第七話-⑴「魔人」
長くなったので前後半で分けることにしました。
昼頃を少しばかり過ぎた、夕方にはまだ早い薄暮れ時。
部屋の扉を打ち付ける音が、二度響いた。
「……少しいいか?」
外から聞こえたのは、少しの憂いが混ざった、ルーカスの声。
ふと、昼間のことを思い出す。
――話したいことがある。
ルーカスは、確かにそう言っていた。
「……うん」
その言葉を合図に、扉は開き、ルーカスが顔を出す。
彼は俺の顔を見ると、申し訳なさそうに顔を沈ませ、部屋へ足を踏み入れた。
「そこ、座っていいよ」
ベッドの端に、指を差す。
できるだけ優しく、俺は言った。
「ああ……そうか」
言葉をいくつも飲み込んだように、ルーカスが応える。
それを最後に、部屋は沈黙で満たされた。
……こんなとき、普通の親子ならどんな会話をするんだろう。
物を片付けろだとか、掃除をしろとか、そんな小言だろうか。
だけど、俺達の間には、そのどれもが浮かんでこない。
理由はきっと、一つや二つじゃないだろう。
「……話って?」
雑談をする気にもなれず、いきなり本題へと言葉を差し込む。
ルーカスが、荒んだ顔で口を開いた。
「……街の外について、お前に話しておきたいことがある」
相変わらずの暗い顔つきで、ルーカスは答えた。
ヒュっと、喉の奥に息が詰まる。
「アランは、『マジン』という種族に聞き覚えはあるか?」
「……いや」
……どういう字を当てるのだろうか。
漫画やアニメのセオリー通りなら、やっぱり『魔人』か。
そのまま、魔の人間。
魔族と関係でもあるのだろうか。
……というか、何の話だ?
街の外についてのことじゃないのか?
「魔人というのは、魔族の血が混ざった人間……いわば、魔族と人のハーフのことだ。
特徴としては、一般人より魔力の保持率が高く、魔法の才がある。それと肉体も多少は強い。どれも魔族ほどじゃないがな。
つまりは、魔族のなりかけのようなものだ」
……ふむ。
魔族と人の子供か。
それはつまり、魔族と人が交配した、というわけか?
まあ、魔族も姿は人なんだから、そんなのが一定数いてもおかしくはないか。
しかし、ねえ。
なんとも苦労しそうな出生だな。
魔族は人を、人を魔族を疎む。
どちらにでもなり得るその魔人とやらは、どちらにも居場所はないだろう。
いや、差別対象になる可能性すらある。
魔族があれだけ嫌われているんだ、その血が混じっていると言うだけでも、普通の人達は嫌悪感を……。
――そう思って、ふと、街の外でのことを思い出した。
あそこで、俺に向けられた感情。
あれは、まさしく。
……嫌悪感?
「……まさか」
頭に、一つの考えがよぎる。
滅茶苦茶で、支離滅裂で、何より信じたくない、そんな考えが。
思い返せば、おかしなことだ。
殴られたことだけじゃない。向けられた視線だってそうだ。
誰一人、俺に同情をしていなかった。
見下し、気味を悪がり、蔑んでいたのだ。
目の前で子供が殴られているのに、そこまで嫌悪を抱けるものだろうか。
それも、余すことなく、全員がだ。
普通、一人や二人は、可哀想だとか思うはずだろう。
止めに入ったっておかしくない。
なのに、あの状況は、あまりに異常だ。
何か、大きな理由があるとしか思えない。
……それこそ、さっきルーカスが言っていたことのような。
「……気づいたみたいだな」
黙る俺から目を逸らし、ルーカスが呟く。
彼の表情は、柄にもなく重々しいものだった。
ルーカスの喉元が、少しの膨らみを見せる。
そして、彼は言葉を放った。
「……俺達は、魔人だ」
小さく、一言。
それだけで、俺とルーカスの時間は凍り付いた。
納得できるはずもない。
しかし、今までに起きた全ての現象がそれを肯定した。
あまりに突拍子もなく。
合点のいってしまう、そんな答えだった。
――しばしの静寂のあと、ルーカスが口を開いた。
「……思ったより、驚かないんだな」
……そう見えるだろうか。
