第62話 スザンナとマーヤ
夫のウィルとエルの浮気現場を目の当たりにしたスザンナは、ブーゲン要塞に身を寄せていた。
そう、彼女はウィルを見限って次期領主の有力候補であるナーシスの正妻の座に就こうとしていたのだ。
一週間前、エルが奴隷であることが判明してナーシスに連行された後、すぐに実家に戻ったスザンナは、ウィルとの離婚とナーシスとの再婚を父親であるメルヴィル伯爵に願い出た。
あれだけウィルを愛していた末娘の変心に驚いた伯爵が事情を尋ねると、スザンナは全てを告白。
そのあまりの内容にあきれ果てた伯爵は、デルン子爵を呼びつけてこっぴどく叱り、スザンナにも貴族の体面を理由にウィルとの離婚を一蹴した。
それでもスザンナの領主夫人になりたいという気持ちに変わりはなく、ナーシスとの既成事実を作るために無断でブーゲン要塞に押し掛けたのだった。
だがナーシスには正妻も側室もいて、跡取り男児にも全く困っていない。
そんな状況でスザンナに言い寄られても、主君家の末娘を娶るメリットよりデメリットの方が勝るのは明らかであり、彼女の扱いには正直困っていた。
それ以上に今のナーシスには夢中になっている女がいたのだ。
その日も軍議を早めに切り上げたナーシスが会議室を出て行くと、側近たちが一斉にため息をついた。
「ナーシス閣下の女好きには本当に困ったものだな。今夜もまた奴隷女をお召しになるのか」
「だが今回のはかなりの上物で、それこそ帝都の貴族令嬢たちも裸足で逃げ出すほどの美女らしい」
「そのために閣下は3000Gもの大金をその女の購入に使ったそうだ。そりゃ四六時中抱きたくもなるさ」
要塞の最上階に客間を与えられていたスザンナは、ナーシスの動きを探らせていた侍女から、今夜も彼の寝室に奴隷女が呼ばれたことを聞かされ、あまりの屈辱に顔を真っ赤にして怒っていた。
「今夜もわたくしではなくエル様・・・いいえ、あの奴隷女の母親がナーシス様のお相手をっ! どうしてわたくしは誰からも愛されないのですかっ!」
「どうか落ち着いて下さい奥様。恐れながら、取り返しのつかない過ちを犯す前に、ウィル様の元にお戻りになられた方が」
「嫌です。ウィルは奴隷女に手を出すくせに、このわたくしには指一本触れないのです。それに領主になりたくないだの子供は作らないなど、わたくしのことなど一切お構い無しで・・・うっうっ」
「お可哀そうな奥様・・・ですがこのような破廉恥な行いがメルヴィル伯爵の耳に入れば、奥様がどのような罰をお受けになるか、考えただけでも恐ろしい」
「ですのでナーシス様との間に既成事実を作って正妻の座を奪ってしまえばよいのです」
「ですがそうなると今の正妻の実家が黙ってないでしょう・・・ですので奥様」
「もう決めたことです。今夜は仕方ございませんが、明日の朝にもナーシス様とはしっかりお話します」
◇
翌日の昼前、ようやく寝室から出てきたナーシスを捕まえ思いの丈を熱く語ったスザンナだったが、緊急事態を知らせに側近が駆け付けると、ホッとした顔のナーシスが階下へと走り去ってしまった。
廊下にポツンと取り残されたスザンナは、だが再び寝室の扉が開くと、侍女たちに引きずられるように部屋から出された女性に目を奪われた。
「本当にエル様に似ている・・・」
侍女たちに支えられてようやく歩くことができるほど衰弱したその女性が、そんなスザンナに尋ねる。
「・・・そこのあなた。もしかしてわたくしの娘のことをご存じなのですか・・・」
悲しそうな表情のその女性は、15歳の娘を持つ母親とは思えないほどの若さと美貌を保っていた。
だがその素肌には鞭で打たれた痕やナイフで刻まれたナーシスの名前が赤黒く滲んでおり、スザンナは思わず目を背けてしまった。
「うっ・・・まさかこれを彼が・・・酷すぎる」
あまりのおぞましさに吐き気をもよおしたスザンナは、この瞬間ナーシスの本質を理解し、明確な忌避感を覚えた。
それと同時に、ついさっきまで抱いていた目の前の女への怒りや嫉妬が完全に消えた。
そして気がつくと彼女の問いかけに答えていた。
