No.2
0、
ただ、生まれたのが少し遅かっただけ。
兄と弟の違いなんて、それだけのはずなのに、その僅かな差で膨大な違いがうまれてしまうらしい。
弟は、いつまで経っても一番手にはなれなかった。
いつだって、二番手だった。
勉強も、運動も、強さも、――そしてあの少女が愛するのだって。
いつも自分には、似ているはずなのに似ていない、絶対に適わない上の存在がいて。
悔しいはずなのに、憎めなくて。悔しいけれど、自分だって大好きで。
そこまで完璧な存在ならば。
どうしてお姫様の手を離して消えてしまうのか。
そこまで完璧な存在ならば。
どうして自分に付け入る隙さえ与えずに、彼女を幸せにしてくれなかったのか。
お姫様と共に残される中途半端な二番手の気持ちは、きっとずっと一番手にいた彼らには理解出来ないのだろう。
消えることで彼女の記憶に濃厚に残るその男を消し去る事なんて、きっと不可能だ。
ずっと二番手だった自分が、消えたその男以上になることだって、きっと不可能だ。
「ああ、なんて皮肉な話なんだろうね?」
そう言って、男は笑みを浮かべた。
二番手に生まれてしまった、――自分と同じ境遇の、哀れな少年を見つめながら。
1、
「………、」
さっきまで頭上にあった太陽はあっという間に海の向こう側へ落ち、辺りは夕日に赤く染まり始めていた。
桜澤は皆に料理を振る舞うためにロッジに戻り、ユウマもその手伝いでいなくなった。
割とみんな自由に遊び尽くし、大半の者はロッジに戻り、夕食までの間一休みしているようだ。
気づけばこの広い砂浜に、翔の他には誰もいない状態になっていた。
「………、」
先ほどの出来事が、頭の中でフラッシュバックする。
ぱしんっ、と手をはらわれた、あの出来事が。
『…嫌だったのかなぁ……うああ…辛いなぁ…もう迂闊に触れられないな…』
翔にとって、頭を撫でるのはちょっとした癖のようなものだった。
幼い頃、よく栞菜と遊んでいた時に彼女の頭を撫でていたから、その癖が抜けきっていなかったのかもしれない。
しかしこうなると、迂闊にその癖を発揮するわけにもいかなくなってきた。
『…拒否られても嫌だしな…気を付けよ…』
ははは、と苦笑をしつつ翔は右手で顔を覆ってため息をついた。
相手に拒絶されることがこんなにも辛いことだなんて、今まで知り得なかった。
『……胸が痛いのは……、』
「よーっす、なーに1人で黄昏てんだいっ?」
「っ!?」
気配がない状態で、いきなり声だけが聞こえてきたので翔は思わず肩をびくっとさせた。
今回の旅行のメンバーの中で、こうもいきなり現れる人物はただ1人だ。
「シャロンさん」
振り返ると、いつの間にそこまで来ていたのか、シャロンが立っていた。
相変わらず神出鬼没な少女だ、と思いつつも徐々に慣れてきている自分が恐ろしい。
日が落ちてきたせいか、先ほどまで頭に被っていた麦わら帽子を片手に、彼女はにこりと笑うと翔の横に腰かけた。
「やー、相変わらず翔くんはいきなり話しかけるといい反応するよね☆」
「…シャロンさん、神出鬼没なんですもん…」
「えー、普通に歩いてきただけなのにー」
いやいや、と思ったが翔はそれを口には出さなかった。
シャロンは翔から目線を外し、夕日の方へ目を向けると「綺麗だね」と呟いた。
「………、」
その言葉で翔は前を向いて、その赤色を見ながらこくりと頷いた。
「で? こんな感傷的な気分に浸れそうな場所で翔君は何を考えていたのかな?」
「うぇっ、い、いや、その、大したことじゃ…!」
んー? と面白そうに覗き込んでくるシャロン。
何も言っていないのに、彼女の深紅色の瞳がすべてを見透かしているような気がしてならない。
「あ、そういやアイちゃんの水着どうだったー? 私と心和ちゃんで選んだんだけど」
「ははは……、似合ってました…」
顔を背けた状態で告げると、シャロンが首を傾げた。
彼女はその後にあったいざこざを知らないので無理もないわけだが。
それにしても、ほぼ初対面の先輩をちゃん付けで呼んでいる辺りはやはり大物だ。
「…そういや、シャロンさんは泳がなかったんですね」
「うん、私泳げないんだよねーって返答を今日だけで3回くらいしたんだけどね」
