For you in the Sun
0、
黒に包まれていく。
意識がのまれていくような、変な感覚だった。
ただどこかを移ろうような感覚の中で、彼の視界に一瞬だけ黒くて綺麗な髪がうつった気がした。
ああ…、と彼は思う。
『なんで、お前は……何も言わずにいっちまったんだよ…』
もう会えない存在へと、彼は問いかける。
そこで意識は途切れた。
彼は夢を見る。あの日のこと……太陽のように光り輝く笑顔を持った少女と過ごした日々のことを。
1、
これは、フウがまだマントもシルクハットもつけておらず、今より少しだけ顔立ちが幼かった頃のお話。
今から15年前の事だった。
パーティーで言えば、前・前パーティーということになるのだろうか。
長い時を生きる神にとっては15年前なんていうのは、割と近い最近の記憶である。
「いってぇ…。着地ミスった」
フウはそう言いながらふるふると頭を振る。その動作に伴って水滴が飛び散っていった。
パーティーのためにこちらの世界に来るための扉をくぐったまではよかったが、タイミングをミスって翼を出せずにいたらそのまま空から地面にダイブする形になってしまった。
遥か上空から地面にたたき落とされて「ミスったわーいてて」で済むのはやはり神だからか。
「う、つめてぇ…」
思わずぶるっと震えてしまうフウ。
彼は幸か不幸か、着地ミスにより落ちたのが地面ではなく川の中だった。
こちらの季節で言えば冬。そんな中いきなり川に落ちるとは。
とはいえ地面にたたきつけられるよりはいいような…と思うと幸か不幸かは判別しがたい。
とりあえずこのままだと子供がおぼれていると勘違いされかねないので川辺まで適当に泳ぐこととしよう。
そんなことを思っていると、
「ふふっ。こんな真冬なのに川でお遊び?」
「あ?」
頭上から柔らかい少女の声が聞こえてきた。
そっと視線を上にすると、そこにいたのは1人の少女だった。
肩よりも少し長く伸びた鮮やかな黒髪に黒目、紺色のセーラー服。
声と同じく、柔らかい笑顔を持つ可愛らしい顔立ちのその少女は川辺にしゃがみ込みながらにこにことこちらを見ていた。
「別に遊んでるわけじゃ――、」
「最初は溺れてるのかなって思ったんだけど…そういうわけでもなさそうだから。そしたら後は遊んでるくらいしか選択肢ないかなぁって」
「良いか、教えてやる。世の中もっと複雑な事情があるんだよ事情が」
「うっかり落ちちゃったとか?」
あながち否定できないところを言われて、フウは「うっ」となる。
その反応から「あたりだ」と彼女は笑いながらこちらに手を差し伸べてきた。
「……? なんだこの手?」
「ん、こっち登ってくるでしょ? 私の手掴んでいいよっ」
「…濡れるぞ」
「気にしないからほれほれーっ。お姉さんに頼ってみんしゃい」
お姉さん? と思いながらフウはその少女をみる。
見た目から推測するには見た目大体高校生くらいの少女だろうか。
まぁ見た目的には向こうがそう思っても仕方ないが、実年齢でいえばフウの方が相当年上だ。
「……ありがとな」
が、まぁ好意には素直に甘えておくべきか。
そう思ったフウはそっと少女の手をとってそのままゆっくりと岸にあがった。
「どういたしまして♪ とりあえずそんなびしょびしょだと風邪ひいちゃうんじゃない?」
「…ああ、まぁ大丈夫だ」
基本風邪とかひかねーし…とつぶやくときょとんと不思議な顔をされた。
さて、とりあえずフウはこんなところで油を売っている場合ではない。
彼は遊びでこっちに来たのではなく、パーティーでこちらに来ているのだ。
つまりこちらに来ての最初の任務となるのは上位個体に指定されたパートナーに会うことだ。
「…さて、ってことでありがとな。俺は今から人探ししなきゃだから」
「人探しー? 誰を探してるの?」
「言ったってわかんねぇだろ。竹下花子って人だよ」
そういいながらフウはほれ、と写真を見せる。
どういったわけか写真は白黒でだいぶ古めのものだったが、写真の中の女性がすごくきれいであることはよくわかった。
綺麗な黒髪に、澄んだ瞳。そういやどことなく目の前の少女に似ているかもしれない。
まぁ日本人だしこういった顔の人は多いのかもしれないが…、と思っていると、
「…ねぇねぇ、この人私知ってるよ?」
「え、本当か?」
