第7話 妖精の祝福(後編)
エルはまるで白昼夢でも見ているかのようにしばらく呆然としていたが、兜を脱ぎ捨てて、もう一度そのハーピーの姿をよく確認した。
「やはり見間違いじゃない・・・でも何で」
このハーピーも他のと同様、全長が20センチ程度の妖精で姿かたちも人間と全く同じ。そして背中には二枚の羽が生えている。
ただし決定的に違うのは、他のハーピーたちがパステルカラーの可愛いワンピースを着ているのに対し、このハーピーだけは黒い学ランなのだ。
しかもその顔はエルがよく知っているものだった。
「お前・・・インテリなのか」
エルがそう尋ねると、学ランのハーピーは懐かしそうに遠くを見つめて言った。
「インテリか・・・そう言えばワイ、アニキからそう呼ばれとったなあ。なあそこの綺麗な姉ちゃん、今頃アニキは天国で幸せに暮らしてるやろうか」
そう言って少し寂しそうするハーピーに、エルはこれが幻ではなく現実であることを確信した。
「インテリ! 俺がそのアニキ、桜井正義だ!」
「桜井正義・・・そうそう、アニキってそんな感じの男らしい名前やったなあ・・・って、何で姉ちゃんがその名前を知ってんねん!」
インテリの普段のノリツッコミに、エルはますますこのハーピーの正体を確信し、両手で彼を抱き上げると自分の顔に近づけて、ブンブン揺さぶった。
「俺だよ俺っ! お前と二人で三宮の街をブラついていた時、銃弾に当たって死んだ桜井正義だ!」
「三宮って、姉ちゃんはそんな地名まで知ってんのか。抗争のおかげで三宮の悪名がまさかこの世界にまで轟いてるとはな」
「そんな訳あるか! 俺が桜井正義、本人なんだよ」
「ええっ!? まさか・・・この綺麗な姉ちゃんが」
「おう! そのまさかだぞインテリっ!」
「まさかこの綺麗な姉ちゃんが、ナンパから助けた女子高生3人組に悲鳴を上げて逃げられたあの!」
「おう・・・その女学生に逃げられた桜井正義だ」
「まさかこの綺麗な姉ちゃんが、本宮先生の描くヒロインが実在すると本気で思っているあの!」
「だ、誰を好きになろうと、別にいいじゃねえか」
「まさかこの綺麗な姉ちゃんが、バンカラ帽に下駄を鳴らして高校に通っていた男の中の男・・・もはや見る影もないというか女の中の女?」
「やかましいわ! ええ加減にせえよインテリ!」
女の身体になってしまったこの姿をボケのネタにされて急に居たたまれなくなったエルは、インテリの頭を叩いてツッコミを入れた。
するとインテリは嬉しそうに、
「この頭を叩く角度と、右手のスナップの効かせ方。これぞまさしくアニキの黄金の右ツッコミ! まさかこの綺麗な姉ちゃんが本物のアニキやったとは!」
「ツッコミの角度でしか判断できないのか、お前は」
「アニキーーーーっ!」
15年ぶりの再会に、インテリは嬉しそうに両手を広げてエルに抱き着こうとした。だがエルはインテリをそっと地面に置いた。
「あれアニキ? ここは男同士で抱き合って涙を流す熱い場面では・・・」
「俺もそう思うんだが・・・何でお前は俺の顔を見てそんなに鼻の下を伸ばしてるんだ」
「鼻の下・・・そんなの当たり前ですやん、アニキ。こんな綺麗な姉ちゃんを目の前にしたら、ワイでなくても男なら誰だって鼻の下ぐらい伸びますがな。それにしても随分とベッピンさんになりましたな」
「くっ・・・俺の顔の話はやめてくれ。そんなことよりインテリ、お前はどうしてハーピーになったんだ。しかも昔と全く同じ顔のままで」
「実は・・・」
するとインテリは急に涙を浮かべながら、長い長い身の上話を語り始めた。
「・・・・・・」
あまりに話が長かったので簡単に要約すると、あの日に三宮で死んだのは俺だけではなく、俺を助けようとしたインテリまで銃弾に当たって死んだらしい。
そして大聖女が住む神殿に召喚されたが、もともとインテリはここで死ぬ運命ではなかったらしく、転生させる肉体がなかったため仕方なく大聖女の僕であるハーピーに転生させたそうだ。
その後今日までの15年間をこの泉で暮らしていたそうだが、最初は男が自分しかいないこの状況に期待で胸が膨らんだが、相変わらず女にモテなかったためハーレムを作るどころか「彼女いない歴」をさらに更新し続ける結果になってしまい、大人の階段をまだ一段も登れていないとのことだった。
「お前も大変だったんだな。じゃあそろそろ行くか」
エルはインテリを鷲掴みにすると、泉に入って再び来た道を戻り始めた。だがインテリは慌てて、
「あ、アニキ? ・・・もしかしてワイを連れて行ってくれるんですか?」
「当たり前だろ」
「でも他のみんなが言ったように、ワイには魔力がないからアニキの望みはかなえられへんのですけど」
