本編
♪咲いた
咲いた
………の花が
並んだ
並んだ
赤 白 黄色
どの花見ても綺麗だな♪
/
「ずっと好きでしたっ、俺と、付き合って下さいっっっ!!」
昼頃、桜の舞う春麗らかな季節の中庭に、その声は響いた。
「……はぁ?」
すっとぼけたような声を上げたのは、突然の告白に驚いたのではなく、公衆の面前だったからだ。
高天 茉莉、19歳。M大学二年生法学部在籍。一年のときに既にミスキャンパスを受賞した私を、この大学の生徒で既に知らない人はいない。
確かにミスキャンパスを受賞してからというもの、こうした誘いは引きも切らない。交際の申し込みを筆頭に、ナンパだったり雑誌モデルのスカウトであったりもする。
しかし、その大体が私に見合うと判断してのルックスやステータスの良い男であるか、ミスキャンパスを連れていることを自慢したい、飾りとしての私を求めるプライドの高い男ばかりだ。そうすると必然的に年上が多くなるのは言うまでもない。
しかし、目の前の男はどうだろうか。
顔はどちらかと言えば童顔で、特別格好良くも悪くもない、並みだ。身長はぱっと見170あるかないかの男性にしては小柄で、服装はTシャツにGパン、柄物ジャケットにどこにでも売っているようなスニーカー。センスは悪くないが、私に告白するにあって根本的に何かが違う気がする。しかも一つ年下ときた。
「あなた……本気でおっしゃってるの?」
高天家は代々受け継がれる華道の名家であり、そこの娘である私はそれなりに躾られてきている。兄がいるため跡継ぎになることはないが、二番目だから用がないと言うような扱いを受けるのが嫌で、私は人一倍努力してきたのだ。華道ももちろん、お茶に舞いにピアノ、この大学にも入試トップで合格し、スタイルにもファッションにももちろん気を遣っているし流行も追う。高嶺の花などと言う人もいるが男女含めて友人も多く、充実した大学生活を送っている。その上でのこの口調だ。
園芸サークルが育てた色とりどりの花々が咲き誇る花壇がある中庭には、カフェテラスがすぐ近くにある。この花壇が一望出来るのが売りのカフェテラスはお昼時は学生で溢れていて、それぞれが自分たちのアフタヌーンティーを楽しんでいた。今日も日に違わずたくさんの人が席を埋めている。
その中での、この告白劇である。
「ほっ、本気ですっ……!!せ、先輩のことが、好きなんです!!」
公衆の面前で、告白するその勇気だけは認めてやろう。今だって、たくさんの人の興味や揶揄混じりの視線が注がれているのをヒシヒシと感じるのだから。
「私、あなたのこと全然存じ上げないわ。……出直していらっしゃい」
私に今まで中学、高校や大学で声をかけてきたのはそれなりに格好良いとか金があるとか、優秀なヤツだと騒がれてきた人ばかりだ。そうでなければ、私に釣り合わない。
目の前の彼は言った通り顔も名前も分からないし、むしろ一見高校生一年生くらいにも見えるこの小動物のような彼が、それなりに優秀なこの大学に入学できた方が不思議だ。いや、まあ見かけで判断するようなことが良くないことは分かっているのだけれど。
諦めなさいとでも言うかのような冷めた瞳で美しい笑みを浮かべる私を見て、彼はしょんぼりするどころか目を輝かせて私の手を両手で握ってきた。
「本当ですかっ!!?」
喜色の声でブンブンと私の手を握る男に、私は苛立ちを覚え初めていた。
「……あなた。私の言葉の意味を分かっています?」
あの言葉のどこに喜ぶ要素があるというのだろうか。
「それってつまりっ、今はお互いのことを全然知らないけれど知っていけば僕と付き合うことを考えてくれるってことですよね!?僕、高天先輩に気に入って貰えるように頑張りますからっ!よろしくお願いしますっ」