「うん」少女は至って真面目な顔をしながら、「私のおばあちゃん」
一瞬、しらーっとした空気がその場を支配する。
フウは「えーっと…」と言ってからもう一度その写真を見る。
何度見ても20代くらいの綺麗な女の人だ。
「お前のばーちゃん実は20代とかんなわけねーよな…?」
「うん、それおばあちゃんの若いころだよ。前にお母さんにアルバムで見せてもらった♪」
「だから写真が白黒なのか…!?」
思わず愕然とするフウ。
もしも彼女のおばあちゃんだとするといったい何歳なのだろう。
そんなご老人にパーティーなどという過酷な戦いに参加させていいのだろうか。
これはどうすればいいんだろう…と思っていると、
「…おばあちゃんかー。私の憧れの人だったんだよね…もう死んじゃったんだけど」
「………、ちょっと待て。今なんて?」
「私の憧れの人?」
「その少し後だな」
「もう死んじゃったんだけど…」
フウはしばらく黙る。
そして、ゆっくりと、確実にその拳を握り締めると、
『よし、とりあえず上位個体のボケを2、3発殴ってこよう。話はそれからだ』
「え、えっと大丈夫?」
急に黙り込んだのを見て心配になったのか隣の少女が話しかけてくる。
「ああ、悪いけど俺は少し上司を殴ってくる」
「暴力よくないよ!? ってか上司って…!?」
「…アンタ何してんの?」
そんなやり取りをしていると、不意に凛とした少女の声が聞こえてくる。
綺麗な銀髪に青色の瞳。――氷を司る神アイ。
割と神の中ではフウが気兼ねなくしゃべれる相手でもある。
「わーっ、綺麗な人…」
思わず感動している隣の少女はさておき、フウはひらひらと手を振り、
「アイか。お前パートナー見つけたか?」
「まだよ。…さて、今回は何日で私に刃を向けてくるかしらね」
あー…とフウは曖昧な反応を示す。
このアイという少女、実に人間不信的な側面がある。
というのも、毎回のようにパートナーに刃を向けられているからというのが主な原因だった。
大体は彼女の強大な力におびえて、というのが多かった。
つまりは、強大な力を持つがゆえに孤独になってしまった少女。孤高の少女。
氷を司る神とは、そんな少女だ。
「あ、そうそう。それでアンタを探してたのよ今は」
「俺を? なんだってまた?」
「上位個体から伝言を預かってるの」
アイツから伝言…? とフウは首をひねる。
どちらかというと奴に話があるのはこっちの方なんだが…と思っていると、アイは実に真顔のまま手元にある紙を読みだした。
「いやー、すまんすまんフウ☆ ちょっとミスっちゃったてへぺろ☆ もうお前のパートナー亡くなってるんだってな? はっはっは、申し訳ない。ってことだからしゃーない、地上で一番最初に会った人をパートナーにしちゃいなYO! うん、そんでいーや。今速攻で決めたけどそれでいこう。今更どうこうすんのもぶっちゃけ面倒だしな! ってことで頑張れよ☆ 上位個体より。…追伸。ピーナッツの食べすぎには注意しろよ☆ …ですって」
「ツッコミどころの多い手紙だなおい!? 特に追伸なんだ!? 俺ピーナッツなんか食わねえし、適当すぎるだろ!? そしてそれを真顔のまま読み通したお前もすげぇなおい!?」
しれっとした顔のままアイは「まぁアイツじゃ仕方ないわよね…」と呟く。
下位個体にこんな散々言われているような奴が自分たちよりさらに上の存在とは…。
これでは神を崇めている人も可哀想というものである。
「ま、そんな感じらしいから精々がんばりなさい。私はパートナーの修平って奴を探してくるから」
後程戦うことがあれば、と付け加えてアイは姿を翻していく。
相変わらず去り際までなんか決まってる奴だなぁ…などという感想を抱いてから、フウはふと思う。
地上に来て一番最初に出会った人をパートナーにする。
そう、それが上位個体による手紙の一文だ。
一番最初に出会ったやつ…それ即ち。
嫌な予感がしながら、フウは先ほどの黒髪の少女に目を向ける。
フウが今回、地上に来て一番最初に出会ったその少女は会話に置いてけぼりを食ったせいか、花を見ながら「わーかわいー♪」などと呑気なことを言っていた。
そんな彼女の光景を見て、フウは思わず無駄に格好いい笑みを浮かべる。
『あ、今回のパーティー終わったわ』
