第七話-⑵「少女」
「……え?」
何度目かも分からない、素っ頓狂な声が口から溢れる。
そこに立っていたのは、俺の知り合いでも、ましてや友達なんかでもなく。
しかし、ただの他人と呼ぶにはほど遠い。
目が隠れるほど、深く被ったフード。
少し俯き気味の顔と、申し訳なさそうに縮こまる体。
隙間から見える、肩ほどまで伸びた白銀の髪。
……忘れられるはずがない。
俺から財布を盗んだ、アイツだ。
母さんがやたらと言い淀んでいた理由はそれか。
エマにも、ルーカスにも、俺の財布が盗まれたことについては言ってある。
その犯人がわざわざ家まで来ただなんて、そりゃ言いづらい。
しかし、来た理由はなんだ?
せっかく財布を盗めたのだから、そのまま逃げればいいものを。
というか、なぜ俺の家を知っている?
もしや、後をつけられたのか?
だとすれば、何のために?
……何がなんだかわからない。
呆然と彼女を見つめる。
何を言おうにも、形にすることができなかった。
十秒ほど、そんな時間が続く。
すると、彼女が突然、俺に何かを差し出した。
それは――。
「……財布?」
手に握られていたのは、俺から盗んだはずの、たんまりと金の入った財布。
……まさか、返してくれるのか?
……なぜ?
とりあえず金を受け取り、俺は考えを巡らせた。
その様子を、不思議そうに見つめる彼女。
しばらくそうしていると、俺に一つの予測が立った。
彼女は、俺が街の外に出てからのことを見ていたんじゃないだろうか。
それで、あんまりに可哀想になって金を返しに来たとか。
罪悪感に耐えられなくなった、というのもありそうだ。
それならば合点がいく。
というか、それ以外に理由が思い付かない。
咄嗟に考えたにしては、中々いい線をいっているんじゃないだろうか。
そんな俺の考えなど露知らず、彼女はじっと俺の顔を見つめていた。
怯えているような、恐れているような。
少なくとも、好意的な感じじゃない。
……しかし、無口な子だな。
一応、言葉を待っているんだが。
というか、もう彼女の用事は終わったはずじゃ……。
「えっと……まだ、何か?」
痺れを切らし、恐る恐る問いかける。
しかし、待てども待てども、相手に返事はない。
彼女はただ、申し訳なさそうに顔を俯かせるだけだった。
何か、おかしい。
彼女の様子がだ。
無視しているのとは、また少し違う。
フードで見えずともわかる、焦った顔だ。
口を開いては閉じてを繰り返している。
まるで、何かを喋ろうとしているような。
――まさか、コイツ。
「……喋れないのか?」
「……」
頭に浮かんだ、一つの問い。
彼女が、小さく頷いた。
……なるほど。
どうりで、そんな顔をするわけだ。
考えてみれば当然のことだ。
こんな子供が、小遣い欲しさに盗みなんて働くわけがない。
そうしなければ、生きられないのだ。
先天性の障害なのか、それとも喋れるだけの知識を持っていないのか。
どちらにせよ、この世界でまともに生きていくのは難しいだろう。
大人ならいざ知らず、こんな子供が就ける職なんてない。
盗むか、死ぬか。その二択だ。
きっと、彼女はずっと一人だったんだろう。
親がいたのなら、こんな風にはなるまい。
死んだのか、元からいないのか。
それで満足に生活もできず、盗みを繰り返していたんだ。
一度犯罪者になれば、顔はもちろん、姿すらも晒すことは出来ない。
街の外でも、中でも。
その格好の理由はそれだ。
俯き気味の顔も、縮めた体も、深く被ったフードも。
全て、人に見られないためだ。
……それは、どれだけ寂しいことなんだろう。
「……アラン。それが、例の子か?」
「うん」
いつの間にか隣に来ていたルーカスが、彼女を見つめた。
先の会話から大体の事情は分かったらしい。困ったように、眉を曲げていた。
そりゃ、盗んだ犯人がわざわざ家までよって来たら、誰だって混乱するだろう。
……この場合、彼女はどうするべきなんだろうか。
素直に警察にでも突き出すか?