「え、泳げないんですか…!?」
何でみんな驚くかなー、と言いつつシャロンは苦笑を零した。
いや、なんというか、勉強でも運動でも割と何でもできるイメージがあったのだ。
3回くらい返答した、ということは皆もやはり不思議に思っていたのだろう。無理もない。
「それにやけるの嫌だしさー」
「折角綺麗な白い肌ですもんね」
「………、たらしだねぇ」
「ぶふぉっ!?」
冷静に返されて、翔はむせかえってしまった。
彼はぶんぶんと首がとれそうな勢いで首を振ると、
「い、いやいや、別にたらそうと思って言ってるわけじゃないですよ…!? ただ素直に思ったことを…!」
「まー、素直に言うのは良い事だと思うけどね」
と、そこで翔は首を傾げた。
なんか、今日のシャロンは少し雰囲気が違う気がしたのだ。
普段は全くついていけないくらいハイテンションなのに、今日は少し落ち着いている気がする。
『まぁずっとあのテンションだったら…、と考えるとちょっとアレだもんなぁ』
「ねぇ、今失礼なこと思わなかった?」
鋭い視線で見られると、翔はまたしてもぶんぶんと首を振って否定する。
何故この手の人はこちらの考えていることが分かるのだ。
そう思って冷や汗を流すが、彼女はそれ以上言及はせずに麦わら帽子を少し目深にかぶりつつ、
「…これから少し真面目な用事があるんでね」
と呟いた。
その真面目な声色に少し首を傾げるが、シャロンはすぐさまにやーっと普段の笑みを浮かべ、
「んでんで? お悩みはアイちゃんのことかなー?」
「ぶふぉっ!? 何でわかるんですか…!?」
「そりゃ分かるよー☆ 女の勘かな」すらりとした指をくるくる回しつつ、「ってか、翔くんって、アイちゃんのこと好きなの?」
「へ……っ!?」
翔は少し驚いた顔をしてから、ぶんぶんと勢いよく手を振った。
「い、いやいや、ち、違いますよ…!」
「そうなんだ? てっきり両想いなのかと…」
「両想いなんて、猶更ありえないですよ…」
翔は少し表情に影を落とした。
今、翔の脳裏に浮かぶのは、死んでしまった自分の兄。――そして、その横に並ぶ彼女の姿。
これ以上ないくらい、お似合いな2人だと思った。
「………、」翔は少し言うか迷って、それから、「アイは……僕の兄が好きだったんです」
躊躇いがちに告げると、シャロンの表情がきょとんとしたものに変わる。
「…だった?」
「うちの兄は、もうずいぶんと前に死んでるんですよ」
へらっと笑いながら答えると、珍しくシャロンが驚いた表情を浮かべるのが一目で分かった。
彼女は、しばらく口を開いては閉じて…まるで告げるかどうか迷うような動作をとってから、
「……アイちゃんは…」
「?」
「……、その、翔くんにお兄さんの幻影を重ねたりとか…してるのかな?」
躊躇いがちに問われたその質問に、翔は首を傾げた。
何故そんなことを聞くのか、翔には分らなかったが、うーん、と少し迷う素振りをしてから、
「いや、どう…ですかね。なんせ、僕と兄はそんなに似てないので…顔も性格も、何もかも…」
翔がそう言うと、シャロンは何故か安堵するように「そっか」と小さく声を零した。
それからしばらく沈黙が続いた。
やはり言うべきじゃなかったかな、と少し後悔していると、シャロンが伏目がちにぽつりとつぶやいた。
「でも似てなくて良かったかもね」
「…え?」
「アイちゃんが君に好きだったお兄さんの幻影を重ねたとしたら、それほど残酷なことはないよ。…君は延々とお兄さんの幻影にとりつかれることになる」
シャロンの声が徐々に低くなっていく。
シャロンとは知り合ってから間もないが、それでも、こんな低いシャロンの声を聴くのは初めてだった。
「アイちゃんは君を通して、お兄さんを見る。君を見ているんじゃない。いつまで経っても君は、君になれない。…そうなるわけだ」
今までに見たことがない程の、シャロンの真面目な顔。
いつまで経っても君は、君になれない。
その言葉が、翔の中に突き刺さる。
しばらく、その言葉に返答が出来ずにいると、途端にシャロンがまたいつもの笑顔に戻った。
「はーっ、真面目な話しちゃった! ごめんね!」
「え、あ、いえ……」