「だがお前は俺の相棒だろ。さあ家に帰るぞ」
「そやけどハーピーに願いを叶えてもらえるのは一生にたったの一度。今は人生逆転の大チャンスでっせ。それをアニキは無駄にすることに・・・」
「構わん。確かに2000Gもの大金を稼ぐのは容易ではないが、冒険者としてコツコツと稼げば何とかなる金額だし、元よりそのつもりだったからな」
「アニキ・・・」
「分かったら、つべこべ言わずについて来い」
「アニキーーーっ!」
エルのその言葉に、インテリは号泣した。
涙と鼻水を流しながら身体を打ち震えさせ、感極まった末に大声でこう宣言したのだ。
「この男・西秀一、アニキの子分として一生ついて行きます!」
「おう。なんか酷い世界に生まれ変わっちまったが、俺たちはたった二人の仲間だ。よろしく頼むぞ相棒」
「うわーーーん!」
完全に無視されて呆気に取られる七色のハーピーたちをその場に残し、男泣きするインテリを連れたエルは意気揚々と妖精の泉を後にしたのだった。
遺跡に巣くう魔物を退治しながら、エルは奴隷の娘に生まれたこの15年間の苦労話や、奴隷から解放されるために冒険者になったことをインテリに話した。インテリは話を聞き終わると「デニーロの野郎!」と激怒しながら、エルの周りを飛び回った。
「おいインテリ、お前って本当に妖精になったんだな。空が飛べるなんてすごいな」
「身体は小さくなりましたが見た目は人間のままやし、ほんま不思議なもんですわ。そう言うアニキこそとんでもない美少女になられて、うらやましい」
「こんな身体になっても全然嬉しくないぞ。真の男を目指す者としてはこれ以上の屈辱はないし、この身体のせいで15年間ずっと苦労して来た。奴隷少女なんて本当に何もいいことがない」
「・・・まあ美しい奴隷少女なんて、スケベ野郎共の格好の餌食でしょうし、幸せな人生を送れるとは到底思えないっすからね」
「だからこの兜をかぶって顔を隠しておかないと余計なトラブルに巻き込まれるおそれがあるそうだ。こそこそ生きるなんて男の生き様からはほど遠いのだが、しばらくは仕方がないと思っている」
するとインテリは残念そうな顔をして、
「折角の綺麗な顔を隠すなんて勿体ない話ですね。でもその女騎士の装備も十分セクシーですし、これからはこの西秀一がアニキの盾となり、スケベ野郎どもの魔の手からアニキの貞操を守り抜いてあげますがな」
「そんなことより俺の知恵袋として以前のように色々教えてくれ」
「お安いご用で!」
そうしてエルは獲物が詰まった荷物袋を抱えて遺跡を後にすると、冒険者ギルドへの帰路に着いた。
ギルドの裏口に回ってカウンターに荷物袋をドサッと降ろしたエルを見て、同じく獲物の精算や装備の修繕を待つ冒険者たちがザワザワと騒ぎ出す。
「・・・おい、誰だよあの女騎士。見たことねえぞ」
「すげえ高価そうな装備だし乳と尻もデカイな。一体何者なんだ」
「そんなことより周りを飛び回っている羽虫みたいなヤツは何だ。・・・小人?」
騒然とする冒険者たちに、カウンターにいた受付嬢の一人が慌てて奥に戻ると、中のカウンターにいたエミリーを連れて来てくれた。
「エミリーさん、今帰ったよ」
「もうクエストから帰って来たの? 随分早かったのねって・・・頭の周りを飛んでいるのはまさか」
「妖精ハーピーを捕まえて来た」
「は、ハーピーですってっ!」
エミリーは、まさかエルが本当にハーピーを連れて帰るなんて思いもよらなかったから、一瞬どうしていいか分からず硬直してしまった。
だがハーピーという言葉に、周りにいた冒険者たちが色めき立った。
「この女騎士、初心者用のクエストで本当にハーピーを見つけやがったんだ」
「するとあの伝説は本当だったのか」
「金銀財宝に地位と名誉。そして世界の美女も思いのまま・・・」
「それをこの女騎士はまんまと手に入れやがった。そんな彼女をもし嫁にできれば・・・。それにあの乳と尻の大きさだけでも相当な価値がある」
「「「ごくりっ・・・」」」
辺りの雰囲気が変わり、まるで獲物を見るかのようにエルを見つめる冒険者たちにエミリーは慌てて、
「エル君、今すぐ2階に行きましょう!」
言うが早いか、カウンターから飛び出してきたエミリーはエルの腕を引っ張ると、騒然とする冒険者たちに話を聞かれないよう、2階の会議室に飛び込んだ。
エミリーにクエストの一部始終を報告したエルは、最後にインテリを紹介した。
「そしてこいつが本物の妖精ハーピーで、名前はインテリ。魔法が使えないので望みは何一つ叶えることができないが俺の大切な相棒だ。よろしく頼む」
「あの・・・ちょっといいかなエル君。他にもたくさんハーピーが居たのに、よりによって何でこんな変なのを選んじゃったのよ」
