第111話 エピローグ(その2)
帝都ノイエグラーデス皇宮。
謁見の間に通されたエルは、両親とともにその玉座へと歩みを進める。
皇帝との謁見ということもあって、マーヤは妊婦用のドレスを、オットーも新調したタキシードに身を包んでいる。
そしていつもの赤いドレスに身を包んだエルは、対等の立場であることを示すためにメルクリウス皇帝冠を頭に載せて、ローレシアの前に堂々と歩み立った。
するとローレシアは軽く会釈をすると、
「やっと来たのねエル」
「ああ。母ちゃんが身重なので、色々と時間がかかっちまった」
「そう。では始めましょう」
エルと異なり自分の足下に跪くエルの両親を一瞥したローレシアは、準備していた魔術具を作動させる。
すると二人の首筋に刻み込まれていた醜い奴隷紋がスーッと消えていった。
「エリオット、マーガレット、これであなたたちは自由です」
ローレシアの言葉に、奴隷紋が消えたことを互いに確認した二人は、改めて彼女に膝をついた。
「お許しいただきありがとうございます、陛下」
オットーが礼を言うと、だがローレシアは首を横に振った。
「あなた方の罪を許した訳ではありません。これはあくまでエルとの取引であり、二度とわたくしに顔を見せることを許しません」
「承知いたしました、陛下」
広大なアスター大公領の一部となった、亡国フィメール王国。
その王位継承者でかつては婚約関係にあった目の前の男とその彼を奪っていった女に、ローレシアは冷たく言い放つも、この二人にはもう何の感情もないことに今更ながら気づいた。
もう二度と会うことはないかつてのライバル令嬢に、ローレシアは最後に一言だけ言葉をかける。
「そのお腹は」
頭を上げたマーヤはローレシアを真っ直ぐに見つめると、幸せそうな表情で答えた。
「夫との間にできた6人目の子供で、現在6か月になります」
「そう。あなたたち二人の子なら強い魔力耐性を持っているでしょうが、長距離跳躍は危険です。帰りの際は十分に気を付けることね」
「お心遣い感謝いたします、陛下」
エレガントに返答するマーヤは、立ち居振る舞いもその言葉遣いも公爵家の人間にふさわしいものに戻っていたが、これがマーヤ本来の姿であって、庶民的な言葉遣いの方は意識的に行ってきたものだ。
というのも、エルの両親に施された特殊な奴隷紋は、その所有者が禁じた言葉を口にした瞬間、全身を激痛が貫く仕掛けになっていたのだ。
そのため二人は、自分たちの身体を守るために言葉遣いそのものを変えてしまっていた。
そんな両親の貴族言葉に違和感を感じて複雑な表情を見せるエルに、マーヤは優しく微笑んだ。
「そんな顔をしなくていいよ。アンタには今まで通りに接してやるからさ」
「おう! 母ちゃんはやっぱりそうでなくちゃな」
「それと陛下のおっしゃる通り、アンタの婚約者の二人は転移魔法を使っちゃダメだからね」
「・・・・・・」
マーヤの言葉に照れくささで顔を真っ赤にするエルだったが、二人と婚約した経緯を結局エルは上手く説明できず、代わりに二人が全部説明してくれた。
最初は二人の話を唖然と聞いていた両親だったが、その特殊な魔法を継承するのに時間がなかったこと、エルの相手がどうしても必要だったことを伝えると、その場で土下座して謝罪し、二人をエルの嫁として迎え入れた。
そんな二人がエルとの子供を熱望していることを知ると、マーヤは自分以上に二人の身体を気遣った。
「いいかいエル。私たちやあの二人のように魔力の強い女はそう簡単には妊娠しないんだ。だからもし妊娠したら無事出産できるよう二人の身体を大切にしてやらなくちゃいけないよ」
「そうなのか? 母ちゃんが子沢山だから、てっきり簡単に妊娠するものとばかり」
「か、母ちゃんのことはほっといとくれ! それより二人のことを大切にしてやりな!」
そんな母娘の会話に、自分も子沢山のローレシアも気まずくなって慌てて話題を変えた。
