茜色の約束
0、
「……ん…」
いつの間に寝てしまっていたのだろうか。
窓の外の景色を見るに、もう夜が近い時間と予測された。
体育祭も終わったし帰らないとな、と思って立ち上がろうとすると、ふと自分の肩になんとなく重さを感じた。
最初に視界に入ったのがサラサラとしたきれいな茶髪。見覚えがあった。エリカだ。
エリカがすーすーと安心した寝息をたてて自分の肩に寄りかかって寝ている。
その状況に色々と安堵を覚えつつ、ユウマは少しため息をつく。
「……それでこれ、どうやって帰ればいいんだ」
なんとなく肩に寄りかかっている妹を起こすのは悪いような気がする。
けれどこのまま帰らないと両親に心配されるし…⁽尚、両親の心配の対象はユウマでなくエリカのみであるのはさておきとして⁾。
『…荷物は翔が持ってきてくれたて…ってことは隣の部屋にあるはず…』
このままエリカが起きるまで待つべきかなぁと思っていると、コンコンと扉をノックする音がした。
カレンかな? と思ってそちらを見るが、カレンがノックをしてこの部屋には入ってこない気がする。
じゃあ誰が…と思ったが、すぐにその答えはわかった。
慎重に開けられた扉から、青色のきれいな髪が見えたからだった。
「……弦巻」
その少年の名字を呼ぶと、少年がぱぁっと顔を輝かせて「ゆーまっ!」と自分の名を呼んだ。
人の名前を見ながら顔を輝かせる、というなんだか子犬みたいに人懐こい感じの少年は弦巻日向。
1年D組…即ちエリカのクラスメートであり、エリカがよく世話を焼いていて、エリカがちゃんと話す数少ない男子のうちの1人だ。
そう、男子のうちの1人だ。女の子のような可愛い顔立ち――所謂女顔だが断じて男子だ。
まぁそんなこんなで、ユウマ自身もエリカを通して知り合ったわけなのだが……、
ちょっと声大きかったかな、と思ったのか日向は少し咳払いしてから、「ゆーまゆーまっ。聞きましたよ、怪我大丈夫ですか…?」とエリカに気を遣ってか小さめの声で話しかけてくる。
なのでユウマはこくりを無言でうなずいておいた。
…まぁ本来はそんな大丈夫な怪我ではなかったはずなのだが…そこはカレンの恩恵である。
「…エリカのお見舞い?」
「…ええ、まぁ…。いつの間にかいないと思ったら怪我したって聞いて…本当心配で…」
心配か、とユウマは思う。
この少年はエリカに対してかなり友好的である。
友好的、というかもはやそれ以上の想いがあるといったほうがいいのか。
実に素直な少年だし、エリカもある程度分かっているはずだ。
日向はひょこっとユウマの肩で眠っているエリカの顔を覗くとほっとした表情になり、
「…よかった…この寝顔なら安心だ…」
「…そうだねー。エリカも結構怪我ひどかったけどカレンさんの話じゃ平気そうだよ」
まぁエリカより怪我を負った自分がここまで回復しているのだからエリカは大丈夫だろう。
顔などに傷などもないし、その辺は実に安心だ。
日向は余程安心したのか、少し目に涙をためながら「…よかった…」ともう一回呟いた。
「…よかった…よかった、けど…、でもゆーまいいなぁ…!」
「……何が? この状況?」
というと、日向がこくこくとうなずく。
エリカがこれだけ安心した顔で肩に頭を預けて寝ている。
この少年はそれがうらやましいのだろう。
ユウマはふぅ、とため息をつくと、
「…ったく、お前想われてんなぁ…」
とボソッと呟く。
おそらく本人にも目の前の少年にも届いていないだろうが。
いずれ妹が自分から離れていく日も近いのかもしれないな、なんてことを思いつつ。
『なんか今すっごく娘を嫁に出す父親みたいな気持ちになった…そっか、世の中のお父さんたちはこういう気持ちなのか…』
「ど、どうしたんですかゆーま?」
いや別に、と言おうとしたところで左の方から「…ん…」という声が聞こえてきた。
聞きなれた少女の声にそっとエリカの方を見ると、彼女のきれいな茶色の瞳がこちらを見ていた。
まだ寝ぼけているのか、状況がつかめていないのかぽーっとしながら「…ゆうま…?」と問うてくる。
「エリカさん大丈夫ですか?」