だけど、それじゃあまりに殺生だ。
死ぬか盗むかの二択なら、誰だって後者を選ぶに決まってる。
だからと言って、そう軽々と見逃していいものじゃない。
そうしたって、彼女はまた盗みを繰り返すだけだ。
……しかし。
「……父さん。この子、俺の部屋に連れて行ってもいいかな。二人きりで、話がしたいんだ」
父さんがギョッとした目で俺を見つめる。
当然の反応だ。
一応は犯罪者である彼女と、自ら二人きりになろうとしているのだから。
「お願いだよ、父さん」
「いや、しかし……」
ルーカスが渋る。
膠着状態が、十数秒続いた。
じっと、ルーカスの顔をまじまじと見つめる。
しばらくして、ルーカスは大きくため息をついた。
「……わかったよ、二人で話してこい。ただし、何かあればすぐに俺を呼べよ」
「うん、わかった」
……何かある、か。
その心配は杞憂に終わりそうだ。
彼女の目に、抵抗の意思は感じられない。
何されたって構わない、そんな表情だ。
……一体、どんな人生を送れば、子供がこんな表情をするようになるのだろう。
「……いこう」
彼女の手を引き、俺の部屋へと足を向かわせる。
話は理解できたのか、彼女は素直に後をついてきた。
しかし、意図は分かっていないらしく、顔は困惑を浮かべている。
部屋につくと、彼女はキョロキョロと周りを見渡した。
怯えているわけじゃない。
ただ状況が飲み込めていないだけらしい。
しかし、よく落ち着けるな。
いくら子供だとは言え、物を盗んだ相手の部屋にいるんだぞ?
……生きるのを諦めているのかもしれないな。
精々、俺と同じほどしか生きていないだろうに。
こんな小さな子が、そこまで思い詰めるほどの人生。
想像を容易に絶する暮らしだったはずだ。
ふと、俺の頭が一つの考えが満たす。
平和な日本にいたからだろうか。
不思議と、俺はこう思っていた。
彼女を、どうにか助けたいと。
……さて。
どうしようか。
考えもなしに連れてきてしまった。
とりあえず、何か喋っておくか。
「……えっと、俺の言ってること、わかる?」
彼女が首を縦に振る。
やはり、言葉は理解できているらしい。
問題なのは言葉を喋れない原因の方だが……。
とりあえず、今はいいか。
「住む場所はある?」
今度は横に首を振った。
やはり、野宿やら何やらで日々を過ごしていたらしい。
知れば知るほど、悲惨な子だ。
「……両親は?」
分かりきっていながらも、一応聞いておく。
反応は想像の通りだった。
聞くのはここまでにしておこう。
他人から過去を探られるのは良い気分じゃないだろう。
無表情ではあるが、内心穏やかではないはずだ。
しかし、親も住処もなしか。
そんな状態で、彼女をどうすべきか。
……手詰まりだな。
逃がすだけじゃ意味がない。
次に俺以外に捕まれば、確実に憲兵に突き出される。
そうなれば、今度こそ処刑されるだろう。
子供とは言っても、確実に窃盗を繰り返す相手を、街に送り返すことはしないはずだ。
俺としても、それはなるべく避けておきたい。
しかし、ならばどうする?
彼女がまた盗みを繰り返さないような、普通の暮らしを送らせるには、どうしたら良い?