いや、それもそうか。
この世界の住人は、魔族を何よりも嫌っている。
同じことを言われたときの衝撃は計り知れないはずだ。
それと比べれば、俺の反応は小さいんだろう。
なんせ、俺は魔族を嫌っていない。知らないからだ。
魔族が人にした残虐な事件は俺も知っている。
だけどそれは、ただの歴史としてだ。実際の場面を見たわけじゃない。
何より、そんなこと、魔族がいなくたっていくらでもある。
もっとも、それを知るのも、恐らく俺だけだが。
人と魔族でどう違うのか、俺にはわからない。
客観視すれば、どちらも同じことだ。
互いに憎しみで、冷静に見られていないだけで。
……だが。
ショックじゃない、わけがない。
俺一人そう考えていたって、世間の風当たりは変わらない。
殴られ、蹴られ、蔑まれた、あの街の外でのことは、確かな現実なんだ。
「……全く予想外ってわけじゃなかったからさ。人があそこまで嫌う相手なんて……魔族くらいだし」
口ではそう言っても、心に澱が溜まるのを、俺は確かに感じていた。
人が魔族に向けている、拷問すらも行える憎悪。
それが自分に向けられていると考えると、ただひたすらに恐ろしかった。
街の外だけじゃない。
全人類から、同じ目で見られているんだ。
……だが。
そこで、俺は一つ思い出した。
「……魔人でも、冒険者にはなれるの?」
俺の一言。
ルーカスは答えた。
「……ああ」
――そう。
冒険者だ。
ルーカスは言っていた。自分は魔道士であり、冒険者だと。
冒険者ギルドがあるのは中心都市だけ。つまり、人の住んでいる場所にしかないのだ。
さらに言えば、依頼を受けるにはギルドに寄る必要がある。
つまり、ルーカスは街の外に何度も行き来しているはずなのだ。
事実、俺が二歳ほどの頃は、ルーカスは度々街の外へ出向いていた。
あれは、依頼を受けにいっていたということで良いだろう。
その矛盾は、一体どういうことなのか。
一呼吸おいて、ルーカスは話を始めた。
「……お前の言う通り、魔人でも冒険者にはなれる。だが、そう簡単じゃない。
厳しい試験を乗り越える必要がある」
――試験。
顔をしかめ、彼は語った。
その試験とやらを思い出しているんだろう。
ルーカスのそんな表情を見るのは、初めてのことだった。
彼の説明はこうだった。
魔人が冒険者になるには、五年に一度だけ開かれる、とある『試験』に合格する必要がある。
応募資格は、魔法が使えること。
それさえ満たしていれば、あとは指定された場所に向かうだけで、試験を受けることが可能になる。
その場所とは、この世で唯一、魔人の往来が許されている土地。
名を、『モロビア留置域』と言う。
そこに、ルーカスを初めとした魔人が集められた。
試験が始まったのは、その日の夜からだった。
まず最初に、数十のテストと体力測定が行われた。
冒険者たるもの、体力はもちろん、最低限の知識も必要になる。
その確認のためだ。
期間は、およそ一週間。
そこで、希望者の八割は落とされた。
次に、思想調査と精神鑑定のため、約二年もの間監禁生活を強いられる。
そこでの生活に自由はない。
ルーカスによれば、監獄よりずっと酷く、
大半のやつは、その二年を過ごすより、この街で一生を終える方を選ぶとのこと。
主観ではあるが、その説明に間違いはないと見ていい。
実際、そこで半分以上は自分から去ったという。
落とされた者も含めれば、脱落者の数は優に九割を越すだろう。
その時点で、数万人いた希望者は、およそ五人にまで減っていた。
そして、最後。
そこまでの試験を乗り越えた、彼らの実力を測るため、
国は、彼らの実戦投入に踏み切った。
ルーカスらを、戦争に参加させたのだ。
敵は魔族。期間は、その戦争が終わるまで。
生き延びられた者のみが、試験を合格できるということだ。
それからおよそ半年が経ち、その戦争は人側の勝利にて終わりを告げた。
魔人の中で生き残ったのは、ルーカスのみ。