元々先に返答に困るような発言をしたのはこっちだしな、と思っていると、シャロンは儚げな笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「……翔くんは、私に似ているようで似ていないのかもね」
「…え?」
「さー、ごはんもりもり食べようぜ!」
「………、あ…はい…」
そう告げると、シャロンは翔の前を歩き出す。
最後の言葉の意味が分からないまま、翔もゆっくりと腰を上げた。
この時点で、翔にはシャロンの考えていることなど、予想もつかないのだった。
2、
潮風が頬にあたる中、1人砂浜にしゃがみこむ。
今頃は皆夕食をとっている頃だろうが、アイはどうも夕食をとる気にはなれなかった。
元々食べても食べなくても良い身体だし、何より翔と顔を合わせるのが気まずかったからだ。
はぁ、と1つため息をついてから、目の前に広がる赤い景色を見つめる。
「……日が沈むのが遅いのね」
ぽつり、と呟いた綺麗な声が風に紛れて消えていく。
そういえばこの国は、夏は日が長く冬は日が短いのだったな、とふと思い出した。
“アイは頭いいけど、やっぱりこの国については何も知らないんだね”
“まぁそうね。天界とこっちじゃ、やっぱりいろんなものが違うし…”
“じゃあこの国のこと、俺が教えるよ。代わりに、今度アイの世界の話も教えてくれないか”
脳裏に浮かぶ、1人の少年。この10年、一度だって忘れたことはなかった。
彼女の世界を形作り、自分の世界と引き換えに、彼女の世界を守った男。
それでも、今、彼は隣にはいない。
そして、その代わりに、今のアイの横には彼の弟がいる。
「………なんで手をはらっちゃったのかな」
必死に笑顔を取り繕うとして翔の顔を思い出す。
心の奥では、傷ついているのを必死に隠そうとしている表情だった。
『………、ってそりゃそうよねぇ…普通そうよねぇ…なんで謝らなかったのかしら…余計気まずくなるってわかってるのに…』
あああ…、と体育座りのまま両手で頭を抱えた。
別に翔のせいではない。そんなことは、とっくにわかっていた。
なんとなく、この間の幼馴染との光景を見てから自分の中で何かがおかしいのだということ。
『………、ううん、違う。わかってる。何でこんなになってるのか』
そう思いながら、アイはある出来事を思い出す。
それは、丁度一週間ほど前の出来事だった。
『ちょっと、話があるんだけど』
リズとのごたごたが終わり、また少し落ち着いた日常を取り戻していたその矢先。
翔の幼馴染の少女、栞菜がアイの前にそう言って現れた。
翔がいないときにわざわざ訪れた彼女は、翔と一緒にいる時には見せない――真剣かつ深刻そうな表情をしていた。
『…私相手でいいの? 何かしら?』
問い、そう促すと、栞菜は紫色の瞳で真っ直ぐにアイの方を見てから、
『パーティー、って…なんなのよ』
その一言で、今度はアイの表情が今までの涼しげなものから真剣なものへ変わった。
何故、と言いたげな目で栞菜を見るとアイの言いたいことを察したのだろう。
彼女は相変わらず鋭い視線を崩さないまま、
『…お兄ちゃんには心配させまいと思って言わなかったけど…、私操られてた間の記憶がきちんとあるの』
そう、栞菜は前回のリズとの争いの際に心の弱みに付け込まれてリズに操られていた。
翔に聞いていた話では、栞菜は操られていた間の記憶はないから特に心配はないだろう、との事だったのに。
リズも最後に余計な手土産を置いて行ってくれたものだ、とアイは内心で毒づいた。
『操られていた間に、断片的に話は聞いていた。パーティーがどう、とか、神様の戦いがどう、とか……。そして、お兄ちゃんがその戦いに巻き込まれてるってことまでわかったわ…!』
それは、悲痛な叫びだった。
栞菜が翔に対して好意を抱いているのは誰が見ても一目瞭然だ。
そんな少女が、自分の想い人が危険な戦いに身を投じてると知ったら。それは当然な反応だろう。
それに、と栞菜は続け、
『…私、子供のころにアンタと会ったことがある』
『……!』
『アンタは覚えてないかもだけど…、私はアンタと光さんが一緒にいるのを見たことを覚えているわ』
栞菜は、徐々にアイとの距離を詰めてきた。
