第67話 帰還
さらに数日が経った。
帝国に移住することが決まったセシリアは国王補佐としてやっていた仕事も多く、それを王妃に引き継ぐのに時間がかかっていた。
だがそれもようやく終えた今、エルたちはサキュバス王国を後にする。
謁見の間の玉座に座る国王夫妻に別れの挨拶を終えたエルは、その隣に立つミモレーゼ・メネラウス夫妻に言葉をかける。
「しばらく留守にするから、しっかり勉強するんだぞミモレーゼ」
「承知いたしましたエル様。子作りにもしっかり励んでおきますので、かわいい赤ちゃんもご期待下さい」
「お、おう・・・しっかり頑張ってくれ」
そんなミモレーゼはここ数日で社交界での評価がうなぎ上りに。
人が変わったように真面目になった彼女は、夫もメネラウス一人に絞って他のエルフ二人を重鎮貴族に払い下げた。
アレクセイを奪われ不満をくすぶらせていた彼らも貴重なエルフを娘の夫に確保できたことで留飲が下ったのだ。
一方、セシリアの帝国移住が発表されると、社交界に衝撃が走った。
重鎮貴族たちはセシリアがいなくなると王政に空白ができると懸念したが、王妃がそれを肩代わりすることが分かるとやがて沈静化。
だがそれより騒ぎが収まらなかったのは、エルのファンクラブを結成していた若い貴族令息たちだった。
「僕たちのエル様が、旅立たれてしまう!」
彼らは一致団結して、エルをセシリア付き侍女から解放するよう国王に直談判したが、国王はもちろんそれを却下すると、彼らの矛先を逸らせるために臨時の王宮舞踏会を開催した。
舞踏会は大いに盛り上がり、結局ファンクラブ全員と徹夜でダンスを踊らされたエルが明け方近くにセシリア離宮に帰った時には、まるでボロ雑巾のようになっていた。
その後泥のように眠ったエルが令息たちの起き出す前に国王夫妻に別れを告げたのが今で、セシリアを含めた全員が平民服に着替えて裏口からこっそり王宮を脱出した。
◇
メインストリートを堂々と歩くエルたち6人。
朝からカップルがイチャつきながら街を闊歩しているものの、誰もエルたちに関心を向ける者はいない。
エルは不思議そうにセシリアに尋ねる。
「お前王女の上に無駄に清楚だから凄く目立つと思うんだけど、どうして誰も気付かない?」
「おそらく誰もわたくしの顔を知らないからだと」
「え?」
「そもそも平民は王宮に来ませんし、わたくしも自分の離宮に引きこもって仕事をしておりましたので」
「引きこもり・・・そ、そうだったな」
余計なことを言ってしまったと反省したエルだったが、今度はアレクセイがふいに足を止める。
「どうした、忘れ物かアレクセイ」
「そんなところだ。少し時間をくれ」
「構わねえけど、王宮に戻るなら一人で行ってくれ。俺のファンクラブを名乗るあのインキュバス貴族どもと顔を合わせたくないからな」
「違う違う。ここを去る前にボニータの両親に挨拶しておきたいと思ってな」
「ボニータの両親だと?」
「ああ。ボニータに連れられてこの国に来た時、右も左も分からない俺に彼女の両親はとても親切にしてくれた。だから不義理にならないよう、顔だけは出させてほしい」
「そういうことなら分かった。王宮じゃないなら俺たちもついて行ってやるよ」
◇
ボニータの素行調査のためにエルも一度来たことのある実家は、普通の住宅街にある普通の家だった。
アレクセイの突然の訪問に驚く元義両親だったが、娘の酷い不倫にも関わらず自分たちを気にかけてくれたことにとても感謝した。
家の中に招き入れられ手厚くもてなされたエルたちは、そこで元義両親からボニータのその後の話を聞かされる。
アガーテから請求された慰謝料はごく平均的な金額だったが、パン屋のアルバイト料では最低限の生活もままならないため、ボニータは利子すら返せない状況だった。
仕方なくパン屋を辞めてフルタイムの仕事を探そうとしたが、男に養ってもらうことを前提に生きてきたため手に職もなく、彼女を雇ってくれる店が見つからなかったため、あれだけこっぴどく叱られた両親に泣きつくしかなかった。
「本当にバカな娘ですが、肩代わりできるものならしてやりたかった。でも私たちには未成年の子供たちがまだ何人もいて、あの娘に援助できる余裕がなかったのです」
親から立て替えてもらうこともできず、借金返済のあてが完全になくなったボニータは、お決まりの転落人生を歩くこととなる。
「ええっ! 自分自身を奴隷として売った・・・それでボニータは今どこに」
奴隷商人から得た金で裁判所の借金を完済したボニータは、ゴブリンの花嫁となった。
