第5話 冒険者エル誕生
ナギ爺さんが経営する「ナギ工房」は冒険者ギルドが契約している整備工房の一つであり、繁華街から少し離れた職人街の一角にある。
値段は少し高めだが腕が確かなため、上級冒険者ほど好んで武器や防具の手入れを任せている。
エルが数年ぶりにやって来た工房では、昔なじみの鍛冶職人たちが汗水流して鉄を鍛え直している。彼らと軽く挨拶を交わしながら工房の奥へ入っていくと、ナギ爺さんが今日も黙々と鎧の修繕をしていた。
「ナギ爺さん、久しぶり」
エルが声をかけるとナギ爺さんは作業の手を止め、懐かしそうに笑顔で迎えてくれた。
「おおエル坊じゃないか。しばらく見ないうちに随分と背が高くなったな・・・・横にも大きくなったのは何でじゃろ? まあいいか、早速で悪いがそこの剣を磨き直してくれ」
だが挨拶もほどほどに仕事の指示を出し始めたナギ爺さんにエルは頭をかきながら、
「実は俺、冒険者になることにしたんだ。でも見ての通り、金がなくて装備が揃えられないんだ。それでナギ爺さんに頼みがあるんだけど、売り物にならないような中古の武器や防具を俺に譲ってくれないか」
「エル坊が冒険者だと? やめとけやめとけ。身体はデカくなったがそんな細っこい腕じゃ冒険者など務まらん。お前さんにはここの仕事の方が向いとるぞ」
エミリー同様ナギ爺さんにも冒険者は無理だと一蹴されたが、エルが事情を聞かせると、腕組みをして何かを考え始めた。そして、
「本当はお前さんを弟子にしたかったのじゃが、そういう事情なら仕方ない。どれ、倉庫に眠っている武具でお前さんにピッタリの物を見繕ってやるか」
「本当か爺さん、助かるよ」
「なあに、孫のようにかわいがっていたエル坊だ。あっけなく死んでもらってはワシも悔やんでも悔やみきれんし、できるだけいい武具を揃えてやる。だがまずはその煤だらけの汚い顔を洗い流せ」
「顔を洗うのか・・・男の価値は顔ではなくその生き様で決まるものだし、このままでもいいと思うが」
「バカモン。お前さんにはまず冒険者仲間が必要なはずだ。いい仲間と巡り会うにもまずは第一印象を良くしないとダメだ。悪いがエミリー、エル坊の顔と髪を洗ってやってくれるか」
「もちろんよ。エル君、ナギ爺さんの言う通りだからちょっとこっちにいらっしゃい」
「ええぇ・・・嫌だよ面倒臭いし。うわっ、そんなにひっぱらないでよエミリーさん」
だがエミリーは嫌がるエルを無理やり引っ張って、工房の奥にある炊事場に連れて行った。
「さあエル君、今からそのこびりついた煤や垢を全部洗い流すわよ。どうせ全身が汚れているだろうし、ここで服を全部脱ぎなさい」
「えええ・・・ここで脱ぐのかよ」
「そうよ。男なんだから、どうってことないでしょ」
エルは少し考えた。
昨日までの自分なら女であることを隠すために人前で服を脱ぐことなど絶対にありえなかった。
だが今日からエルは冒険者になるわけだし、受付嬢のエミリーには自分が女であることを伝えておいた方がいい。
そう思ったエルは服を脱いで、腹に巻き付けてあるボロ布を全部取って見せた。それを見たエミリーは、あまりの衝撃に唖然と固まってしまった。
「・・・エル君。あなた女の子だったの?」
「ああ。奴隷商人に売られないよう、男のふりをしろと両親から言われてたんだ。ここ数年はこんな身体になってしまったし、できるだけ人目につかないように家に閉じこもって暮らしていたんだ。今まで隠していてすまなかったな、エミリーさん」
「そう言うことだったのね。このことはナギ爺さんにもちゃんと説明した方がいいけど、まずは全身の汚れを全部落として綺麗にしましょう」
「こんなことまでさせて、本当にすまない・・・」
「いいのよ。私とエル君の仲じゃない」
エミリーに全てをさらけ出す覚悟ができたエルは、胸に固く巻いたサラシも、ツギハギだらけのズボンも全て脱ぎ捨てて全裸になった。
そんなエルに、エミリーは再び驚きの声を上げた。
「ちょっと待ってエル君・・・あなたって本当に奴隷階級なの?」
「そうだが、何か変か?」
「変に決まってるでしょ! だって他の奴隷の子供たちをご覧なさい。みんな栄養状態が悪いから背が低いしガリガリよね。なのにあなたは普通の男子よりも背が高くてスラッとしてるし、まだ15歳なのに発育が良過ぎるというか、私より胸が大きい・・・」
エミリーの表情がどこか恨めしそうだったが、エルも恨めしそうな顔でつぶやいた。
「このデカい胸のせいで、今まで俺がどれだけ苦労してきたことか。サラシをきつく巻きすぎていつも息が苦しいし、腹にボロ布をたくさん巻きつけて腰のくびれを誤魔化すから、熱いし、重いし、肩も凝るし」
「・・・ほんと贅沢な悩みね。せっかく恵まれたそのプロポーションもエル君には宝の持ち腐れというか、煤と垢まみれで勿体なすぎる。こうなったら徹底的に綺麗にしてみましょう」
「それって冒険者になるのに必要なことなのか?」
「冒険者とか、もうどうでもいいのよ。こうなったら私の意地にかけてもエル君を絶対に綺麗にしてみせるんだから。さあ行くわよっ!」
「ちょっと待て、うわっ!」
言うが早いか、エミリーは用意していた桶の水を頭からかけると、エルの全身を布で磨き始めた。