そして手前まで来ると、アイの肩をがしっとつかみ、
『光さんも……、光さんもあの時戦いに巻き込まれてたんじゃないの!? それで……、それで命を落としたんじゃないの…!? だからお兄ちゃんはアンタに光さんの話はしないでくれ、って…!』
そして。
彼女は、アイにとっては非常に残酷な言葉を告げた。
『アンタなんでしょ…!? 光さんは、アンタのために争いに参加したんじゃないの…!?』
その言葉は、アイにとっては胸に深く突き刺さる剣だった。
光はアイのために争いに参加した。
それはつまり、光はアイのために死んでいった、という言葉と同義だからだ。
『それにわかるわ…、アンタ、光さんが好きだったんでしょ…? 好きだった人の弟を、どうして危険だとわかってる戦いにまた巻き込めるのよ…!』
栞菜がアイのシャツの襟もとを掴む。
が、その手にほとんど力は入っていなかった。
彼女の強気な紫色の瞳には、大粒の涙がたまっている。
『…お願いだから……、お兄ちゃんだけはやめてよ…、お兄ちゃんだけは…私の好きな人だけは、連れていかないでよぉ……!』
そういうと、何かのタガがきれたように栞菜はわぁぁ、と泣き出した。
アイは彼女に何も言い返すことは出来なかった。
悲痛なその叫びは、まったくもって正論だった。
自分に、これ以上彼らの世界を壊す権利なんて、あるはずがなかった。
そして、目の前で泣いている少女の愛する男を連れて行っていい権利も、あるはずがなかった。
目の前の少女に、10年前の自分のような思いを背負わせていいはずもなかった。
『…そうよね』
パーティーを終わらせたい、という自分の望みを思い出す。
そんなことよりも、もっと単純に、――この終わらない苦難のループの原因は自分なのかもしれない。
そう思った。
だから、アイはきちんとけじめをつけなくてはいけない。
「アイ…?」
と、後ろから声が聞こえた。
栗色の髪の、茶色の瞳を持った少年の声が。
自分のせいで、酷く運命を捻じ曲げてしまった少年の声が。
あの雨の日。光が死んで、自分がクイーンの名を手にした時のことを思い出す。
光を家まで連れて行った時の、この少年の酷く傷ついた顔を、アイは一度も忘れたことがなかった。
一緒にいることで、どうしたって鮮明に思い出さずにはいられなかった。
『…きっと、これが一番いいんだわ』
アイ…? ともう一度、躊躇いがちな少年の声が聞こえた。
こっちがいつまで経っても喋らないから心配しているのだろう。
ほら、こんな優しい少年を、いつまでもこんなところにいさせてはいけない。
アイはそう決意し、いったん目を閉じて、それからもう一度開く。
――氷を司る神として、冷静に、冷酷に、告げる。
「翔。アンタやっぱり、私のパートナーやめてくれない?」
潮風が、2人の間を突き抜けた。
「え…?」
突然告げられたその一言に、翔は思わず目をぱちくりとさせる。
それから、ひきつったように笑いながら、
「や、やだなぁ、アイ…何を冗談…」
「冗談なんかじゃないわ」
そう。冗談などではない。
自分は本気だ。どうしてでも、翔にパートナーをやめてもらわなくてはならない。
「でも…、パートナーがいないと…」
「…まだわからない? アンタじゃ役不足だって言ってるのよ」
その一言を告げた瞬間に、翔の顔が歪むのがわかった。
ああ。こんな顔をさせたいわけじゃないのに。
アイの中で、決意が揺らぎそうになる。
『ごめんね、光…』
彼の遺言を思い出し、アイは謝罪の言葉を心の中で述べる。
しかし、それでも、今後彼にこういう顔をさせないためにも。
今だけ、この少年を傷つけるのを許してほしい。
「アンタは…いまだに氷結能力も使えないじゃない」
声が震えそうになるのを堪えて。表情が崩れそうになるのを堪えて。
なるべく翔の顔を見ないようにしながら、アイは淡々と告げていく。
「足も遅いし、機転がきくわけでもない。…この間のリズとの戦いでも、人探しくらいしか出来ないんじゃねぇ」
ああ。
「私はね、クイーンなのよ。勝ち抜き者なの。…アンタみたいな役立たずと、いつまでも一緒ってわけにはいかないの」
ああ。どうか。