と、そこで。
日向の声を聞いてはっとしたのだろう。
エリカはばっと凄い勢いでユウマの肩から頭を離すと、目の前の少年を二、三度見つめて…
「つ、つ、弦巻!? なんでこんなところにいるのよ!?」
「エリカ、口元ごしごししなくても別によだれとかたらしてなかったから大丈夫」
「ぬぁっ!?」
思わぬところを指摘されて真っ赤になるエリカだが、すぐにいつものクールな感じの表情に戻る。
しかし、これだけ叫べているところをみると本当元気そうだ。
「なんでこんなところに…って、そりゃエリカさんが心配だったからに決まってるじゃないですか!」
「…え、いや、あ……そっか。そうだ…私怪我したのか…」
と言って、エリカが自分の手をグーパーさせてから、
「………おかしいわね、ビックリするくらい痛みがないわ」
「あ、それならその、か、か、カレンさんが手当してくれたみたいですよ…っ!」
「なんでお姉ちゃんの名前を言うときに照れてんのよ」
カレンさんエリカによく似てるもんなぁ、と思いつつユウマはため息をつく。
いや、性格は全然似てないが。
この少年からすれば大好きな少女を大人っぽくし、常に笑顔にした女性がいればそりゃまぁ照れる対象にもなりうるのだろう。
…あのカレン相手にそのような態度をとれるのはある意味ユウマからすれば賞賛に値するが。
そんなことを思いつつエリカを見ると、一瞬だけ目があって、
それからすぐに目をそらされた。
『…あれ…?』
「ところでうちのクラスどうだった結果?」
「あ、それがですねっ」
などという2人の会話を聞きながらユウマは少し考える。
まだエリカの中じゃすっきりできていないことなのかもしれない、と。
Ⅱ 茜色の約束『体育祭終幕』
1、
体育祭3日目。
ついに長い体育祭もこの日が最終日である。
この日までに何人のけが人が出た事か。それだけ壮絶な戦いにもようやく終止符がうたれるのだ。
そんな中、新橋ユウマはというと…、
「…まさか最終日に出れるとはなぁ…。正直このまま出れなくても良かったんだけど…」
「本当サボリ癖の酷い子ですねー」
昨日1日見学したものの、ほぼ怪我が完治していたので今日は無事体育祭に参加していた。
参加している…とはいえ、今の彼はクラスの方ではなく一般客用の席の近くでカレンと話している最中だったが。
「それで、競技中にわざわざ私を呼び出してまでなんのお話ですかー?」
そう。今カレンが主のもとでなくここにいるのは、ほかでもないユウマが彼女を呼び出したからだ。
相変わらず普段通りの飄々とした態度に少し離すか躊躇いつつも⁽彼自身もかなり飄々とした性格なのはさておき⁾、
「…神」
ぽつり、と。
話すか迷ったそのワードを口にする。
すると飄々としたカレンの顔が、一瞬、少しだけこわばったような気がした。
「…俺に電話で言いましたよね。神にあいました、かって」
「いいましたねー♪」
次に話すときにはすでに笑顔に戻っていたから相変わらず食えない人だ。
ユウマは少し黙ってから、
「…俺が今回関わった現象…少し不可解な点が…いや、少しどころかかなりあったような気がします。カレンさんはそれらのことをご存じなんじゃないですか?」
神。もしも、そんなものが存在するのだとしたら。
もしも、そんな不可解なものがこの世にあるのだとしたら。
『もしかすると…、半年前のアイツのことも…』
「ユウマくんの読みは大体正しいですよ」
不意に、カレンがそうつぶやく。
まるで自分の心の内を見たかのような発言に少し驚くが、彼女の発言に驚いていてはきりがない気もしてくる。
驚くより先に彼はその言葉の意味を吟味する。
半年前のアイツのことに、もしもそういった不可解な現象が関わっているのだとしたら。
「ま、今のユウマくんにはしっかりは教えてあげませんけどねー♪」
「……何でですか」
「…ふふっ。…あなたが招待されるのは、もう少し先のようなので♪」
招待。なんだか凄く軽いノリの単語にユウマは少々不安を覚えた。
別にそういった不可解なものが存在している分には構わない。
けれど、――巻き込まれたくない。
