第68話 エピローグ
「エル様」
「どうしたエレノア様」
アレクセイ夫妻の再会も一段落し、エレノアがもう一人の女性のことをエルに尋ねる。
「そちらの方もサキュバスの変装をされているようですが、どういった理由で救出されたのでしょうか」
「変装? いやコイツは本物のサキュバスだけど」
「まさか。だってエル様やベッキーさんの方がはるかに本物っぽくて、そちらはかなり雑な変装かと」
「う、嬉しくねえ・・・まあ確かにコイツは清楚すぎて全然サキュバスには見えないが、彼女はセシリアと言ってサキュバス王国の第一王女なんだ。理由あって帝国に連れて行くことになったから、みんな仲良くしてやってくれ」
「サキュバス王国の第一王女って、ウソ・・・」
セシリアの正体を明かした途端エレノアはその場で卒倒し、他の全員は慌てて物陰に隠れた。
「待て待て、そんなに警戒しなくていいぞ。コイツは魅了スキルがまともに使えないポンコツだから、帝国に渡って普通に夫を探すことになったんだ」
そしてエルは、セシリアを連れてくることになった経緯をみんなに説明した。
◇
「サキュバス王国でそんなことが・・・。でも今のお話が本当なら、エル様はサキュバス王国の国王夫妻から絶大な信頼を寄せられ、次期女王であるセシリア王女殿下の命運を託されたと」
「命運ってそんな大袈裟なものじゃ・・・」
「そしてミモレーゼ第二王女殿下は現在エル様の精神支配下にあり、仮に彼女が女王になった場合も精神支配を一生解かれることはないと」
「人聞きが悪いな! そもそもこれを望んだのは俺じゃなく国王夫妻だからな!」
「ですがその場合、事実上エル様がサキュバス王国の支配者・・・」
「言い方っ! 俺は支配者じゃねえ!」
身もふたもないエレノアの言葉を否定するエルだったが、遠慮がちに話を聞いていたセシリアがエレノアに同意する。
「エレノア様のご理解でいいと存じます。お父様は生涯ミモレーゼの魅了を解くつもりはございませんし、わたくしが女王となった場合もエル様を裏切るつもりは毛頭ございませんので」
「では我が国との相互不干渉の条約は」
「ランドン=アスター帝国とは友好条約を締結する方向で、お父様から全権を委任されております」
「承知いたしました。では帝国への帰還後、南方新大陸全権大使であるお義母様と交渉の場を設けさせていただきます」
「ありがとう存じますエレノア様」
エレノアとセシリアがしっかり握手をすると、南方新大陸最大の脅威だったサキュバス王国との関係構築が確定的となり、基地司令室に大歓声が起こった。
◇
祝賀ムードの基地司令室で、今度はエレノアたちの報告が始まった。
「エル様ほどではないですが、わたくしからも報告がございます」
「そういや2週間もあったし、何か面白いクエストでもやってたのか」
「クエストではないのですが、エボナ基地周辺の村落を全て帝国の支配下に置いておきました」
「帝国の支配下って・・・お前らクエストじゃなく、侵略してたのかよ!」
「そういう訳ではないのですが、港町シュターク同様この地域にも鳥人族マフィアが入り込んでいたので、彼らを一掃していたら結果的に・・・」
「鳥人族マフィアか。アイツらこの大陸で好き勝手してるようだが、何か情報は引き出せたか」
「残念ながら。逃げきれないと分かると彼らは全員その場で自害してしまい、結局何も・・・」
「そうか。まあ情報なんかよりみんなが無事だったことの方が大事だ」
「わたくしもそう思います。ではエル様への紹介も兼ねて、今夜は新町長の館で宴会でもいたしましょう」
「お、いいなそれ! 久しぶりに全員が集合したし、ジャンと騎士団のやつらも誘って盛大にやるか!」
◇