「だから、アンタにはもうパートナーをやめてもらう」
どうか、――私の想いに気づかないでいてくれ。
そして、出来る事なら。
翔の方から、もう自分の事なんか嫌いになって、どこか遠くへ行ってほしい。
そう願うアイだったが、それでも翔は引き下がりはしなかった。
「で、でも…! パートナーってそんな簡単にやめれない…よね?」
「まぁね。けど上位個体に直接志願するわ。一応前の勝ち抜き者だし、多少の我儘は許されるのよ」
本来、そんな事はきっと出来ないだろう。
それでも、翔を納得させるためだったらどんな嘘でもつく。そう決意する。
翔は口をぱくぱくと動かすが、何の声も出ていなかった。
彼は何か言おうとして、それを呑み込んでから、またアイを向き合った。
「最近…アイが、ずっと悩んでたのは…それ?」
振り絞るように言ったその問いに、アイはこくりと頷く。
「ええ…」
「だったら、何であの時、僕の手をとってくれたの…!?」
あの時。
それは、ライと戦ったあの日のことを言っているのだろう。
自分を助けてくれた、あの日のことを。
「僕をパートナーとして認めてくれたから…、だから手をとってくれたんじゃなかったの…!?」
少しずつ信じてほしい。
そういいながら、彼は手を伸ばしてくれた、あの日。
今まで絶望の淵にいた自分を、いっきに光まで救い上げてくれたあの日。
そして、――もう一度、だれかを信じてもいいかと思ったあの日。
「ねぇ、アイ…! なんとか言ってよ…!」
あの時の翔の手の温もりと、その少年の言葉にアイは決意が揺らぎそうになる。
ああ。お願いだから。
これ以上、決意を鈍らせないで………!
「光だったら――こんなんじゃなかったわ」
その瞬間。
翔の瞳が大きく揺れるのがわかった。
「光とパートナーの時は、アイツはこうじゃなかった。力も使えてたし、機転もきいたし、普通に強かった」
きっと、今自分が一番翔を傷つける言葉を吐いていることを理解していた。
それでも、もう彼の決意を鈍らせるのは、これしかないということも理解していた。
「最初は、アンタも光の弟だから。もっと出来ると思ってたのよ。だから信用して手をとってみたの」
先ほどまで確固たる意志で、パートナーをやめないといっていた少年の、
その確固たる意志が、少しずつ折れていく。
「でも、実際は全然じゃない…未だに氷結能力も使えない…アンタ、手に紋様が浮かんだのだって最初の一度だけじゃない…!」
彼の決意に、皹が入っていく。
でも、これだけ言わないと、彼は諦めてくれないから。
だから、やめるわけにはいかなかった。
声は上ずってないだろうか。涙があふれていないだろうか。
そう思いつつ、アイは、冷静に、最後の言葉を告げた。
「――そんな、役立たずなアンタなんて、クイーンである私のパートナーには相応しくないって言ってるのよ…!」
ヒュオオオオ、と冷たい風が2人の間を割るように吹いた。
しばらくの間、沈黙が続いた。
夏だというのに、今この空間だけは、非常に冷ややかなものだった。
「なん、だよ……。いつもそうだ…みんな、兄さん兄さんって…」
翔が言葉を零したところで、アイは目頭があつくなるのがわかった。
それでも、それをばらすわけにはいかないから、アイは下を向いたまま、顔をあげはしなかった。
声を出す事すら、出来なかった。
「……っ、僕は、っ、兄さんの身代わりなんかじゃない……!」
上擦った声でそう叫ぶと、翔はそのままロッジの方へ走っていく。
今顔をあげたら、追いかけてしまうかもしれない。
そう思うと、顔をあげることすら出来なかった。
翔の背中が消えるのを完全に確認してから、アイは顔をあげた。
涙が溢れない自分の冷たさに、はっと自嘲気味に笑みを零してから、ぐっと拳を作る。
これでよかった。
これでよかったんだ。
何度も、何度も、自分に言い聞かすように繰り返す。
そう思いつつも、――遠ざかるあの背中を追いかけたくなるこの衝動は。
「………、」
くしゃっ、と前髪を掴む。
これで良かったはずなのに、謎の後悔が心の中を渦巻く。
『……これじゃまるで、人間だわ…』
そう思って笑みを浮かべると、誰かが自分の後ろに立つのが分かった。