半年前のような悲劇はもう懲り懲りだ。
『気にせずにいくべきだな…』
カレンもおそらく、これ以上聞いても何も答えてくれないだろう。
態度でわかる。なんだかんだで長年の付き合いだ。
ユウマはぺこりと頭をさげると、「じゃ、俺この後出番なので」と言ってカレンの元を去る。
だから、彼は知らなかったのだ。
最後にぼそっとカレンが言った言葉を。
「あなたはいずれ招待される運命なんですよ。例えあなた自身がそれをどんなに拒んだとしても、ね」
2、
「はぁぁ、無事に体育祭も終わりそうでよかったなー!」
「わかんないわよあと少しの瞬間に誰かが体育祭に奇襲をかけてくるかも」
「やめてそういうこと言うの!?」
相変わらず反応がいい少年だなぁ、と思いながらアイはくすっと笑みを浮かべる。
初日こそあの騒動があったものの、それ以降は無事体育祭を終えることができそうだった。
一応パーティーとしては2戦目勝利を喜ぶべきなのだろうが、なんとも不完全燃焼な結果なのも確かだった。
アイからすれば今回は無関係な人間を巻き込みすぎてしまったことが非常に悔やまれる。
しいて言えばエリカが無事だったこと、2人とも怪我がすぐに治ったことだけがせめてもの心の救いだった。
『パーティー、ね…』
アイは少し黙りながらふと、この間のことを思い出す。
あの後アイは気絶させられて気づいたら学校の人気のないところに寝かせられていた。
起きると目の前には気配を察知してきたフウがいたわけだが、
『まさかフウもリズに会っていたとはね…次の敵はアイツになる可能性がある…ってことね』
アイははぁとため息をつく。
すでに2日前精神的にあのように抉られたこともあり正直しんどい戦いになりそうな予感がする。
今回のことも正直ほとんどユウマのお陰だしなんとも情けない気分だ。
「…結局、西園秀則は少年院送りみたいね。殺人だしそりゃそうだけど…」
「そうだね。いやー、ユウマ見つけた時に2人とも倒れてるからどうしようかと思ったけど…カレンさんが2人とも運んでくれて助かったよ♪」
「…男として情けなくないそれ?」
辛辣なコメントを残すと、翔がしばらくだんまりしてしまった。
なんだか可哀そうになったのでこれ以上は何も言わないでおこう。
それより気になる点としては、
「…そういえば、新橋はよく認識を阻害されてるあの空間に行きつけたわよね」
そう、ここだった。
エリカ達のいた空間は精神を司る神による認識阻害を受けていた。
何となく、そこに何かがあると無意識のうちに避ける認識阻害。
一旦あるとわかれば認識できるようになるが、そうなるのはかなり難しいはずだ。
現に認識阻害のシステムを理解していた翔でさえ見つけるのにあれだけの時間を要したわけで…。
「…一応本人に聞いてみたけど、単純に僕と同じような作業をしただけみたいだよ?」
「…っていうと?」
「なんか、エリカさんを探してる時にどういうわけか自分が無意識的に避けている場所が目についたらしくて。それでそこへ行ったらしいよー」
さらっと言ったがこれはなかなか凄いことなのではないだろうか。
自分が無意識的に避けている場所がある、なんてことにはそもそも気づかないはずだ。
なぜならばあくまで無意識だから。
にも関わらずそこに行きつくというのは…、
『…ま、一般人だし関係ないわね』
そんなことより考えなくてはいけないことがある。
精神を司る神のリズ。彼女のことだ。
『ここにきて厄介な相手がきたわよ…どうする、フウ?』
上空で、なんだか風が吹き荒れているような気がした。
3、
体育祭もほぼ終盤まできた。
最終日参加できたのはエリカとしては無論嬉しかったわけなのだが、
『ああもう…なんなのよこの辱めは…!』
今彼女の白い肌はいつになく猛烈に赤くなっていた。
というのも、現在体育祭のプログラムは13番の借り物競争まで進んでいる訳なのだが、
彼女はつい先ほどこの借り物として走らされたばかりだったりする。
いや、走らされただけならいい。問題はそこではないのだ。
問題はその借り物の内容が『好きな人』であったということである。
