唇の感覚にドキドキ
「あぁ、お貴族様は家同士の契約に使われ、好きなお方と結ばれないなんてお可哀想に。もし、ご婚約に至っても、御心はこのエリザにあることでしょう。まぁ、ご婚約出来たらのお話ですが」
「まぁ!」
なんて事でしょう!
このエリザさんは、私という家格の上の者から婚約者(候補)を奪う事に優越感を抱いているのではなかろうか!!これは私からの打診が2人のスパイスとなり、一気に進展してゆくパターンではありませんか!?
私は、計画を練る前に既に順調だ!という状況を理解して嬉しくなり、テーブルの下でサティの手をパチパチ叩く。
「そうなのですね。それはそれは…」
「うふふっ、この指輪も、そのお方に貰ったものよ。『愛しているのは君だけなんだ、婚約を受けてほしい』と。はぁ~私も長く待たせてしまってますわ。そろそろ答えてあげなくては可哀想よね」
多分だけど…伯爵家長男をキープしていたのだろう。
商家の娘が伯爵家長男をキープするなんていい度胸をしている。どこまで高みを目指していたのだろう…。と思わなくもないけれど、まぁ…十中八九…ラインハルト殿下だろうな…と思う。
でもですね?そのキープを本命に変える時が来たのですよ?エリザさん。
だから更なるスパイスとして少し傷ついたように視線を下げた。
「まぁ、そうでしたのね。それは素晴らしいですね」
「ご婚約叶わず嘆かわしいことですわ。まさか爵位もない商家の娘に取られるなど」
「あらあら、なんてことでしょう。私のほうが家格は上だというのに、家格よりも愛する人を取るというのね」
私は適度に合いの手を入れてみる。
若干カタコトだけど仕方ない。演技はそこまで慣れていないのだ。
すると、温かく見守っていたエリザの自慢を遮るように、目の前に割って入る人物…その背中が見えた。
「エリザ嬢、そこまでにしておけ」
割り込んできたのは、つい先ほどまで「モテたい」駄々をこねる子供のように騒いでいたアルト様。
彼はいつになく真剣な表情で、まるで盾のように私の前に立ちはだかっている。その背中は、私にとって誰よりも凛々しく格好良く映ってしまう。
「あら、アルト様? 弟君の貴方まで、お兄様の代わりに私を口説きにいらしたのかしら?」
エリザさんが手で口元を隠し、勝ち誇ったように笑う。
だが、アルト様は一歩も引かなかった。
「勘違いするな。今君がしていることは、極めて危険な行為だ。エレオノーラ様は侯爵家のご令嬢。対して君は商家の娘。いくら学園内が平等とはいえ、悪意を持って上位貴族を侮辱し、名誉を傷つける言動は、商会の取り潰しや国外追放にも相当する重罪になり得るんだぞ。君のその無知な発言一つで、君の両親が積み上げてきた商売が、一夜にして露と消える可能性を考えたことはないのか?」
……あ、まずい。
アルト様のお説教スイッチが入ってしまった。
彼は一度正論を語りだすと、徹底的に論破してしまう悪癖がある。そういうところも女性にモテないポイントだ。「結婚したら、毎日正論でボコボコにされそう」と想像するのだよ女性は。
そして、その正論パンチで今ボコボコにされかけているエリザの顔がみるみる青ざめていく。
「そ、それは……私はただ、真実を……」
「そもそも、兄上との話だって、正式な婚約前であればそれはただの『不敬な密会』と取られる可能性だってあるんだ。さらに言えば…」
「アルト様、アルト様。そこまでにしましょう?」
私は慌てて立ち上がり、アルト様の背後からその口を両手で「むぎゅっ」と塞いだ。彼は長身とまではいかない背丈だから止めやすくて良かった。
「む、むごっ……!? もごももも?」
「まぁまぁ、アルト様。落ち着いてくださいな。エリザ様も、少しばかりお話に花が咲きすぎてしまっただけです。ここは学園。貴族の階級に縛られず交流し、社会を広げる場所ですもの。少し緩んでしまうのも仕方ありません」
私はアルトの背中に寄り添うような形で、彼をなだめる。
手のひらに伝わる彼の唇の感触に少しだけ心臓が跳ねたけれど、今はそれどころではない。
このまま彼に喋らせ続けたら、エリザの恐怖心によって長男との縁談意欲が台無しになってしまう。
「ほら、エリザ様も顔色が真っ青ですわ。アルト様はとても真面目なお方だから、つい大袈裟に心配してしまったのね。ね? アルト様?」
私はアルト様の口を押さえたまま、耳元で「ね?」と改めて囁いた。彼は目を丸くして固まり、そのまま耳まで真っ赤にして大人しくなる。
「エリザ様。貴族と言えども、愛の強さは知っております。もし、彼が私という権力ではなく、貴方への愛を貫くのでしたら清く身を引きますわ。貴方を選んだら、ですが。」
私がにっこりと微笑むと、エリザは「ふんっ、私が選ばれる事は決まっているわ!」と逃げるように去っていった。
嵐は去った!!
私はようやく、アルト様の口から手を離すことが出来た。
「……エレオノーラ様、いくらなんでも近すぎ…て。その、それに、あんな女の言うことを許してはいけません。」
アルトは顔を背けながら、ぶつぶつと文句を言う。
でも、その赤くなった耳が可愛らしくて仕方ない。
「ありがとうございます、アルト様。私のために怒ってくださって。でも、恋というのは誰しも熱くなってしまうものですわ」
「恋などに盲目になって他人を攻撃しては身を滅ぼします…!」
どーどー、となだめながらアルト様の可愛いお顔を見ていると、何やら奥の方からキラキラしたオーラが近づいてくる。
「地獄耳の側近がすっ飛んでいったかと思えば、君の所だったんだね」
聞き惚れるほど艶やかな声と共に、ラインハルト殿下が歩み寄ってきた。
「殿下、ごきげんよう。お見苦しいところをお見せいたしましたわ」
私は淑女として完璧な作法で殿下へ挨拶をする。
殿下の神々しいオーラに中てられることもなく、平然と、事務的で完璧な作法を貫く私は彼にとって珍しいだろう。私を見るラインハルト殿下の口角が愉快そうに上がった。
「さて、アルト。そろそろ午後の授業が始まる。エレオノーラ嬢をあまり困らせないうちに、戻るとしようか」
「困らせてたのはエリザ嬢の方で……! ああっ、殿下、待ってください!」
慌てて殿下の後を追うアルト様。
去り際、彼は一瞬だけこちらを振り返り、気まずそうに「……失礼します」と短く頭を下げた。
その一瞬の視線の交差だけで、私の心臓はうるさいほど跳ね上がる。
私は、掌を眺めドキドキとする気持ちを抑えきれずにいた。彼の思っていたよりも柔らかい口、それを押さえた掌が熱くてムズムズと嬉しい気持ちが溢れる。
この掌に、もし、己の唇を押し当てたとしたら?
か、
か、か、
間接的キッッッスなわけで!
あぁ、ダメよはしたない。
でも…
今日は手を洗う決心がつくのか心配。その手をふわりと自分の手で握りしめて改めて決意を固める。
「…計画が終了すれば、改めてアルト様に縁談のお話ができる。」
嵐の去ったその場所で、私は一人、熱を持った頬を冷ますように溜息をついた。