「わたくしメルヴィル伯爵家の末娘のスザンナと申します。エル様とはデルン城で一緒でした」
「・・・わたくしはマーヤと申します。見ての通りの奴隷の身分で、今はあの男に買われてここにいます」
「マーヤ様とおっしゃるのですか・・・」
たかが奴隷に「様」を付けた自分が不思議でならなかったが、思わずそう呼んでしまいたくなるほどマーヤには気品があった。
そんなマーヤがスザンナに尋ねる。
「ナーシスに買われたうちの娘が突然姿を消したそうなのですが、どこへ行ったのかご存じでしょうか」
「・・・申し訳ございません。わたくしにもエル様の行方はさっぱり」
「そうですか。でも娘は必ずわたくしを助けに来てくれるはず。それまでは絶対に生き延びてみせます」
そう言ったマーヤの瞳の奥には、何者にも屈しない強い意志がみなぎっていた。
その姿に衝撃を受けたスザンナは思わず、
「・・・わたくしには治癒魔法の心得がございます。マーヤ様の傷を治しますので、お部屋に連れて行ってくださいませ」
「治癒魔法を。ですがわたくしが捕らえられているのは奴隷用の不衛生な牢獄。あなたのような上級貴族のご令嬢が足を踏み入れる場所ではございません」
「構いません。なぜかは分かりませんが、マーヤ様をお助けしなければならない気がして参りましたの。侍女の方々、このわたくしも一緒に参りますので早くそこへ案内なさい」
「「「し、承知しましたスザンナ様っ!」」」
◇
側近を従えブーゲン要塞の監視砦に入ったナーシスは、昨日とはまるで異なる戦況にわが目を疑った。
「なぜこんな至近まで敵の接近を許したのだ。一体何が・・・」
デルン騎士団本隊との戦いは、初日こそ城壁を挟んだ攻防戦となったが、二日目は同盟貴族家の騎士団との連携が奏功し、敵軍を一気に押し返した。
そして三日目の今日も続々と到着する援軍によって敵を粉砕し、一気にデルン城を目指す予定だった。
たが一夜明けて見れば、そんな作戦など意味をなさないほど戦況をひっくり返されていたのだ。
「偵察兵からの報告によると、敵の傭兵に恐ろしく腕の立つ魔導師がいるそうです」
「魔導師だと? そいつはどんな魔法を使うんだ」
「エクスプロージョンです。しかもその威力が通常のものより格段に強力なのです」
「たかが傭兵にそんな・・・いやシェリアかっ!」
「そう言えばあの女は、ヘル・スケルトン討伐の際に強力な魔法を見せつけていました。だとすればエルとその冒険者パーティー「獄炎の総番長」が参戦したと考えた方がよさそうです」
「たかが数人の冒険者パーティーの参戦で戦況がここまで変わるなんて・・・くそっ!」
◇
一戦交えて陣幕へと帰還した「獄炎の総番長」は、副騎士団長アリアに歓呼を持って迎え入れられた。
「ベリーズとタニアから散々聞かされていたが、実際に目の当たりにするとシェリアの魔法はとんでもない威力だな」
「ふっふーん、どう凄いでしょ! こんなの朝の準備運動程度だし、ここからが本番よ!」
いつものドヤ顔を決めるシェリアに、タニアがため息をついた。
「これでノーコンでなければ言うことないのだかな」
「ノーコンってなによ、タニア!」
「つまり今回のように、カサンドラと二人で敵のど真ん中に突撃して敵を蹴散らす作戦なら、どこに撃っても魔法は当たるしその戦術的効果は高い。だが精密な連携が求められる攻城戦が始まればシェリアの魔法は怖くてとても使えん」
「そ、それはその・・・」
タニアに弱点を看破されたシェリアが急にしょんぼりするが、エミリーが笑顔でそれを否定した。
「今回のブーゲン要塞攻略戦に関してはそこは気にしなくていいと思う。シェリアちゃんの火力を存分に引き出す秘策がちゃんとあるから」
「本当なのエミリー!」
ころころと表情を変えて今度は大喜びするシェリアに、エミリーは胸を叩いて太鼓判を押す。
「もちろんよ。ただし少し準備が必要だけど」
そう言うと、魔法使いのローブに身を包んだ初陣のラヴィの手を握って、エミリーがニッコリと笑った。
次回「救出」。お楽しみに。
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