訳の分からないまま同じクラスの男子――弦巻日向に「借り物が好きな人、なのできてください!」とか言われて走らされてゴールの後クラスメートに散々からかわれて。
『だぁぁ、アイツが関わると本当全面的に恥ずかしいことしかないわねぇ!』
いつまで経っても赤いのがなおらないことに彼女は落胆してしまう。
全部原因はアイツなのだ。
本当殴ってやろうか。そんなことを思っていると、
「お、いたいた。エリカ」
不意に後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。
ゆっくりと声の主の方へ視線をやると、そこには珍しくやる気なのかジャージの上着を腰に巻いて長ズボンの裾をまくりあげているユウマの姿があった。
「…あれ、エリカ顔真っ赤だけどどうしたの?」
「はっ、な、何言ってんのよ、どうみても平常でしょうが!」
「…ふーん?」
ユウマは少しにやりと笑いながら
「てっきり例のアイツに好きな人で連れて行かれたからまだそれに恥ずかしがってるのかと思ったなー?」
「…み、みて、見てたの…!?」
「うん、モニターにでかでかと映ってたからね」
と、かつてない程いい笑顔でそういうユウマ。
というかモニターにでかでかと表示されていたということはユウマどころかありとあらゆる人物に見られた可能性がある。
それこそ実の姉や、はたまた新橋家の両親たちに見られた可能性も…、
「こ、こんなにも羞恥で死にたいことがかつてあったかしら…!」
「まぁいいじゃん。最近仲良いみたいだし。お兄さんとしては少し男嫌いを脱してきたのかなーと安心ですよ」
「お兄さんっていうか父親みたいね…。で、何の用事よ」
このまま話を続けていると、すっかりユウマのペースになってしまう恐れがあるのでエリカは思い切って話題をぶった切ることにした。
まぁユウマの方も用事があってきたわけなのでそれには何も言わず「そうだった」というと、
「ま、要するに俺もエリカを借りにきたんだよね」
「……はい?」
「今借り物競争中でさ。…俺もあんま出る気なかったんだけど流石に1日目サボって2日目怪我で出れてないのに3日目も出なかったら…わかるよな? と担任に脅されて」
と言われて、1年E組のクラス担任慶田瑞希の顔を思い浮かべる。
うん、なるほど、あの担任ならそれくらいのことを言いそうだ。
サボリ癖のある兄にはある意味良い担任だと思うのだが。
「…いや、ユウマが私を借りるって…借り物のお題なんなのよ? まさか妹、とかじゃないわよね?」
「まーそんなピンポイントなお題ではないけど…とりあえず、」
ユウマはそこで一旦言葉を区切ると、そっとエリカの手をつかみ、
「走るぞエリカっ」
「え、わ、ちょ―!?」
そのまま猛スピードで走りだした。
想像以上の速さにエリカはしばらく呆然してから、
「って、わ、私さっきも走ったばっかなんですけど…!?」
「エリカならこれくらい余裕でしょ」
「そりゃぁ、なめてもらったら困るわ。これくらい全然―、」
「じゃ、もっと速くしよっかなー」
はい!? と返事する間もなくユウマの走る速度があがった。
ついていけない速度ではなかったが、ふとした拍子にこけそうな速度だった。
とりあえず文句をつけたいところとしては――、
「アンタと私のリーチの差を考えてくれないかしらねぇ!?」
「えー、そんなかわんないって」
「かわるわバカ兄貴! ずっこけたらどうしてくれるのよ!?」
そもそもこの速度で走って息切れせずに会話できる辺りがこの2人の凄い所であることを本人たちは自覚していない。
ユウマは少しくすくすと笑いながら、
「ま、こけそうになったら俺がちゃんと支えるから安心しときなって」
そう言われると、むすーっとエリカは顔をしかめる。
なんだかんだでいつも兄に言いくるめられてばかりだ。
自分よりなんでもできて、余裕があって、ちゃんとこっちのことを見ていて。
余裕ある感じにいつも助けてくれて。
悔しい、とエリカは思う。
いつになっても自分は、兄に迷惑をかけてばかりだ。
