第60話 不器用な姉とクレクレ妹
アレクセイが再び魅了され、女と共に姿を消した。
あっと言う間の出来事に、真っ青になったセシリア王女がガックリと肩を落とす。
「大切な交渉中にこのような失態を演じてしまい、弁解のしようもございません」
そう言って深々と頭を下げ、側近や親衛隊も一斉に謝罪した。
一方騙し討ちのような形になったエルは、セシリアに詳しい説明を求める。
「誠にお恥ずかしい話ですが、アレクセイ卿に魅了をかけて連れ去ったのは、わたくしの妹で第二王女のミモレーゼです」
「ミモレーゼ第二王女・・・そんな人がどうして」
「実は・・・」
それからセシリアは、ミモレーゼの行動の背後にある事情を話してくれた。
◇
王宮親衛隊の武術指南役を1年間勤めあげたアレクセイは、サキュバス王国の社交界でも既に名の知れた存在になっており、同時に妻ボニータが浮気をしているという噂も実しやかに流れていた。
アレクセイが離婚するのは時間の問題。
そう考えた貴族たちは、ボニータの魅了が解けたらすぐに自分の娘とくっつけようと狙いを定めていた。
それは王家も同様で、もしアガーテが最寄りの裁判所に離婚協議を申請してきたら、王宮裁判所でそれを行わせるよう裏で手をまわしていた。
こうしてボニータが離婚協議を申請すると、即座に関係者全員が王宮裁判所に集められた。
当初の計画では、離婚成立直後のアレクセイに対してセシリア王女が直接交渉を行い、自分の王配として王国に残ってもらうよう説得する手筈だった。
だがアレクセイがランドン=アスター帝国の人間だったため、王家に迎え入れることを断念。
早々に計画を諦め、エルとの外交交渉に応じたのがついさっきまでの話だ。
「あの子は昔から、わたくしのものを何でも欲しがるのです」
悔しそうな表情のセシリアが、妹のミモレーゼ王女の話を始めた。
ミモレーゼ王女は幼い頃から姉のものを奪い続けて来たようで、お気に入りのドレスや宝飾品、取り巻き令嬢からペットまで次々と自分のものにしていった。
そしてその極めつけは、幼いころからの婚約者を妹に奪われたことだった。
「わたくしにはメネラウスという婚約者がいました。わたくしたちは相思相愛で、将来わたくしが継ぐ予定のこの国を、二人で力を合わせて発展させようと誓ったものでした。ところが・・・」
そう言ったセシリアの瞳には大粒の涙が浮かんだ。
メネラウスは誠実なエルフの青年で、強力な魔力もさることながら、セシリアの家庭教師を務めるほどの聡明さと知識を兼ね備えていた。
そんな彼を、16歳の誕生日を迎えたセシリアが魅了をかけてゴールインするはずだったがそれに失敗。
その後何度も失敗を繰り返しているうちに、結婚できないまま1年の月日が過ぎ去ってしまった。
そして妹のミモレーゼが16歳の誕生日を迎えたその日、姉の婚約者だと分かっていながらメネラウスの前に現れると、彼に魅了をかけてしまったのだ。
「あの時のミモレーゼの得意げな笑みは、今も脳裏に焼き付いております」
それまでセシリアの傍を片時も離れなかったメネラウスは、だがつないでいた手を離すと、ミモレーゼの足元に跪いた。
メネラウスの求婚を受けたミモレーゼは、それを満面の笑みで受け入れ、彼の両腕に抱きかかえられると、そのまま彼女の寝室へと消えた。
「その夜わたくしは悔しさや惨めさで一睡もできませんでしたし、翌朝ミモレーゼが彼との仲を見せつけて来た瞬間、わたくしは何もかもが嫌になって王宮を飛び出しました。それ以来自分の離宮に引きこもり、必要な時以外は王宮に近づかなくなりました」
最初の数か月は部屋から一歩も出ることができず、陰鬱とした生活を送っていたそうだが、娘を心配した国王が学者を動員して、ついに彼女が魅了を使えなかった理由を突き止めた。
「わたくしは14歳頃から急に魔力が強くなり始め、16歳の誕生日には歴代王家でも有数の魔力を誇るほどにまで成長しました。ところがそれがいけなかったようで、わたくしの凡庸な魅了スキルでは自分の魔力を制御することができず暴走してしまっていたらしいのです」
「つまり魅了を放っても命中しなかったのか」
「端的に言えばその通りです・・・」
その後、極限まで魔力を抑えて魅了を放つ訓練を積むため、子供たちに混ざって練習を重ねるセシリア。
そしてある程度自信がついたところで、離婚して再教育されたエルフ青年を婿にすべく2度ほど施設に向かった。
だがその度に、こっそり後をつけて来たミモレーゼに横取りされ、セシリアは18歳になった今も未婚で、ミモレーゼは17歳にして3人のエルフ夫を持つ身となった。
この状況を放置できないと思った国王は、アレクセイに目をつけた。
彼の離婚が時間の問題であることを知ると、セシリアを呼んで知恵を授ける。
「セシリア、これが余の計画だ。フリーになったアレクセイを口説き落とし、そなたと二人で我が王国の未来を築いて行くのだ」
「かしこまりましたお父様。ですがわたくしの魅了スキルはもう・・・」
「言いたいことは分かっておる。18歳にしてさらに強大になったそなたの魔力では、魅了スキルは最早御しきれないと」
「おっしゃるとおりで・・・」
「だからお前にボニータの魅了スキルを移植させる」
「え?」
「アレクセイを捕らえたボニータの魅了スキルはハッキリ言って規格外。お前はすぐ近くの部屋で待機し、スキルの移植を受けたらミモレーゼに見つかる前にアレクセイを仕留めるのだ。いいな」
「承知しましたお父様・・・」
◇
「こうして満を持して臨んだ離婚協議でしたが、ランドン=アスター帝国の貴族を王配に迎え入れることは外交上の問題があり、涙を飲みつつ交渉をしていたのが先ほどまでの話。もちろんミモレーゼを警戒して会談場所もこんな地下書庫を選んだのですが、わたくしのものを奪う天才のミモレーゼが、悪魔的嗅覚でここをかぎつけたようです。ううううう・・・・」
そう言って泣き出したセシリアだったが、エルにとってサキュバス王国の事情などどうでもいい。
「気の毒な人生には同情するが、お前とチンタラ交渉していたのが大きな間違い。こうなったら王宮を破壊してでも、アレクセイを取り返してやる!」
バギャーーッ!
