第1話 奴隷の少女エル
これはデルンという街の片隅に住む、とある奴隷の家族の物語だ。
街でも有数の大商人の奴隷である両親とその5人の子供たちは、貧民街のさらに路地裏にある奴隷長屋で慎ましく暮らしていた。
兄弟は上から順にエル(15)、ジェフ(11)、ヨブ(9)、エイク(5)、ミル(1)。本当はもっとたくさん兄弟姉妹がいたのだが、半分ぐらいは流行り病で既に死んでしまっていた。
父親のオットー(38)は港湾の倉庫で、母親のマーヤ(34)は主人の屋敷で、朝暗いうちから夜遅くまで働き、次男のジェフと三男のヨブもギルドから紹介された煙突掃除や薬草採集などで一日中働いていた。
一方長男のエルは身体は大きいが力が弱く、両親からも「エルは外に働きに出ずに家の中で家事だけしていればいい」と言われ、エイクとミルの面倒を見るのはエルの仕事で家事も全て一人でこなしていた。
その日の朝もいつもと同じように、エルは日が昇る前に起床して朝御飯の準備をしていた。
奴隷はご主人様にとっての私有財産であり飢え死にすることはないのだが、エルを含めて育ち盛りの少年ばかりのためご主人様からの支給では食事が足りず、市場で拾った野菜かすや雑穀を集めて、何とか腹を満たしている。
ほとんど汁ばかりで腹持ちがいいものではないが、育ち盛りの弟たちはそれを奪い合うとあっという間に全て平らげてしまった。そして不満そうに、
「もう終わりかよ。たまには腹一杯食いてえなあ」
三男のヨブがそう言うと、次男のジェフも、
「アニキが外で働いてくれれば、もう少しましなものが食えるのにな」
そう言って長男のエルをチラっと見るのだが、その話題になると決まって母親のマーヤが怒り出すのだ。
「エルは身体が弱くて外で働けないんだよ。それとも何かい、アンタたちが炊事洗濯、子供の面倒まで全部見てくれるのかい」
「ええっ・・・い、イヤだよ、なあヨブ」
ジェフは都合が悪くなるとすぐ弟に話をふるが、
「おいらはエル兄に外で働けなんて言ってないもん」
「ズルいぞ、ヨブ!」
そしてジェフとヨブがケンカを始めるのだった。
さて、ここまではいつもと変わらぬ風景なのだが、今朝はここからが少し違った。
「うわあっ!」
「どうしたんだい、エル」
突然叫び声をあげたエルに、マーヤは心配そうに尋ねた。
「ミルのやつがおもらししちゃったんだよ」
エルはミルを抱っこしながら食事を与えていたが、まだ1歳になったばかりのミルは、おもらしをした後わんわんと泣き出した。
服がびしょびしょになって苦笑いをしているエルに、マーヤはホッとした顔で笑いながら言った。
「ミルはまだ小さいから仕方ないよ。母ちゃんたちはもう仕事に行かなくちゃいけないから、後の事は頼んだよエル」
「分かった母ちゃん。父ちゃんも行ってらっしゃい」
「おう! 行って来るぞ」
そう言って両親はそれぞれ大きな道具袋を背負うと集合場所へと向かった。
貧民街には奴隷長屋がたくさんあり、毎朝時間になると奴隷たちは集合場所に集められ、それぞれのご主人様の屋敷へと連れていかれる。
奴隷たちが逃げ出さずに大人しく従っているのは、奴隷の身体に『奴隷紋』という契約魔法が刻まれているからで、その所有者から離れると全身に激痛が走り最後は死に至るからだ。
それに大人しく働いていれば僅かだがちゃんと給金が貰える。もちろんそれで飢えはしのげないが、子供たちに日雇い仕事で働かせれば家計の足しにできて、なんとか暮らしていける。
そんなギリギリの生活の中、家事を一手に引受るエルはミルのオムツを代えるために納屋に向かった。
普段ならミルがおもらししてもそのまま放っておくのだが、この後洗濯に行く予定なので自分の着替えもまとめて済ませようという考えだ。
「おい、ジェフとヨブ。今からミルの着替えをするから、中に入って来るんじゃねえぞ」
「「分かってるよ、アニキ」」
エルは弟たちに念を押すと納屋の扉を閉めてカギをかけた。そして戸棚からボロ布を出すとミルのオムツを手早く交換する。
ついでにおしっこで濡れた自分の上着も脱ぐと、
「・・・やだなあ、また大きくなってるよ」
エルは胸にきつく巻いたサラシをほどき、成長期で大きくなった自分の胸にため息を一つついた。
そう、エルは女だったのだ。
もちろんエルは、自分が女であることを幼い頃から自覚していたが、そのことにずっと違和感を持ち続けており、それを知った両親は彼女に男のふりをさせることにしたのだ。
「ねえ母ちゃん、本当に私は女の子の格好をしなくてもいいの?」
「ああそうだよエル、あんたはこれから男の子として過ごすんだ。さもないと・・・」
そしてマーヤは怖い顔をしながら、奴隷の女が将来どのような人生を歩むのか、子供にも分かるようにしっかり言い聞かせた。
それを聞くたびエルは強いショックを受け、絶対に女であることがバレないように、必死に男として振る舞うのだった。
思春期に入るまではもちろんそれでもよかったが、成長とともに身体に女性の特徴が現れてくると、男のふりをするのも無理が出てきた。