「フウくん…っていうんだ? 私は竹下日向、竹の下の日に向かう! よろしくね♪」
一通りの説明を終えると、彼女は自らの名前をさらりと名乗った。
それはまるで学校で初めて出会った友達に名乗るかのような気楽さで、本当にパーティーの重大さを理解できているのかは正直微妙であった。
そもそもいきなり現れた少年に神やら何やら怪しい単語を連発すれば普通は一回疑うところなのだが…、
『純粋すぎていろいろ心配な奴だな…』
フウがじっと少女を見ていると、少女はそれに気づいてにこりと笑う。
日向。その名前が実に似合う、綺麗な太陽のような笑顔で。
『すっごいバカっぽいし、高校生っぽくはないけど…』
ああでもこの笑顔は嫌いじゃない。
それが、フウの彼女への第一印象だった。
神にとって、人間といる時間なんてほんの些細なものなんだからどうせ大した出来事じゃないんだろ、というパートナーが前にいた。
しかし、それは大きな間違いであるとフウは思っている。
そう問われた際にフウはこう解答する。
1人でいる1000年の時間と、誰かと一緒にいる数か月の時間ではどちらが貴重だと思う? と。
その2つなら、フウは迷いなく誰かと一緒にいる数か月を選択する。
無論、天界だって孤独ではない。けれどパーティーのために創り出された戦うための神であるフウ達の存在は基本的に孤独だ。
だから、こうして誰かと心通わす数か月は、たった数か月とはいえ、フウにとってかけがえのないものなのだ。
「フウ君ってさ、」
パートナーになって3日目。
日向はいつものように、ボロボロなアパートのキッチンに立ちながら、
「なんで右目に黒の眼帯なんかしてるの? おしゃれ?」
「いやいやいや、オシャレで眼帯とか痛いやつじゃねーか」
日向はいつもこうして毎食の家事をしていた。
いつもは自分のだけだけどフウが来てからは2人で食べられるからうれしいね、などと初日から緊張感がないことを口にしていたが、そこから察するに彼女は1人暮らしのようだった。
自分神なので! とか言って1人暮らしの女子高生の家に入り込むとは文面だけ見るとなかなか最悪な状態である。
そんなことはさておき、日向は手慣れた感じにトントンと包丁で野菜を切りながら、
「よかった…なんかオシャレでしてるんだったら聞きづらいなぁと思ってたんだけど」
「安心しろ、断じて違う」
「へー、ってなるとなんで?」
聞かれると、フウは「んー…」と悩んでから、
「何つーか、俺生まれた時から右目がみえねぇんだよ」
「あれ、そうなの?」
「なんか知らないけど右目の上に傷があってな…物心ついた時には左目しか見えなかった」
その辺は正直フウにもよくわからないところだった。
生まれた時にいきなり右目の上に傷があったなんてなんともおかしな話だが、神にそんな常識を求めても仕方ないだろう。
上位個体にも聞いたことはあるが、特にそれについて教えてくれることはなかった。
「けど、片目しか見えねーとやっぱり戦いとかでは不便でな。けど、なんかこの眼帯をつけてると両目で見ているような感じにちゃんと見えるようになるとか…そんな技術が詰め込まれてるとかでつけてんだよ」
「へー、やっぱ神様の世界って技術が進歩してるね…!」
目の前の少女はそんな感じに感動しているが、技術が進歩しているのともかくとして何故眼帯の形にしてしまったのかとフウは思う。
いかんせんこんな海賊みたいな眼帯だけして歩いているとただの不審者ではないか。
『これの開発者は確か…アイツ、だったな。…アイツ折角いい腕してんのにセンスがねぇんだよな…』
そんなことを想いながら、フウははぁとため息をつく。
私服に眼帯なんて本当ナンセンスだ。
何はともあれ、そんなことを口にした3日後、日向がプレゼントといってマントシルクハットを買ってきたことをフウは一生忘れることはできなさそうである。
そんな妙なエピソードもあるものの、日向と過ごす日々は基本的に心地よくてあっという間に過ぎていった。
が、過ごせば過ごすほどにこの少女への疑問も湧いてくる。
中でも最大の疑問が、何故このアパートで高校生が1人暮らしをしているのか、ということだ。
彼女に言わせると少し前までは死んだお婆ちゃん――竹下花子と暮らしていたらしく、死んでからは1人とのこと。
だとすると、逆に両親はどうしたのか?