徹底的に垢を洗い落とされ、髪も綺麗に整えられたエルは、エミリーに借りた女冒険者用のインナーを身に着けてその場で待っていた。
そして作業場に戻ったエミリーは、意気揚々とナギ爺さんの腕を引っ張って、エルの待つ炊事場へと連れてきた。
「じゃじゃーん! 見てよナギ爺さん、これが煤と垢まみれだったエル君よ! どう綺麗になったでしょ」
かなり興奮気味のエミリーに捲し立てられ、ナギ爺さんは老眼鏡をつけたり外したりしながらエルをしげしげと眺めていた。
たが怪訝そうな顔でエミリーに聞き返す。
「はて? 誰なんじゃこの美女は」
「エル君よ! エル君って実は女の子だったのよ!」
「あのエル坊が女じゃと? いくらなんでも冗談が過ぎるぞ、エミリー」
ナギ爺さんは老眼鏡を布で拭いて、もう一度エルをじっくり見つめていると、
「ナギ爺さん・・・俺だよエルだ」
「その声は確かにエル坊じゃが、まさか・・・」
ナギ爺さんもようやく目の前の美女がエルであることを理解したが、腰を抜かしてしまったのか、力なく床に座り込んでしまった。
「これはたまげたわい・・・エル坊が男のフリをしていた理由は何となく察しが付くが、いくら何でもこれは化けすぎじゃろう」
「・・・そうか? 俺にはよくわからんが」
炊事場には立ち鏡がなく、エルはエミリーから借りた手鏡で自分の姿を確認するが、髪がサラサラしたこと以外はピンとこなかった。
「確かに顔をよく見ればエル坊だと分かるが、それにしてもお前さんはドえらい美少女だったんじゃな」
「この俺が美少女・・・だと?」
「ああ。少なくとも奴隷階級の女ではありえないほどの上物じゃし、ここまでの美女にお目にかかったことなどワシの長い人生でも一度もない」
「冗談はやめてくれよ、ナギ爺さん」
「冗談なんかじゃない! 透き通るような白い素肌に混じりっけのない見事なまでのブロンドヘアー。神々しいほど澄んだエメラルドグリーンの瞳に、恐ろしく整ったその顔付き。まさに完璧じゃよ」
「お、おう・・・」
頑固な職人気質で、しっかりした審美眼を持つナギ爺さんがここまで何かを絶賛する姿をエルは見たことがなかったが、彼の話はまだまだ続いた。
「それに栄養状態の悪い奴隷階級の女ではありえないほどの高身長に、スラリと伸びた長い脚とモチモチした太もも。子供がたくさん産めそうなデカい尻に、男を誘惑して止まない細くくびれた腰。極めつけはその胸! まるでエミリーが小娘に見えるほど豊満じゃないか。これがまだたった15歳の奴隷少女だと、一体誰が信じるのじゃ・・・」
ナギ爺さんがやけに饒舌に語り始めたが、その言い方はただのエロオヤジである。
「私が小娘って何よ! ナギ爺のバカ!」
そして当たり前のことだが、エミリーがカンカンに怒り出した。
これでもエミリーはギルドの受付嬢の中でも1、2を争うほど人気の高い美女だ。頼りになるし、とても優しいし、この男・桜井正義がもし10年早く生まれていれば、彼女を嫁に欲しいぐらいなのだ。
そんなみんなの憧れの受付嬢であるエミリーを差し置いて、エルを絶賛するナギ爺。
「いや、すまんかったエミリー。じゃがお前もそうは思わんか」
「・・・ええそうね。エル君は女の私から見ても惚れ惚れするほど綺麗な女の子だと思うわ。女冒険者自体はそれほど珍しくないけど、このレベルの美女となるとそうそういないし、このままの姿で冒険者をさせるのはちょっと心配になってくるわね」
「仲間を探す以前に、よからぬ虫がわんさか湧いてきそうじゃわい。これだったら、まださっきの小汚い奴隷少年の姿の方がずっとマシじゃ」
「そうよね・・・どうしましょう」
そう言って二人揃ってうんうん悩み始めたが、ナギ爺さんは何かを思い出したように工房の奥に姿を消すと、荷台に防具一式を積んで炊事場に戻って来た。
「待たせたなエル坊。お前さんにこれをやろう」
「ナギ爺さん・・・これは」
「かなり前になるが、外国から来た女騎士が使っていた防具じゃ。その彼女が騎士を辞める際、ワシに託して行ったのじゃが、フルフェイスの兜もセットだからお前さんの綺麗な顔を男どもに見られることもない」
「へえ、冒険者じゃなく女騎士の装備か・・・」
「彼女は今のエル坊とちょうど同じような体形で、自分の非力さを補うためにこの防具を身に着けていた。聞くと何やら特殊な魔法が付与されていてスピードとパワーを高める効果があるそうだ」
「特殊な魔法って・・・ナギ爺さん、こんな貴重な物を本当に俺にくれるのか」
「もちろんじゃとも。エル坊にはこれまで随分と助けられたし、自分の孫のように思っている。本当は冒険者ではなくワシの弟子になってほしいんじゃが、ワシにはお前さんの家族を買い取るだけの給金を支払ってやることができん。だからワシが自由にできる最高の防具をお前さんにくれてやる。あっさり死んでしまわず、必ず奴隷の身分から解放されるのじゃぞ」
「・・・ありがとうナギ爺さん。この防具は大切に使わせてもらうよ」
こうしてエルは、エミリーとナギ爺さんの協力のもと冒険者としての道を歩み始めるのだった。
次回「初めてのクエスト」。お楽しみに。
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