「と、ところでエル」
「お、おう・・・何だ?」
「バビロニア王国へはいつ向かうのですか」
「それなら、この後すぐパーティーメンバー全員で向かうつもりだ。だが母ちゃんの言う通りエミリーさんとスザンナは置いて行こうと思う」
「それが良いでしょう。わたくしはこのクエストが無事成功するよう、ここで祈ってます」
「まあ任せろ。俺もお前の母ちゃんを処刑させたくはないし、大船に乗ったつもりでいてくれ」
「それと前もってあなたに伝えておくことがあります。アレクセイ夫妻がアスター大公領内を走り回っているのはご存じだと思いますが、彼らが分家たちに呼びかけた結果、ほとんどの者があなたの国への移住を決めました」
「えっ? もうそこまで話が進んでいるのか」
「ええ。わたくしの想像以上にお母様は分家から反発を受けていたようで、本家に恨みを持つ彼らは喜んであなたに付いていくことを選んだようです」
「マジかよ・・・」
「おかげでアスター大公領には本家しかいなくなるため、跡取りが育つまではこのわたくしが大公領を直接統治することにいたしました」
「皇帝と大公を兼任するのか・・・そっちはそっちで大変そうだが分家のことは引き受けた。南方新大陸は未開拓地が多いし仕事もいくらでもあるから、みんな喜んで働いてくれるだろう」
「彼らのことをよろしくお願いいたします」
◇
◇
◇
季節が変わり商都ゲシェフトライヒに冬が訪れた。
マーヤは無事出産してエルに可愛い妹ができ、エミリーとスザンナも妊娠に成功してお腹が少し膨らんでいる。
そして今、エルはゲシェフトライヒ港にずらりと並ぶ鋼鉄の移民船団に次々と人が乗り込んでいく様子を見つめていた。
アスター大公家の分家は既に全員が搭乗を終え、今はエルをずっと見守り続けて来たヒューバート騎士団改めエル親衛隊が、家族と共に笑顔で船に乗り込んでいる。
エルの隣に立つジャンは、
「俺はヒューバート家当主なのでお前さんと一緒に行くことはできないが、他は全員お前と運命を共にすることを選んだ。アイツらのことを頼む」
「任せろ。それにこれが今生の別れって訳じゃないし、ジャンもいつでも遊びに来てくれ」
「そのうちな。じゃあエル、俺はそろそろ行くよ」
「ああ。元気でなジャン」
「エル、お前もな」
ジャンは背を向けると、手をひらひらさせてエルの元を去った。
(今までありがとな、ジャン)
彼の背中を見つめながら、エルは共に臨んだバビロニア王との交渉を思い出していた。
秋の始めにバビロニア王国に乗り込んだエルと仲間たちは、アリアが残してくれたメモを元に娼館のオーナーたちを脅して様々な証拠をかき集めた。
そして準備万端を整え、バビロニア王城に堂々と乗り込んだエルと仲間たちを、バビロニア王とユリシス王子は最初、エルが早速行儀見習いに来てくれたものと勘違いして大喜びで城に迎え入れた。
しかもこの時初めてエルを見た二人は、その見目麗しい美貌もさることながら、アスター家の血筋がハッキリと分かる金髪と緑の瞳と、さらには全属性の大魔力まで持っていることに狂喜乱舞。
普段は石橋を叩いて渡るほど慎重な性格のバビロニア王もこの時ばかりは判断を誤り、王都にいる貴族を集めてエルのお披露目会を開催してしまった。
一方エルも、国王との交渉に来たはずがなぜか大嫌いな舞踏会に出席させられ、ユリシス王子にエスコートされて紹介されたのが顔見知りの貴族たちばかり。
その貴族たちも、新進気鋭の商人だと思っていたエルが実はアスター家の皇女だと知ってビックリ。
どういうことだと詰め寄る国王に、破れかぶれになったエルは全員の前でユリシス王子の悪行をぶちまけ、婚約破棄を宣言した。
さらには醜聞を隠ぺいして婚約を締結したことに対する慰謝料として5億Gをバビロニア王に請求。