しかし、いつもそういったことを聞こうとすると彼女はあの笑顔で誤魔化してしまうのだった。
「お婆ちゃん、今日も無事に終わりました」
そんな彼女の癖は、いつも仏壇の前で手を合わせながらおばあちゃんとお話をすることだった。
学校から帰った後、寝る前、朝起きた後、出かける時。
いついかなる時も彼女は熱心に仏壇のお婆ちゃんに話しかけていた。
「…お前、いつも婆さんを拝んでるけどそんな好きだったのか?」
「まぁねー…お婆ちゃんは私の憧れる理想の大和撫子なのよ…!」
目を輝かせながらそんなことを口にする日向。
まぁ確かに昔の写真を見た感じは美人だし、大和撫子という雰囲気が漂ってはいた。
けれどそこまで彼女が理想と掲げるなら内面とかそういったものも含んでの言葉なのだろう。
「けど言っちゃなんだが、お前は大和撫子ってタイプじゃないぞ?」
「ええ!? 失礼じゃない、フウくん!?」
「まだガキじゃねえか」
「あー、そうやって年上面して! 私だってフウくんに言われたくないですよーだっ」
「俺はガキじゃねえっ! 見た目はこんなだが、お前の何倍も生きている偉い神だからな!?」
えー、フウくんが神様なんてやだーとか言いながら日向はくすくす笑う。
いややだってお前のパートナーだろうが。
そんなことを口にしようとするが、なんとなく彼女の笑顔を見ているとどうでもよくなってしまった。
初めて見たときと一緒。
やっぱり、この笑顔は嫌いじゃない。
できれば――ずっとこの笑顔を見ていたい、と思うほどには。
「………あれ」
フウの心臓が静かに、けれど確かにとくんと脈を打つ。
初めて感じる心臓の高鳴りがどういう感情なのか、彼にはすぐにわかった。
「どうしたのー、フウくん? 急に黙ると気持ち悪いよ?」
「どうしてお前はこう一言余計なんだろうなぁ?」
「えー、おこっちゃやー♪」
ふざけたようにてへっと笑う彼女を見て、またフウは思う。
ああ、きっと自分が彼女のこの笑顔に敵う日はいつになっても来ないのだろう、と。
2、
パーティーのことをすっかり忘れていた頃に、アイが2柱程敵を倒したと聞いた。
今回のパートナーとはそれなりにうまくやれているのだろうか?
