夏祭り
夏休みに入る少し前に夏祭りがある。この界隈の中学生は大抵は参加する。だから、誰にも見られない場所を必死に調べ、リストアップして手紙で提案した。地元人の中でも知る人ぞ知る隠れスポットだ。海沿いにある小さな公園はほとんど人がいない。店で何か食べ物を買いたい人にとっては遠いというのもあるし、近所の人以外には知られていないということもあり、誰もいなかった。夏希はきっと彼氏と見に行くだろうから、ここならば会うことはない。夏希は露店をまわることを楽しみにしていたし、居住地は少し遠いから、ここに来ることはない。彼氏も違う地区に住む人間だということを調査済みだ。
なんでこんなに、緊張しているんだろう。なんでこんなに気合が入っているのだろう。私は浴衣を着て、下駄を履き何度も崩れていないかあらゆる角度から鏡をチェックする。かんざしは曲がっていないか。髪の毛はぼさぼさになっていないか。唇には赤い色のリップクリームを塗る。艶はばっちりだ。夜になれば見えないけれど、待ち合わせは夕方だ。日は長く、夕方5時はまだ明るい。いろいろ準備しすぎるそんな自分が恥ずかしい。でも、手を抜いたらなんだか後悔してしまいそうな気がする。浴衣に似合う巾着を持ってスタンバイ。気分はモデルのようにすっと姿勢よく立って待っている。知らない男性の視線を感じると、少し怖い反面、かわいく見えているかもしれないと淡い期待を持つ。
こちらの気合とは裏腹に、百戦錬磨がやってきた。時間通りだ。とは言っても、私が30分も前からずっと待っていたことは絶対に言えない。どんだけ気合入れてるんだよと呆れられ、ドン引きされてしまいそうな気がする。
彼はいつも通りのTシャツに黒いパンツスタイルで、相変わらず足が細くて長い。髪の毛は特に整えた様子もなく、私服姿。いつも通りに前髪が目にかかりそうでかからないような長さだった。祭り要素はゼロだ。改めて見るとやはりかっこいい。私服姿もとてもいい。
「おっす」
やっぱりがっかりしてるよね。スマホがないから、連絡できなかったという口実で夏希の代わりに来たという言い訳を何度も練習した。
「ごめーん。夏希、急に来れなくなったらしくて、錬磨君はスマホないから連絡できないでしょ。代わりに暇な私が伝言に来たんだ」
うまく言えただろうか。わざとらしくなかったよね。でも、この気合の入った浴衣は不自然だったかな。今更後悔する。
「伝言の割に、浴衣まで着て、存分に祭りを満喫する様子だな」
相変わらずテンションが低いツッコミだ。私の浴衣姿を見ても、表情一つ変わらない。とりあえず、自然に振舞おう。
でも、嫌がっている様子はない。私と一緒に花火を見ること自体に抵抗があるわけではなさそうだ。
「どうせなら、楽しまなきゃね」
「最後の夏だからな」
「そういう寂しいこと言わないでよ。でも、夏希じゃなくてがっかりした?」
「まぁ、がっかりしたな」
「ひっどいなぁ。そういうこと言うなんて、デリカシーがないと嫌われるよ」
「とっくに嫌われてるだろ。俺、みんなに怖がられているし、夏希さんにも好かれてるとも思えないし」
「でも、きっと本当の錬磨君を知ったら、絶対に嫌いにはならないよ」
「好きになるとは言わないんだな」
相変わらずテンションは低いが鋭いツッコミだ。
多分、百戦錬磨は頭の回転が速い。つまり、地頭がいいけれど、勉強をしていないだけなのだろう。もしくは、勉強ができない環境なのだろう。この変なモヤっとする感情は何だろうか。
「ごめんね。夏希、忙しいみたいで……」
「この夏を楽しめれば、俺は別に夏希さんでなくともかまわないけどな。同級生の誰と楽しい思い出ができれば誰でもいい」
「誰でもいいんだ……」
その言葉が妙に引っかかった。つまり、隣にいるのは私でなくともかまわない。その現実が突きつけられる。急に寂しいと悔しいと切ないという感情が混同する。害にはならない、でも、有益だとは思われていない。
