走れ!
ハルヒが部活に顔を出さなくなった。
それも仕方がなかった。ハルヒはアベ・コーチがタクミにハラスメントを行っていると部の顧問に訴えたからだ。
アベ・コーチは顧問に呼ばれ、事実関係がはっきりするまでと、部活への参加を禁止させられてしまった。
タクミからも事情聴取が行われたようだった。
これにアベ・コーチを支持する部員が反発した。
「ハルヒがあることないこと、告げ口なんかするからだ」、「アベ・コーチは熱心なだけだ。ハラスメントなんてやっていない」、「単にハルヒがアベ・コーチを嫌いなだけだろう」
部内でハルヒへの批判が飛び交った。やがて、一部の人間の声が段々、大きくなり、陸上部を支配するようになった。
しかも悪いことに、タクミがアベ・コーチからハラスメントを受けてなどいないと、ハルヒの訴えを真っ向から否定した。
「あれは単なる激励だった」とタクミが部員の一人に漏らしたと言うのだ。
ハルヒは部員たちから総スカンを食い、浮いた存在となった。
「だから、止めろと言ったじゃないか」と言ってみても、後の祭りだった。
「お前も俺に係わるのは止めろ。お前には才能がある。陸上を続けてくれ」
そう言って、ハルヒは部活に顔を出さなくなった。
何時も二人、一緒だった。リョウタは途方に暮れた。どうしたらハルヒが陸上部に戻って来ることが出来るか、そればかり考えた。
考えに考えたが、分からなかった。
そんなある日、アベ・コーチが部員を集めて、「マラソン大会の参加者に欠員が出た。誰かエントリーするやつはいないか?」と聞いた。
欠員とはハルヒのことだ。
長距離部員は既に全員、エントリーしている。ハーフマラソンだったが、ニ十キロ以上走らなければならない。長距離部員以外は腰が引けた。
「まだ、時間はある。走ってみたいというやつがいたら、俺のところまで申し出てくれ」
アベ・コーチはそう言った。疑いが晴れ、前にも増して指導に力を入れているように見えた。
そこでリョウタは考えた。ハルヒの代わりにマラソン大会に出てみようかと。ハルヒの代わりにマラソン大会に参加したからと言って、ハルヒが戻って来る訳ではない。そんなことは分かっていた。だけど、何もできない自分が嫌だった。ハルヒの為に、何かできることはないか。それは、あいつの代わりにマラソン大会に参加することかもしれない――と思った。
帰り道、リョウタは神社に寄った。鬼切神社だ。子供の頃に、よくことでハルヒと遊んだ。鬼切神社の御御籤は当たると評判だ。
御御籤を買った。
悩みごとのとこを見ると、驚いたことに、
――走れ!
と、ただそれだけ書いてあった。
決心した。
――ハルヒの代わりに走ってみよう。
アベ・コーチのもとに申し込みに行った。マラソン大会に参加したいと言うと、アベ・コーチは驚いた。短距離選手であるリョウタにマラソン大会は向かない。リョウタは短距離選手として、既に十分な実績を上げている。今更、マラソン大会に参加する理由が無かった。
「ハルヒの代わりに、何かしてあげたいのです」と伝えると、アベ・コーチは「そうか。リョウタはハルヒと仲が良かったからな。リョウタ。ハルヒに陸上部に戻って来るよう説得してくれないか」と意外なことを言った。
「ハルヒが戻って来ても良いんですか⁉」
「勿論だ。ハルヒが言ったことは、あながち間違いではない。タクミには少し、きつく当たり過ぎたかもしれない。あいつを見ていると、学生時代の自分を思い出すんだ」
「学生時代のコーチを?」
「人はそれぞれ、体が出来上がる時期が異なる。リョウタのように高校生で既に体が出来上がっていて、凄い成績を出す選手もいれば、大学生になってから体が出来上がって成績が上がる選手もいる。俺はな。大学で体が出来上がったタイプで、高校の時はタクミみたいな選手だった」
「そうなのですか」
「だから、タクミを見ていると、つい歯がゆくなって、やり過ぎてしまう。本当は駄目なんだけどな、特定の部員に肩入れしては。タクミには言ってあるんだ。お前はまだ体が出来上がっていないだけだ。これから伸びるってな。ハルヒが誤解したのも無理はないと思っている」
「コーチはハルヒが戻って来て平気なのですか?」
「平気も何も、あいつもタクミと一緒で、まだ体が出来ていないだけだ。これから伸びる可能性を秘めている。だから、今、走るのを止めて欲しくないんだ」
「でも――」とハルヒが部内で浮いてしまっていることを説明した。
「大丈夫だ。俺が楯になる。ハルヒを守る。俺がいない時は、お前が楯になれ。ハルヒの親友だろう?」
アベ・コーチの言葉にリョウタは「はい!」と力強く頷いた。
ハルヒに会いに行った。
「アベ・コーチが陸上部に戻って来いと言っているぞ」とアベ・コーチとの会話をハルヒに伝えた。ハルヒは黙って聞いていたが、リョウタの話が終わると、ぽつりと「無理だよ」と言った。
「何が無理なんだ」
「今更、どうにもならないよ」
「部員のことか? あいつらに無視されたって、いいじゃないか。俺がいる」
「違うよ。俺、もう走ることに興味が無くなってしまったんだ」
「えっ!」リョウタは絶句した。
ハルヒの言葉は予想していなかった。
「俺、勉強を頑張る。受験して、大学に受かってみせる」
「・・・」リョウタには、もうハルヒを説得する言葉が残っていなかった。「じゃあな」とハルヒに分かれを告げる時、「俺、マラソン大会、走るわ」と伝えた。
「短距離のお前が、何でマラソンを走るんだ! 止めろ。故障でもしたら、どうするんだ? お前、スポーツ推薦で進学が決まっているのに」とハルヒに責められたが、リョウタは無言だった。
マラソン大会がやって来た。
リョウタは走った。
理由なんかない。ハルヒが走らないのなら、俺が代わりに走る。それだけだ。短距離が専門のリョウタに長距離は向かない。そんなこと、自分でもよく分かっていた。だが、どこまで出来るのか試してみたかった。
リョウタはもともと運動能力が高い。
トップ争いは出来なくても、そこそこついて行くことが出来た。
だが、三分の一を走った辺りで、息が上がって来た。短距離走者のリョウタに、マラソンを走り切る持久力なんて無かった。
――ああ~やっぱりダメだな。
と思った時、「どうした!偉そうなことを言っておいて、もうギブアップなのか‼」と声がした。
ハルヒだった。
沿道をハルヒが走っていた。リョウタと並走しながら、「しっかりしろ!」とリョウタに叫んでいた。
「ハルヒか。俺の勇姿を見に来てくれたんだ」
「どこが勇姿だ。顎が上がっているぞ。みっともない」
「俺はスプリンターだ。マラソンは向かない」
「だったら、俺の代わりに走ろうなんて思うな!」
「別にお前の代わりに走っている訳じゃない。子供の頃に言っただろう。俺、お前の為に走ったりなんかしないって」
嘘だ。リョウタはハルヒの為に走っている。ハルヒだって、ちゃんと分かっている。
「――だったな。でも、走れ! リョウタ」
「走れメロスみたいに言うな! ちきしょう! 俺、負けるな‼」
リョウタとハルヒは、二人並んで走り続けた。
リョウタが音を上げそうになると、ハルヒが励ました。リョウタはふらふらになりながらマラソンを完走した。
そして、ハルヒは陸上部に戻った。
「走れメロス」のような作品をやりたい~と頭を捻った作品。だけど難しかった。やっぱり太宰治は偉大だった。