今のところ、そんな大したもめごとは起こっていなさそうだった。
『なんつったっけなアイツのパートナー…なんとか…ショウヘイ? シュウヘイ? …1回見たけどなんか変な奴だったなぁ』
まぁアイがうまくやれているならそれに越したことはない。
これで彼女の人間不信も少し直ればいいが。
そんなことを思いながらフウはいつも通りに調理を続ける日向の後姿をみていた。
「俺らのところには敵が現れないな」
「んー? そうだね、私てっきりトーナメント制とかかと思ってたけど結構適当なんだね」
あながち否定できないことを言われてフウは苦笑をこぼす。
確かに実際パーティーは適当だ。
いろいろ規定などは決められているもののちゃんと守っている神が果たしているのか。
どちらにせよ今回のフウの場合はパートナーに戦闘能力がほとんどない以上、敵は現れないほうがいいのだが。
「ってかさ、お前はなんか願い事あるわけ?」
「え?」
「普通に考えて命を懸けてでもこんな戦いやろうと思わねーじゃん」
「んー、まぁそうなんだけど」
日向はこちらに背を向けたまま、
「…なんていうかフウくんと一緒にいたくてさー」
「………は?」
なぜか、顔がかぁーっと熱くなっていくのを感じた。
いや、この少女のことだからどうせ大した意味はないのだろう。
一緒にいたくて。けど、それはこの上なく好意的なセリフであることには違いない。
さらっと何恥ずかしいこと言ってるんだコイツ、と思うとフウはつい何も言えなくなってしまう。
「ああ…えっと、」
「……お婆ちゃん死んだばっかだし、寂しくてさ…。フウくんといるのは楽しいし、しばらくは私1人じゃないんだなってなって」
今度は、少し寂しげな声だった。
そりゃ、そうだよな…とフウは思う。
どんなにいつも笑顔を浮かべていて楽しそうだとしても、彼女はまだ高校生の女の子だ。
そりゃ寂しいときは寂しい。
誰でもいいから一緒にいてくれる人がほしいと思って当然なのかもしれない。
『けどコイツは…そんな感情も隠して、いつも笑ってたんだな』
しばらく静寂がその場を支配する。
日向が作業している生活音以外は何も音がしていなかった。
そんな中でフウが「なぁ、」と声をかけようとしたその時。
ピンポーン、とインターホンの音が響いた。
「ッ!?」
と、そういうわけかそこで、急に日向の表情が変わった。
今までに見たことがないほどに切迫した表情にフウが疑問を抱いていると、
「お隣さん、かも。…フウくんのこと見られるといろいろ大変だから少し出て行ってもらってもいい?」
「…ああ、いい、けど…」
「見つかるとやばいからなるべく遠くに行ってね」
にこり、と。
やはりいつも通りの笑顔を浮かべて彼女はフウにそうせかす。
まぁ迷惑をかけるわけにもいかないので、フウは「わかった」とだけ返事をすると窓を開けてそこからすいっと空へ飛び立っていった。
「………、」
フウが行ったのを確認すると、日向は慌てて窓とカーテンを閉めた。
これで大丈夫。
そう思い、日向はゆっくり深呼吸をしてからそっと扉を開けた。
開けた先には自分の予想通りの人物が立っている。
「…おかえり、お父さん…」
「おい、出てくるのがおせーぞテメェ」
「ご、ごめんなさい」
きゅっと左手で右腕をつかみながら日向は応答する。
その顔には、いつもの笑顔とは少し違う気まずそうな笑顔があった。
「お茶」
不愛想な声に、日向はこくりと頷くとすぐにお茶をいれて真ん中のちゃぶ台におく。
父親は礼を言うこともなくただそれを飲んでいった。
「あ、あのね、お父さん」
日向はそんな父の隣に座ると、
「もうすぐ高校の修学旅行があるの。…高校最後の、思い出づくりなんだけど…」
父は何も返事をしなかった。
ただ黙ってお茶をすする音だけがその場に響く。
「その、修学旅行のお金…って」
「あるわけねーだろ。今日も競馬外れやがってよ、ったく…」
「…で、でも高校最後の…」
「馬鹿かお前? そんなことに金費やしたら行く前にお前飢え死ぬぞ? 今こそあのババアの遺産があるからいいものの今後どうすっか」
「でも…」
そういった瞬間、父親は勢いよく立ち上がった。
その動作だけで、日向はすぐに次の展開を察することが出来た。――あ、蹴られる、と。