他の四人は、戦争の最中に死亡した。
そして、ルーカスには見事、『人間』という名誉人種が与えられた。
ルーカスら魔人の功績は賞賛に値するもの、そう判断されたのだ。
晴れて、ルーカスは冒険者となれたのだ。
だが、ここで一つ、疑問が残る。
なぜ、ここまで人数を絞る必要があったのか、というものだ。
そもそもこの試験は、慢性的な冒険者の人員不足から脱却するという目的の元行われたはずだ。
たったの一人、魔人を冒険者にしたって、大した意味はない。
五人まで減らした挙句、実戦投入までさせた訳はなんなのか。
その理由は至極単純、この試験の真の目的がそこになかったからだ。
当然のことだが、この試験には多額の金がかかっている。
なのになぜ、こう何度も開くことができるのか。
それは、脱落者に借金を負わせていたからだ。
その額は、日本円にして約二千万。満足に働くこともできない彼らには、到底払いきれない額だ。
払い切れなかった者は奴隷になった。
この世界に、自己破産なんて概念は存在しない。
一度払えと言われれば、体を売ってでも払うしかないのだ。
もちろん、この試験の間、借金のことは誰にも知らされてなかった。
ルーカスがそのことを知ったのも、冒険者になったあと、独自に調査をしたからに過ぎない。
それは、今回だけに限らず、過去全ての試験でそうだったと考えていいだろう。
そうでなければ、誰も自分から辞めるはずがない。
国は、それを分かっていて、その情報を伝えなかったのだ。
つまり、最初から、それが目的だったわけだ。
先ほどルーカスも言ったように、魔人は人より強い。
万が一にも反乱が起きた場合、頭数が少なくとも、一国が滅ぶ可能性すらあり得る。
それを防ぐために、冒険者になれるなどと甘美な響きで魔人を誘い、奴隷にさせた。
そうすることで、反乱の可能性は消えるし、副産物として金の収集も行える。
それが、この試験を行った真の目的だ。
やはりと言うべきか、国は魔人を冒険者にするつもりなど無かったのだ。
いや、正確に言えば、どちらでも良かったんだろう。
合格者が出れば冒険者の数が増えるし、不合格者が出れば金が入る。
つまり、この試験をしていた訳とは、体のいい金儲けがしたかっただけだ。
思えば、希望することに金が必要ないのも罠だったんだろう。
門を広くすれば、金は勝手に入る。そんな目論見だ。
そして、ルーカス。
その狭き門をなんとか潜り抜け、冒険者となった、その年唯一の合格者。
彼には人権が与えられた。人間同様の権利を持ち、街の外も気軽に出向けるようになったのだ。
だが、普通の人間と同じように扱われるのかと聞かれれば、そうではない。
むしろ、さらに確たる隔たりができたと言っていい。
その理由は、胸に刻まれた烙印にある。
ルーカスが名誉人種となれたとき、同時に付けられた傷で、
人ではないということを示すためのものであり、
魔人であることを、確実に頭に植え付けるものだ。
「――これが、その烙印だ」
そう言って、彼は服をはだけさせ、胸の烙印をさらけ出す。
それは、例えるなら、焼きごてで刻まれたようなもので、
見ているだけで痛々しい、そんな傷だった。
「この話は誰にも言うな。お前だから話したんだ。言えば、俺もお前も終わりだ」
「……わかってるよ、父さん」
……そう、わかっていた。
わかっていたのだ。
魔人が、世間からどう扱われているかなんて。
魔族の嫌われようを見れば、簡単に察せることだ。
……それでも。
俺は、落胆する気持ちを抑えきれずにいた。
「……なんで、街の外の人達は、そんな俺たちの横に住んでるの?」
「ほとんどは、物価が安いからってのが理由だ。誰も住みたがらないからだろうな。俺たちがいるから、その分。
……それと」
一息、彼が呑む。
そして、言葉を続けた。
「……楽しいからってやつもいる。街の外に出たやつを、見せしめにして……殺すのが」
……ああ、そうか。
なんで俺は、勘違いしてたんだ?
