Summer Vacation
天を仰ぐのはもうやめよう。
飛べない時間は終わりにしよう。
Ⅳ、HERO
「ねぇ、翔」
それは、実に平凡な願いだった。
親なら、誰もが子供に願って当たり前な、そんな願いだった。
長男である光を失った母は、翔の頭にそっと手を置きながら、ただこう願う。
「…あなたは、お母さんより、先に死んだりしないでね…?」
他には何もいらないから、と母はつぶやく。
勉強なんか出来なくてもいいから。
運動も、出来なくてもいいから。
ただ、健やかに優しくあれば。ちゃんと寿命を全うしてくれれば。
「お願いよ…翔…」
そうつぶやく母の声は弱弱しくて。
だから翔は思った。
自分は兄のような、頭が良くて、運動もできて、優しい、そんな自慢の息子にはなれないかもしれないけれど。
いざという時に、大切な家族を守れるほどの力もないかもしれないけれど。
ただ、――生きていたい、と。
ただ、――家族を置いてどこかへ行ったりはしたくない、と。
1、
7月中旬。
普段からお祭り騒ぎの多いこの学校は今は普段のそういった喧騒とはまた別の意味で賑わっていた。
夏休みを目前に控えたこの時期に、どの学校でもおこなれるあのイベント。
そう、学生たちの天敵であるテスト期間である。
「………終わった…」
「それはどっちの意味で?」
とはいえ、テスト期間も本日、今の科目で終了だ。
全科目のテストを終えて、栗色の髪の少年――天道翔は机に突っ伏してため息をついた。
この間のリズやなんやのいざこざが終わってから即勉強を始めた翔だが、もともと授業についていけていない残念な学力の少年だ。
ちょっとやそっとの勉強でテストをあっさり打破出来るスペックなど持ち合わせていなかったわけで。
はぁ、と深いため息をつく。これは追試か補修が夏休みに待っているに違いない。
「もしもーし? 聞こえてる?」
そんな彼を見て、隣の席の新橋ユウマが苦笑しながら話しかけてくる。
テスト期間中は席順が出席番号順になるためこの期間はずっと隣の席にユウマがいたわけなのだが、
『まったくいいよなユウマは…!』
隣の席だから知っているのだ。
テスト時間50分の内、開始20分くらいで余裕に問題を解き終わらせそのあとずっとうたた寝をしていたことを。
まぁ受験勉強も碌にせずにこの名門学校に入れるユウマだしテストくらい余裕なのだろう。確か中間試験もクラストップだと聞いている。
イケメンで成績優秀で運動神経抜群とは本当どこの世界の主人公なんだ、と翔はユウマを軽く睨み付けながら思う。
「………、何睨んでるの?」
「ふんだっ。ユウマがイケメンなのはユウマの功績じゃなくて親御さんのお陰なんだからね!」
「唐突に何言ってんだか」
呆れたように苦笑する彼だが、そういった表情ですら格好良く見えるのだから困った少年だ。
それにしても、
『イケメンで、勉強できて、運動ができて、優しくて、面倒見がいい』
これらの特徴を全て網羅した人物が、ずっと昔、翔の傍に存在していた。
天道光。
そうだ、ユウマはきっと彼に似ているのだ。
アイのかつての想い人であり、自分も大好きだった、あの優しくて素敵な兄に。
「………、」翔は少々感傷に浸ってから、「はぁ…ユウマ…勉強教えてもらったのにごめんね…」
「いや、俺は別にいいけど…。てか翔ため息つきすぎじゃない?」
「ため息つくと体にはいいらしいよねーリラックス効果があるとか聞いたような気がするー」
はぁ、と何度目か分からないため息をつくとユウマが再び苦笑するのが分かった。
「まぁまぁ、翔。もうすぐ夏休みなんだし楽しいこと考えなよ?」
「そっか、夏休みかぁ。…とはいえ、別にどっか出かける用事があるわけでもないんだけど…」
「家族旅行とか行かないの?」
家族旅行、といわれて翔はふと自分の家族を思い出す。
家計を支えるために働くバリバリのキャリアウーマンである母。
そして、世界を放浪してしまっていた最早どこにいるのかも分からない父。
この家族で家族旅行というものが成り立つ確率は果たしてあるだろうか?
