第53話 プロローグ
港町シュタークを新町長バニラに託して、基地を後にしたエル一行。
次にやって来たのは港町シュタークとリザードマン王国との中間地点にあたるエボナ基地だ。
「今日はここに泊まるか」
兵舎に荷物を置いたエルはそのまま士官用ラウンジに向かい、仲間とともに食事を始めたところで基地司令官が挨拶に訪れた。
「ようこそエボナ基地へ」
簡単に挨拶を済ませた基地司令官は、たがそのまま立ち去らずに恐縮そうな顔でエルに言った。
「皇女殿下に折り入って相談があります」
「俺に相談だと? 何だ言ってみろ」
「実は・・・」
基地司令官によると、一年ほど前にここ南方新大陸で一人の帝国人冒険者が行方不明となり、軍が総出で捜索を行っているとのこと。
それを聞いたエルは、
「何だそれ。行方不明の冒険者なんて山ほどいるし、それを軍が捜索するなんて話、聞いたことねえ」
だが基地司令官がその冒険者の名前を口にすると、シェリアが驚きの声を上げた。
「アレクセイ・アスターですって!」
「何だ、知り合いなのか?」
「会ったことはないけどかなりの有名人よ。若い頃から世界を駆け巡って、その功績でSランク冒険者にまで上り詰めた猛者だから」
「Sランク冒険者か! そいつはすげえな」
「でしょ! 最近噂を聞かなくなったと思ったら、まさか南方新大陸で行方不明になってたなんて」
「そのアレクセイが凄いのは分かったが、俺に相談って何だよ」
すると基地司令官は、
「アレクセイ卿はアスター家の分家にあたる伯爵で、彼の捜索を中止にするご判断を本家である殿下にして頂きたく」
「分家? つまり親戚ってことか。俺に判断できるか分からんが状況を詳しく話してくれ」
エルがそう言うと、ホッとした表情の基地司令官が詳しい経緯を話し始めた。
◇
ちょうど昨年の今頃、アレクセイは出産を控えた妻を実家に預けるため、二人で南方新大陸に来ていた。
出産までの間、時間潰し程度に大陸を冒険していたアレクセイは、だが忽然と姿を消してしまった。
夫不在のまま出産を終え、しばらく待っても一向に帰ってこない夫に、心配になった妻が帝国軍に頼み込んで捜索を開始。
だが大陸中に展開する全ての基地が捜索に加わっても、彼の足取りは全くつかめなかった。
それから1年が経過し、彼は死んだものと関係者全員が諦めかけた頃、突然アレクセイの所在が判明。
「え? アレクセイが見つかったのか。だったらなぜ捜索を中止するんだ」
エルが不思議そうに尋ねると、
「アレクセイ卿はサキュバス族に連れ去られた可能性が高いことが分かったのです」
「サキュバス族? 何それ」
アレクセイの足取りが分かったのは、彼が消息を絶ったのと同じ頃に一つの村が壊滅したことだった。
そこはオーク族が住む村だったが、一年前に村が放棄されて家はそのまま、農地は荒れ放題。
近隣の村に逃げ延びた老夫妻から当時の状況を聞くことができ、村にサキュバス族の大群が襲来して、働き盛りのオークの男女を丸ごと拐っていったらしく、この時たまたま人間の男性が村を訪れていたことが分かった。
「生きてることが分かったなら、サキュバス族から奪い返せばいいだけじゃないか」
「いえ、それができないから捜索を中止しようと」
「できないって、帝国軍でも敵わないほどサキュバス族は強いのか」
「はい、大陸最強と言われています。というのも彼ら彼女らは【魅了】という精神魔法を使い、相手の心を完全に支配してしまうからです」
「心を支配・・・そんなことされたら、もう抗いようがないもんな」
そして基地司令官は、帝国軍が現在把握しているサキュバス族に関する情報をエルに伝える。
サキュバス族には女性の「サキュバス」と男性の「インキュバス」の2種類いるが、同族同士で子供は産まれず、異種族とでなければ子孫を残せない。
そのため南方新大陸では、太古の昔からサキュバス族の襲来が頻繁に発生。
働き盛りの男女を奪われて村落が壊滅することなど珍しくもなく、サキュバス族と異種族との間には常に争いが起こっていた。
そして最終的には、種族の存亡をかけた最終戦争にまで発展し、サキュバス族vsその他全ての種族による長い消耗戦が大陸中で戦われた。
その結果、夥しい数の死者と荒廃した領土が残され、それに恐怖した両者は停戦協定を結ばざるを得なくなった。
その内容とは、本能のおもむくままに他種族を襲っていたサキュバス族がその考えを改め、生涯に一度、たった一人の伴侶を得るための襲撃なら目をつぶるというものだった。
「それなら互いに滅亡しないギリギリの落としどころって感じだな」
そんなサキュバス族は、ランドン=アスター帝国とは別の条約を交わしていて、互いの接触を禁じるというものになっている。
「君子危うきに近寄らず。絶滅覚悟で最終戦争を戦い抜くような危険な輩とは、一切付き合う必要はない。そのアレクセイって奴も自力で何とかしろ」
そうエルが結論付けたところで、今度は一人の女性がラウンジに飛び込んで来た。