「……はぁ………?」
その+思考には感嘆の声を上げずにはいられないのだが、まず……。
「……日本語、通じてます?」「勿論ですよ!!僕これでも経済学部なんで!!では、今日のところは失礼しますっ!!お邪魔してすみませんでしたっ」
意味不明な日本語論を述べるや否や小動物のような男の子(大学生に男の子はないかなぁと思いつつ、そうとしか例えようがなかった)は嬉々とした足取りで中庭を去っていってしまう。
「……茉莉。今の、どうするの?」
「さあ……私にも、分かりかねますわ」
私はやはり、間の抜けた声をあげるしかなかった。
/
翌日から、彼は私の後を追ってくるようになった。
それも生活を妨害するようなことをするならすぐに追い返すのに、きちんと空気を読んでランチ時や帰り道、それも皆で話してるときには、手を振ってくるだけで決して話しかけたりはしない。
その分一度チャンスを掴むとなかなか見逃してはくれず、ダラダラと世間話や自己紹介に付き合わされる羽目となる。
そんな彼から逃げるようにカフェテラスでよい香りのするアールグレイを啜っていると、サークル仲間が声をかけてきた。
「茉莉、まだ相手してやってんの?あの小動物くん」
ニヤニヤと笑いながら、案外まんざらではないのかと言うかのように話す友人に、疲れきっている私は冷たい視線を送る元気すら残ってはいなかった。
「……だからよ」
「え?」
「……彼、あまりにも小動物っぽくて、無碍には出来ないっていうか…」
「……あぁ、茉莉ってああいうか弱いっていうか、ちっちゃくて可愛いものに弱いのよね」
その返答に、さすがの友人も気の毒そうな声を上げた。
「はぁ……」
―――ここ数日の猛烈なアプローチで分かったことはそれなりに多い。
まず名前は成瀬 裕太郎、十八歳。
M大学経済学部一年生、サークルは無所属でバイトは新聞配達とコンビニと飲食店の店員と三つを掛け持ちしている。両親は小学生のときに離婚、母に引き取られたがその母も彼が中学生のときに病気で亡くなっていて、今は母方の祖母に引き取られそこで生活をしている。
大学には奨学金制度を利用して通っており、バイト代の殆どは生活費に回っているらしい。
身長一六五cmで体重は……って。そんなのはいらないか。
まあ、家庭環境を考えてみれば決して裕福とは言えない家庭で生活していて、その中での勉強でこの大学に入ってその上バイトとの両立。それには思わず感嘆するし、尊敬の念さえ抱く。
最初服装で釣り合わないだとかどうとか思ってしまって本気で申し訳ないと反省したのは確かである……が。それと色恋沙汰とは話が別だ。
「ほんっと、どうしよう……」悪い子ではないのだ、本当に。
類は友を呼ぶというか、私の周りにはお金も困らない、金持ち喧嘩せずのタイプばかりで、彼は今まで周囲にはいなかったタイプでもあり、新鮮でもある。
……しかし、そんな彼だからこそ、今まで通り軽く遊ぶように付き合っていいようには到底思えなかった。
そこまで分かっているにも関わらず、私は彼のことを断りきれずにいる。
「あ、噂をすれば来たわよ。子犬くん」
「えっ、」
慌てて彼女が指さす方向へと振り向けば、成瀬 裕太郎が嬉々としてこちらに向かってくるのが見える。
「じゃあね」
「えっ!?ちょ、ちょっと待ってっ……!!」
「高天せんぱーーい!!」
去っていく友人の背に必死に声をかけるが、それも、遠くから自分を呼ぶ声にかき消されてしまう。
「……何かご用でも?」
だからこうして、結局は彼に付き合わされざるを得ないのだ。
そんな私の複雑な心境など知らん振りな彼は……というか気付いてないのか……私を見つけたことへの喜びを隠すことなくその子どもじみた笑顔で振りまいて、今日も私を辟易させていた。
