第34話 農家の嫁アニー
その後も農村をあちこち走り回ったベリーズが次に向かったのは、料理の炊き出し現場だった。
とある農家にズカズカ上がり込むと、ベリーズに続いてエルたちも中に入っていく。
農家の中はすぐ台所になっていて、大きなかまどの前には何人もの女たちが並んで料理を作っている。
その女たちに指示を出していたのは、この家に住む嫁のアニーだった。
アニーには夫ハンスとの間に上は9歳から下は数ヶ月の赤ん坊まで7人の子供がおり、夫の両親とさらにその母親も含めた親子4代総勢12人の家族を支える肝っ玉母さんだ。
たくさん子供を産んだだけのことはあって、どっしりした大きなお尻と頑丈そうな腰つきに、子育てで鍛えられた張りのある大きな声と、他の嫁たちを従えるリーダーシップ。
まだ25歳とは思えないほど貫禄があり、同じくらい子供を産んでいるはずの34歳のマーヤより年上に見えるからすごい。
そんなアニーは15歳になるとすぐ嫁に出されて、ハンスと所帯を持ったそうだ。そして夫の両親たちから若いうちにたくさん子供を産むよう強く求められ、あっという間に10年の時が過ぎたらしい。
今日行われる村の結婚式でも、男の年齢はまちまちだが、女は全て15歳になったばかりなのだそうだ。
「村の中は安全だから、そんな重そうな鎧なんか脱いで、もう少しくつろいだらどうだい」
アニーがエルを気遣って声をかけてくれたが、エルはそれを丁重に断る。
「そうしたいのは山々だが俺はかなりの貧乏人で、これを脱いだらあとは下着だけなんだ」
「ええっ! そんな立派な鎧を着てるから、てっきりお嬢様のご学友かと思っちまったよ」
「よく誤解されるんだが、一見金持ちそうに見えて実は借金を返したら何も残らない一文無しの冒険者さ」
「おやまあ、それは大変だねぇ・・・。なら今夜の祭りでたらふく食べて、明日からしっかり働くんだね」
「ああそうさせてもらうよ。よしせっかくだから俺も炊き出しを手伝ってやるよ。こう見えても家族7人分の飯を毎日作ってたからな」
「そりゃ助かるね。じゃあさっそくで悪いけど、できた物から皿に盛り付けて会場まで運んでおくれ」
「よし来た、任せておけ!」
ベリーズから許可も出たためエルは農婦たちに交じって炊き出し作業を始めた。アニーや他の農婦たちとワイワイ騒ぎながらの仕事はとても楽しく、忙しいながらもあっという間に時間が過ぎていく。
彼女たちの話はほとんどが子育てと夫や姑への愚痴だったが、貧民街とは違う農村ならではの悩みもあって、エルはみんなの話に聞き入ってしまった。
そこで分かったのは、農婦は村からほとんど出ず、一日中家事や子育てをして過ごしており、井戸端会議が唯一の娯楽なのだ。
一方外の仕事は全て夫の役割で、彼らは一日中農作業をしたり、それがない日は街に作物を売りに行って雑貨を仕入れて帰る。
だが外には恐ろしいモンスターや盗賊が出没するため、気軽に街に行くことはできないらしく、騎士団の巡回に合わせるか、たまたま近くを通りかかった隊商にくっついて行くとのことだった。
つまり生活の糧を得るのは専ら男の仕事で、女はそれを助ける内助の功が美徳とされ、農村では男尊女卑の考え方が街よりも根強く、農婦たちは夫や姑からどんなに理不尽な仕打ちを受けても、じっと我慢して尽くさなければならないようだ。
だからこそ嫁同士が集まるこういった機会に、夫の愚痴に花開くのであった。
「エルちゃんももう15なんだから、そろそろお嫁に行った方がいいわよ。いい人でも見つかった?」
「いや、みんなの話を聞いて、結婚したいという気持ちが微塵もなくなった」
エルは真の男を目指しているので、そもそも嫁になるつもりなど毛頭ないが、アニーたち農婦の常識では嫁に行かないという選択肢は存在しないのだ。
「あら嫌だ、女の幸せは子供を産むことなのよ。それに女なんかすぐに年を取るし、早く結婚しないと誰からも相手にされなくなるわよ」
「つまりこの俺に子供を産めってことか。ちょっとあり得なさすぎて、想像すらできないな」
「何言ってるの! よかったら村の男たちを紹介してあげようか。みんな嫁がいなくて困ってるんだよ」
「いやいや、残念だけど遠慮しておくよ。俺は大金を稼がなくちゃならないしこのまま冒険者を続けるよ。ありがとな、おばちゃんたち」
「おやそうかい? もし気が変わったらいつでも相談に乗ってやるよ」
◇
すっかり日が暮れて、収穫祭の準備も全て整った。
ベリーズはタニアとともに領主一族のテーブルに向かい、エルたち3人は他の冒険者たちと共に村人たちに交ざって食事にありつくことになる。
エルはアニーとすっかり仲良くなり、彼女の家族とテーブルを囲み収穫祭を楽しむことになったのだが、アニーの子供たちとしばらく遊んでいると村の外から男たちがぞろぞろと帰ってきた。