そこまで考えて、
「うん、たぶん行かないかな」
「凄い真顔で返してきたね」
「…だってお父さんどこにいるのかわからないし…」
あー…とユウマが納得の声を漏らす。
そこまで詳しく話したことはないが、翔の家の父が世界を放浪しているという話はしたことがあるのだ。
「翔のお父さんって結局のところ何してる人なの? 探検家か何か?」
「…んー、でもそういう感じなんじゃないかな? いろんなところまわってるみたいだし…たまにひょっこり帰ってきて面白いお土産とかくれるんだよね」
「……でも探検家とかって収入はなさそうだもんな…」
「…うん、だから天道家の財政を支えてるのはうちのお母さんなんだよ…」
なんせ翔は父の日のプレゼントに求人情報誌をプレゼントしたこともあるくらいだ。
無論父も優しいし大好きではあるが、ここまで帰ってこないと色々文句も言いたくなってしまう。
「そう思うと翔の家のお母さんって凄いよね。ずっと旦那さん待ち続けてるなんて、いい奥さんじゃん」
「あー…でも帰ってきた時に絶対に一発は殴られるよお父さん」
「まぁそれも仲良い証拠でしょ」
そんなことを言いながらユウマは机の上のシャーペンなどを無造作に鞄の中に入れ始めた。
筆箱は持ってきていないのだろうか? 相変わらず適当な少年だ。
「てか、逆にユウマは家族旅行行かないの?」
ユウマの家――新橋家は非常に仲の良い家族だし、旅行に行く金銭的余裕も時間的余裕もありそうだ。
そう思って問うてみた翔だったが、思いの外ユウマの反応は微妙な感じだった。
「…たぶん行かないんじゃないかな?」
「あれ、そうなの?」
「まぁ俺たちも高校生だし…。行くなら親2人だけで行くか」
「仲良いよねユウマの家のお父さんお母さん。エリカさんとかは?」
「ほら、エリカも家族じゃなくて他の奴と旅行行くかもだし?」
と言いながら、何故かふっと笑みを浮かべるユウマ。
親友であるからこそ分かる。
ユウマのこういう笑みは何かをからかう時の笑みだ。
ということは、
「……もしかしてエリカさん彼氏とかいるの?」
「いやー、まだ付き合ってないんじゃないかなぁ」
予想外の返答に翔はおおっ! となる。
「まだってことはそういう相手はいるんだ?」
わくわくしながら聞くと、ユウマに「女子かよ」と突っ込まれる。
やはり母親と2人で暮らしてきた期間が長いせいか、そういう人の恋愛沙汰とかコイバナが気になってしまう女子的な側面が身についてしまったのかもしれない。
「…ってか翔も会ったことあるけど。エリカと同じクラスだし」
「えー、誰だろう…」
「まぁ鈍いもんな。ほら、体育祭の時に…、ああ…いや何でもないや」
体育祭、といった途端ユウマがそれ以上の会話を避けるように話題をぶった切った。
体育祭。その単語で、ふと先月のことを翔は思い出す。
剛力を司る神のパートナーに狙われたエリカを助けるためにユウマが戦闘に加わったあの時。
『…そういや、アイもフウくんもあの時のことは異常だっていってったっけ…』
神の力が付加されているパートナーを、一般人が普通に倒さるなんて、と。
まぁ確かにユウマは一般人の中では秀でている方ではあるが翔も驚いたのは覚えている。
それよりも、今その話題を避けたってことは、
『薄々気づいてるかもなぁ…僕がそういうのに関わってること…』
親友だし、元々勘の鋭い少年だ。気づいていたとしても何の不思議でもない。
だが、もしそうなのだとしても何も聞いてこないのだから翔もとりあえずは知らないフリをしておくのが良いだろう。
ここは暗黙の了解としてとっておく。
「ってか、ユウマは逆にいないの? 一緒に旅行行ったりするような相手」
「…何、彼女ってこと?」
ないよ、とユウマはさらりと否定の意を示した。
思わずブーイングしてしまう翔だが、正直信じられないのだ。
これだけイケメンで非の打ちどころがない少年に彼女がいないということを。
大体あれだけ告白されているのだから中には好みの子がいてもおかしくはないというのに。
「あまりに告白受け入れてないから、ユウマいろいろ噂されてるよ? 男にしか興味がないんじゃないかとか」