ゆっくりその気配に振り返ると、そこには1人の少女が立っている。
「………、明美」
その名を呼ぶと、彼女は弱々しい笑顔を浮かべた。
「あ、アイちゃん…あの、少しお散歩しませんか?」
「どうしたの? ロッジで夕飯食べてたんじゃないの?」
「食べ終わりました…それで、あの…、少し潮風にあたりたくなって…」
「何それ」
ふっと笑みを浮かべると、明美が表情を曇らせるのがわかった。
何故そんな顔をするのか。本当に人間は、――難しい生き物だ。
『…ま、私たち下位個体の神も…人間のような心を持っている。近しい存在ではあるのか…』
「あ、アイちゃんは夕飯食べなくていいんですか…?」
「え、ああ…お腹すいてなくてさ」
元々お腹がすく、という感覚すらよくわからないのだけど。
こういうところで理解する。自分たちはやはり、人間に近しくも、人間ではないのだということ。
人は飢え、乾き、そしてそこで欲望が生じる。
その欲望は様々なものだ。だが、自分たち神には、そもそも飢えや乾きという感覚が分からない。
どんなに近づいても、人間を完全に理解することなど、出来ないのだ。
『…どうなのかな、リズみたいに…精神を司ってたり、ミカみたいに誰にでも優しい心を持っていれば…また話は別だったかな』
「…あの、アイちゃん…?」
と、思考に耽っていたところで、明美の声が聞こえてきた。
心配するようなその声に「あ、ごめん、ぼーっとしてた」と答える。
本来自分には、このように人間に心配してもらう資格すらないのだ。
そう思うと、また胸が痛むような気がした。
「あ、みんなはまだご飯食べてるの?」
「はい…、心和先輩、あんなに細いのに凄くよく食べるんですよ。凄いですよね」
「へー」
「それに、後藤先輩が茶々いれたりして。凄い楽しい食卓の時間でした」
明美のその言葉に、アイは首を傾げる。
まるで、普段は寂しい食卓を囲んでいるかのような発言だった。
「…あ、アイちゃんは1人で何を考えていたんですか?」
「え……、いや、別に。大したことじゃないの」
明美に言っても仕方のないことだ。
直に自分はこの島を発ち、一旦天界に戻る。
その前に明美をロッジに送り戻さないといけないだろう。
「さ、そろそろ暗くなるし、早く戻ろ……」
と言って。
ふと、明美が自分の横にいないことに気づいた。
どうしたの、と問おうとして振り返る直前。
「……ごめんなさいアイちゃんっ!」
「……え?」
ガシャン、と手に固い何かが触れる。
それど同時に、アイの力が抜けてかくんっと倒れていくのが分かった。
「…な…に…」
後ろ手につけられた〝ソレ〟に、アイは見覚えがあった。
とはいっても、現物を見るのは初めてだったのだが…。
『銀の…手錠…』
眩暈がする。自分の中の、神の力が徐々に吸い取られていくような感覚だ。
アイは明美の方を見ようとするが、もう視界すらぼんやりしていて何も見えなくなってきた。
そして、遂に目を開いていることすら出来なくなったアイの意識が落ちていく。
アイ、と自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
懐かしくも優しいその声は、
『……光…? それ、とも……』
ドサッ、という音と共に、アイが地面に崩れ落ちる。
その姿を見て、明美はすっかり青ざめていた。
が、もう既に時は遅かった。自分の後ろには――レンが控えていた。
「よくやったぞ明美。これでお前の家も救われたな」
ふっ、と笑いながらレンは言う。
レンは明美の横までやってくると、背中を軽くぽんっと叩いた。
明美は全身の震えをおさえながら、声をひねり出した。
「…あ、アイちゃんをどうするんですか…」
「さぁなー。俺は知らねぇよ? 俺だって頼まれてやっただけだし」
そういうと、レンは視線だけ後ろへ向ける。
その視線を明美も追うと、もう1人の少年が現れるのが分かった。
黒髪に黒い瞳を持つその少年は「ありがとう」と軽い感じに礼を言うと、倒れているアイの元へ近づいていく。
「…助かったよレンくん。…君に頼んでよかった。これで俺はアイと一緒に…」
「なーに気にするな。俺も闇を司る神の言うとおりにやっただけだしな」
何を…言っているのだ?