エルが力任せにテーブルを叩くと、真っ二つに折れて木片が舞い上がった。
「ひいっ」
悲鳴を上げるセシリア王女と、彼女を守るようにエルに魔法の杖を向ける親衛隊。
シェリアとベッキーもほぼ同時に杖を掲げて、双方の頭上に魔法陣が花開く。
膨大な魔力が充満し書類が舞い散る書庫にあって、ただ一人冷静なクリストフが間に割って入る。
「待ってください! 今ここで戦えば双方無事では済まないことぐらい分かるでしょう」
「・・・・・」
「我々はアレクセイ卿さえ返してもらえれば、すぐにここから立ち去ります。それとも今戦って次期女王陛下を危険にさらすつもりですか」
そう言ってクリストフが一瞥すると、親衛隊は杖を下ろしシェリアたちも矛を収めた。
「では交渉を再開しますが、我々はあくまで無条件の即時解放を求めます。理由は2つ」
1つは、アレクセイとその家族を魅了から防ぐという約束が信用できなくなったこと。
そしてもう1つは、ミモレーゼの暴挙を止められなかったのはそちらの失態であること。
このクリストフの強硬姿勢に何とか失地を挽回しようとしたサキュバス王国側だったが、彼の徹底的な理詰めに返す言葉がなくなったセシリア王女は、最後はガックリと頭を項垂れた。
「わたくしどもの完敗です。アレクセイ卿の即時帰国を認めますので、賠償金までは許してください」
そう言って彼女が再び頭を下げると、側近や親衛隊たちもそれにならった。
「承知しました。では今の発言をきちんと書面にしていただけますか」
「はい・・・」
セシリア王女は側近から紙とペンを受け取ると今の内容を書いて署名し、クリストフに手渡した。
書面を確認したクリストフはそれをエルに手渡し、
「これでサキュバス王国との密約が成立しました。あとはミモレーゼ王女からアレクセイ卿を取り返すだけです」
「ああクリストフ、お前って本当に有能だよ」
「アメリアと違って、戦闘ではあまり役に立てそうにありませんので」
そう言って照れ笑いするクリストフの肩を叩いて笑顔を見せたエルは、セシリアを見据えてこう言った。
「さてセシリア王女殿下。俺たちはアレクセイを取り戻すためにミモレーゼ王女を殺害する覚悟もある。だがなるべく穏便に済ませたいので、お前に協力してもらいたい」
「もちろん協力いたしますし、なるべく穏便に済ませたいのはこちらも同じ。そこで提案ですが、わたくしがミモレーゼの魅了を上書きした上でそれを解除するのはいかがかと」
「魅了の上書きだと・・・まあ一応密約書はもらっているし、そこはお前を信用するしかないか」
「信用していただきありがとう存じます。ただ作戦を確実に成功させるためには少し時間をいただきたく」
「なぜだ」
「アレクセイ卿を一撃で仕留めるには、ボニータさんの魅了スキルを使いこなす訓練がしたいのです。今回はわたくし自身のためではなく、ランドン=アスター帝国との外交がかかっているので、絶対に失敗はできません」
「そう言うことならわかった。どれぐらい必要だ」
「2、3日もあれば何とか・・・」
「了解だ。だがこちらからも条件を出させてもらう」
「何なりと」
「俺たちを王宮に入れろ。お前のことは信用してやるが、お前の妹は完全に敵。妙な動きをしやがったらすぐにでもぶち殺してやる!」
「ひいっ! ・・・で、では常にわたくしの傍に居られるよう、エル様たち4人を侍女、執事として雇い入れることにいたします」