この世界が、平和だって。
ここは異世界だ。
慈悲も慈愛もない。
非道で、残酷で、最悪。
それが現実ってやつだ。
元の世界の歴史だって、似たようなものじゃないか。
男女差別、黒人差別、魔女狩りに、反ユダヤ主義。
その対象が、俺達に変わっただけだ。
ふいに、ため息をこぼす。
考えれば考えるほど、嫌になった。
魔法の練習さえできれば、それでいいと思った。
それでいつかは、冒険者になって。
そんな未来を考えて、胸が膨らんだ。
ゲームのような、夢心地のような。
……そう、考えていたのに。
「……黙っていてすまなかった。
お前は聡いが、まだ子供だ。教えるにはまだ早いと思っていたんだが……失敗だったな」
……違う。
俺が街の外に出たのは、ただの不注意だ。
ルーカスは原因じゃない。
ただ、俺が約束を破って、その報いを受けた。
それだけの話なんだ。
……なのに、なんで。
なんで…ルーカスが謝るんだよ?
ルーカスは、何一つ。
間違ったことなんてしていないのに……。
「……あのとき、俺が街の外に出ることを許可したせいだ。お前はまだ子供で、何一つ知らないのに……。
お前は悪くない。全ては俺のせいだ。
……本当に、すまない」
……そうか。
ルーカスは、父親なんだ。
俺の……アランの。
エマとの間に産まれた、息子の。
……でも、違うんだよ。
全部、俺のせいなんだ。
俺が悪いんだよ、ルーカス。
ルーカスは……父さんは、何も……。
「お前は歳の割に達観しているから、どうにも大人を相手している気分になってしまうな……」
……実際、その通りだ。
俺は子供じゃない。それどころか、この家の息子でも。
理由もわからず転生してきた、別世界の住人。
つまりは、他人だ。
もし、俺がそのことを話したら、ルーカスは信じるだろうか。
……信じるだろうな。
似ているのは、顔や声だけ。それ以外は、全てが違う。
言わなくたって、いずれ気づくかもしれない。
そうなれば、もう……家族としては、暮らせないだろうな。
結局、俺はそれが怖いんだ。
だから、家族を騙し、こうして怯えながら暮らしている。
ただの、他人と。
……最低だな、俺。
――再びの、沈黙。
目も合わせず、ただ時間が流れるのを待つ。
その間、お互いに眉の一つすら動かすことはなかった。
それから、約三分ほど経った頃だろうか。
扉をノックする音が、部屋中に響いた。
「……アラン。ちょっといい?」
開かれた扉の隙間から、小さい影がひょっこりと顔を出す。
そこに見えたのは、俺の母親、エマの姿だった。
「いいけど……どうしたの?」
「今、アランと同い年くらいの女の子が家に来てるんだけど……その、なんていうか……」
……女の子?
それに、同い年って……。
そんな知り合い、俺にいたか?
「とにかく、下に来てみて。……見ればわかるから」
「ああ、わかった」
さっきから、物言いが要領を得ない。
一体、誰が来たんだ?
全くの心当たりはないが……。
……まあ、いいか。
エマが扉を開ける。その背を追い、俺も部屋をあとにした。
足取りが玄関へと向かう。
気になったのか、ルーカスも後ろについてきた。
それにしても……子供、か。
そもそも、この村自体、子供は少なかったはずだ。
俺を除いて、精々五人程度じゃなかったか?
その五人とも話したことはないし、中に女子はいなかったような……。
……謎だ。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか玄関の前まで来ていた。
なぜだか、扉に少し気圧される。
エマの意味深な物言いのせいだろう。
威圧感にも似た、不思議な雰囲気だった。
出所の分からない緊張感を一息と共に吐き出し、ドアノブに手を置く。
そして、ゆっくりと扉を開けた――。