明日からは脱穀した穀物を騎士爵家まで運ぶ仕事が始まるそうだが、一番大変な収穫作業を終えた農夫たちの顔はとても明るく、そんな男たちの列にアニーの夫のハンスの姿もあった。
アニーは笑顔を見せながら、ハンスに駆け寄って抱きついた。
「お帰りハンス! 今日もお仕事お疲れ様。怪我もなく無事に帰ってきてくれて本当に嬉しいよ。今日は年に一度の祭りだし、ゆっくり飲んでおくれ」
「ああ、ただいまアニー。これも全て君のおかげだ。さあ今日はアニーも一緒に祭りを楽しもう」
そう言って嬉しそうに笑うハンス。
どうやら夫婦円満らしく、仲のいい二人がテーブルに戻ってくると、アニーがハンスを紹介してくれた。
「これがウチの旦那のハンス、そしてこの娘たちは今夜一緒に祭りを楽しむことになったエルちゃんとシェリアちゃん、そしてカサンドラさんだよ」
「その3人はさっきベリーズお嬢様の警護をしてた傭兵の嬢ちゃんだろ。よろしくな嬢ちゃんたち」
ハンスはとても気さくな性格で、エルたち3人と握手を交わすと、ウズウズしていた子供たちがハンスに群がって、背中をよじ登ったり両手にしがみついてブランコをして遊びだした。
とうやらハンスはかなりの子煩悩らしく、子供たちもハンスのことが大好きなようだ。
それからしばらくハンスと一緒に子供たちと遊んでいると、領主のアレス騎士爵が到着して収穫祭が盛大に始まった。
楽団が音楽を奏でる中、貴族も騎士も村人も関係なくみんな盛大に飲み食いを始め、すぐに祭りは無礼講の雰囲気になっていく。
エルはそんな雰囲気に少し嫌な予感がし、隣の席に座るシェリアに一応釘を差しておくことにした。
「分かってると思うが、ベリーズの警護の仕事は明日も続くんだ。飲み過ぎて警護ができなくなると報酬がもらえないから、今夜はあまりはしゃぎ過ぎるな」
「それぐらい分かってるわよ。心配しすぎよエルは」
「そう言いながら結局いつも飲み過ぎるじゃないか。カサンドラ、コイツが調子に乗り始めたら構わねえから頭を叩いてやれ」
エルがそう言うと、カサンドラが嬉しそうに胸を叩いてエルに答えた。
「承知した。シェリア殿のことは全て私に任せてくれていいぞ、エル殿!」
◇
祭りが始まってしばらくすると、エルたちのテーブルに若い男女が訪れた。二人は今まさに結婚式を挙げている新婚さんだった。
「エルちゃんたちも、この二人を祝福しておくれ」
アニーが二人を紹介してくれたが、夫となる男は17歳で、がっしりとした身体つきの力自慢の少年だ。そして妻となるのはまだあどけなさが残る小柄で元気な15歳の少女だった。
二人は小さい頃から仲が良く、両親同士も早くから二人を結婚させようと決めていたそうで、この収穫祭のタイミングでの結婚となった。
そんな二人は、ハンスとアニーにからかわれながら幸せそうに席を立つと、次のテーブルに挨拶に行く。そしてまた別のカップルが挨拶に訪れた。
こうして新たに3組の夫婦が同時に誕生し、村人たちに盛大に祝福されながら、今夜の祭りには参加せずそれぞれの新居へと足早に帰って行った。
その様子を見ながら、エルはポツリと呟いた。
「あの娘たちはみんな俺と同じ15歳だが、随分大人っぽく見えたな」
するとシェリアもしみじみと呟く。
「そうね。私より2つも年下で、背も低く可愛らしい感じの女の子たちだったのに、みんなしっかり大人だった。平民って本当に15歳で大人になるのね」
「・・・シェリア?」
「あっ・・・わ、私も17歳でもう大人なわけだし、そろそろ結婚しないといけないお年頃よね! あーあ参ったなあもう!」
「シェリア、お前まさか・・・」
「ででででも私って結婚が嫌でこんな遠くまで逃げて来たわけだし、もうしばらく冒険者を続けよっかな」
「え? お前結婚が嫌で逃げてきたのか。俺そんな話初めて聞いたぞ」
「あれ、言ってなかったかしら? 一応私には結婚相手がいたんだけど、彼といても何も楽しくないしこのままずっと一緒にいるのが何か耐えられなくて、思わず逃げてきちゃった。てへ!」
「てへじゃねえよっ! そんなことされたら、たとえ男だって泣いちまうぞ! ・・・・でもそうだよな、シェリアだってもう17歳だし、結婚の話があってもおかしくないよな」
昼間のベリーズの話が頭の中に残っていたエルは、シェリアが本当は貴族ではないのか一瞬疑った。
だが貴族の成人は18歳だと聞いているし、既に結婚の話があったのなら彼女が貴族ということはない。
なぜだか分からないが、シェリアが遠い存在にならなくてよかったとホッと胸を撫で下ろすエルだった。
次回も宴は続きます。お楽しみに。
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