「えっとですねー。今日は先輩にご相談があって来たんですけど」
「相談?」
私に?とティーカップを片手にしたまま目線をあげて問えば、彼はおずおずと二枚の紙切れを取り出した。
「あのっ、えっと……その。つい最近出来た、テーマパークのチケット、なんですけど。たっ、たまたまっ!たまたま知り合いが二枚余っているからと行ってくれて!!せっ、せっかくだから、先輩と一緒に行きたいなぁーなんて思って……。その……駄目、ですか?」
「ダメよ」
「えぇ!?な、なんでそんなあっさり……」
「人に一緒に行ってほしいって頼むくせに、そんなおどおどとしてこっちの気を伺うような態度で私を誘おうなんて、十年早いわ。それにね、」
「ま、まだあるんですか……」
意識して造った冷たい表情で言葉を重ねていくと、見るからにシュンとした成瀬の頭に、うなだれた耳のようなものが見えた気がして、思わず私はクスリと笑ってしまった。そして、あるわよ、と笑顔で言った。
「……それにね、人を誘うなら日時と待ち合わせの場所、オススメの場所もちゃんと、調べてから来るようにね?私を誘うんだから、きちんと楽しませてくれなきゃダメよ」
「……え?それって……」
「また、考え直して出直していらっしゃい」
暖かな微笑みに一瞬見惚れるように私の顔を見た成瀬くんは、しばらく私の言葉を吟味して、その後すぐに顔を赤く染めながら喜びを隠しきれない表情で話す。
「はい…っ!絶対、楽しませて見せますからっ!まかせて下さい!」
―――そうして結局私は、この小動物のような彼を冷たく突き放すことは、出来ないのだった。
/
「……遅いわね」
あのやりとりから約一週間、土曜日。…あの後すぐに練り直してきたプランを抱えて彼は改めて私を誘いなおしてきた。
カッコ良く誘おうとしたのかは知らないが、何をやってみても小さな子どもが背伸びをするような風にしか見えなくて、まあその努力には免じてこの誘いを受けたのだ。
……しかし、当の本人が待ち合わせの時間を過ぎても一向に姿を見せない。あの執念深さで私を追い回していた彼にとって遅刻ということはありえないし、何かあったのだろうか。
「……こんなことなら、連絡先を交換しておくべきだったわね」
携帯を見つめて一人嘆息する。別にまだ私たち、友人でも何でもないでしょうとメアドを仕切りに交換したがる彼を突き放したのが、仇になった。しかし、今さら後悔してもしかたがない。
待ち合わせの日時と場所が書かれたメモを確認して、この場所で間違いがないことを確かめる。
―――しかし、それから三十分経っても一時間経っても、彼は現れない。
「―――もしかして私、遊ばれた?」
そこまで待って、私はそんな考えにたどり着いた。
あんなに人を追っかけ回すような真似をしておきながら、私をからかうため用意周到な計画だったのかしら。そう考えると、段々と怒りが沸いてきた。
ミスキャンパスの私の欠点を探ろうと、女達からタチの悪い悪戯を仕掛けられたことは一度や二度ではなかった。今回も、そうなのだろうか。
「まともに真に受けて心配した私が、バカみたいじゃない」
もしかしたら、彼は今ごろ自宅で来もしない彼を待っている私を想像して笑っているんじゃないかと思って、腹が立った。
―――それでも、違うかも知れないと信じる私がしばらくの間私をここに留まらせた。
が、時計の針が待ち合わせの時間より三時間たったことを確認して、私はようやく身を翻して、帰路へと一歩踏み出したのであった。
その背中に、怒りと悲しみを漂わせながら。
/
週が開けての水曜日。
私、高天 茉莉がすべての講義を終えて身支度をして外へ出れば時刻はもう既に19時30分だった。