「ちょっと待て」
冷汗を流しながら、「それは違う」とユウマはぴしゃりと否定をした。
「…別に俺だって女子に興味がないわけじゃないよ」
「ユウマの口からそういうセリフが聞けるとなんか少しうれしいよ」
「はは…そりゃどうも」ユウマは苦笑しながら、「でも今は付き合うとかはちょっとね」
ふーん、そっか、と翔は適当に相槌を打っておく。
ユウマがこういう顔をするときは、大体何かある時だ。
だとしたらこれ以上深入りはしない方がいいだろう。
彼が自分から話しかけてきたときは聞くが、そうでない限りは無意味に詮索したりはしない。
それが彼と親友である自分の役目だと翔は心得ている。
「ところで、」ユウマは今度はにやりとした笑みを浮かべながら、「翔はどうなの?」
「……何が?」
どうなの、というのは何だろうか。
思わずきょとんとしながら返すと、ユウマは「だから、」と続け、
「…転入生のアイ・グラハムと付き合ってるんじゃないかって噂たってるけど」
「ごぼぶぇぁ!?」
思わず変な声を出してしまう翔。
初めて聞く予想外な噂にあんぐりとしてしまう。
「い、いや、付き合ってないって…!? っていうか僕とアイじゃ釣り合わないでしょどうみても…!」
方や日本人離れした銀髪ブルーアイの美少女。
そしてこっちは只の一般人だ。どう見ても釣り合うわけがない。
「…けどほら、いつも一緒にいるじゃん。だからみんなそう思ってるみたいだけど」
「あ、あー、まぁ、ほら。アイはうちの兄さんと仲良かったから…」
前にアイがユウマ相手に使った言い訳を借りながら翔は言い訳をする。
いつも一緒にいるのはまぁ仕方ないのだ。
なんせ一緒にいないと、アイ達神は体力を擦り減らしてしまうのだから。
それに、
「…最近僕に素気ないんだよねアイ…」
「あれ、そうなの? 喧嘩?」
「いや、何もしてないんだけど…」
どういうわけかわからないが、出会ったころのようなつんけんした態度に戻ってしまったのだ。
つい最近はよく笑顔も見せてくれていたような気がしたのに。
「いや、たぶん何もしてないってことはないと思うよ。意外と女子ってよく見てるからなぁ」
「ユウマにいわれると凄く身に染みるんだけど…。なんかしたかなぁ…」
思い返してみれば、丁度リズとのいざこざがあった後くらいからだ。彼女がそういう態度になったのは。
とはいえ、あの時は戦いで忙しくてそれどころではなかったし。
『あの時の僕があまりに情けなさ過ぎて呆れてるとかだったらどうしよう…』
アイに波音に栞菜に、女子に助けられまくったあの時のことを思い出して翔は戦慄する。
それで呆れられているのだとしたらもうどうしようもない。
この性格を根本的に直していかなくてはならない。
どうしたものか…、と思ってため息をついていると、ユウマが「んー」と何かを考えてから、
「けどさ、」
「うん?」
「……まぁ付き合ってはないにせよ、翔は気になってるんじゃないの?」
ユウマの言葉に対して、………、と翔はしばらく沈黙を決め込む。
今この少年はなんといったのだろう? 気になっているんじゃないの、とはなんだろう?
しばらく考えて、気になっている、という言葉の意味がわかったところで彼は顔を真っ赤にすると、
「ばっ、ちょ、な、何言ってんのさ…!? 別に気になってないよ…!?」
「そう? 兄の知り合いってだけの割には凄く気にしてるような」
「だから違うって…!」
アイとはそういうんじゃないよ、と翔は言う。
彼女はあくまでもパーティーにおけるパートナーだ。
いつ死ぬかわからない戦いに参加していて、そんな浮ついた気持ちがあっていいはずがない。
それに、そうだ。そもそもアイは――自分の兄である光のことが好きだったのだ。
そしてきっと、今でも―――。
そう思った瞬間、翔の胸がずきんと痛むのが分かった。
『…ってあれ? なんで今傷ついたような感覚が…?』
滅多に感じない不思議な感覚に翔は首を傾げる。
今、自分は何に傷ついたというのだろうか?
アイが兄を失った痛みに同調したのか?