もっと簡単に言うと、特別な人だとは思われていない。さらに言えば、好きという対象ではないということだ。こんなに色々してあげているのは私だ。それなのに、その他大勢と一緒ってどういうこと? 自分の中にふつふつと疑念が沸き上がる。彼に費やす時間が私にとって無駄だったということだろうか。いや、対価を求めてはいないはずだ。それなのに、彼の特別を求めていることに怒りすら感じる。
花火が打ちあがる。音は打ち上げ場所に近いので、大きく、声は大きくなければ相手に聞こえないくらいだ。目の前に大輪の花が何個も咲き誇る。色とりどりの花火は多くの人々を楽しませた後、一瞬で消失する。
「私は、もしかしたら花火みたいなものなのかもしれないな」
少し大きめな声で話しかける。
「どういう意味?」
「一瞬だけ楽しませて、一瞬で散る。ささやかな楽しみを与えるだけの存在。しいていえば、花火は生活になくても困らないでしょ」
「変な奴」
一瞬口角が上がるが、百戦錬磨の視線はずっと花火に釘付けで、私の方を見ようともしていなかった。彼の視線の先にあるものは――美しい花火で、つまり夏希だ。私のことなんて眼中にない。寂しさはまるで線香花火のようだ。一瞬だけ嬉しいけれど、一瞬で消える。まるではじめから何もなかったかのように――。彼と今日、この時間、この夏を過ごせることを幸せに思おう。彼が声をかけてくれた縁に感謝しよう。これは、友達のおかげだ。大して仲のいい友達もいない、学校での活躍ポイントがゼロの私。成績は下の上だろうか。親は失業して求職中。つまり、家族としての労働ポイントが減少している。結果的に今年度はかなりポイントは低いであろう。
「もし、私たちが勉強をすごーく頑張って、進学校に入ったりしたら、学生ポイントって上がるのかな?」
「まぁ、俺は進学しないけど、今、校内1位をとれば成績ポイントは高いだろうな」
「私、家族の労働ポイントも学校活躍ポイントもない状態なの。今から急に受賞するような功績を残せないし、何かするならば、成績を上げるしかないのかな。もし、錬磨君が成績が1位になったら、奨学金がでるんじゃない? 1位じゃなくても、上位5位以内だと加点はあるよね」
「そんな噂は聞いたことがある。でも、結構うちの中学校はレベルが高いぞ」
「勉強を頑張ることで、自分のためになるなら一緒に勉強しない? お金さえあれば、進学できるでしょ?」
「でも、俺の頭じゃ無理だと思うけどな」
大きな音が鳴り、空を見上げる。真っ赤な花火が円を描く。まるで炎が取り巻く渦だ。音は騒々しいが夏を感じる。この場所は喧騒から離れた場所だ。ただ、静かに夏風を感じる。時折吹く優しい風は夏の匂いを運ぶ。虫の鳴き声も聞こえる。夏が始まるような気がする音だ。この季節が大好きだ。大好きな季節に大好きな人と一緒にいる時間は幸せ以外の何者でもない。はじめて、本気で好きになった人。人間ポイントは低いけど、人間的にすごく魅力的な人。花火に夢中になる彼の顔を見上げる。視線に気づかないらしく、百戦錬磨の視線は花火に釘付けだ。どうせならば、私の浴衣に視線を向けてほしいと願ってしまう。
「あんたは変わっているな。俺のような人間と一緒に時間を共有しても無駄と思っていないみたいだ」
「無駄な時間なんて基本ないと思っているしね」
「俺は、見た目や評判がすこぶる悪い。そんな男と一緒にいてあんたは楽しいのか? メリットはないんじゃないか」
「きれいな花火を見れたのはメリットかな。でも、一人だと話す相手がいないしね。錬磨君って意外といい奴だって思うし。見た目は怖そうだけどね」
「小学生の頃、たしかに名前の如く百戦錬磨でケンカ三昧だったんだ。その辺の小学校の上級生に勝ち続け、中学生や高校生にも勝った。負けたとしても何度も挑んだ。最近、ケンカは辞めたんだけど、一度与えた印象は覆らない。全く人の印象というものは何とも言えないくらい変わらないもんだ」
腕組みしてため息をつく錬磨は相変わらず目つきは悪い。
「たしかに、花火はきれいっていう印象は変わらないね」