今日はサークルも習い事もないし、帰って課題でもするかと頭の中で今後の予定を組み立てていると、視界に、一番会いたくない人物が飛び込んでくる。
「……あなた、何をしていらっしゃるの?」
豪勢な校舎の門の入り口には、先日私との約束にドタキャンしてくれた成瀬 裕太郎が、夜桜の下佇んでいた。世間はまだ4月の中旬、19時を過ぎれば辺りはもう真っ暗だ。彼の目的は私と話すためであろう、一体いつから待っていたのだろうか……。
「たっ、高天、先輩……」
私と話すために待っていたであろうに、いざ私を目の前にすると罪悪感からか口調が安定しなかった。
相手が気まずいのと、私も目も合わせたくないからなのか、二人の視線は一度して合わない。
「……あなた、講義をサボったりしていないでしょうね?」
本当はこんなやつの心配なんてしてやりたくはなかったが、私と会うために 講義をすっぽかしたなんて言われたら気分が悪い。素直に心配されたかと思ったのか、成瀬は少し伏せていた顔をようやく上げて答えた。
「あっ、はい。今日はもともと一・二限しか取っていなかったので……」
「……あなたもしかして、それから今までずっとここで待ってたの?」
「え?あ、はい、そうですけど……」
何かマズかったですか?と目線で問われて、思わず私はため息をついた。呆れられたと思ったのか、成瀬はただでさえあまり大きくはない体をピクリと震わせた。
……確かに呆れてもいるが、怒ってもいる。
無視して、驚きに止まっていた足を再び帰路へと向けると、慌てたような成瀬が声を掛けてきた。
「あのっ、高天先輩っ!話を聞いて下さい……!」
「私は、あなたと話すことなんて何もないわ」
もう顔を見せないで、と初めて拒絶の言葉を発した私に本気の色を読みとったのか、早足で進む私の前に走って立ちふさがる。
「土曜日は、本当にすみませんでしたっ!!」
深く腰を折って、成瀬は頭を下げてきた。
「どうしても……!外せない、用事が出来てしまって……っ、連絡先知らなくて、電話も出来なくて……っ」
「友達に、行けなくなったって代わりに伝えに来てもらうとか、方法は色々あったと思うけど?」
「あっ……!」
今気付いたとでもいうような反応に、そろそろ怒りも溜まってきた。所詮、彼にとっての私との約束は、その程度だったのだ。連絡が取れないからじゃあいいやと流せてしまう、それくらいのことだったのだ。
今日ここにきて、私は初めて成瀬と視線を合わせる。
「私はあなたが来るのをずっと待ってたの、三時間ずうっとね。」
言えば、ぐうの音も出ない彼はただ黙って私の言葉を受け止めている。
「あんなにしつこく誘っておいて、まさかドタキャンされるとは思わなかったし?その上こんなところで待ちぼうけするくらいなら、どうして昨日や一昨日来なかったの?今日はもう水曜日よ。この2日、あなたは一体何をしていたの、それにね………って、えっ?」
ウンザリしたようにひたすら苦情だけを並べて、ふと成瀬の方を見やると、ポロポロと涙を流している成瀬の姿が目に入った。暗闇のなかで、色白の彼の肌を伝う雫だけがやけにはっきりと目に映る。
「ひっく…、…ふぇ…っ…」
「ちょ、ちょっと!!泣くことないでしょう!?それじゃ私が悪者みたいじゃない!」
端から見れば十分に悪者なのだが、自分のされたことを考えれば私には非のないことである。それなのに泣き落としにかかるとは、それは卑怯なのではないか。
……しかし、泣かせるほど責めたのにはやはり罪悪感があって、しかたないから話だけでも聞いてやることにする。
「もう、分かったわよ。話、聞くから、泣くのは止めなさい」
そこまで言うと、しゃくりあげながらも、土曜日のことを話し出した。