それとも……、
しばらくそんな思考に沈んでいると、ユウマが急に席から立ち上がり、
「悪い。客が来た」
「…客?」
きょとんとして、ユウマが指さす先に目をやると、ユウマを手招きで呼ぶ人物が1人。
茶髪の少年だった。
ホストのような執事服を身に纏ったその少年と、翔は一度だけだが会ったことがある。
「桜澤さん?」
体育祭の時に一度だけしゃべった一学年上の先輩執事さんだ。
あれ、知ってるの? と不思議そうに聞かれて、少し、と翔は答える。
また体育祭の時の話題を出すのは阻まれたのでそこは言わないでおくのが良いだろうが。
「じゃ、翔も来る? …どーせ、大した用事じゃないだろうから」
しれっというユウマにいいのかなぁ…? と翔は首を傾げる。
そもそも2人はどういう関係なのだろう?
そう思いながらとりあえず誘われるがままに翔はユウマの後についていった。
「久しぶりだなー、ユウマ!」
にかっ、と笑みを浮かべながら桜澤はそういう。
高嶺沢五十鈴という少女の執事をしている桜澤だが、今日は執事モードではないのか丁寧語は外していた。
どうしてユウマに砕けた口調で話しかけてくるのだろう? と疑問に思っていると、向こうも翔に気づいたらしい。
「あ、」と言ってから、途端に執事口調に戻し、「お久しぶりです、体育祭の時にお会いしましたね」
にこり、と柔和な笑顔で話しかけてくる。
この切り替えの早さは流石執事、というべきなのだろう。
翔は「はは…」と笑みを浮かべながら、
「え、あ、はい…お久しぶりです桜澤先輩」
2人が一通り挨拶を終えたところで、今度はユウマがきょとんとする番だった。
「…どういう知り合いですか?」
「いえ、天道くんは以前徳永波音さんが一緒に一夜のところに来たのでその時に…」
「さ、桜澤さんとユウマこそどういう知り合いなんですか!?」
体育祭の時の話題を避けようと翔は不自然に疑問を投げかけてみた。
ちょっと不自然すぎたのだろう。
ユウマが怪しいものを見るような、訝しげな眼でこちらを見ていた。
「ゆ、ユウマが年上の執事さんと接点があるイメージないんだけどなぁ!」
「…まぁそうだよね」
怪しいとは思っているのだろう。
ユウマは相変わらず少々目を訝しげに細めつつも、すっと桜澤を指し、
「俺の元執事」
「はい、僕の元主です♪」
「え…えええええ、そうなんですか!?」
「ゆってだいぶ前の話だけどね。俺が小学生くらいの頃」
ですねー、と頷く桜澤を見ながら翔は「ふへー…」と声を漏らす。
ユウマが小学生ということは、当時は桜澤もまだ小学生だったのではないだろうか?
そういえば、桜澤家は代々執事の家系だという噂を聞いたことがあるのを思い出す。
だとするとそれくらい小さいころから執事をやっていてもまぁ不思議ではないわけだが、自分には変えられない世界だ。
「でも今は高嶺沢家さんの執事ですよね?」
「ええ。…新橋家には執事はいらなかったのでやめてしまったんですよ」
「…いらなかった?」
そういうと、桜澤はユウマを指さしながら、
「……コイツ、執事より有能なんで」
「………ああ…」
なんだか妙に納得できた。
確かにユウマ自身が物凄く有能なので新橋家に執事は必要ないだろう。
しかも今はエリカもいる。彼女もまた執事など必要ないくらいに有能だ。
そしてそんな彼女の姉ははたまた有能すぎるメイドさんでもある。
なるほど、言われてみれば確かに今現在新橋家には確かに執事はいないし、今後も必要ないだろう。
「執事泣かせな主人ですよコイツは本当に。…今の主はそういう意味では凄く良い主ですけど」
最後にぼそっと付け足す桜澤。
しかし、ユウマとの関係性はわかったが、一体どういった用事なのだろうか?