豪奢な金髪に整いすぎた美しい顔。
彫刻のような完璧な容姿をした絶世の美女が、赤ん坊を抱えてエルに泣きついてきたのだ。
「皇女殿下・・・どうか夫を・・・アレクセイを助けてください・・・」
涙を流してエルに懇願する彼女は、ラヴィと同じ長い耳をしていた。
「お前、ひょっとしてエルフか」
「はい。わたくしはアレクセイの妻レオリーネと申します。夫とは同じパーティーの魔導師をしておりましたが、彼と結婚してすぐ妊娠したため冒険者を引退。今は帝国の彼の領地に移り住んでおります」
「お前らメンバー同士で結婚したのかよっ! だったら自己責任という言葉ぐらい知ってるだろ」
「それはそうなのですが、夫がサキュバス王国にいると分かれば話は違います。わたくしという妻がありながら、今頃は若いサキュバスの娘と・・・あああ、嫉妬で頭がおかしくなりそう。うううう・・・」
絶望の表情で頭を抱えるレオリーネが、目に悔し涙を浮かべている。
「だったら自分で連れ戻して来いよ」
「それは無理です。だって魅了を受けたらわたくしは夫と子供を捨てさせられ、インキュバス男の玩具にされてしまいます」
「うわあ、それは最悪だな。なるほど、魅了のスキルがある限り誰もサキュバス族には逆らえないのか。だから世界を敵に回しても互角に戦えるんだ。強ええ」
「ですので今のわたくしに打つ手はなく、でもこうしている間に夫は若い女と・・・あああああっ!」
再び頭を抱える母親の胸の中で、赤ん坊が大声を上げて泣き出した。
それを困った顔で見つめる基地司令官は、本家筋であるエルに彼女を説得して欲しかったのだ。
もう諦めろと。
「こいつは難しいな・・・」
エルは静かに目を瞑ると、この難題をどうすべきかしばらく考えた。
◇
「・・・仕方がない、俺が連れ戻して来てやるよ」
「いけません殿下っ!」
「わたくしも、何もそこまでは・・・」
エルの言葉に、基地司令官とレオリーネが同時に声を上げる。
だがエルは頭をかきながら二人に考えを説明する。
「今の話を聞いた感じ、たぶん俺にはインキュバスの魅了が通じない」
「「ど、どうして?」」
「今でこそ、こんなみっともない女の身体だが、俺はケンカ番長・桜井正義だからだ」
「「はあ?」」
そんなエルの言葉に、仲間たちは揃って大反対。
「ダメよエル君! あなたは立派な女の子なんだし、インキュバスの虜になったら私はもう生きて・・・」
「そうよエル。精神魔法は自分の身体を自由にされちゃう、とても恐ろしいものなの。絶対舐めちゃダメなんだからねっ!」
エミリーとシェリアがエルを止め、他のみんなも顔を真っ青にして騒ぎ出したが、たった一人エルの賛同者が現れた。
ベッキーだ。
「私も連れて行って下さい! だって私、死ぬほど男が嫌いだし、絶対インキュバスに魅了されない自信があるもん」
「確かにベッキーも魅了されそうにないな。一緒に来てくれると助かる」
「やったあ! これでバビロニア王国で空気だった私も、ようやくエル様成分を吸収できる。うっししし」
ベッキーが小さくガッツポーズして喜ぶが、すぐにシェリアが二人を止める。
「残念だけどその作戦は絶対に上手く行かない」
「何でだよシェリア」
「拘束の軍用魔術具があるのを忘れたの? エルたちが魅了にかからなくても、一緒に行く私とクリストフは魅了を防げないし」
「あ、そっかあ。やはりこの作戦は無理か」
エルが申し訳なさそうにレオリーネに向き直ると、何かを思い詰めた彼女がエルの目を見据えた。
「・・・やはりわたくし、愛する夫を諦めることができません。生涯かけて殿下にご恩をお返しいたしますので、ご慈悲に縋りつくことをどうかお許しくださいませ」
「そうは言っても、シェリアたちが・・・」
「それなのですが、実は妙案を思いついきました」
「妙案だと?」
「はい。これでもわたくしエルフ族ですので、同じ妖精族のサキュバス族の生態には詳しいのです」
「同じ妖精族か・・・よし話を聞こう」
「実は魅了を防ぐ方法が一つだけあります、それは相手の目を見ないこと」
「目を見ない・・・たったそれだけのことで?」
「はい。ですので光属性魔法・ブラインドで一時的に視力をなくしてしまえば、彼らの魅了を防げます」
「光属性魔法なら何とかなるが、四六時中真っ暗闇だとアレクセイを探すことなどできないぞ」
「ブラインドをかけるのはシェリアさんとクリストフさんだけで、殿下とベッキーさんは普通に過ごしていただければ」
「なるほど、それだと上手く行きそうだ」
「それともう一つ。彼らに怪しまれず自由にサキュバス王国内を行動できるよう、サキュバスに変装するのです」
「変装だと?」
「はい。サキュバス族の生態を熟知する我らエルフ族をもってすれば、殿下を完璧なサキュバスに仕上げてさしあげます」
次回もお楽しみに。
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