「すっ、すみませ……な、泣くつもり、なかったんですけど……っ!……うっ、うち。ば、ばあちゃんが……!ばあちゃんがっ、土曜日の朝に、死んじゃって、朝、出掛けるからって、こ、声、掛けようとしたら、も……つ、冷たくな……っ」
「……え?」
いつぞや話したことだが、成瀬の家はおばあさんとの二人暮らしだ。母子家庭で育ったが母親が亡くなったため、祖母と暮らしていると私も聞いていた。
その祖母が亡くなったということはつまり。あの日の朝、成瀬は、本当に独りぼっちになってしまったのだ。
「びょ、病院に連絡…いっ、いれて、それで、お通夜、して……ひっく…っお葬式も、一人で、ばあちゃんの知り合いとか、集めてっ、準備して……」
成瀬曰わく、祖母が亡くなったショックに浸る間もなくめまぐるしく時が流れて、大学すら今日ようやく出て来られたらしい。そりゃあ約束どころの話しではないだろう。
私は朝起きてこない両親に声を掛けに行って、その両親が冷たくなっているのを想像して、思わず身震いした。
想像しただけでも、とてつもなく怖くて、つらくて。だから実際に体験した彼はどれほどの痛みを抱えて今私の前に立っているのだろう。そんな彼に一体、私を何を甘えたことを言ったのだろう。
「……ごめんなさい」
知らなかったとは言え、そんなこと言ってごめんなさい。
ただそう言って、涙に震える肩を抱き締めた。
そこに性的な意味合いは一切なかった。
ただ、涙に震える身体を抱き締めたくて、慰めたくて……それだけだった。
「ごめんなさい……っ」
泣いていいのよ、と言う私も今にも泣きそうで、でもこんな私には泣く資格もなくて、ただただ震える身体を抱き締め続けた。
「おっ、俺。なっ、…泣く暇も、なくてっ!」
「ええ」
「ばあちゃんには、俺しかいないからっ、俺が、全部、やらなくちゃいけなくて……!」
「そうよね」
「でもっ!…ひっく……、やっぱり、寂しいっ!……独りは、寂しいよぉ……!!」
「……ええ、そうね」
ひとりは、寂しいわね。
そう言って、嗚咽する背中を宥めるようにさする。
「好きなだけ、泣きなさい。ちゃんと泣いて、お婆さまのこと、弔ってあげなさい……」
あなたが覚えている限り、本当の意味でおばあさんはこの世から消えてなくなったりしないのよ。人間が本当に死ぬのは、覚えている人がいなくなった時だから。
夜桜の下で、茉莉は長い間そうして成瀬を慰め続けたのだった。
/
夜桜の下で抱き締め合ってから、二週間が経過した。
その間、一度も茉莉に顔を見せることはなくて、むしろ……。
「最近、あの子犬くん来ないわね。茉莉、ケンカでもしたの?」
「……ケンカしてると言うより、現在進行形でケンカを売られてる感じよ」
そう、彼は今までのアプローチはどこへやら。私をむしろ避けるようになった。
カフェテリアで出くわしても声をかけるどころか目をそらされるし、道端で私の姿を見かけると一目散に逃げていく。
あの夜に、少しは近づいたハズの彼は、今まで以上に離れていってしまっていた。
あの夜は一体なんだったのか。どうして避けられなければいけないのか、さっぱり理由が分からない。
「あ、」
「あら」
校舎を出た丁度その時、成瀬とばったり出くわした。
引き止めようとするな否や一目散に駆け出した彼に、ついに茉莉はキレた。
……正直に言えば、私は人に嫌われ慣れていない。
小さい頃から蝶よ花よと育てられていたし成績も優秀だったし周囲からの人望も厚かった。
だから、こんなに激しく人に拒絶されたことはなく、その上避けられる理由すら分からないのに拒絶されて、いい加減腹が立っているのだ。
「っ、待ちなさい!!」
校舎外なのを良いことに、茉莉は全力で、逃げる成瀬を追いかけた。こう見えても運動神経はいいのだ。
「成瀬裕太郎!止まりなさいっ!!」
逃げた方向はいつかと同じカフェテラス。