「そこなんだが、何でも望みを叶えてやると本物のハーピーたちに言われた時、人間の持つ醜い欲望に嫌気がさしてきたんだ。それを口にするのは男の生き様に反するんじゃないかって。そんな時にコイツを見つけた。俺は自分の欲望のために見ず知らずのハーピーを選ぶより、魔力はなくても自分の相棒を選びたい。それが当然だし何か間違っているとも思えない」
「・・・いいえ、エル君の言ってることは何も間違っていないと思う。でも咄嗟にそんなことができる人はまずいないし、特に冒険者としてはありえないわね」
「冒険者としてあり得ないか・・・確かに2000Gへの道は遠ざかったけど、元々地道に稼ぐつもりだったし俺はコイツに出会えて本当によかったと思っている」
「そう・・・エル君がそれでいいなら私に異存はないわ。では初心者用クエスト「妖精の祝福」は無事クリアーよ、おめでとう!」
その後エルとエミリーは裏口のカウンターに戻り、荷物袋にギッシリと詰まった獲物を換金した。
「スライムの核が4つと吸血蝙蝠の羽が30枚、大ネズミの肉が10匹分・・・これをたった半日で集めるなんてすごいわね。それにもう解体が終わってるからこんな大量に持ち帰れた訳だし、解体費用がかからないから全てがエル君の稼ぎになる。さすがね!」
「こんなところで奴隷のスキルが役に立つと思わなかったよ。それでいくらで引き取ってくれる?」
「1つあたり、スライムの核が50S、吸血蝙蝠の羽が10S、大ネズミの肉が30Sだから、全部で8Gね」
「8Gか! これを・・・ええっと何回これを繰り返せばいいんだインテリ」
「250回っす、アニキ」
「ええっ!? そのハーピー計算もできるんだ・・・本当に変わってるわね」
「ああ、俺の大切な知恵袋だ」
「ところでこの後どうするの? さっきの件でギルドは今大騒ぎだから、今日は仲間集めはやめておいた方がいいと思う。それよりエル君は定宿を決めないといけないし、武具の手入れもやっておかないとダメよ」
「そのことだけど、なるべくお金は使いたくないから定宿は借りずに家から通うつもりだ。それから武具の手入れはナギ工房の道具を借りて自分でやるよ」
「そうね。武具の手入れなんてエル君にとってはお手の物よね。でも家から通うのだけはお勧めしないわ」
「どうして?」
「エル君はその格好で貧民街に帰るつもり?」
「え?」
エルは自分の姿を確認するが、泥や魔物たちの血肉で汚れたとはいえ、赤い光沢が美しい立派な騎士装束だ。それを着た自分が貧民街の路地裏を颯爽と歩く姿を想像してみたが、
「確かに違和感があるが、気にするほどでもないな」
「違和感どころの騒ぎじゃないわよ! 外見だけなら大金持ちのお嬢様か貴族令嬢だし、貧民たちが騒然となるのはいいとして、その防具を狙って奴隷長屋に盗賊がわんさか押し寄せることになりかねないわ」
「あの奴隷長屋に盗賊どもが・・・確かに家族を危険にさらすのは良くないな」
「そうよ危険よ」
だがしばらく何かを考えたエルは、
「でもこれから冒険者として活動すれば、盗賊に襲われることなど日常茶飯事になると思う。だったら練習ついでに俺がこの鎧を着たまま家で寝泊まりすれば、襲ってきた盗賊を全て返り討ちにして報酬を稼ぐチャンスになるんじゃないのか」
「チャンスって・・・わかった。そこまで覚悟の上なら私に異存はないわ。じゃあもし盗賊を捕まえたらギルドに連絡してね。盗賊の場合は生死は問わず一定の報酬が貰えるし、生け捕りにできれば奴隷商人への売却益の一部も手にすることができる。でも盗賊の方も必死だから生け捕りより殺しちゃうのがおすすめよ」
「盗賊を殺すか・・・できれば生け捕りにしたいが、自分が死んでしまったら元も子もないか。わかった、討伐したらその時は頼むよ。じゃあ、俺たちはそろそろ帰るな」
「ええ、お疲れ様でしたエル君。また明日ね」
◇
神殿のテラスで紅茶を飲む大聖女が、向かいに座る従者に話しかけた。
「見事でしたね、桜井正義君」
従者も少し興奮気味に、
「ええ100点満点でした。しかしここまでやるとは」
「桜井君がもし西秀一君以外のハーピーを選んでいたら、その望みは叶うかも知れませんが対価として寿命の半分を失っていたところでした」
「ですが彼はそれを回避した」
「そして彼は「西秀一君」という貴重な転生特典を手に入れた。ここからは私たちの手から離れて彼自身が自分の物語を紡いでいく番ね」
「その通りですね、大聖女様。今後の彼の活躍が実に楽しみになってきました」
次回「冒険者としての日々」。お楽しみに。
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