いや、普通とまではいかなくてもいい。
せめて、彼女のことを守ってくれる、親代わりの存在だけでも……。
……ダメだ、思いつかない。
「……フード、脱がないのか?見えづらいし、暑いだろ」
時刻は夕方に差し掛かったばかり。
季節は夏の真っ只中だ。
この時代、クーラーなんてものは無いから、部屋にはとんでもなく熱がこもる。
そんな厚着じゃ、熱中症で倒れてもおかしくない。
しかし、彼女は忙しなく視線を動かすばかりで、一向に脱ぐことはしなかった。
何か言いたげな視線だ。
まるで、顔を見られることを躊躇しているような。
まあ、別に無理にとることもないが。
何か事情があるんだろう。
他人の俺が、あまり不躾に人の内情を探るものじゃない。
――そう思った矢先、彼女が突然、意を決したように、大きく息を吐いた。
そして、俺の方を見て、一言。
「……おどろく、だめ」
……驚かないで、とでも言いたかったのだろうか。
いや、そんなことより。
喋った。彼女が、言葉を。
いや、様子からして、まだいくつか単語を言えるだけなんだろう。
会話ができるほど円熟はしていないらしい。
拙い発音がその証拠だ。
それでも、喋れないのとはわけが違う。
単に知識の問題なら、今の年齢からでも充分言語は覚えられるはずだ。
まあ、今それはいい。
気になるのは、その言葉の内容だ。
一体、何に驚くというのだろうか。
さっきからそんなことの連続で、もうすっかり麻痺している。
今さら何か起こったって、もう驚くことなんてない気がしているが。
と、そんなことを思ったのも束の間。
彼女が勢いよく、自分のフードを剥ぎ取った。
――あらわになる、彼女の顔。
白く透き通った髪に、少しだけ赤みがかった瞳。
場違いにも思える無造作にくくられた髪が、なぜだかよく似合って見えた。
顔はまるで作り物のようで、そこに感情の一切は見受けられない。
子供特有の幼げな顔に、淀みきった表情がどうにも似合わず、少し不気味にも見えた。
だが、俺の目には、そのどれもが映らなかった。
視界にあったのは、目の少し上、額の辺り。
髪でも隠せないほど盛り上がった、二つの突起。
俺の視線は、そこだった。
「……ツノ?」
恐る恐る、俺が一言。
彼女は、頷いた。
――ツノ。
そう、それはツノだった。
鬼の頭なんかについてる、あのツノだ。
少し前に、本で見た事がある。
純正な魔族の血統には、頭にツノが発現することがあると。
そのツノは、鈍い赤色をしており、手の平で覆えるほどのサイズらしい。
彼女に生えているものは、まさにそれだった。
「なっ……え?」
言葉が喉の奥に詰まってしまったみたいだ。
何を言おうにも、どうしても口に出せなかった。
僅かに漏れた言葉が、なんとも間抜けに繋がりを持つ。
……魔族。
彼女は、魔族なのだ。
俺達のように、血が繋がっているとかの次元じゃない。
親も、その親も、数世代に渡って。
元の種族からの、純粋な。
『魔族は、人を殺す化け物』
自分で言ったことが、今になって頭で反芻する。
――殺される。
そう思うも、体はピクリとも動かなかった。
だが、怯えからではない。むしろ、その真逆と言える。
魔族を目の前に、俺は安堵しきっていた。
その理由は、目の前の彼女にある。
オロオロと視線を忙しなく動かし、俺の方を見たかと思えば、また俯く。そんなことを繰り返していた。
怯えているのは、彼女の方だった。
「……大丈夫だよ。君をどうこうするつもりはないし、誰かに言ったりもしないから」
その一言で、彼女の視線はやっと落ち着きを見せた。
こんな彼女を見て、どうやって怯えろと言うのだろう。
魔族が人間に諭される。これじゃ、まるで立場が逆だ。
案外、魔族と人間の境目なんてあやふやなんじゃないのだろうか。
彼女を見ると、そんな考えが頭に浮かんだ。
「……だから、物を盗んだのか」
こくりと、彼女が頷く。
魔族が人間の世界で生きられるわけがない。
どこにいたって迫害の対象だ。
生きる方法は、人間に扮するしかない。
顔を隠し、姿を見せず。
普通に生きることなんて無理に等しい。
……一体、どうしたものか。
魔族となると、事態はもっとややこしくなる。
彼女が人間であったとしたら、たとえ匿ったとしても、俺が罪に問われることは無いだろう。
盗んだとは言え、被害も小さいし、子供のしたことだ。
しかし、魔族だと話はまるで違う。
良くて終身刑、悪ければ極刑ってことだろう。
似たような事例はいくつかある。
だが、その全てが、匿った側とその魔族の処刑ということで済まされている。
魔族を匿うということは、それほどに重い。
……しかし。
なぜ彼女は、フードを取ったのだろう。
確かに促したのは俺だが、最後は自分からという形だった。
魔族に対する風当たりの強さを知らないのだろうか?
いや、それはないか。
だったら、フードを外したあとあそこまで狼狽えた理由がつかない。
あれは、殺されるかもしれないという恐怖から来たものとみて間違いないだろう。
……いや、今考えることでもないか。
するべきことは、彼女を助ける方法を模索することだ。
だが、そう簡単な話じゃない。
なんせ、彼女は魔族だ。恐怖の象徴なんだ。
まず、街の外はおろか、中でさえも出歩くことは難しい。
自分達が虐げられている原因なのだから、恨みつらみは必ずある。
誰も親代わりになんてなってくれないだろう。
……だとすれば。
方法はもう、一つだけだ。
「……なあ。もし、良かったらでいいんだけどさ――」