宴会も終わり、町長宅から基地へ帰るエルたち。
その先頭を歩くエルが基地周辺に広がる繁華街の一角に差し掛かると、安宿の前に小さな荷馬車が止まっているのを見つけた。
街へ着いたばかりなのか荷台にはしっかりとホロがかけられており、長旅を終えて疲れた様子の夫婦がちょうど馬車から降りて来る所だった。
夫婦は薄汚れたボロをまとい、夫は醜く貧相なゴブリン。そして妻は夫よりも背が高く、普通の人間のように見える。
夫は妻の手をしっかりと握っていたが、妻をエスコートするというより、逃げ出さないように捕まえているようにエルの目には映った。
それが気になって暗がりの中夫婦に近づいて行ったエルは、妻の顔を見た瞬間思わず声を上げてしまう。
「ボニータ・・・なのか」
驚きを含んだエルの声に、ビクッと肩を震わせた妻がこちらを振り返る。
「・・・あなたは確か、私が浮気してる所を映像宝珠で撮影した女」
愕然とした表情でエルを見つめるボニータは、だが自分を陥れたエルに怒りをぶつけるでもなく、裁判の時のように泣きわめくでもなく、今の自分の姿を見られたくないのかここから逃げ出そうとしている。
だがエルに見惚れて動こうとしないゴブリン夫が彼女の手をしっかり握っていたため、中々この場から立ち去れないボニータ。
すると少し後ろを歩いていたアレクセイがエルに追いついてしまった。
「エル、今ボニータと言った気がしたが、ひょっとしてあの女がそうなのか」
そうエルに尋ねたアレクセイは、ボニータの顔を不思議そうに見つめている。
一方のボニータは、1年間一緒に暮らした元夫に今の自分を見られたくないようで、必死に顔を隠そうとしている。
その様子にエルは、
「アレクセイ、お前には魅了にかかっていたから本当のボニータの顔を知らないんだよな」
「ああ。俺の記憶にあるボニータはレオリーネを超える絶世の美女だったが、なるほどこれが本当の彼女だったんだな」
そう言って興味深そうに頷いてみせたが、それはボニータ自身にではなく彼女の魅了スキルの凄まじい威力に関心を持ったからだった。
ボニータはショックだった。
アレクセイはつい2週間前まで自分を愛してくれた良き夫であり、裁判所では浮気していた自分に激しい嫉妬を抱いてくれていた。
だが魅了が切れた途端、あの時の愛憎劇が幻のように全て洗い流されてしまったのだ。
自分を求め続けてくれた自慢の夫はもういない。
新しい夫との関係を嫉妬されるでもなく、これからボニータを待ち受ける過酷な運命を心配されるでもなく、ここにいるかつての夫はもう自分に何の興味もないのだ。
オクレウスに騙されていたとは言え、自分の愚かな浮気のせいで完璧な夫と豊かな生活を失い、借金まみれの自分の手を握っているのは醜く貧相なゴブリンの夫である。
「・・・アレクセイ・・・私を見ないで」
どうにもいたたまれなくなったボニータは、アレクセイを見上げる今の夫の手を強引に振りほどくと、急いで宿の中に逃げ込もうとした。
だが、
「待ちなさい」
「え?」
凛とした声がその場に響き渡り、ボニータが思わず後ろを振り返ると、そこには赤ん坊を胸に抱いた一人のエルフ女性が立っていた。
その完璧な造形を持つ絶世の美女の肩をアレクセイが優しく手を添えた瞬間、彼女がどういう立場の女性なのかをボニータは理解した。
そしてその美女は今、氷のような冷たい目でボニータを睨みつけている。
レオリーネは、目の前にいるみすぼらしいサキュバスが自分の夫を奪っていった真犯人であることに気付くと、怒りで頭が真っ白になった。
(この女だけは絶対に許さない。あなたが誰の夫を奪おうとしたのか、そして誰を敵に回してしまったのかを思い知らせてやる!)