この間助けてくれたのは無論嬉しかったが、また迷惑をかけてしまったという罪悪感はどうしても拭いきれない。
「……私、足手まといじゃないかしら…」
「え?」
「え? ………ッ!」
思っていたことが口に出ていたことにエリカはかぁっと顔を赤くする。
折角さっきの件での恥ずかしさがひいたというのに今度はこっちだ。
どうにか言い訳をしようと試行錯誤したが、いい言い訳など1つも出てこない。
「い、いや、なんだかんだでユウマの方が足速いし私足手まといにならないかなーというか…」
「そんなことか。…いいの、俺がエリカとこうやって走りたいだけだから。2人で手つないで走るのなんか小学生ぶりじゃん?」
言われて確かに、となるエリカ。
兄妹でいつまでも手をつないでいることなんかできない。
ふと、そんな自分の声が頭の中に響いてくる。
掴んだままでいられるのだろうか? これからも、この大きくて優しい手を。
そんな思考にふけたせいだろうか。
無意識のうちにユウマの手をぎゅっと強く握ってしまっていた。
「…何、どうしたの?」
「…え…ああ、いや、こ、こけたら嫌だなと思ってつい…!」
「ふーん?」ユウマは少しにやりと笑みを浮かべながら、「そんなにおにーちゃんと離れたくないの?」
かぁっ、とエリカの顔が真っ赤になる。
「ば、ば、な、何、い、ってるのよ!?」
「すっごい噛み噛みだねぇ」
「だぁぁうるさいわねちゃんと走りなさいよ!」
「ペース落としてないけど?」
ぐぬぬ…と歯噛みするエリカだが、確かに言うとおりだ。
ペース落としてないし、恥ずかしい事に離れたくないと思ったのも事実だ。
むぅ…と少し文句の声をもらすが、今度はユウマから何の反応もなかった。
どうせこれ以上言ったところで、兄に口でなんか敵いっこないのだからもう気にするだけ損だ。
エリカは不意に空を見上げる。もうじき体育祭も終わる。
時刻で言えばぼちぼち夕方に差し掛かる頃。
『…ちっちゃい頃に、約束したのって夕方だったよね…。綺麗な夕日の中2人で歩いたっけ…』
茜色の綺麗な陽だまりの中を一緒に歩いた記憶。
思えば、あのころからエリカはユウマの背中を追いかけていた。
追い越したいけど、なんとなく追い越したくもないような兄の後を。
『あの頃は私すっごい泣き虫だったよなぁ…』
苛められて泣いて。転んでも泣いて。とにかく何かあるごとに泣いていた。
親に捨てられて、絶望して、全てが怖くて。泣いて、泣いて、ひたすら泣いて。
そんな中エリカがやってこれたのは、紛れもなく手をひいてくれるユウマの存在があったからだ。
泣いた日も、笑った日も、ただユウマがそこにいてくれたから。手をひいてくれたから。
だからエリカはここまでこれた。
今の状況を幸せだと笑う事が出来るようになれた。
自分のことを守ってくれる存在に気づけた。
初めて、だれかを守るために自分も強くなってみたいと思った。
けど、少しずつ時は流れて行って。仲良かったあの頃も気づいたら自分の手からすり抜けて行って。
もうあの日のようには戻れなくなってしまうんではないか。
いつか兄ともこういう風に手をつないでいられなくなるのではないか。
そう思った。
それでも、嬉しかったんだ。
2日前、迷惑かけたくないと思いつつも、兄が助けに来てくれた時。
10年前と同じ言葉を言って助けに来てくれた時。
しばらく泣くことを封印していたエリカが、涙を零すくらいに嬉しかったのだ。
だから、出来る事なら、
『この手を…最後まで離さずにいられれば…いいのに』
それが彼女の妹としての素直な気持ちだった。
夕焼けの中手を繋いだあの日のように。
一緒にいると約束してくれたあの日のように。
『まぁ…ユウマがそう思ってるかは疑問だけど…』
などと考えている間にわっと辺りから歓声が聞こえた。
どうやらユウマは借り物競争一着でゴールしたようだった。
それにしても二連続で借り物にされる自分は一体なんなのだろうか。
「結構余裕だったな」
「そりゃあんだけ飛ばせばね…」
「楽しかったでしょ?」
フッ、と無駄に格好いい笑みを浮かべながら問うてくる兄を見てまたエリカは頬を膨らませる。
