幼い頃約束した君
0、
自分の初恋について、人はどこまで覚えているものだろうか。
正直なところ、天道翔の初恋の記憶は曖昧だ。
いや、それを初恋と言っていいのかもよくわからない。
ただ少なくとも、自分が一番最初に仲良くなった異性は彼女であった。
彼女は、時期で言えばちょうど兄が死ぬ少し前に天道家でメイドをやっていた女性の娘だった。
確か彼女の母親は翔の母である美鶴と学生時代の知り合いで、そのままメイドにスカウトされたとのことだった。
母親の方の記憶は更に曖昧なのだが、娘である彼女のことはなんとなく覚えていた。
栞菜、という名前であること。
年は確か1つ年下であるということ。
そして、いつも自分の後ろをおにーちゃん♪ と嬉しそうについてきていたこと。
基本的に天道家と関わった人々は、みんな翔よりも兄である光の方にいってしまうのにも関わらず、
彼女は自分のものすごく懐いてくれていて、翔はそれがとても嬉しかったこと。
ここまでは翔の中でもかなり曖昧な記憶だ
だが、唯一翔の記憶に残っているエピソードがある。
確か彼女の父親が転勤でフランスへ異動することが決まった時のことだ。
「お兄ちゃんと離れたくないよぉぉ…」
引っ越しの本当に直前まで、彼女は自分と離れたくないとごねていた。
お兄ちゃんと遊べなくなっちゃう。会えなくなっちゃう。
ずっとこの二点張りでなかなか泣き止んでくれず、彼女の母親もすっかり困り果ててしまっていた。
この時翔はヒーローのように格好いい兄への憧れがとても強くて、
泣いている女の子をどうにか泣きやませてあげたくて、
だから、
「…わかった…じゃあ、おっきくなったら、絶対栞菜を迎えにいくから!」
「……ふぇ?」
「だから、それまで待ってて…!」
そう、約束したのだ。確か。
そう言うと、ずっとごねていた彼女もようやく笑顔になってくれた。
そうして嬉しそうに「うんっ♪」と笑う姿だけ――翔の記憶にしっかりとインプットされた。
1、
八代栞菜。
14歳。現在中学3年生。
綺麗な水色の髪を高めの位置で2つに結んだ――所謂ツインテールが特徴。
瞳の色は綺麗な紫色。制服か何かは知らないが、セーラー服のよく似合う美少女だ。
本来、そんな可愛い少女が「おにーちゃん♪」なんて言って来たらデレデレすべきところなのだろう。
が、今は到底そんな状況ではなかった。
ぶわっ、と翔の顔から汗が噴き出る。
いや、季節は7月で確かに暑いが、そういうことではない。
今の汗は「あっちーな」の汗ではなく、――完全に冷や汗の方だった。
翔の前でぽかーんとしながら突っ立っている銀髪の少女と、
その彼女の顔をずっと睨み続けている水色の髪の少女。
『……これは…世間一般で言う…』
SHURABA☆ という奴なのだろうか。
いや、アイの方は別に何も気にしていないのだが、栞菜の方が怖い。
なんか全身からどす黒いオーラが出ている。
いや、最初は彼女も笑顔だった。笑顔でおにーちゃんっ♪ とか言っていた。
が、そこから3秒もしない内にアイへ視線をうつし…すぐにこの状態である。
「…お兄ちゃん…」
お兄ちゃんと言われてかつてこんなにときめかないことがあっただろうか。
そんなことを思いながら、翔は「はい…」と頷く。
何故年下の女の子相手に自分はこんなに低姿勢になっているのかとも思ったが、流石にこの場合は致し方ない。
「その女、誰…?」
紫色の綺麗な瞳が、今度はアイでなく翔を睨みつける。
そのあまりにも鋭い眼光に、更に冷や汗を流しながら「えーっと…」と翔は迷う。
クラスメートです、と言ったとしよう。
無理だ、何でただのクラスメートが部屋にいるのだということになる。
神様です、と言ったとしよう。
無理だ、頭のおかしい人認定されてしまう。
同棲してるんです、と言ったとしよう。
……殺される。
「何、説明できないような仲なわけ…!?」
なんだか昔は可愛かった幼馴染のバックに、かつて出会った金色の龍のようなものが見えてきた。
ああ、自分今日死ぬんじゃないだろうか。
あの時と同じような気持ちに陥りながら、そう思い頭を抱えていると、
「………、いきなり人の部屋に入ってきて、そっちこそ誰なわけ?」
と、今まで黙っていたアイがようやく口を開いた。
いきなりアンタ扱いされたせいかは知らないが、彼女の口はへの字に曲がっていた。
いつになく不機嫌そうなアイは栞菜を真っ直ぐ見つめたまま、