そしてその嫌な予想通り、ごんっ! という衝撃が日向を襲った。
蹴られたのがお腹だったので、衝撃と同時に日向は抱えこむように蹲った。
「うだうだうっせーんだよ」
「………っ」
「親の言うことは聞きなさいっていうだろ?」
こんなことは基本的に日常茶飯事だ。
普段いろんなところを放浪している父は、帰ってくればまず間違いなく自分に手をあげる。
蹴られることもあれば、殴られることもあったし、煙草を押し付けられたこともあった。
ただし、この父親は顔を殴ることはしない。
絶対に、人から見えないようなところしか狙ってこないのだ。
――だから、日向もこのことを隠し通す。
服装と、そして――彼女の最大の魅力である笑顔によって。
「呑気にここで生活してられるだけ幸せだと思えってんだ!」
また、同じところを蹴られる。
日向はお腹を抑え込んだまま、「―――――ッ!」と声にならない叫びをあげる。
声を出してはいけない。お隣さんに気づかれたりしてはいけない。
学校の友達に気づかれてもいけない。
そして、今一緒にいるパートナーにも気づかれてはいけない。
本来ならそんなことはないはずなのだ。
しかし、長年続く暴力と父親の恐怖から、彼女は自然とそれを隠さなくてはならないという洗脳を自身に施してしまっていた。
「…まぁ適当に金工面してくるわ。生活費は必要だからな」
そういうと、父親は茶箪笥から遺産をもって出かけていく。
父がいなくなったのを確認して、日向はげほげほっと急き込んだ。
「…っつう…」
今日は2発蹴られた。
おばあちゃんがいる間は、おばあちゃんが守ってくれたけど今はそうはいかない。
自分の身は自分で守らなくてはいけないし、守れないならそれに従うしかない。
『フウくんに帰ってきていいよって言わないと…』
ケータイを取り出して、日向はゆっくりとした動作で彼に連絡をする。
そうしてフウが帰ってくるころには、やっぱり彼女は明るい笑顔を浮かべているのだった。
そんなことが続いているある日のことだった。
その日、フウは同僚の様子を見に来るといって少し近場まで出かけていた。
フウがいないと家に1人でやることがない。
それでも、父親にあんなことをされるよりははるかによかった。
『暇、だなぁ…何しよう…』
ふわっと優しい風が日向の頬をくすぐった。
風、という言葉でフウのことを思い出して何してるかなぁ…と思ったその時だった。
「アンタが風を司る神のパートナー?」
「……え?」
いつの間にか、日向の目の前には1人の女性が立っていた。
オレンジ色の髪に、吸い込まれるような真紅の瞳、そして女性なら誰もが憧れる抜群のプロポーション。
かなりの美貌の持ち主であるその女性に対して、日向はしばらく黙ってから
「ど、どっから入ってきたんですか…!?」
「あら、結構早くからいたわよ。――あなたが認識していなかっただけで」
「えええ…!?」
驚いていると、その女性はゆっくりと日向に近寄ってくる。
そうしてそっと右手で日向の頬に触れると、
「…苦労、しているようね。あなた、隠すの上手みたいだけど…私には分かるわよ?」
「え?」
日向の表情に驚愕の色がともった。
が、一方でその女性の方は何も驚くことはないまま優しく、言葉を続けていく。
「…さぞ辛いでしょう。誰にも気づいてもらえず…1人でこんな…」
「な、なんでわかるの…」
「さぁ、なんでかしら?」
リズはにこりと笑う。
そうして彼女は、
まるで悪魔の囁きのように――日向の耳元で告げる。
「…辛いなら、すべてを終わらせれば…楽になるわよ?」
「………すべてを……」
「そう。…大好きなお婆ちゃんのところに行きたくない?」
もうすでに限界が来ていた少女にとって、最早それは選択の余地がなかった。
こんな世界なら。
こんなに救いのない世界なら。
いっそ、すべてを終わらせて大好きな祖母のもとへ行けば―――…。
そこからはほとんど勢いだった。
日向はフウの持つゼロ円ケータイへ、シンプルにメールを送った。
ただ一言、「さよなら」と。
3、
何で。何で。何で。
フウは全力で階段を駆け上っていた。
今思えば、空を飛べばもっと早かったのに。
そんなことを考え付く間もないくらにい、今の彼は焦っていた。