元主従関係なんて会っても「あ、どうも」くらいな関係性になりそうだというのに。
無論、執事がいたことのない翔にはそういった感覚もよくわからないが。
「それで、今日は何の用事で来たんです?」
「…いやな。大した用事じゃないんだけど…実は夏休みにお嬢様の家が持つ島に行くんだ」
さらっと出てきた言葉に翔は驚く。
流石真正のお金持ちは島も持っているというのか。
無論翔の家も母親が社長な時点で貧しくはないが、別に一般家庭と同じくらいのレベルだ。
……父は働いていないし。
「来年の春にリゾート地としてオープン予定な島でな。もう殆ど完成してるんだけど、その下見ついでに初の客として訪れることになっててさ、折角だから知り合いも呼んだらどうだってことでお嬢様が誰か誘ってきたらって仰ってくれたのでどうかなと」
などと考えている間に話が進んでいた。
しかし、丁度夏休みの話をしていた時になんとジャストタイミングなのだろう。
まぁユウマも予定ないと言っていたし行くんだろうなぁ…と思っていると、どういうわけか彼は「はぁ」と小さくため息をついていた。
この局面でため息をつく意味がわからず、翔が思わずきょとんとしていると、
「…魂胆はわかってますよ桜澤さん」
「……え?」
「……俺に明美を誘ってきてほしいんでしょう?」
と、その言葉で桜澤の表情が核心をつかれてぎくり、としたものに変わった。
明美、という名前に聞き覚えがなく翔が首を傾げていると、
「……桜井明美」
「…桜井…ああ、桜井さんか!」
ユウマがフルネームで言ってやっと思い出した。
桜井明美。普段、翔の席の隣に座る黒髪おさげメガネの大人しそうな少女だ。
見た目だけでいうといかにもな学級委員長タイプの少女である。
まぁ隣の席とはいえ、あまり話したことはないのだが。
「……って、ユウマ…。桜井さんのこと明美、って呼び捨てするほど仲良かったの?」
「親同士が高校時代に仲良かったらしくて。小さいころは結構家に遊びにきてたんだよね」
へー…と翔は相槌を打つ。
あまり人付き合いをしているイメージのないユウマだったがこうやってみると意外と知り合いがいることに驚く。
しかし、その明美を誘ってほしい魂胆、というのはどういう意味なのか…と翔は考え、
「……はっ、桜澤さんもしかして桜井さんのことが好――、」
「ちょっ、天道くん、教室に向こうがいるのに聞かれたらどうするんですか!?」
慌てふためきながら翔の口をふさごうとするその反応で疑問は確信に変わった。
そうだ、きっと桜澤は明美のことが好きなのだ。
まぁユウマの家で執事をしていたということだし、幼いころ遊びに来ていた明美と接点があってもおかしくはないのだろう。
なるほど、それでユウマを誘うことで明美も旅行に誘ってほしいと。そういうことなのだろう。
「…でも実際俺が誘うより桜澤さんが誘った方がナチュラルなような…」
うーん、とユウマは考え込む。
確かに、学校でユウマと明美が話しているところなど見たことがないわけ。
さほど話していない昔なじみの少年にいきなり一緒に旅行行かないといわれればまぁ向こうも驚きだろうし、来てくれるわけもない。
と、そこでユウマは何かを閃いたような顔をすると、
「…そうだ。桜澤さん。俺が明美を誘うのに成功したらお願い聞いてもらえます?」
「ん、何だ?」
「そんな大したことじゃないんですけど、」
ユウマはすっと翔の方を指さし、
「こいつとあと1人追加してもいいですか?」
「……へ?」
突如、指さされて翔はきょとんとする。
追加、というのは、つまり自分も旅行に行くということだろうか。
いやいやいくらお金持ちとはいえ大して接点もない自分を旅行に連れていくなど…、
「ああ、それくらい別にかまわないけど…」
「構わないんですか!? って、いやいやユウマ!? なんで僕が…!? それにあと1人って…!?」
「グラハムに決まってるじゃん」
「うえっ!? アイ!?」
まぁ確かに自分が旅行に行く以上はそもそも神とパートナーの離れてはいけない、という都合上も彼女を連れていくのは必然なわけだが。
なんだってユウマは突如にしてそんなことを言ったのだろうか?
彼が思考を巡らしている数秒間にどういった結論に行きついたのか彼の頭を覗いて見てみたいものだ。
「…まぁほら。ちゃんと旅行で仲直りというか、機嫌直しといた方がいいんじゃない?」
「…いや、機嫌悪いのかもわからないんだよ?」
「それにグラハムがいると、明美の方もちょっと都合がいいからさ」
そうなの…? というと、ユウマはこくりと頷く。
まぁ一応昔なじみの知り合いなわけだし、そこはユウマに任せておくのがいいだろう。
ただ、アイがそんな知らない人たち大勢で出かけるのをいいというだろうか…?