この2人は、一体、彼女をどうするつもりなのだ?
「じゃあこの子はもらっていくね」
そういうと、少年はアイを肩に担いだ。
明美はもう一度、先ほどレンに尋ねた問いをその少年に問い直す。
「あ、アイちゃんを…どうするんですか…」
「大丈夫、ひどい目にあわせたりはしないよ」
意外にも、にこりと少年は穏やかな表情で笑った。
「僕はこの子と共にあるんだ。…これからずっと、ね…」
「……え?」
「この子を幸せにするから…大丈夫…心配しないで…」
そういって笑う彼の笑顔は狂気に満ち溢れていて、明美はぞくりと背筋が凍るのがわかった。
それじゃ、といって少年が去っていく。
止めることも、動くこともできない明美は気づいた。
――自分がもう、取り返しのつかないことをしてしまったということに。
あばよ、というとレンもその少年を追って去っていく。
明美は今までの緊張がとけたかのように、地面に崩れ落ちた。
3、
どうして、アイはあんなことを言ったのだろう。
先ほどのことを思い出しながら、翔は真剣に考える。
自分は、アイと共に戦っていく覚悟は固めていたつもりだというのに。
あの、ライとの戦いで彼女に手を差し伸べた時から。
『………、』
そうだ、よく冷静に考えるんだ。
最初からそうだったはずだ。彼女が冷たい態度をとるのには、それなりの理由があったはずだ。
初めて会ったとき、兄を殺したのは自分だ、とはっきり告げた時のように。
一体、なんで。そう思ってから、翔は首を振った。
『……それなりの理由、っても多分原因は僕自身だ。…だったら僕がその問題を解決しない限り何の意味もないかもしれない…』
と、ここで初めて、あれ、と思った。
何故自分はこんな必死に理由を考えているのだろう?
パートナーをクビになった、ということは即ちもうパーティーに参加しなくても良いということだ。
それは、普通に考えれば良いことのはずだ。
本来、あんな命を落とすかもしれないような戦いだというのに。
パーティーをとめたい、なんてアイの願い。自分がパートナーとして叶えようと奮起しなくても良いのに。
なのに。何故。
喉元まで出かかっているその感情に、翔はまだ名前を付けることが出来ない。
「わっ」
と、そんな考え事をしていたせいだろうか。
曲がり角のところで、誰かにぶつかった。
そんなに勢いよくぶつかったつもりはなかったのだが、その少女はぶつかると同時に地面に崩れ落ちてしまった。
「え、あの、すいません、大丈夫ですか…?」
「てん、どう、くん…」
弱々しく自分の名を呼ぶその少女は、黒髪をおさげにした少女だった。
「桜井さん…?」
よく見ると、彼女の肩が小刻みに震えているのが分かる。
一体どうしたというのか。そう思っていると、
「……助けて、ください…」
小さな声に、翔は「え?」と聞き返す。
明美は、ゆっくりと顔を上げる。
その時初めて、彼女の目に涙が溜まっているのが分かった。
「どうか……、どうか…アイちゃんを…助けてください……!」
少女の声が、潮風にのって翔の耳に届く。
え…? と呟く翔の声が、静かな島に響いた。
日が落ち、夜が幕を開ける。――長い長い、夜の始まりだった。
あけましておめでとうございます…!
気づけば2016年…アヴェクも執筆を始めてから結構経つような。
の割になかなか進んでないような。
とはいえ、今回でヒーロー編は大きく動き出しました。
アイがずっと悩んでいた件は栞菜との件のせいだったわけですね。
栞菜はアイの視点から見ると凄く嫌な子みたいになっているかもしれませんが、彼女は多分この作中でかなり人間臭い子なのだと思います。
大切な人を失いたくない、普通の中学生の女の子です。
…だからどうか、彼女を嫌いにならないであげてください←
そんなこんなで、さらわれてしまったアイ。
アイと喧嘩別れ状態の翔。
翔1人で一体どうするのか?
他の面々はどうするのか?
その辺含めて次回をお待ちください。それではまた…!