大声を張り上げれば何だ何だと人の視線が集まってくる。
これじゃあ、追いかける方と追われる方がまるっきり逆じゃないかと思いつつ。ふと何故私は成瀬を追いかけているんだろうという疑問にたどり着いた。
確かに迷惑していたはずなのにどうして、と。
さすがに周囲の視線に気まずさを感じたのか、成瀬がようやく立ち止まった。
「…なんで逃げるのよ」
そんな疑問はあと回しだととりあえず目の前の男を責める。前に会ったときより顔色は良くなっていて、そんなことに少し安心した。
「に……逃げて、なんか」
「これが逃げじゃなくてなんだって言うのよ!!」
ガンッ、と花の咲く花壇の壁をヒールのつま先で蹴ると、成瀬はびくりと体を震わせた。
「すっ、すみませんっ逃げてましたぁ!」
「だから私は、それが何でかって聞いてるのよ」
日本語通じてます?と剣呑な目つきで睨めば、成瀬はグチグチと言う。
「だ、だって……なんか、恥ずかしくって……」
「恥ずかしい?」
「だって!カッコ良く遊園地でエスコートして、認めてもらおうって思ったのにっ!えっ……エスコートするどころか、あんなっ、泣いて喚いて、みっともないところばっか見られて……合わせる顔、なかったんですもんっ!」
顔を真っ赤にして涙目で叫ぶ彼が何だか可愛く見えて、そして、先程の疑問の答えにたどり着いた。
逃げられて追いかけたのは、嫌われ慣れてないからではない。ただ、構われないのがイヤなだけだったのだ。と。
すっかり私の日常の中には、こいつの存在が組み込まれていたということだ。
ドタキャンされたとき感じたものは。怒りと呆れと、そして悲しみ。
彼は私のことを好きなはずなのにどうして、という傲慢さえ含んだ自己満足。
そしてそれらの感情から導き出せる言葉は、一つしかないのだ。
私はこの小動物のような青年が可愛くて可愛くて、しょうがない。だから、つまりはそういうことなのだろう。
私は花壇に咲く花を、一本手折った。園芸サークルの人には、後で謝っておくことにしよう。
居たたまれない、と顔を真っ赤にして俯いている成瀬に、手折った花を押し付ける。
「受け取りなさい」
「えっ?何ですか、これ……チューリップ?」
手渡したのは、春定番のピンク色のチューリップ。
小柄で童顔の彼には大学生のくせにやけに似合っていて、思わず私の口元には笑みが浮かんだ。
「じゃあね」
そう言って、私は成瀬に背を向ける。えっ、え?と狼狽えて腑抜けた声を上げる成瀬の存在を背後に感じながらも、いち早くその意味に気づいたカフェテラスにいたどこかの客がヒューヒューと野次を飛ばしてきた。
その言葉に今の私の行動に何か意味があることを悟った成瀬は、焦った様子で私を追いかけてくる。
「えっ!?ちょ、ちょっと先輩!?これっ、どういう意味なんですか!」
「……そんなこと、自分で考えなさい」
分かるまで、来たら許さないからね。と言って、今度こそ歩き出す。
振り向かないのは、顔が赤いことを自覚しているからだ。
……ピンクのチューリップの花言葉は、『愛の告白』。
まあ、私の彼氏になるのなら、それくらい知っておいてくれなくちゃ困るわ。何せ、私は華道では名門の家柄ですもの。
……彼の気持ちはどうであれ、彼はあの花を私から受け取った。
春麗らか。桜も咲き、梅も香り、チューリップも咲いている。
だから恋の花が一つや二つ今更開いたところで、誰も気にもとめないだろう。
……この私から受け取ったんだもの。返却は、受け付けませんからね?
そう思った茉莉の顔にも、満開の笑顔が咲いていた。
END
いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんでいただけたら幸いです(*^o^*)