第98話 泥沼の政略結婚(前編)
「本題というのは、長男マルスの婚約についてだ」
「婚約? ・・・そう言えばそんな話があったな」
不死王フェニックス討伐ですっかり忘れていたが、魔王はエルをマルスの婚約者に指名したのだ。
真面目な顔になった魔王がジャンに向き直る。
「ヒューバート伯爵、エルをマルスの婚約者にしようとしたことはゴウキから聞いていると思うが、あの後ローレシアに申し込みに行ったらキッパリ断られた」
するとジャンがため息をついて、
「その話を初めて聞いた時、すんなり進む話ではないと思ってました。お嬢のお立場ではとても認められる話ではないし、ましてアナスタシア大公妃は・・・」
「そうなんだ。この話を持ち込んだところアナスタシア大公妃が激怒したらしく、エルの結婚相手は自分が決めるとローレシアに宣言してしまったらしい」
「やはり・・・俺はお嬢や大公妃と共にステッドと戦ったから、お二人の気持ちはよく分かるのです」
「そうだったな。俺はその男のことを直接は知らないし、シリウス教徒に騙されて使い捨てにされた哀れな男ぐらいにしか考えてなかった」
「総大司教カルに利用されたのはそのとおりですが、奴本人もとにかく性根が腐ってました。お嬢を殺すために何度も襲ってきたし、大公夫妻も必死でお嬢のことを守ってました。だからステッドとフィリアの子供同士を結婚させるなどアスター大公家にとっては悪夢でしかありません」
「悪夢か。フィリアはアスター本家の話を全くしないし、俺も興味がないから軽く考えていた」
「ですがエルの結婚相手をアナスタシア大公妃に任せるのに、俺は反対です」
「え?」
「俺はエルが生まれたその日から見守って来たし、今では本当の娘のように思っている。それにコイツはステッドと正反対の真っすぐな娘で、もし嫁に行かせるなら本当に好いた男と幸せになって貰いたい」
「そうか、後見人のヒューバート伯爵の考えはよく分かった。では同じアスター家であるアレクセイはどう思う。やはりマルスとの結婚には反対か」
話をアレクセイに振った魔王は、この晩餐会の場を借りてエルとマルスの婚約について根回しをしたかったようだ。
だがアレクセイをこの場に呼んだことで、その後のエルの運命が大きく動いてしまうことになる。
「いや、俺はエルとマルスの結婚に賛成だ」
「本家とは違う考えなのか。理由を教えてくれ」
「いくつかあるが、最も大きな理由はエルが南方新大陸の事実上の支配者であること。猫人族の里を手始めに、途中立ち寄った帝国軍基地周辺の獣人族の村落は全てエルの支配下にある」
「鳥人族マフィアの支配から彼らを解放した結果か」
「そうだ。そしてサキュバス王国、リザードマン王国の2大強国がエルに膝を屈し、メルクリウス帝国に属する全ての鬼人族国家も既に忠誠を誓っている」
「なるほどな。要するにウチのマルスよりエルの方がメルクリウス帝国の後継者にふさわしいと」
「ああ、魔王と同じ意見だよ。それともう一つの理由は俺がアナスタシア大公妃を大嫌いなことだ」
「え?」
「ヒューバート伯爵はよく知っていると思うが、今の帝国において俺たちアスター家の分家筋はかなり冷遇されている。爵位こそ高いが猫の額ほどの領地に押し込められ、要職にもつけずに権力の中枢から遠ざけられている」
「・・・・・・」
「俺はこんな性格だから気ままな冒険者稼業を楽しんでいるが、本国には忸怩たる思いを抱えながらひっそりと暮らしている奴らばかり。だから俺は分家筋を回って提案してみようと思う。全員で南方新大陸に移住しないかとな」
「「なっ!」」
アレクセイの言葉に、魔王とジャンが同時に目を見開いた。
「お前はアスター家を2つに割るつもりか」
「もう分かれているさ。しかもそれをやったのは俺じゃなく大公妃とその言いなりの皇帝。だからみんなに教えてやるのさ。南方新大陸の新たなる支配者エルのことをな」
「お前が言っているのは、エルを当主とするアスター家をこの地に立てるということだぞ」
「そうだ。そしてエルにはその資格がある」
シンと静まり返ったテーブルで、ごくりと唾を飲んだ魔王がエルに向き直った。
「アレクセイの物騒な意見は置いておいて、こういうことは本人たちの意見も重要。エル、お前の考えを聞かせて欲しい」
「俺か・・・正直に言えば、誰とも結婚したくない。だが父ちゃんと母ちゃんを奴隷の身分から解放するためには皇帝が決めた男と結婚しなければならん」
「両親の名誉を回復するために、自分の人生を犠牲にするのか」
「犠牲といえば犠牲だが、男と結婚すること自体が俺にとっては罰ゲーム。それなら、父ちゃんと母ちゃんの身分と引き換えでないと割に合わん」
「・・・ん? それって結婚自体が嫌なのか」
「だからさっきからそう言ってるだろ。誰が好き好んで男なんかと結婚するかよ」
「「「・・・・・・」」」
静まり返ったテーブルで魔王が一人頭を抱える。
「話をまとめるとこうだ。アスター皇家はエルを帝国から追放したいが、マルスとの結婚には大反対。逆に分家筋はエルとマルスの結婚によってエルを当主とする新たなアスター皇家を南方新大陸に作りたい」
「・・・・・・」
