傷の手当て
鳥の襲撃に遭い、アルト様が慌てて去っていった後。
私は一度、学園の医務室へと足を運んでいた。
鳥に襲われた際、指先に小さなひっかき傷ができていたから。もしあの鳥が妙な感染症でも持っていたらいけない。淑女たるもの、健康管理も大切だ。
「……これで安心ね」
先生に消毒を終えてもらうと、私はふと、アルト様の事を思う。
私を庇ってくれたあの時、アルト様は素手で鳥を追い払っていた。私よりも深く傷ついてしまったかもしれない。
「それに、アルト様とまたお話できるチャンス…よね」
私は医務室の先生にお願いして、持ち運びができる簡易的な薬箱を借りた。消毒液と清潔な布、そして塗り薬が入った小さな箱。これを抱えて、私はアルト様がいそうな場所へと向かった。
しばらくして、校舎裏の広場で学園の警備兵たちと深刻な面持ちで話し合っているアルト様の姿を見つけた。
私が近づくと、アルト様はチラリとこちらに気がつき、目が合う。
「あっ」
そう思った瞬間。
アルト様は、まるで弾かれたようにさっと視線を逸らした。そのまま、何事もなかったかのように警備兵との会話に戻ってしまう。
???
……きっと、彼は公務の真っ最中だから…?ラインハルト殿下の側近候補として、私情を差し挟まずに仕事に専念しているだけ。そう自分に言い聞かせ、私は会話の区切りがつくのを待った。
警備兵たちが散っていき、彼が一人になったタイミングで、私はそっと歩み寄る。
「アルト様、お忙しいところ失礼いたします」
声をかけると、アルト様はビクリと肩を揺らした。ゆっくりと振り返った彼の表情は、先ほどまでの真面目な仕事の顔ではなく、どこか気まずそうに揺れている。
「……何か?」
「医務室の先生に傷を診ていただいて来たのですが、アルト様もお怪我をしていないかと思いまして。…少しだけ、見せていただけますか?」
私は彼の返事を待たず、その大きな手を取った。
案の定、彼の手の甲にはうっすらと赤い筋がついている。鳥の爪がかすめたのであろう、痛々しい。
「……っ!」
アルト様が息を呑み、手を引こうとする。
私はそれを許さず、借りてきた薬箱から消毒綿を取り出した。
「医務室の先生の真似事ですが、手当をさせてください。私を助けてくださった時の傷でしょう?」
「……こんなの、放っておけば治ります。」
「いけません。変な病気など持っていたら嫌ですから。お仕事に障ります」
私は丁寧に、彼の傷口を拭っていく。
塗り薬を薄く伸ばし、最後に清潔な布を巻く。その間、アルト様は一度も口を開かなかった。ただ、疑い深く私を見る視線と、頭上から彼が呼吸を整えている音だけが聞こえる。そんなに私の手当てが危なっかしいのだろうか?
「……できました。」
手当てを終え、私が顔を上げて微笑むと、彼は呆然とした顔で私を見下ろしている。
「薬箱を返してまいりますね」
それだけ告げると、アルト様の声がようやく聞こえた。
「……感謝します」
「ふふっ、感謝するのは私の方です…ええと、その…ですね」
そう言ってから、言うか言わないか悩んだ末に言うことにする。
「とても、かっこよかったです。アルト様」
多分、赤くなっているであろう顔を隠すように俯きながら。でも、このひと言を発することが出来た自分を褒めたい。私は「それでは失礼いたします」と震えながら言うと、背中を向けて歩き出した…
「エレオノーラ様…少しよろしいですか?」
予想外に私を引き止める声に、私は赤くなる頬を手で隠しながら振り返る。アルト様の目を見ると、鳥から守るために上着の中で抱き寄せてくれた事を思い出し…恥ずかしい。
「はい、なんでしょうか?」
精一杯そう返すと、アルト様は視線を私に向けた後…すぐに逸らす。その仕草は褒められて照れているようには見えない。何か深刻な事に悩むような?…そんな雰囲気を感じる。それでも彼は、とても言いにくそうに言葉を続けてくれる。
「……鳥の件もあります。寮の部屋まで送りましょう」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内はキラキラとした希望で埋めつくされた。