それを肯定のサインととったのかは知らないが、ユウマはまた笑って、
そっとエリカから手を離した。
『……あ…』
「流石ユウマ! 1位おめでとう!」
「ありがと。翔何位だった?」
「…それが…借り物が見つからなくて…棄権扱いに…」
「借り物なんだったの?」「女装男子…」というカオスなやり取りを聞きながらエリカはふぅとため息をつく。
ほら。離さなくてはいけないんだ。いずれは。
わかっていたことじゃないかそんなこと。
ずっとなんておこがましい願いだ。
あーあ、とエリカはそっと聞こえない程度に呟く。
余計なことを考えたらなんだか疲れてしまった。
とりあえずこの後二人三脚などもあるし、自分のクラスの持ち場にでも戻ろう。
「ユウマ、私もう帰――」
「そういやユウマの借り物のお題なんだったの?」
そこで、エリカもピタリと足を止める。
そこはエリカ的にも気になるところだ。
すんなり合格貰って1位になったし、みんなも納得するお題だったということだろう。
妹でないとすれば茶髪の女の子、同学年の女の子、家族…ユウマから見た自分の印象を考えるがなかなか思いつかない。
もしこれで強い女子、とかそういう類だったらどうしようか。どうしてやろうか。
そう思って足を止めていると、
「ん、翔には秘密」
「何で!?」
ユウマはくるりと身を翻し翔に背を向けると、エリカのいるところまでゆっくり近づいてくる。
そして、さっきと同じようにそっとエリカの右手をとると、小さなお題の紙を握らせて、
「こーゆーこと」
と笑いながら呟く。
どういうことよ…!? と思いながら、後ろにいる翔と目を合わせるエリカ。
聞いてもユウマは何も言わずにただすたすた歩き始めていたので、とりあえずエリカはお題の紙を見てみることにした。
結構風が強いので、風に飛ばされないように慎重にその紙を開く。
そこには、黒いボールペンでただ一言このようなお題が書かれていた。
〝大切な人〟――と。
「………、」
エリカは思わず黙りながら、紙と、それからすたすた歩いている兄の後姿を交互に見つめる。
もしかして、変わっていないのだろうか。
小学生の頃の想いは、今になっても。
そしてこれから、どんなに経ったとしても。
『…そっか、大切…なのか…』
自分がユウマを想う気持ちと同じように、彼も自分のことを想ってくれているのだろうか。
たとえ、兄に自分よりも大切な人が出来てしまったとしても。
それでも、いつまでたっても、自分たちはお互いにとっての大切な人でいられるのだろうか。
――俺はエリカから離れたりしないよ。
昔より低くなった声で、昔と同じく優しい声がそう呟くのをエリカは聞いた気がした。
彼女はふっと口元に笑みを浮かべると、
「待ちなさいよユウマっ! 次の競技一緒に見るわよ!」
と言いながら、兄の背中を追いかけていく。
昔と同じように、昔よりも軽くなった足取りでエリカは走っていく。
視界に映るのは10年前2人で約束したあの日と、何一つ変わらない茜色の景色だった。
To be continued...
と、いうことで半年にわたって茜色の約束編終了ですぱちぱち…!
今回の章では新橋ユウマ、新橋エリカというキャラに焦点を置いてみました。
兄に迷惑をかけたくなんて1人無茶をする妹と、
それを理解して、妹をきっちり助けにくる兄。
血のつながりがなかったとしても立派な兄妹としての2人を描いたつもりです←
10年前から成長し、変化してきた部分と、10年前と何一つ変化していない想いの部分が表せていたらいいなぁ…なんて思います…!
ユウマに関してはまだ今後いろんな側面で出てこなくてはならないキャラですが今回はとりあえずお兄ちゃんとしての彼を描きましたよ、と
エリカの予想通り、いずれユウマにも大切な人はできますが…まぁそれでもなんだかんだ彼は妹想いなのはいつまでも変わりませんよね、というお話。
さて、次から新章突入!
敵はもう名前がたっぷりでているあの女神様ですよ?笑
ってことで――Ⅲ、風の方もお楽しみいただけますよう執筆に励みます…!
それではっ!




