廊下に落ちている
僕は青井誠司。
この町で生まれ、育った。
子供の頃から物事に熱中するタイプで、小学生の時はプラモデル造りに熱中した。綺麗に組み立てるだけでは飽き足らず、塗装まで熱心にやった。
中学になるとギターに熱中した。楽譜を弾くだけでは飽き足らず、作詞、作曲まで勉強した。
運動も嫌いではなかった。
中学で急に身長が伸びたので、高校時代はバレーをやっていた。背の高さは有利だったが、そこまで優秀な選手ではなかったかもしれない。高校時代は勝ったり負けたりだった。
バレーは高校で辞めた。
大学ではロボット工学を学び、今の会社の研究開発部門に就職できた。研究者としての生活は、自分に合っているようだ。徹夜が続いて家に帰ることが出来なくても、苦にならなかった。
この町で育ったのだ。当然、「鬼切神社」のことは、知っている。知っているどころか、毎年、我が家の初詣は「鬼切神社」だった。
「鬼切神社」には、昔々、この辺りの山に巣くっていた鬼たちを源頼信という武将が退治したという伝説がある。鬼を斬るで「鬼斬り神社」と呼ばれていたものが、「鬼切神社」になった。
だけど、鬼退治と言えば、源頼信ではなく、源頼光だと思う。頼光は頼信の兄で、大江山の酒呑童子を討伐したことで有名な武将だ。
高校受験も大学受験も、「鬼切神社」で合格祈願をした。
縁結びの神様で有名だったけど。
縁結びと言えば、神社の御御籤に振り回されたような気がする。
ここの御御籤、ちょっと変わっているので、神社にお参りした際、御御籤を買うことにしている。よく当たると評判だったが、よく当たるどころか占い師の占いのようなのだ。
年頃になって恋愛運が気になるようになると、御御籤を買って恋愛運を確かめた。高校から大学にかけて、何人か彼女が出来たのだが、毎度、神社にお参りして、御御籤を買うと、恋愛のところに味噌クソに書かれているのだ。
――性悪。止めておけ。
と書かれていたことがあった。確かに、その子には二股をかけられた。性悪な女の子だった。
――長続きはしない。
というのもあった。夏休みに会わなかったら、自然消滅してしまった。
彼女がいない時は、
――心配するな。運命の女性ときっと会える
と励まされた。
当然、恋愛運以外にも待ち人が気になった。そこには、
――現れず。暫し、辛抱を。
と、これは毎回、ずっと同じことが書かれている。毎度、御御籤を引く度に、またかと思ったものだ。
大学は県下の国立大学に進学し、一度、町を離れたのだが、地元の企業に就職し、町に戻って来た。流石に、いい歳こいて実家に居候は嫌だったので、会社の近くのマンションを借りて住んだ。とは言え、仕事がとにかく忙しくて、マンションの自分の部屋に帰ることなど稀だった。実家に帰って飯を食わせてもらい、ひと眠りしてから会社に来るといったことがよくあった。
「家賃が勿体ない。安くないのに」と母が愚痴っている。それでも、実家に帰ってこいとは言わない。父との二人の生活を楽しんでいるようだ。
職場の先輩から「うちの部署にいると婚期を逃してしまうぞ。まだまだ若いと思っているのかもしれないけど、良い人がいたら、とっとと結婚しておけよ」と言われる。実際、先輩は独身だ。
そう言われると、気になった。社会人になってから、彼女がいなかった。実際、彼女をつくっている時間がなかった。
「青井君は大丈夫よ~モテるから」と職場の女性職員が言ってくれる。
彼女は既婚者。「会社で青井君を狙っている子、結構、多いのよ」と教えてくれた。
いずれ職場結婚するのだろうと思っているが、今一つ、乗り気になれないでいるのは、例の「鬼切神社」の御御籤があるからだ。
御御籤が言っている。「もう少し、待て」と。
今年の初詣は、何時も通り、両親と共に「鬼切神社」に詣でた。
お参りの後、御御籤を引くと、今年は「大吉」だった。だが、運勢よりも気になるのは、恋愛と待ち人だ。
待ち人のところに、こうあった。
――廊下に落ちている。
どういうことだ? 待ち人が廊下に落ちているって。意味不明だが、ここの御御籤、侮れない。次に恋愛のところを見た。
――隣のしばふ。
と書いてあった。隣の芝生は青いってか――と思った。こちらも意味不明だった。だけど、何時もと違う内容だ。
運勢が「大吉」だったから、御御籤を取っておいた。
そんなある日、空き部屋だったマンションのお隣さんに住人が引っ越して来た様子だった。ドアノブに引っ越し挨拶なのだろう、手土産が掛けてあった。
暫く、家に帰って来なかったからなあ~挨拶に来てくれたんだろうけど、悪いことしたなと思ったが、そのまま忘れてしまった。
そして、あの日が来た。
仕事を終えてマンションに戻ると、廊下に若い女性が倒れていた。
――うわっ!大変だ。
と思った。救急車を呼ばなければと思ったが、先ずは母に電話をかけた。母は近所の病院で看護師長を勤めている。
「脈を確かめなさい」、「熱はない?」、「呼吸はしている?」と母から矢継ぎ早に指示が出された。そして、「救急車を呼んだ方が良いけど、救急車が到着する頃には、うちに着くから、車で運んだ方が早い。あなた。その人を抱えて、直ぐに来なさい。出来るわね」と言われた。
彼女を抱えて病院に急いだ。
彼女は軽かった。消えて無くなりそうで怖かった。
病院に到着すると母が待っていた。
「後は任せて、あなたは家に帰っていなさい」と母が言う。
「でも・・・」
「あなたに出来ることなんて、何もありません」
母にぴしゃりと言われた。
その通りだ。
マンションに戻って、廊下に置きっぱなしになっていた彼女の買い物を部屋で保管した。
明け方に、母からの電話で起こされた。
「お隣さん。貧血だったみたい。午前中に退院できそうだから、あなた、迎えに来なさい。会社、大丈夫?」
「大丈夫。スーパーフレックスだから」
「そう。じゃあ、よろしくね」
病院に彼女を迎えに行った。
良かった。元気そうだ。彼女を抱えた時の、あの柔らかさが両腕に蘇って来た。
「昨日はすみませんでした~!」と彼女が赤い顔をして言った。
「いえ。びっくりしました」と昨日のいきさつを語った。
そして、彼女が言った。
「私、芝と言います。名前が芙美なので、シバフって呼ばれています」
その言葉を聞いた時、頭の中で、「鬼切神社」の御御籤が鮮明に蘇った。
彼女が廊下に落ちていた待ち人だ。そして、隣のシバフさんだ。
どうやら、運命の女性に出会えたようだ。