「…大体、見たところ年下じゃない…。年上をいきなり指差してアンタ、って呼ぶのはどうなのかしら」
「名前知らないんだから仕方ないじゃない…! アンタ、お兄ちゃんとどういう関係なわけ…ッ!」
「…どういうって」アイはしれっとした表情のまま、「パートナーだけど」
「パー、トナー…!?」
あああああ…と翔は更に頭を抱える。
自分が黙っている内に、更に状況が悪化したのではないだろうかこれは。
いや、確かにパートナーだ。パートナーなのは間違いないのだ。
だが、栞菜は明らかに勘違いをしているような気がする。
パートナーという言葉には様々な意味合いがあるのだ。
そして、彼女のわなわなとふるえている姿を見るに、おそらく彼女は人生の伴侶的な意味でとっただろう。
『そういえば昔から思い込みと気は強い奴だったからな…』
などとしみじみしている場合ではないのだが、そんなことをふと思い出した。
栞菜はわなわなとふるえながら、ぐっと拳をつくると、
「な、な、なんなのよパートナーって…! わ、私はお兄ちゃんと結婚の約束だってしてるんだから!」
「……? ああ、そうなの。それはご自由に」
「…ご自由にって何よ!? 自分が絶対的な位置にいるからって余裕の表情ってわけ…!?」
「ちょっと待って、僕栞菜と結婚の約束なんてしてないよ!?」
「…何よ貰ってあげればいいじゃない」
「そうだよお兄ちゃん、私の何が不服なの!」
「ああもう2人とも一旦落ち着いて…!?」
結婚の約束、をした覚えは確かにない。
いや、別れ際に迎えにいくとは言ったからもしかするとそれを勘違いしている可能性はある…かもしれない。
当時5歳の翔的には単純にお金が出来たら会いにいくねーくらいの気持ちだったのだが…。
どちらにせよ厄介な良い回しをした自分に非がある。
『恨むよ10年前の僕…!』
「大体、お兄ちゃん! こんな顔は可愛いけど女として色々ダメな奴のどこがいいわけ…!?」
「…何よ女として色々ダメって」
「…言わなきゃわかんない?」
と、挑発的な笑顔で栞菜は腕を組む。
そのポーズになると、昔はなかった胸部の膨らみが少しだけうかがえた。
と、そこでようやく意味を察したのだろう。
アイは自分のほとんど膨らみのない胸部に一瞬視線をやり、かぁぁと真っ赤になると、
「…な、な、何の話してるのよ…! わ、私は別にいいのよ戦いやすいし…!」
「女としての戦いには敗北ですけどねー!」
「…そういった部分でしか女性の魅力を語れないなんてどうかと思うわよ」
「…ふっ、負け犬の遠吠えにしか聞こえないわね…!」
「…なんですって?」
更に状況悪化したなぁ!? と翔は頭を抱える。
ああ、さっきから何回頭を抱ええているんだ自分は。
とりあえずこれ以上2人がヒートアップする前に止めなくてはどんどんカオスになってしまう。
どうにかして自分の手で2人を止めよう。
そう決意した翔は、2人の間に割って入ると、
「2人とも落ち着いて! どっちもそんなに大して変わらないって!」
と大声で叫ぶ。
この後、翔が2人の少女によってボコボコにされたのは説明するまでもないだろう。
2、
「改めまして」
頭に包帯ぐるぐる巻きにしながら翔は栞菜を指し、
「この子は僕の幼馴染の八代栞菜。小さい頃は彼女の母親がうちでメイドさんをやってたんだ」
「………ドーモ、八代栞菜デス」
態度悪…ッ!? と思った翔だがまぁ仕方ない。
何故かはわからないが栞菜はずっと頬を膨らませて拗ねてしまっていた。
昔からなんだが、彼女は拗ねるととことんまで面倒くさい質だ。
どうにかしてどこかで機嫌をとらなくてはなるまい。
「あ、で、こっちはアイ…僕のクラスメート、かな」
「ふーん、お兄ちゃんはクラスメートを下の名前呼び捨てにして部屋に連れ込んだりするんだ?」
「べ、別に部屋に連れ込んできたわけじゃ…!?」
どちらかというと、彼女の方から転がり込んできたんだとここまでの顛末を全て説明したかった。
が、下手にパーティーのことを言うわけにはいかないし…などと悶々考える翔。
こういう時、あのモテそうな(というか現実モテる)親友――新橋ユウマだったらどうするのだろう。
いかんせんこんな修羅場なったことない翔にはどうしていいのかわからない。
…まぁユウマだって流石にこんな修羅場を経験したことあるかは不明だが。
「っていうか栞菜、フランスにいたんじゃ…?」
「そうよ。そこでメイド修行して合格貰ったから帰ってきたんじゃない」
「………ん、なんだって?」