5年間の奴隷契約でその後は自由の身となれるらしいがその仕事はかなり過酷なもので、契約中はゴブリンの巣穴から一切出ることが許されず、不潔で劣悪な環境の中で妊娠と出産を繰り返さなくてはならない。
しかもゴブリンの子供は妊娠期間が数か月と短く、必ず多胎出産となるため常に死と隣り合わせなのだ。
「そんな・・・」
魅了が解け、ボニータへの愛情など一切残っていないアレクセイだったが、さすがに後味が悪すぎた。
ボニータを連れ戻すべきだと義両親に詰め寄ったが、二人は首を横に振る。
「あの娘はもう貧乏長屋を引き払い、ゴブリン夫に連れられこの国を出て行きました。三日ほど前に」
「・・・もう手遅れか、仕方がない。彼女が無事お務めを果たして帰国できるよう、神に祈りましょう」
「ありがとうアレクセイさん。あんたもお幸せにね」
こうして元義両親に別れを告げたアレクセイは、静かにサキュバス王国を後にした。
◇
その二日後、エルたちがエボナ基地に到着すると、守衛の当番兵たちから歓声が起こった。
「エル皇女殿下が無事ご帰還されたぞ!」
「エル皇女殿下万歳! 帝国万歳!」
「殿下、すぐに司令官にご報告を!」
歓声はすぐに基地内の騎士や兵士たちにも伝わり、衛兵に促されて基地司令室に入ったエルたち6人は、一列に整列した基地司令官と幕僚たちの見事な敬礼に迎えられた。
「エル皇女殿下、アメリア王女殿下、クリストフ・ネルソン枢機卿、聖騎士ベッキー、4名の決死隊に総員敬礼っ!」
ザザザッ! パパパッ! ビシッ!
一糸乱れぬ敬礼に息を飲むエルたち。
「脱出不可能と言われるサキュバス王国からのご帰還と見事アレクセイ卿を奪還したその豪腕。我らエボナ基地一同、皆様方が成し遂げた偉業に対し有らん限りの敬意と謝意を贈らせていただきたい」
「大げさだよ司令官。それよりエミリーさんたちは」
「皆様街に出ております。既に伝令を飛ばしましたので間もなくこちらに到着すると思います」
「そうか、サンキューな」
エルの帰還で興奮のるつぼと化したエボナ基地だったが、エルが2週間たっても帰還しなかった場合は、帝国軍によるサキュバス王国への総攻撃が秘密裏に計画されていた。
そのタイムリミットまであと1日と迫った今日、双方に多大な犠牲を伴ったであろう戦争はエルも知らないうちに回避されたのだった。
◇
「エル君っ!」
最初に基地指令室に飛び込んで来たのはエミリーだった。
彼女はエルにしがみつくと、何度も何度もその無事を確かめる。
その後もスザンナやエレノア、カサンドラたちが続々と部屋に駆け込んできて、エルたちの周りに人だかりができていく。
そして赤ん坊を抱えたレオリーネが部屋に入って来ると、大粒の涙を浮かべてアレクセイに抱き着いた。
「あなたっ! 本当にあなたなのねアレクセイ!」
「レオリーネか・・・・今まで心配をかけて本当にすまなかった」
「いいのよアレクセイ。あなたが帰って来てくれただけでわたくしはもう・・・」
「・・・サキュバスにさらわれてしまった間抜けな俺を許してくれるか」
「もちろんよ。おかえりなさい」
「ただいまレオリーネ」
互いに目に涙を浮かべて抱きしめ合う2人。
だがその胸元で赤ん坊の声がした。
「だーーっ・・・キャッキャ!」
アレクセイは、レオリーネに抱かれていた赤ん坊を抱き上げると、嬉しそうに笑う。
「こいつが俺たち二人の子供か・・・」
「1歳になったばかりの男の子で名前はアキレウス。どう、強そうでしょ」
「強そうでいい名前だな。よし決めた、俺たち二人でこいつを立派な冒険者に育てようぜ!」
「もうあなたったら。この子はアスター伯爵家の跡取り息子でもあるのだけど?」
「おっと、そうだった。すっかり忘れてたぜ」
「うふふふっ」
「わっはっは」
一年ぶりの再会を果たした家族3人を、周りのみんなは暖かい目で見守っていたが、やがて真面目な顔に戻ったレオリーネがエルに向き直ると、彼女を前に膝をついた。
「エル皇女殿下。わたくしレオリーネは、生涯をかけて殿下に忠誠を誓います。この命は殿下のために捧げましょう!」
そう言ってエルの目をしっかりと見据えるレオリーネの隣に、アレクセイも膝をついて並んだ。
「そうだなレオリーネ。もちろんこの俺様もエルに忠誠を誓わせてもらうぜ。長い付き合いになるがよろしく頼むよ」
「お、おう・・・まあ忠誠がどうとか堅苦しいことを言わず、親戚同士仲良くやろうぜ」
こうしてアスター家の分家・アレクセイ伯爵夫妻の忠誠を得たエルだったが、これがその後の運命に大きな影響を与えることをこの時のエルはまだ知らない。
次回エピローグ。お楽しみに。
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