない事があるとしたら「10年後」という言葉。
今年でちょうど、兄が死んで10年目。つまり、今年何かある可能性は十分にある。
そしてここにきて『パーティー』という『神様同士の殺し合い』への参加資格。
『偶然とは思えないんだよなぁ…』
はぁ、と翔は本日何度目か分からないため息を漏らした。
ため息をすると幸せが逃げると母親に良く言われるがこればかりは仕方ないだろう。
自分でもどうすればいいのかわからないのだから。
そもそもこういった考え事の類は苦手だ。自分は決して頭が良いわけではないし。
『なんか美味しい物でも買ってさっさと家帰って――、』
と、そこで。
翔の足がピタリととまった。
彼の視線が注がれるのは、目の前にあるペットショップのディスプレイだ。
ディスプレイには、仔犬が二匹仲良さそうに遊んでいる光景が映っている。
「か、」翔はキラキラと目を輝かせながら、「可愛い………!」
思わずベターとディスプレイに貼り付けになってしまうほどの可愛さだ。
ふわふわでもふもふの毛。くりっとした目。どれも最高級の可愛さと言える。
どちらかというと猫派な翔だが、犬も可愛い。というか動物は全般可愛い。
彼は哺乳類だけでなく、爬虫類や昆虫類などありとあらゆる動物が大好きだ。
しかし、目をキラキラ輝かせながらアホ毛を左右へ動かしてペットショップのディスプレイにへばりつく男子高校生。
傍から見たら一体どんな光景なのだろう。
『いいなぁ…うちもお父さんが動物苦手じゃなきゃなぁ…』
と、そんな周りからの評価は気にもせずに脳裏にイケメンな父親の姿を浮かべながら、翔は再び思わずため息をつく。
それ以外に何一つ苦手なものなどないのに、何故動物だけ苦手なのだろうあの父親は。
そんなことを思いながらそっと翔はディスプレイから手を離した。
その内自分だけで生活できるようになった時に飼おう。そう決意していると、
「…おいそこの少年」
「……っ!」
急に後ろから話しかけられた。重圧感のある低めの男の声だ。
突然だったことと、今まで全く気配を感じなかったことから思わず身構えてしまった翔だが、黒いフードで顔を隠した金髪の男は特に気にとめていないようだった。
彼らはこちらから見える口元だけで笑みをつくると、
「少年、君は動物が好きなのかい?」
「…え、あ、まぁ…」
なんだろうこんな怪しい格好でそんな事を聞かれるとは拍子抜けだった。
てっきりなんか変な絡まれ方でもされるのかと思った。
翔は自他共に認めるトラブル体質なので、ついそんなふうに考えてしまいがちなのだが…、
「そうか。では、ついてきたら珍しい動物を見せてあげるよ?」
「…珍しい、動物…ですか?」
ああ、と言って再び口元に笑みをつくる男。
正直この時、動物好きな翔の心はかなり揺れ動いていた。
珍しい動物。それはきっと滅多にお目にかかることは出来ない動物だ。
それが何かまでは想像がつかないが、このチャンスを逃したらまたしばらく見れないのではないだろうか。
『でもダメだよ翔…! お母さんが知らない人についてっちゃいけません、って良く言ってるし…!』
…なんだか理由がもの凄く小学生みたいだが、翔にとってはこれが通常の思考回路である。
母親との約束を破って珍しい動物を見るか、動物を諦めて母親との約束を守るか。
どっちをとるべきかで翔は「ううう…!」と頭を抱えてしまった。
お前他にもっと悩むことあるだろう、と思うかもしれないが翔はどうでも良い事で本気で悩む少年なので致し方ない。
『でもお母さんも動物好きだしなぁ…写真撮って見せてあげたいし…いやいやでも…!』
グルグルと頭の中でどうするべきか悩む翔。
そして色々悩んだ末、彼の出した結論はというと――、
「それで、どこまで行くんですかその珍しい動物とやらを見るために?」
5分後。
黒いフードをかぶった金髪の男の後ろを大人しくついていく翔。
結局彼は珍しい動物を見たい誘惑に負けてこちらへときていた。
「…ふむ」男は少々黙ってから、「…まぁあまり狭い所では見られないからな。広い所へ行かないと」
へー、と翔は頷く。
この辺で見られないとはかなり大きな動物なのだろう。
まさかライオンやクマではないだろうな…と思うが彼らは一応動物園で会えるし珍しいか微妙である。
『大きくて珍しい動物って…何があるかなぁ?』
まぁ珍しい動物というくらいだし自分が知らない動物という可能性も十分にあり得るだろう。
分からない方がわくわく感も増すというものだ。
どんな動物が出るか楽しみだなー、と鼻歌まじりに翔が歩いていくと、
「ついたぞ」
と、男の声がしたので翔はぱっと顔をあげた。
ついた場所は翔にとって、少し見覚えのある町はずれの空き地だ。
忘れるはずがない。小さい頃兄とよく遊んでいた場所だ。
まぁ人気がなくて危ないでしょう! と良く母親に叱られもしたが。
今となってはどれもいい思い出ばかり。
しかし、肝心の動物とやらが見当たらない。どこにいるのだろう? と翔は首をひねりつつ、
「それで? 珍しい動物っていうのはどこに?」
「ほれあれだ」
すっ、と男が指差すのは自分の後方、茂みの中だった。
翔もゆっくりと後ろへ視線を移して――、
それとほぼ同時。
ギラッ、としげみの奥で赤の眼光が光り「ギシャァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」とおぞましい声が聞こえてきたのだ。
「ッ!?」
咄嗟に耳を塞いで音源の方を見る。
そして、それが何であるのかを翔はすぐに理解することになった。
金色の体。体中の鱗。赤く鋭く光る眼光。そしてバチバチと体中から発されている紫電。
その、おぞましいおたけびの主の正体は―――、
「……りゅ、龍……!?」
この世には存在しない筈の動物――金色の龍だった。
と、いうわけで今回はお終いです…!
ややいつもより短めかな…さほど変わらないが…!
次回いよいよプロローグのシーンに繋がるのでお楽しみに☆
更新早めに出来るよう尽力します…←