「…まぁ誘うだけ誘ってみるけど…」
「おけ。じゃあ、とりあえずそんな感じで桜澤さん、よろしくお願いしますね」
「恩に着るよ、ユウマ」
旅行かぁ…、と翔はつぶやく。
勿論夏休みだし、まだ一般客はいけない島だし、旅行自体は楽しいだろうが、
『…なんというか、色々と大丈夫なのかな…』
楽しみ以上に不安の方が大きい。神様連れ旅行なんてハプニングが起きないわけがあるだろうか。
が、そんな彼の不安は露知らず。
桜澤はそそくさと帰っていき、ユウマは教室へと戻って行ってしまうのだった。
2、
桜井明美という少女は、実に大人しい少女だ。
基本的に個性的なメンバーが揃うクラスの中ではさして目立つ少女ではなかった。
黒髪を三つ編みにしていて、大きな瞳を隠すように長い前髪を持ち、メガネをかけた、おとなしそうな少女。
そしていつも、物静かに本を読んでいるだけ。それが彼女である。
『この本、凄く、面白かった…』
読み終えた分厚い本を閉じながら、彼女は心でそうつぶやく。
内心でほわぁっとした優しい気持ちが浮かび上がってくるような素敵な本だった。
上巻、と書いてあるその本を見て下巻も買おう、と明美は決意する。
『…もうすぐ夏休みだしのんびり本が読めそう…楽しみだなぁ、今日は本屋さんに寄って行かなきゃ』
夏休み前の登校日は今日と、あとは終業式の日のみだ。
もうほとんど休みも同然。ならば本を買って1日読書三昧というものだ。
そんなことを思い、ほくほくとしながら荷物をまとめ始めたその時だった。
「明美」
不意に、聞き覚えのある声に呼び止められた。
声の主は知り合いではあった。が、逆に言えばただの知り合いだった。
「…新橋、くん…?」
名前を呼ぶと、黒髪の少年がにこりと笑う。
親同士が顔なじみということで小さい頃に向こうの家に遊びに行ったことはある。
しかし、特別仲が良かったわけでもないし、滅茶苦茶遊んでいたわけでもない。
高校こそ同じで、クラスも同じだったものの、喋る機会などまずないと思っていたのだが、
『ど、どうすれば…!』
桜井明美という少女は、実に人見知りだ。
特に男性相手だとその人見知りをさらに過剰なものにさせてしまう。
元々ユウマ関連では女子からの嫉妬なども怖いし極力話したくない気持ちもあるわけで。
「ああああああ新橋くん女子の間できゃーきゃー言われている人気者のあなたが、こんなクラスの中で全然目立たない私に、な、な、何の用でしょうか」
「いや、別に人気者じゃないけど。相変わらずだな」
彼は少々苦笑してから、
「まぁそんな大したことじゃないんだけどさ。…夏休み、旅行行かないかなーと思って」
「………、は、はい…?」
唐突な提案に明美はきょとんとしてしまう。
今この少年はなんといったのだろうか。
いつ? 夏休みに。
何を? 旅行をしないか?
