第61話 ほどけゆく糸
デニーロ会頭が解任されて主を失った会頭室。
商会オーナーのダリアが執事たちを総動員して室内の書類を調べ上げた結果、マーヤは5日前にナーシスに所有権を移されていたことが分かった。
「エル、あんたの母親はもうこの街にはいないよ」
「本当なのかそれは」
「領主家が2つに分裂して領都から追放されたのは知ってると思うけど、分家を率いているのがナーシスで今は城塞都市ブーゲンにその拠点を置いている」
「城塞都市ブーゲン・・・それはどこにあるんだ」
「領都デルンの遥か東、かつて別の貴族家が統治していた広大な領地と本来のデルン領の境界にブーゲン渓谷があって、そこに設置されていた軍事要塞と城下に発達した商業都市。それが城塞都市ブーゲン」
「なら母ちゃんはそこに連れて行かれたんだな。父ちゃん一度ギルドに寄って馬を借りに行くぞ」
「ちょっと待ちなエル。馬なんかよりずっといい移動手段がある。ブーゲンにうちの支店があるからそこまでは転移陣を使うといい」
「転移陣? 何だそれ」
「人や物を遠くまで運ぶ魔術具さ。高価な魔石を大量に使うから普段は使わないけど、今回は特別だよ」
「本当か! 助かる」
「それからあんたたちの服も用意してやるよ」
「服?」
「まさかそんな目立つ格好で行くつもりかい」
「あっ・・・」
エルとオットーが思わず顔を見合わせる。
破れているとは言え、エルは子爵夫人からもらったドレス姿だし、オットーはボロをまとった奴隷だ。
「うちはデルン騎士団の納入業者だし、標準装備一式ならすぐ用意できる。それに着替えてから出発しな」
「何から何まですまないな・・・」
「これも必要経費だ。私たち平民は貴族相手に荒事はできないし、あんたらとは運命共同体。マーヤの奪還は絶対に成功してもらわないとこっちが困るんだよ」
「安心しろ、母ちゃんは俺たちが必ず助け出す!」
デルン騎士団の装備に着替えたエルとオットーは、大奥様に連れられデニーロ商会の一階にある転移陣室へと入った。
「今から起動するけど本当に魔石はいらないのかい」
半信半疑の大奥様に、オットーは平然と答える。
「俺もエルも魔力は豊富にある。何の問題もない」
「そりゃあ凄いね。魔石の価格もますます上がって来たし、早く気づいてればお前たちを荷物運びとしてこき使っていたよ。本当にもったいないことをした」
「なら妻を助け出せたら荷物運びでも何でもしよう。その代わり俺たち夫婦の給料を弾んでくれ、大奥様」
「ああ、そうさせて貰うよ」
そして穏やかに微笑んだ大奥様の姿が消えていくと、転移先の使用人の姿がゆっくりと現れた。
◇
エルの手がかりを見つけられず、項垂れてギルドに帰還したシェリアとカサンドラ。そんな二人を待っていたエミリーがエルの無事を伝えた。
「ありがとうエミリー! キモ妖精もエルを助けてくれて本当にありがとう」
「ワイも無意識に魔法を使うてもうたけど、エミリーはんが居らんかったらハーピーの里から脱け出せないままでしたわ。おおきにエミリーはん」
「いいのよ。そんなことより別の問題が起きたのよ」
大喜びする二人に、今度はエルの母親が行方不明になったことを伝えると二人の怒りが爆発した。
「ナーシスの野郎、あいつだけは生かしておけん!」
「そうねカサンドラ。私のエクスプロージョンで丸焼きにしてみせるわ!」
突然立ち上がって外に飛び出そうとする二人を、だがエミリーが慌てて止めた。
「待って二人とも。どこに行くつもり」
「もちろんデニーロ商会でエルと合流するのよ」
「それもいいけど、私にいい考えがあるわ」
「いい考え? 何なのエミリー」
「平民が貴族に手を出すと普通は斬首刑なんだけど、今は領主の座を巡って騎士団同士が戦っている。つまりナーシスを倒せば斬首刑どころか領主様から褒賞金が貰える。そんなクエストを受けてみるのはどう?」