彼の右手に握られているのはゼロ円ケータイ。連絡用に、と日向から貰ったものだ。
そしてその画面には、至ってシンプルなメールが写っていた。
ただ一言、――さよならと書かれた文章が。
「日向ッ!」
屋上の扉を思いっきり開ける。
すると、手すりの向こう側に、足を震わせながらにこりと笑っている少女がいた。
「お前ふざけんなよ! なんだよあのメールは…!」
「…そのまんまの意味、だよ?」
えへへ、と日向は力なく笑った。
それは、今までフウが見てきたその彼女の笑顔よりも弱弱しく、すぐに崩れてしまいそうなものだった。
初めて見た時の、日向のようにポカポカした笑顔とはまるで別人のようだった。
「ごめんね、フウくん。…私、もう限界なんだ」
「…限界…って、何が…」
「フウくんには迷惑かけたくなくて黙ってたんだけど…ごめんね」
「お前何言って…、」
「こっち来ないで!」
日向が強く叫ぶ。
今まで聞いたこともないような力強い声に対して、フウはぐっと拳を握った。
「頼む…日向、やめてくれ…」
「うん、私もやめたい。怖い。…けどね、もう無理なの」
彼女はごめんね、と呟いた。
目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
待ってくれ。そう言ってフウは手を伸ばそうとするが、もう遅かった。
「ありがとう、フウくん」
それが、彼女の最後の言葉だった。
彼女はその言葉が言い終わるのと同時に、ビルの屋上からためらうことなく飛び降りていった。
「やめろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!」
どんなに手を伸ばしても、届かない。
フウの手はただ虚空をつかんでいるだけだった。
彼女の姿が見えなくなってからしばらくして、ドンッという音がする。
その音を聞いた時に、なんとなくどうなったか分かったフウは屋上から下を見ることはできなかった。
「………え…」
一瞬、時が止まったかのような感覚に陥る。
今目の前で起きたことははたして現実なのだろうか?
こんな一瞬の出来事で、彼女はもうこの世から消えてしまったのだろうか?
「日、なた…?」
ピルルルル、と手の中にあるケイタイがなる。
メール1件、竹下日向という液晶パネルの文字を見て、フウは力なくそれを開いた。
そこにはシンプルにただ一言。
『私、結構フウくんのこと好きだったよ』
「………ッ!!」
くそう。くそう。くそう。くそう。
フウはゴンッ! と地面を思いっきりたたく。
ほんのり血が滲んでいたが、そんなの気にすることではなかった。
どうして何も言ってくれなかったのだろう。
何も言わずに、ただ笑顔でひた隠しにして、急にいなくなってしまうのだろう。
自分に一言、何か言ってくれればよかったのに。
あんなちっぽけな高校生の願いくらい、上位個体じゃなくても叶えてやったのに。
「何、1人で抱えたままいなくなってんだよ…!」
神なのに。
上位個体が創り上げた強大な力の持ち主なのに。
それなのに、自分はただ1つ――あの笑顔を守ることができなかったのか?
「……俺の…バカ野郎…ッ」
そのあとはただ、そこでしばらく泣き崩れたのだけを覚えている。
最後の言葉を言う時の、彼女の表情を思い出す。
それは、フウがやっぱり嫌いじゃないと思い続けた彼女の笑顔とはまた違うもので。
涙を浮かべながら必死に取り繕うような笑顔だった。
あれが、本当の彼女の表情だったのかもしれない。
結局自分は――何も彼女のことをわかっていなかったのか。
「………日向ぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
夕景に絶叫が響き渡る。
本当に最後にだけ、本当の顔を見せてくれた少女は、夕焼けの中静かに眠りに落ちるのだった。
と、まぁフウの過去でした! 暗くてなんとコメントしていいかわかりません。
どちらにせよフウはそんな感じの過去を背負っておりますはい。
今回でまだ明かせてない部分は追々フウやリズの場面で明かしていきますので…!
さて、次回は絶望したフウの元に彼女が現れます。
わかりますね、彼女です彼女。
ってことで次回――メイド200%