………明美の聴覚が正常に働いているのならば、今この少年は間違いなくそういっただろう。
「………、」
明美はゆっくりとその言葉の意味を吟味する。
が、向こうは吟味する時間すら与えてくれなかった。
「桜澤さんの主が持ってる島に行くらしくて俺も誘われたんだよね。それであとお前の隣の席の天道って奴と…この間転入してきたアイ・グラハムって子がいくんだけど…男女のバランス悪いじゃん?」
ユウマはにこにこと笑いながら、
「一応桜澤さんの主が女の子だけど年上だし、たぶんグラハム的にも女子がいた方がいいと思うし…、来てほしいな、って」
「……あ、あの、でも…」
「ま、明美のお母さんならそういうの楽に許可くれそうだし」
「い、いや、でも…その…」
「一応知り合いで俺も桜澤さんもいるからたぶん大丈夫だと思うんだよね」
「あ、あのぉ…」
ぺらぺらと喋り続けるユウマに対して、明美は何も言えなくなってしまう。
コミュニケーションが苦手な彼女は相手に言われた事に対して、対応を考える時間を与えてもらえないと喋れないという特徴がある。
ど、どうしよう…と慌ててから、明美はふと今ユウマが言ったことを思い出す。
「あ…アイさんが来るんですか…」
「そうそう。…言っちゃなんだけど、明美もクラスに友達欲しいんじゃない?」
「やっぱり…い、いないように見えますか…?」
「………、まぁ…ごめん。本読んでるとこしか見たことないから…」
はっきり言われて明美は「すみませんすみません…」と思わず謝ってしまう。
そう。彼の予想通り、明美は入学してしばらく経つが友達という友達が存在しない。
中学のころからそうだった。
根本的に人と話すのが苦手な彼女は友達という存在ができたことがない。
「言っちゃなんだけど、グラハムも転入してきてまださほど仲良い子がいないみたいだし…お互いにいいと思うんだよね」
「…そう、ですけど…。でも桜澤さんもいらっしゃるんですよね…」
ふと。新橋家で会ったことのある執事の少年のことを思い出す。
人見知りな自分にも、それなりに話しかけてきてくれた少年のことを。
「ってことだから、詳しいことは桜澤さんから連絡行くと思うからよろしく」
「あれ、私まだ…」
「じゃ、旅行の時にね」
ユウマはそういうと、ひらひらと手を振りながら去っていく。
あ、あの…という間もなく去ってしまったユウマの背中を見ながら明美は呆然とする。
『……な、夏休み私どうなっちゃうんでしょう…』
うまくいったかな、とユウマは思う。
あまりにいやそうだったら引くつもりだったが、思いの外悪い反応ではなかったしまぁいいだろう。
それより、
『桜澤って名前出した時の明美の反応…。実際ほとんど両思いなんじゃないのかな?』
それなら自分で誘えばいいものを、と思いながらユウマは翔の元は歩みを進めていく。
まぁこれで2人がうまくいけば、自分も昔なじみの仲として祝福するし応援する。
一方で、翔とアイも仲直りできればいいのだが…とユウマは思考を巡らせた。
『翔はそうじゃないなんて言ってたけどどう考えてもありゃあ気になってる反応だしなぁ…』
それに、彼はわかっていた。
伝えたいことは、いえるうちに言っておかないと後悔することになることを。
先ほどの、翔の言葉をもう一度頭の中で反芻する。
本当に好きな人はいないのか、という質問を。
『……女々しいかもしれないけれど、』
病院のベッドに眠る1人の少女を想いながら、ユウマは小さくつぶやく。
今はまだ忘れられないかな、と。
3、
まだ忘れられない。
忘れたことなんて、一度たりともなかった。
ある日自分の目の前に現れて、自分を救い出してくれた銀髪の少女のことを。
君だって忘れたことないでしょう? 口の中でつぶやく。
どうしてほかの男と一緒にいて笑っているんだい? 笑いながらつぶやく。
嫌だな。今度は、真剣な顔でつぶやく。
君は僕と一緒にいるのが一番幸せなはずなんだよ? そしてまた笑いながらつぶやく。
「うわ、引くな。男のヤンデレかよ」
と、不意に後ろから声がかかった。
まだ声変わり前の少年の声のようだった。
ゆっくり振り返ると、そこに自分より遥かに身長の低い少年がいた。
深くかぶったパーカーの奥から真紅の瞳が輝くと、その少年はにやりと笑った。
「お前の願い、俺が叶えてやってもいいんだぜ?」
「…え? …お前は何なんだ…?」
問うと、少年は一旦真剣な表情になった後またにやりと笑ってみせた。
まるで悪魔のささやきのように。
少年は鋭い声で言い放つ。
――炎を司る神だよ、と。
ユウマ「……しんみりしたはいいけど、メンツ的に俺1人だけあまるような…」
…と、いうことで今年に入って最初の更新となりました!
タイトルが夏休み、の割に今の季節は冬という矛盾←
翔が補修だったり、ユウマがメンツ的にあまってたり、怪しいやつがいたり←
今まで翔、ユウマ、フウがメインで動いてきた中で今回はまた翔にメインが戻ります。でもほかのキャラもすごく大切な役回りで動くのでよろしくお願いしますね…!
さて、今回は執事くんの方が出ていましたが次回はお嬢様の方が出てきます。
そんなわけで次回――「女王様」よろしくお願いしますねー♪




