よん
二日後、いよいよ星空計画は完成へと向かっていた。
この二日間いろんなことがあった。
まず、生粋の文系少年少女である僕たち三人はサイン・コサイン・タンジェントとはなんだ、というところから始まった。もちろん、高校のカリキュラムは終えているので一度は授業でやったはずだった。
でも丸一年も数学に触れていないと本当に難しい。プテラに至っては分数の足し算引き算に苦戦していたくらいだ。まぁ、それは小学生からやり直さなければいけないほど重大な問題なのだが……。
計算がなんとか終わると、工作に戻った。そしてなぜか計算式がとんでもなく間違えていることに気がつき、また計算。
塗装作業の時は絵の具をこぼしまくって軽い惨事が起きた。
そんなことを繰り返していたら二日もかかってしまった。いや、厳密に言えば二日と半日だな。
それがとうとう完成した。小学生の時の組み体操より達成感はあった。
それからすぐにアリスの入院する病院へと連絡した。
どこに電話していいのか分からず、とりあえずインフォメーションに事情を説明した。今度はアリスを担当する医者に通されたところで、ようやく「他の患者に迷惑がかからないのならオーケー」ということで許可をもらうことが出来た。ついでに人があまりいない夜に来るように言われた。
担当医が堅物じゃなくてよかった、とほっと一息つく。
こういうのは先に病院に許可を取るべきだったな、とあとから反省してみるが結果オーライだったのでよしとする。
「それじゃ、」
僕が続きを言おうとすると、
「寝るか」
プテラが割り込んできた。
三人は互いの顔を見合わせると、その場に倒れ込んだ。
二日合わせても五時間くらいしか寝てないからね。
「あ、誰か目覚ましかけといてよ」
「もー、自分でやんなよ」
そう言いつつもきちんと準備をするみっちゃんはきっといい奥さんになると思う。旦那さんの方はあまりいいとは言えないけど。
僕はみっちゃんの厚意に思いっきり甘え、
「おやすみ」
そう言って少しばかりの眠りについた。
その日の午後七時半。僕は一人でアリスの病室の前に立っていた。
一人で来たというわけではなく、みっちゃんとプテラは人が居なさそうなところで別の作業をやってもらっている。
コンコン、少し控えめなノックをして部屋に入ると、カーテンの向こうに人影があった。
こちらに気がついたのだろう、僕が開けずともシャーという音を立てて僕と人影の間にあった布が取り払われた。
「どうしたの? こんな時間に」
「この間、星空を見せるって約束したでしょ?」
アリスは少しびっくりした顔を見せた。まさかそん話題が出るとは思っていなかったんだと思う。
「……うん」
「だから、さ。持ってきたんだ。星空を」
すると後ろから、騒がしい声がする。イテッだとか、もっとあっち行ってだとか、壁に何かこすりつける音だとか。
そうして部屋に入ってきた段ボールは少し歪だったけど、ちゃんと半球の形をしていた。
「なに? あれ」
「だから星空。小さな星空だよ」
そう、僕たちが作ったものはただの段ボールで出来たプラネタリウムだった。アリスを外に連れて行けない。だから僕は星空を持ってくることにした。
「二日もかかったんだよ」
みっちゃんが文句を垂れる。しかし表情は笑顔のままだ。
この段ボールを使ったドーム型プラネタリウムはこの間サイトでたまたま見つけたものだ。プラネタリウムを作るにも案外種類が多かった。映写機みたく壁に映すものもあったし、同じドームでも布に小さな穴を開けてさらに中に空気を入れて膨らませるというのもあった。東京ドームと同じ原理だ。
僕が段ボールを選んだ理由は低コストでコンパクト(といっても半径一メートル高さ一メートルはある)だったからだ。映写機を作るお金はないし、まさか病室で電力を使ってドームを膨らませるわけにも行かない。
だから段ボールを選んだのだが、これはこれで大変だった。
まず、段ボールを半球にするところから苦戦した。まぁ、厳密に言えば半“球”ではない。多角形だ。