「だーかーらー、私正規のメイドさんになったの」
………、と翔は黙る。
当時翔は幼かったので、彼女の母親がメイドをしていた時の記憶がない。
よってメイドというとぱっと思いつくのは徳永家にいる例の超人的メイドさんしかいないのだが、
『い、いやあれはきっと特殊な事例…のはず…!』
けど、栞菜がメイドとは一体全体どういうことなのだろう。
どちらかというと我儘な女王様タイプで奉仕するようなタイプには見えないのだが…。
「私ね、ずっとお兄ちゃんのメイドさんになるために頑張ったの」
「…え?」
「メイドさんになれば、お兄ちゃんの傍にいられるでしょ? それでここまでずっと頑張ってきたの…!」
ええっと…と翔は唸る。
つまりこれは自分のメイドさんになりたいですということなのだろうか。
いや、普通なら迷わずOKするところなのだろうが…、翔はちらりとアイの方を見る。
彼女がいる以上、この家には基本的に誰もいないでほしいのが正直な気持ちだ。
そもそもパーティーに参加している以上、この家がいつまでも無事でいる保証もないわけで。
「………、」翔は少し黙り、「…あの栞菜、悪いんだけど…僕は自分で家事できてるし…メイドさんとかは別に…」
「わ、私だって料理凄く特訓したもん…! お掃除だって…!」
「けど今両親いないし、両親の許可なく僕だけで決めるわけにもいかないんだ…ね、栞菜?」
ぷくーっ、と栞菜は頬を膨らませて黙り込んでしまった。
翔が頼めば、割と聞き分けはいい子だが完全に拗ねモードには入ってしまったようだ。
どうしたものか…と思っていると、彼女は今の翔の言葉からふとその存在を思い出したのだろう。
不思議そうな顔をしながら、
「…あれ、そういえば光さんは?」
ドクンッ、と。
翔の心臓が音をたてて拍動するのが分かった。
それは自分どうこう、というより――アイの前で聞いてほしくなかったというのが正直なところだった。
ふとアイの方へ視線をやると、彼女はいつもの冷静な表情のまま黙り込んでいた。
が、心の中では何を考えているか…それは翔にはわかったものではなかった。
「栞菜、ちょっと…」
と言うと、翔は栞菜の手をひき、廊下の方へ一旦姿を消すことにした。
「……え、光さん…亡くなったの…?」
「…うん、栞菜がフランスにいったすぐ後くらいに…」
そ…っか…と、栞菜の声が急にか細くなる。
小さい頃、彼女も翔と一緒に光に遊んでもらったことがある。
記憶は薄いだろうが、それなりに思う事はあっただろう。
「…お兄ちゃん、ごめんね…その、言いづらいこと言わせて…」
「あ、いや僕は平気なんだけど…」
急にしおらしくなった幼馴染を前に翔はおどおどしながら、
「…ただ、アイの前ではあまり言わないでもらってもいいかな…?」
「…え? 何でよ?」
「いや、その…アイは兄さんのこと…凄い気にしてた、っていうか…」
言った瞬間、何故か翔の胸がちくりと痛んだ気がした。
何でだろうか。その痛みの正体を究明しないまま、翔は栞菜に「ね?」という。
アイの名前が出てきてすっかりまた不機嫌になった栞菜はむすーっとしながら、
「むーっ、わかったけど…何でそんなにあの女のこと気にかけるのよ。…そりゃ、昔から優しいのはお兄ちゃんのいいところだけど…」
「ま、まぁまぁ。とりあえずメイドの件は置いといて、今日はちゃんと家に帰りな?」
本心としては一刻も早くこのギスギスした雰囲気から抜け出したいというのが第一であった。
とりあえずそっとなだめるように翔が言うと、ようやく栞菜も妥協してくれたらしい。
彼女ははぁ、とため息をつくと、
「私も帰国したばっかだしいいわ。今日は帰るっ」
「って、え、帰国したばっかだったのにここにきたの…!?」
「帰国して最初にお兄ちゃんに会いたかったの! あ、そだ。これ、美鶴さんから鍵受け取って入ってきたの。返すね」
と言って、栞菜は翔の右手にそっと家の鍵を置いた。
栞菜の不法侵入の件の犯人はどうやら翔の母親である美鶴だったらしい。
母さんめ…と若干恨みつつも、翔は笑顔で「ありがと」と受け取っておいた。
「…ねーねー、お兄ちゃん?」
「ん、どうしたの?」
「……ふふっ、10年経ってすっごい格好良くなったね♪」
じゃ、またー! と言いながら手を振って去っていく栞菜。
まるで嵐のような出来事に翔はしばらくぽかんとしながら、最後の言葉を吟味する。
10年経って格好良くなった。……格好良くなった?