そしてこれ以上は危険と判断した両親は、エルが続けてきたギルドの下働きをやめさせ、家事に専念させることにしたのだ。
エルが女であることは近所の住民も知らないことで、両親以外に自分が女であることを決して漏らさないように、細心の注意を払って生きて来た。
そう、弟たちにも・・・。
だがその時、カギを閉めていたはずの納屋の扉が開くと、四男のエイクが入って来て上半身裸のエルと目が合ってしまった。
「あれ、エル兄ちゃん・・・それって母ちゃんと同じオッパイじゃ」
「しまった、カギが壊れていたのか・・・」
エルは慌てて自分の胸を隠したものの、大発見をして興奮するエイクはジェフたちの所に走って行った。
「ねえねえジェフ兄ちゃん、エル兄ちゃんにも大きなオッパイがあったよ!」
「はあ? 男に、んなもんあるわけねえだろ」
「でも母ちゃんぐらい大きかったんだから」
「ええっ! ウソだろエイク・・・」
「面白そうだなジェフ兄、ちょっと見に行ってみようぜ」
(まずい、弟たちが納屋に入って来る)
エルは慌てて扉を閉めようとしたが、それより早く3人の弟たちが納屋に入って来てしまった。
そしてサラシを巻き直す時間もなく上着を着ただけのエルの胸元を見てジェフとヨブは思わず絶句した。
「ウソだろ・・・どうなってるんだこれ」
「エイクの言ってたことは本当だった・・・」
「ねっ! エル兄ちゃんにオッパイがあったでしょ」
そう得意げに話すエイクに、二人の弟はコクコクとうなずくばかり。
「本物のオッパイだ。しかもかなりデカい・・・」
茫然としながら言葉を発するジェフに、まだ頭が混乱しているヨブが尋ねた。
「ジェフ兄・・・ひょっとして俺たちも15歳になると胸がデカくなるのかな。嫌だなそれ・・・」
「んなわけねえだろ!」
「じゃあ何でエル兄は・・・」
「・・・エル兄は、本当は女だったんだよ」
「エル兄が女・・・えええっ!」
「俺たちみんなガリガリなのに、エル兄だけちょっと太っていたし、声もやけに甲高いから変だなとは思っていたんだ。でも胸や体型を隠すために服の下にボロ布を巻き付けていたのなら納得できる」
「じゃあエル兄は『エル姉』ってことか」
「ひいいっ・・・キモっ!」
「う、う、うわあああーーーっ!」
そして大声を上げた弟二人は、そのまま外に走り去ってしまった。
「おい待てよジェフ! ヨブ! 戻って来てくれ!」
エルが慌てて呼び止めたが二人の弟は戻って来ず、どうやらそのまま仕事に出かけてしまったようだ。
その後エルは洗濯をするため、ミルを背負って近くの井戸へと向かった。
井戸では朝早くから貧民街の女たちが集まって水汲みやら洗濯をしていたが、そこは自分の夫の愚痴やら下世話なうわさ話が飛び交う社交場でもあった。
エルはさっきのこともあり、自分の正体がバレていないかとても心配だったが、噂好きの女たちはいつもと同じように自分に接してくれた。
(どうやらみんなにバレてなかったみたいだ・・・)
弟たちもさすがに街では言い触らさなかったようだが、エルはマーヤの語った奴隷女の運命を思い出してゾッとした。
(もし私が女だとみんなに知れたら・・・)
奴隷の両親から生まれた子供は奴隷であり、両親の所有者であるご主人様の私有財産となる。
つまり自分の運命はご主人様次第であり、男に生まれれば貴重な労働力として両親とともに使用されることも多いが、女に生まれた場合は奴隷の繁殖のために使われるか、奴隷商人に売却されることになる。
容姿のいい女は奴隷商人に売り払われるが、その多くは娼館で身体がボロボロになるまで働かされ、最後は病気で苦しみ若くして短い生涯を終える。
一方、奴隷商人も引き取らないような醜い娘だけが繁殖用としてご主人様の手元に残るが、顔見知りの奴隷男と所帯を持たされるのはまだマシな方で、見ず知らずの土地に売られて新たなご主人様の元でどんな奴隷男と所帯を持たされるかわかったものではない。
だからエルの両親は、彼女が女であることをギリギリまで隠しつつ、奴隷ではなく農夫の嫁にするためにこっそり縁談を探していたのだ。
(娼館になんか行きたくない・・・)
暗い気持ちを抱えたままエルが洗濯を急いでいると、井戸に一人の女が現れた。
その女は特に噂話が大好きで色んな噂を聞きつけては井戸端で得意げに話すのだが、今朝は格別に機嫌がよく、新しく仕入れた噂を早くみんなに喋りたくてウズウズしているようだった。
そんな彼女が、いつもは気軽に声をかけてくるはずのエルをチラッと見ただけで素通りし、他の女たちとコソコソ話を始めた。
そして女たちが一斉にエルの顔を見ると、驚きと憐れみが混ざった複雑な表情を見せたのだ。
(私の正体がバレたんだ・・・)
エルは洗濯を途中でやめて荷物をまとめると、逃げるように家に帰って扉を固く閉ざした。
次回「覚醒」。お楽しみに。
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