「クエスト・・・そうか、傭兵としてデルン騎士団に入って真正面から戦うのね!」
「そういうことよ。ナーシスの首を討ち取ればきっと報奨金も思いのままだし、そのお金でエルたち家族を私たちが買い戻しましょう」
「さすが元受付嬢エミリー、その発想はなかったわ」
「了解したエミリー殿。我らの行く手を遮る敵は全て蹴散らし、最速でナーシスの首を取りに行くぞ!」
◇
デルン城の領主執務室。
既に日は落ち、魔術具の灯りで書類に目を通すデルン子爵の元に騎士団長ウィルが戦況の報告に訪れた。
「電光石火の進軍が功を奏して、ブーゲン要塞の攻略を開始して既に2日経ちましたが、後手に回っていた分家騎士団も続々集結しており、戦場は早くも膠着状態となっています」
「分家どもの戦争準備は既に万端だった訳か」
「はい父上。エルの件がなくても、この事態は避けられなかったでしょう」
「だとすれば、運は我々に味方したようだな」
「何を言ってるんですか父上。我らに味方していた分家や家臣、そして近隣貴族家までもが今はナーシスの味方に回ってしまったというのに」
「単純な勢力で言えば我々が不利に見えるが、奴らがエルに手を出したのがそもそも悪手なのだ」
「悪手? エルは奴隷の身でありながらヒューバート伯爵家令嬢を騙って城内に入り込んでいたのですよ。それを見逃した我々の失策は明らかなはず」
「お前が見たというエルの首筋の奴隷紋。それが本物であろうと偽物であろうと、おそらく今回の戦は我々の勝利で終わるだろう」
「あれが偽物? 父上に何か秘策があるのでしたら、全軍を預かる騎士団長としてお考えをお聞きしたい」
「ふむ、それもそうだな。今からワシが言うことは、例え相手が家族だろうと絶対に言ってはならん。下手をすれば我が家門が断絶させられるからな」
「家門断絶! わ、分かりました。ここで聞いた話は絶対誰にも言いません」
「うむ。今回の騒動の発端は「盗賊団ヘル・スケルトン討伐の褒賞授与式」に遡るが、エルのパーティーメンバーにジャンという冒険者がいた」
「ジャンですか・・・その男が何か」
「ジャン・ヒューバート伯爵閣下本人だ」
「なっ!」
「彼は皇帝陛下の懐刀として帝国全土を暗躍しているため、社交界でもあまり顔を知られていない。ワシは帝都で何度か顔を会わせていたため気がついたが、あの場にいた誰も伯爵に気づいてはいなかった」
「まさか・・・ならエルは奴隷ではなく本物の!」
「伯爵自身がそう言っていたから、ヒューバート伯爵家の縁者であることに間違いはない」
「その伯爵は今どこに!」
「アイクとエルの婚約締結のため、帝都にあるヒューバート伯爵家に戻っている」
「なら、そのエルを害してしまったナーシスは」
「ヒューバート伯爵家を敵に回したこととなる」
「・・・今の話は公表できないのですか」
「さっきも言ったが伯爵は帝国の暗部を担っており、ワシにも固く口留めして帝都に戻られた。伯爵の許可なくワシからは何も言えんのだ」
「分かりました。では我々はこのまま戦いを続けてヒューバート家の援軍を待てばよいのですね」
「そういうことだ。もちろん主君家であるメルヴィル伯爵家への援軍要請も続けておるが、こちらは少し頭が痛い」
「・・・父上、本当に申し訳ありませんでした」
「スザンナはまだ城には戻って来ておらんのか」
「はい。実家にも帰っていないようで、どこに行ったのか行方が全く掴めていません・・・」
「伯爵は相当にお怒りだ。早くスザンナを探し出して夫婦仲を修復しろ!」
次回もお楽しみに。
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