レオリーネが怒りで肩を震わせているのに気がついたアレクセイは、
「レオリーネ、ボニータは魅了スキルを奪われた上に見ての通りゴブリンの花嫁になった。もう十分に罰を受けたんだから、コイツのことなんか忘れろ」
「ええそうね。でも・・・」
「君の怒りは分かったし、彼女に救いの手を差し伸べるようなことはしない。だから行こう」
そう言ってレオリーネの肩を抱いて踵を返すアレクセイに、もしかして助けてくれるのではないかと甘い期待を抱いていたボニータが絶望の表情を浮かべる。
「ああ・・・アレクセイ・・・」
声にならないうめき声を上げたボニータだったが、アレクセイの手を解いたレオリーネが再び彼女に向き直る。
「いいことを教えてあげる」
「え?」
「あなたが1年間夫婦として暮らしていたアレクセイは本当は貴族なの。人族の住まう北の大陸に広い領地と大きなお屋敷があって、一生遊んで暮らせるほどの金銀財宝と、たくさんの使用人がいるのよ」
「アレクセイって貴族だったの?」
「そうよ。そして彼の妻であるわたくしは、サキュバス王国マリーネ王妃の実の姉でもあるの」
「ひいっ! 私知らなかったの。まさかアレクセイが王妃様のお姉様の夫だってことを。本当に申し訳ありませんでした・・・」
レオリーネのあまりの身分の高さに、慌てて土下座をしたボニータの身体は恐怖でガタガタ震えていた。
それと同時に、目の前に立つ華麗な夫婦に比べて、自分がいかにみすぼらしいかを思い知らされた。
そして狭く不潔な洞穴でこれから5年間もゴブリンの嫁として暮らさなければならない自分の運命に絶望し、全身の力が抜けてしまった。
これから自分はこの醜く貧相な夫の子供を産み続けなければならず、無事生きて祖国に帰ることができても、極貧生活から一生抜け出すことができない。
絶望に打ちひしがれた彼女を見たレオリーネは、
「そんなあなたに提案があるの。あなたさえよければわたくしの侍女として召し抱えて上げましょうか?」
「・・・え?」
「わたくしレオリーネ・アスター伯爵夫人の身の回りの世話をさせてあげると言っているの。どう、頼めるかしら」
「それって、お貴族様のお屋敷で雇ってくれるということですか?」
「ええ。そこのゴブリンからあなたを買い取ることになるからお給金は出ないけど、屋敷には使用人の宿舎があるし衣食住に困ることはないわ。別に無理にとは言わないけど」
そんなレオリーネの提案にパッと表情が明るくなったボニータと、妻が機嫌を直してくれたことにホッとするアレクセイ。
「またキミの気まぐれが始まったな。僕はボニータには一切関わらないから、キミの好きにするといい」
と妻に微笑みかけた。
もちろんボニータはレオリーネの提案を受け入れ、レオリーネの足元に縋りついた。
「是非お願いしますっ! 一生懸命働きますのでどうか奥様の侍女にしてくださいっ!」
「分かりました。では今夜から早速働いてもらうので、わたくしと一緒に来なさい」
「はい、奥様っ!」
レオリーネは完全に蚊帳の外に置かれていたゴブリン夫に近寄ると、相場の3倍の銀貨を手渡した。
それを受け取ったゴブリン夫は「ニター」っと笑みを浮かべ、懐に持っていたボニータの奴隷契約書をレオリーネに手渡した。
こうしてボニータを侍女にしたレオリーネだったが、これはボニータの救済ではなくレオリーネ自身が手を下す長い報復の始まりだった。
(神よ。わたくしに復讐の機会を与えてくださったことに感謝致します)
(でも本当にバカね、このボニータって女は。ゴブリンの花嫁になれば5年で罪が清算されたものを、自分から地獄を選ぶなんてね)
(あなたはこれから、わたくしとアレクセイの仲睦まじい夫婦生活を目の前で見せつけられるのよ。そして後悔するの、二度とアレクセイに愛されることはない自分の人生をね)
(もうあなたは彼との子供を抱くこともできないし、何もかも失った惨めな自分を毎日毎日、朝から晩まで後悔するの)
(もちろんあなたは一生独身よ。サキュバスにとって死よりもつらい禁欲生活があなたを待っているのよ。そしてどれだけお願いされてもあなたを手放さない。一生飼い殺しにするつもりだから)
次回新章スタート。お楽しみに。
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