それに慌てた国王は、ユリシス王子の醜聞を否定してエルの要求も突っぱねたが、社交界で信頼を重ねていたエルが確固たる証拠を突きつけると、貴族たちはみんなエルの話を信じた。
大混乱の舞踏会会場を後にしたエルと仲間たちは、怒り狂った国王の追手から逃れるため高級娼館アデルに潜伏を開始。
それからしばらくの間は王都の混乱ぶりを観察していたが、やがて社交界の混乱を抑えきれなくなった国王がユリシス王子を切り捨て国外追放を決断。
同時にランドン=アスター帝国へ宣戦布告し、全軍を率いて進軍を開始した。
「こうなったら俺たちも強攻策に出よう。俺はカールビエラ総大司教猊下に話をつけるから、エレノア様はブリュンヒルデ殿下の方を頼む」
「承知いたしました。お気をつけてエル様」
こうしてバビロニア王国との戦いを決意したエルたちだったが、王国軍が帝国との国境にたどり着く直前に、魔法王国ソーサルーラの魔導騎士団で彼らの後背を奇襲することに成功。
それとタイミングを合わせて帝国側からなだれ込んだゲシェフトライヒ騎士団が正面から攻撃を開始。
両軍に挟撃されることで緒戦で大ダメージを負った王国軍は、補給線も断たれて王都への撤退を開始。
その後王都を封鎖して籠城を始めた国王だったが、そこで待ち受けていたのは次期国王の座をめぐる泥沼化した後継者争いだった。
王都を舞台に側室と後ろ盾貴族が演じる血なまぐさい宮廷劇に、頭を抱えるバビロニア王。
そんな彼を救ったのが、エレノアの口利きで仲介に入ったレッサニア王だった。
彼の呼びかけで会談を重ねた結果、無償で取決文書を破棄することにバビロニア王が同意。
帝国から5億Gを返還するだけで全て手打ちとなったことで、アスター大公家の名誉は無事守られた。
それとは別にバビロニア王国の敗北が確定してランドン大公家と魔法王国ソーサルーラそれぞれに5千万Gの賠償金が支払われることになり、また、エルの新帝国を含む4か国間で停戦協定が結ばれた。
こうしてバビロニア王との交渉を見事成功させたエルは、史上最高のクエスト報酬額である1億Gを手にするとともに、冒険者の最高位であるSランクまで一気に上り詰めた。
また、アレクセイ、レオリーネ、シェリア、カサンドラ、エミリーを含む6人のSランク冒険者を擁するパーティー「獄炎の総番長」も、Sランクパーティーとして全世界にその名を轟かせることとなった。
◇
エメラルドプリンセス号の艦橋の一番見晴らしのいい席に陣取ったエルは、分家に仕えていた配下の騎士とその家族、領民を含めた総勢1万名全てが移民船への搭乗を終えたとの報告を艦長から受けた。
そして艦長が持ち場に戻ると、隣に座るシェリアがエルの耳元でこっそり尋ねた。
「ねえエル。新帝国の名前はもう決めたの?」
「ああ、決まった」
「え、なになに? 教えて」
「うーん、向こうに着いたら発表するつもりだから、みんなにはまだ黙っていろよ」
「もちろんよ。だから早く早く!」
急かすシェリアにエルは耳元で答えた。
「ユグドラシル帝国だ」
「ユグドラシル・・・それってどういう意味?」
「レオリーネから聞いた話なんだが、ユグドラシルは「世界」を意味する古い言葉で、妖精シルフィードが南方新大陸を支配していた頃、あの大陸全体がそういう風に呼ばれていたそうだ」
「へえそうなんだ。ユグドラシル・・・ユグドラシル帝国か。中々いい名前じゃない!」
「だろ」
そうしているうちに出港準備が整ったことを伝えられたエルは、後ろを振り返って元気に声を上げた。
「エメラルドプリンセス号、発進せよ!」
この物語はここで終わりますが、彼女の人生はまだ始まったばかり。
エルはこれからもずっと、愛する家族や仲間たちとともに幸せに生きていくことでしょう。
〜 終 〜
ご愛読いただきありがとうございました。
連載はこれで終了しますが、エルの後日談についてもそのうち書いて行きたいと思います。
皆様とまたお会いできる日を楽しみにしてますので、それではまた!