「一方、後見人のヒューバート伯爵はそういった政争とは無関係にエルに幸せな結婚をして欲しいが、当のエル本人は誰とも結婚せずに独身を貫きたいと思っている。意見がまるでバラバラじゃないか・・・」
ため息しか聞こえないこのテーブルで、だがシェリアだけは満足そうに頷いている。
「うんうん分かるよその気持ち。私も絶対結婚したくないし、独身のままずっと一緒にいようね、エル」
「願わくばそうしたいが、まずは父ちゃんと母ちゃんをなんとかしないとな」
両親のことを考えると暗い顔になりがちなエルに、魔王が尋ねる。
「最後に一つだけ聞かせてくれ。マルスのことはどう思っている」
「そうだな、マルスは男前なのに真面目で優しいし、人への気遣いもできる。誰かと結婚しろと言われればマルスを選んでもいいが、友人として付き合っていければ最高だ」
「そうか、ありがとう」
◇
エルの話が終わると、魔王はマルスの事情を話し始めた。
「元々マルスはここにいるエリス王女と婚約をしていた。だが知っての通り我が帝国は様々な鬼人族の寄り合い所帯でその統治が難しく、たとえマルスが結婚しても彼らの忠誠を得られるまで帝位を継がせられないのが悩みの種だった」
「それは分かるが魔王はまだ若いしあと数十年は現役でいられる。マルスのことは長い目で見ればいいじゃないか」
エルがそう言うと、魔王は裏事情を語りだした。
「俺は仕事が忙しくてこの宮殿にはめったに帰れず、帝国の統治は妻のフィリアに任せきりになっている。その彼女が寂しがって、皇妃を辞めたがってるんだ」
「はあ?」
「妻の意志は固くどうにか説得してあと3年は待ってもらえることになった。3年経てばマルスも18歳になるし、その時までに鬼人族の王たちの忠誠を勝ち取らせて帝位を継がせようと」
「3年って、随分短いな」
「そんな時にエル、お前が現れた。最初にお前を見たのは海賊団レッドオーシャン討伐戦だが、この大陸に来てからはお前のことをずっと見ていた。そしてリザードマン王国の大武闘会を制した時、お前なら鬼人族の王たちを従えることができると確信した」
「だからどこから監視してたんだよ!」
「お前のことを教えると妻は大喜びし、今すぐマルスと結婚させて帝位も譲りたいと言い出した。最初はお前が18になるのを待って帝位を継いでもらう予定だったが、お前は魔王軍を率いて不死王フェニックスを討伐してみせた。今すぐにでも皇帝の座に就ける」
「なるほど、事情はよく分かったがあまりに自分勝手な理由だな。俺はともかく、親の都合に振り回されるこの二人がかわいそうだろ!」
「それは・・・」
エルは魔王の隣に座る少女、アージェント家の王女エリスに目を向けた。
豪奢な金髪が綺麗に整えられ、少女漫画に出て来るような大きな縦ロールが目立つお姫様だ。
澄んだ青い瞳に透き通るような真っ白い肌。
整い過ぎた美しい顔は冷たくすら感じてしまうが、それはエルに向けられた感情が表れた結果なのかもしれない。
魔王の話は続く。
「マルスは光属性で結婚相手も同じ属性が望ましいため、ランドン=アスター帝国と東方諸国の王族に打診をしてみた。だがいつになっても色よい返事が得られず、余計な軋轢が生じることを危惧したアージェント王家がエリス王女との婚約を申し出てくれたんだ」
「ありがたい話じゃないか」
「ただエリスとマルスの魔力はあまり相性が良くなかったため、他にいい人が見つかれば話はなかったことにしてもいいとの約束付きだった。だからお前のことを伝えると簡単に婚約解消に応じてくれた」
「ウソだろ・・・そんな都合のいい話があるのかよ」
「これにはある計画が裏にあるんだが、その話をすれば話がまた長くなる」
「分かったよ。それで?」
「で、その足でノイエグラーデスのアスター皇家に婚約を申し込みに行っところ、エルの婚約を打診したのはメルクリウス王家の王子であって、フィリアの息子とは絶対ダメだと追い返されてしまった」
「それで結局マルスの婚約者は誰もいなくなってしまったと。ちょっと待て、まさか一度断りを入れたのにエリスとの婚約を復活させようとアージェント王国に頼みに行ったんじゃないだろうな」
嫌な予感がしたエルが魔王に尋ねる。
「ああ行ったよ。だがそこでも俺はけんもほろろに追い返されてしまった」
「あっちゃー・・・まあ普通はそうなるよな」
「こっぴどく叱られた。一度婚約解消しておいて相手に断られたからもう一度なんてアージェント家の名誉のためにも絶対に許さないと。それも戦争も辞さない勢いでまくしたてられたよ」
「せっかくいい人だったのに、そこまで怒らせるって余程のことだぞ。もう他の婚約者を探した方がいいんじゃねえか?」
「もういないんだ」
マルスの婚約者が見つからない理由は嫁ぎ先がゴブリンやオークが出没する野蛮な南方新大陸であり、蝶よ花よと育てられた王女様は、わざわざそんな場所に嫁ぎたくないらしい。
もちろん魔王は親族の娘も考えたが、候補になるのはまだ10歳の少女しかいなかった。
「エル、場合によってはアリアを嫁にくれないか」
「はあぁぁぁぁぁ?」
次回もお楽しみに。
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