ぼんっ! と翔の顔がいっきに赤くなる。
格好いいと言われたのは恐らく生まれて初めてだった。
アイとかといるとどう考えても向こうの方が格好いいし、自分には無縁な言葉だと思ってた。
『…栞菜は…笑った顔…変わらないなぁ…』
赤い顔を手で覆いながら、翔はアイの待つ部屋の中へと戻っていくのだった。
3、
廊下の方で2人が話している声が聞こえる。
銀髪を手ぐしでとかしながら、アイはぼーっとしていた。
彼女の聴力なら聞こうと思えば会話を盗み聞けるがそれをしようとは思わなかった。
幼馴染か、とアイは思う。
光のパートナーとしてこの家に住んでいたが、彼女のことは一切覚えていない。
おそらく、それだけ光よりも翔にべったりだったのだろうと彼女は憶測する。
『アイツのどこがいいのかしら…』
腕を組みながら、ベッドの上で真剣に思考してしまうアイ。
いや、分かっている。翔は確かに良い奴だ。
自分だって助けられているし、普段はヘタレだが優しいし、いざと言う時は凄く頑張ってくれる。
流石は光の弟だ。
そこまで思ってから、すぐにアイははっとする。
『…私、また光と比べてた』
似てない似てないと思っていても面影はあるもので。
面影があればやはり思い出すもので。
思い出せばやはり比べてしまうもので。
〝まあねー。けど反吐が出ちゃうのよ。パートナーとの仲良しごっこ〟
〝そんなことばっかしてるからパートナーのこと死なせちゃったんじゃない?〟
この間、リズに言われたことが心に突き刺さる。
あんなのリズの戯言だ。そう言い切ることはアイにはできなかった。
光は優しい。翔も優しい。
だから今はこうして仲良くできているけど…またそのせいで彼を失う事になったら?
ズキズキとアイの心が痛んでいく。
『そうよ…光だって私と会わなければあんな目には…』
「アイ?」
「!」
と、いつの間にか翔が自分の目の前に立っていた。
人の気配には敏感なはずなのだが、これっぽっちも気付かなかった。
それ程思考に夢中になっていたということだろうか。
「すっごい怖い顔してたけど大丈夫?」
「…え、ええ…まぁ…」
「体調とか悪かったらすぐ言ってね?」
まぁ神様に体調不良とかあるのか知らないけど…と付け足す翔。
そういやさっきの幼馴染とやらがいないが帰ったのだろうか?
自発的に帰りそうな雰囲気ではないから翔が帰したのだろうが…。
「………ねぇ」
「ん、どうしたの?」
「……翔は…あの子が好きなの?」
「…好き?」
翔は首をかしげる。
そこからその意味を吟味したのだろう。
ようやく理解したところで、ぼんっと顔を真っ赤にすると、
「…す、すすすすすす好き!? いやいや、た、ただの幼馴染だって、きょ、今日10年ぶりに会って、うん、そ、それだけ!」
「…向こうはアンタと結婚する気満々そうだけど…」
「い、いやいや、そもそも、ま、まだ14歳だし…。手出したら…ロリコンとかで捕まりそうだし…」
「それがなかったら手出すと」
「違うよ!? そういう曲解よくないよ!?」
じとーっとした目で、「ふーん」と言うと、翔が気が気でないような表情をする。
正直、自分でも何でこんなことを聞いたかは分からなかった。
翔が誰と何をしようが自分には関係ないことだというのに。
『この間リズに会ってからなんか変なのよね、うんうん、変に精神やられちゃったのかしら』
どことなく心の中にモヤモヤが残っていたが、きっと寝ればもう元通りだろう。
そう思いながら、アイは光輝く7月の空を見上げるのだった。
ってことで修羅場回でした!←
翔の幼馴染八代栞菜登場です。修羅場楽しかったです←おいこらw
まぁ今回の章で出番のある子なのでよろしくお願いします…!
さて次のお話ですがちょっとしたイチャイチャ回です←
スポットがあたるはずのフウの出番はちょっとおまちください!
ってことでまた次回ー♪
次回——「七夕祭」




