殿下の好きな人(アルト視点)
妙な汗が出る俺とは裏腹に、殿下はゆっくりとこちらを向くと清々しい笑みを浮かべた。
「まさか。素晴らしい女性だが…『唯一の跡継ぎ』を、王家に差し出せなどと言えるわけがないだろう? 幼い頃から時折顔を合わせるが…互いに自分の立場を弁えている。だから深くは関わろうとしていないんだ。」
その言葉を聞いて、俺はなぜか「ホッ」と大きな息を吐き出してしまった。
「はぁ、なんだ……。びっくりさせないでくださいよ!あんな気にするから好きなのかと思ったじゃないっすか!!」
「好きなら、エレオノーラ嬢が君の口を押さえた時点で手を掴んで丁寧に洗っていたはずだ。」
「俺をばい菌みたいに…」
「ははっ、好いた相手に近づく男は不浄以外の何ものでもないだろう。それに、私の想い人は既にいるんだ」
「え?初耳なんですけど!」
興味津々で殿下の方へ近寄ると、珍しく居心地悪そうに視線を外す。そして指先で銀髪をさらりと弄んだ。その仕草は、年相応の少年のような羞恥を含んでいるように見えた。
「……昔から、聖女に憧れていてね」
「聖女? あの……王家に伝わる有名な物語の? 絵本にもなってますよね」
「ああ、そうだ。だがそれだけじゃない。王家には、表には出ない、直系だけに語り継がれる言い伝えがあってね」
殿下はふっと、椅子を俺の方へと引き寄せた。秘密を分かち合う親友にだけ許される距離感。俺も自然と声を潜め、彼が紡ぐ言葉を逃すまいと耳を傾ける。
「言い伝え……?」
「国王のもとに生まれた第一子が男児の場合、二十五歳になるまでに聖女が現れる。第一子が女児なら、勇者が現れる……とされているんだ。聖女なら国に癒しをもたらし、勇者なら混乱を平和に導く」
初めて聞く一族の秘事に、俺の胸は高鳴った。歴史の裏側に触れたような興奮。確か、現在の国王陛下には姉がいて…その人物は他国で戦争を終わらせた人物に嫁いだと聞いた。平和に導いた勇者と言われれば確実に勇者だ。
「私の幼い頃に亡くなった前国王はね、とても遊び人だったそうでね。侍女に片っ端から声をかけ手を出すような暴君だったらしい」
「え? あのお方が!?」
歴史では、国民の為の法律を多く作り、時代を変えた改革者だったのだけど…と頭の中が混乱してしまう。
「しかし、その祖父がね、悲しそうに言っていたんだ『聖女だけを愛したかった』と。笑ってしまうよね。当時、庶民に愛され『聖女』と呼ばれた祖母と結婚出来たものの、結婚前のだらしなさがトラブルを生み、相当揉めたそうだ。」
「なんて因果応報…」
「はははっ、そうなんだ。だから私は、この身を彼女に捧げる覚悟で聖女を待っているんだ。たくさんの女性を知る祖父を骨抜きにするほどの聖女だ。後悔はしたくない。」
少し照れくさそうに、けれどどこか誇らしげに語る殿下の瞳は、いつになく澄んでいた。
地位や権力にまみれた政略結婚が当たり前の世界で、彼はたった一人、まだ見ぬ運命の相手を信じて、己を律し続けてきたのだ。その純粋すぎるほどの思想に、俺は心の底から熱いものがこみ上げるのを感じた。
「凄いっすよ、殿下!! 冗談抜きで今まで以上に尊敬しました! カッコよすぎますよ……。男のロマン、詰め込みすぎじゃないっすか!」
感極まった俺が、なりふり構わず拳を突き出して称賛すると、殿下は吹き出すように笑った。一人の青年の心からの笑顔。
「ははっ。……全く、そう言ってこんな『おとぎ話』に全力で感動してくれる君だから、私は君を一番近くに置いているんだよ」
殿下の手が俺の肩に置かれ、ぽんぽんと親しげに叩かれる。
こういう時間は、俺達に立場を忘れさせてくれる、ただの友人として笑いあえている。