平面の段ボールを切り貼りして、さらにサイトを見てもよく分からない角度計算をしてどうにかこうにか球っぽくした。見た目的には白と黒で出来たサッカーボールを半分に切ったような形だ。
見方はこうだ。半球の中に入って上を見上げればいい。半球の内側には黒い塗装がしてあり、綿密(笑)な角度計算と座標計算の元に空けられた数えるのも億劫になるほどの穴がある。
さすがに星全部を空けるのは大変なのでやらなかったけど、有名な正座はだいたい空けてる。
で、その穴に光が入ってきて中から見ると綺麗な星空が広がるわけだ。初めてにしてはなかなかの出来映えだと自負している。
ちなみに二人にやってもらったこととは、これの組み立てである。完成品を自宅からここまで持ってこようにもトラックでも無い限り無理だ。だから、いったんパーツごとに分解して電車で運び、改めてこちらで組み立てたのだ。
「これ考えたのってチヒロでしょ」
「そうだけど、なんで?」
「だってこんなこと言い出すのチヒロくらいでしょ」
アリスは何がツボだったのか肩を揺らしながら笑う。
「ホントヒドいよね。これが星空なんだってさ。しかも星空計画って名前なんだよ」
「それはプテラが決めろって言うから……」
プテラは人のせいにするなとか言ってるけど、ほとんどあいつのせいだよな、うん。
「じゃ、早く中入ってよ。持ってるから」
アリスをベッドから起き上がらせるわけにもいかないので、アリスには仰向けに寝てもらい、僕たちでプラネタリウムを覆うように持つことにした。
アリスの右側に僕とプテラ、左側にみっちゃん。だったけど、
「チヒロは中入れよ」
「そうだよ」
そう言われたら入るしかないので、アリスのベッドの右側に膝立ちで入ることにした。
ということで現在の構図は、左側みっちゃん、右側プテラ、中僕、となっている。
「おお」
アリスの顔はすぐに綻んだ。
僕はテストを含めて三回目だけど、かなり感動した。
「ねぇねぇ。あれって夏の大三角形でしょ?」
アリスがそう言って指した場所には綺麗な三角形ができあがっていた。今度は空が近いからすぐにどこを指しているのか理解できた。
それにうん、と答えると、次々に星座の名前を挙げていった。聞いてみるとあれ以来星に興味を持って入院中に本で勉強したらしい。
「あれが織姫と彦星。合ってる?」
いちいち僕に尋ねてくる辺りがかわいらしかった。
「彦星ってチヒロみたいだよね」
なんでと僕が尋ねる。
「だって、全然会いに来てくれなかったじゃん」
それを言われるといたたまれない気持ちになる。正直、会おうと思えば会いに来れたはずだ。僕の地元からこの病院まで急いでくれば二時間程度だ。お金だって二ヶ月も真面目にバイトすれば貯まってしまう。それなのに誰一人としてお見舞いに行こうという者はいなかった。仲が悪いとかではなく、ただ弱ってしまったアリスを見たくないという身勝手な理由だ。
だから、
「……ごめん」
また謝る。前と同じように。
「もー、ごめんじゃ済まないよ。もう三回分会ってないんだよ? それに昨日も一昨日も来てくれなかったし……」
アリスにしてみればとても不安だったのかもしれない。突然訳の分からない、果たせるかどうか分からない約束を結ばれ、二日間も会っていないのだ。逃げたと思われても不思議ではない。
だから僕はこれから出来るだけアリスと居ようと思う。
するとアリスは唐突に、
「あの島に比べたら全然だね」
なんてあっさりと禁句を言ってしまう。
それに対しみっちゃんはコラーと言って段ボールを外からバンバン叩く。うるさい。
でも、アリスはそこで言葉を詰まらせた。
よく見るとアリスの表情が歪んできてる。それからポロポロと綺麗な雫をベッドの上に落とした。そして声を震わせながら。
「こんな、綺麗な星空、初めて見た。最期に、見れて、よかった。本当に……よかった」
「最期ってなんだよ。まるで死んじゃうみたいじゃん」
プテラのその一言は場を凍り付かせた。
次にアリスの口から紡ぎ出された言葉は、
「死んじゃうんだよ。あと一年で」
氷雨のようにとても冷たかった。