「ケンカと花火はだいぶ違う次元だけどな。まぁ、言っていることはあながち遠くないかもしれないな」
「なんとなく、祭りと言えば不良だよね。あんたの友達が来てるんじゃない?」
「友達いねーし」
「たしかにそうだね」
この人が学校内で親しくしている人はいないということを思い出す。話してみたら案外普通なのに、どうしてなんだろう。
「小学校の時は友達がいたんだよ。仲間がいて、みんなでケンカしてたんだ。でも、色々な理由で俺から遠ざかっていったんだ」
「色々な理由って?」
「家が金持ちで私立に行ったとか、転校したとか、親に言われて付き合わなくなったというのが多いかもしれないな。人間ポイントカードができた頃から、徐々に世間体とか体裁を気にするようになって、悪い人間とは付き合わなくなる風潮ができたんだ。小学生ならば取り戻すことができる。スタート地点はみんな一緒。一生人間ポイントに左右されるならば、従うしかない。それ次第で、お金がもらえるとか将来の年金も保証される。優等生にならざるおえないだろ」
「でも、私みたいに、真面目にしていても友達ができないし、全然だめな人間もいるよ」
「花火の色を見て見ろよ。赤、緑、青、黄色、オレンジ、もっとあるよな。それぞれが違う色でそれぞれがきれいだ。どれが一番きれいとかそういう話じゃない。本当はこの国もそうであるべきだと思うんだよ。つまり多様性だ。でも、決まったことには逆らえないから、みんな表向きは真面目に生きているふりをしている。まぁ昔から表向きは真面目に生きているふりをしていた人間の方が多いけどな」
「夏希がいるから何とか、クラスの輪に入ることができているんだ。だから、彼女は大事な友達なんだ」
「たしかに、彼女は何でもできるし、人望があるな」
「そして、男子にも人気があるんだよね」
「その通りだな」
「そうだ、夏希と撮った写真あげようか。私も写ってるけど。スマホないなら、プリントアウトしてくるね」
「そりゃありがたいな」
彼が喜ぶことができるだけで私はとても幸せだ。もっと夏希のことを教えてあげたいけれど、私が勝手に手紙を書いていることがバレてしまったら、がっかりさせてしまう。もうすこし、この距離でいよう。どうせ卒業したらそれっきりなんだから。
「今、少子化でしょ。だから、結婚したり、出産するとカードにポイントが加算されるらしいよ」
「俺には一生無縁だろうな。理想高いから」
「理想高いのかぁ。やっぱり、見た目がきれいな人が好きなの?」
ドキドキしながら横にいる彼の様子をみつめる。思わぬ瞬間に視線がぶつかる。ドキリとして、すぐに逸らす。下を見つめて頬を赤らめるが、きっと薄暗いから気づかれていないだろう。
「俺の理想は高いぞ。人間的評価ポイントが高い人間を好むから、まぁ両思いは無理ってことだ」
「この学校で言ったら、夏希は高いよね。ピアノのコンクールで受賞したり、書道で金賞受賞、読書感想文でも受賞。生徒会にも所属。これだけで、高校にも入るのに有利だよね」
「それなんだよな。俺が受験しても、学校評価がゼロだからなぁ。あと、俺が言ったのは人間的評価ポイントだぞ」
「人間的評価って……?」
「人間性ってこと」
人間性が高い人が好き? 意味がわかりにくい。
続けて提案をしてみる。
「私も、成績は悪い。でもさ、一緒に勉強しない?」
「でも、勉強が苦手同士が勉強しても教え合えないだろ」
「実は、私には頭がいい友達がいるんだよね」
にやりと勝利宣言をする。
「学年1位を取ったこともある成績優秀な桜葉君。生徒会長だよ。彼は私の幼稚園時代からの近所友達なんだ」
「でも、一緒にいるところみたことないけどな」
本当に友達なのかとじっと見つめられる。かなり疑われている?
「それは、中学生になってクラスが違うから。でも、時々会えば話す仲だから、きっと教えてくれるよ」
「俺が一緒じゃ断られるぞ」
「大丈夫。私、彼の幼稚園時代の黒歴史を握っているから、絶対に応じてくれる。私の部屋を勉強部屋にすれば、桜葉君も来やすい距離だしね」
力こぶを作ってみせる。