第52話 エピローグ
バニラを連れて実家に戻ったエルは、母屋で家事をしていた母親に声を荒げた。
「バニラにやったドレスを返せ!」
いきなり怒鳴り込んで来たエルにびっくりした母親は、だがバニラの顔を見ると「ふん」と鼻で笑った。
「誰かと思えば、香辛料を一瓶も買ってくれなかったケチな帝国女じゃないか。今さら何しに来たんだい」
「だからドレスを返せって言ってんだ」
「はあ? 服はウチが貰った物だしもう返さないよ。一昨日来な」
そう言って母親が向けた目線の先には、サイズが合わないのに無理やりドレスを着こんだ成人女性の姿があった。
「うわ・・・」
「お姉ちゃん、それ私の・・・」
悲し気なバニラの言葉に、その成人女性がバニラの姉であることが分かった。
はち切れんばかりに伸びきったドレスは、所々破れて穴が開いてしまっている。
それでも得意気な姉の周りには、恨めしそうに睨み付ける妹たちの姿があった。
どうやらついさっきまでドレスの奪い合いをしていたようだが、妹たちは姉に負けたらしい。
一方テーブルではバニラの父と兄たちが昼間から酒を酌み交わしている。
エルから得た大金で遊ぶことを覚えた彼らは、働くことを止めて昼間から飲んだくれているようだ。
「・・・全く仕方のねえ連中だな」
エルには見慣れた貧民街のダメ亭主とバカ息子たちだが、そんな彼らを尻目に姉に近づくと今すぐドレスを脱ぐよう告げた。
そしてエルに便乗した妹たちも姉のことを糾弾したが、姉は素知らぬ顔で笑った。
「これはもう私のものなの。帝国人に返す義理なんてないし、あんたたちはまたバニラから服をもらえばいいでしょ」
そう姉にけしかけられた妹たちは、バニラがまた新しい服を着ていることに気がついた。
「「「お姉ちゃん、その服ちょうだい!」」」
「え? こ、この服はラヴィさんから借りたもので」
姉には勝てないがバニラなら勝てると踏んで群がってくる妹たちと、絶対服を奪われまいと必死に逃げ惑うバニラ。
そんな騒ぎを聞き付けて母屋に戻ってきた老婆が、エルの来訪に気づいた。
「おやアンタ! やっぱり香辛料を買いに戻って来てくれたのかい」
今まで納屋で作っていたのか、小脇に抱えた籠の中に瓶が数本入っていた。
そして籠ごとエルに渡すと、早く金を寄越すようせがんだ。
「だからお前とは取引しないと言ってるだろ。俺が買い取るのはバニラからだけで・・・あれ、何だこれ」
ふと瓶の中身が気になったエルは、ふたを開けて中の匂いを嗅いだ。
「くさっ!」
中の香辛料は異臭を放ち、他の瓶も確認したものの満足な物は一つもなかった。
「こっちは匂いが全くしねえし、こっちは草の匂いがする。婆さん、お前は一体何を作ろうとしてたんだ」
「何って言われても、これがウチ自慢の香辛料じゃ。つべこべ言わずに全部買っておくれ」
「誰が買うかこんなもん! それより納屋の中を見せてもらうぞ」
そういって隣の納屋に入ったエルは、手当たり次第に瓶を開けて中の香辛料を確認した。
◇
「エルさん、まともな香辛料はこの3瓶だけです」
クリストフにも確認してもらい、売り物になりそうなのはバニラが作り置いていた3瓶だけ。
老婆や妹たちが作った物は全く商品価値が無いことが分かった。
「ということでお前たちの作った香辛料は話にならない。この3瓶だけ買い取ってやるから、バニラとの手切れ金として受け取れ」
エルが大銅貨300枚を叩きつけると、その大金に目が眩んだ母親がバニラの耳をつかんだ。
「手切れ金って何のことだい。バニラはうちの大切な娘だしこれからもしっかり働いてもらうよ」
「痛たたっ! わ、私はもう家を出て行くんだから、離してよお母さん・・・」
身をよじって逃げようとするバニラに、カッとなった母親は彼女の頬を思いっきりひっぱたいた。
パシーンッ!
「逃げようったってそうはいかないよっ! つべこべ言わずにさっさと働くんだ、このウスノロ!」
パンッ! パンッ!
さらに2発、3発とビンタを浴びせかけた母親を振り払ったエルは、バニラを背中に庇うと、
「・・・何て酷い母親だ。ドレスを取り上げて帰るつもりだったがもう許さん。警備兵、仕事だぞっ!」
エルの命令に、外で様子を見ていた警備兵が中に流れ込んで来ると、あっという間に母親を取り囲んだ。
「町長への暴力は重罪。貴様を現行犯逮捕する!」
だがいきなり警備兵にサーベルを突きつけられた母親は、何が起きたのか分からず目を白黒させている。
「はあ? どうして私が逮捕されなきゃならないんだい。そもそも町長なんてどこにも・・・」
「馬鹿者! 町長はちゃんとそこにいるではないか」
「び、ビルド町長がこんなボロ屋に来るわけ・・・」
「ビルドは死んだ。今はバニラ様が新しい町長だ」
「バニラが町長・・・この役立たずのバカ娘が町長だなんて、冗談も休み休み言っとくれっ!」
「我々犬人族は冗談など言わん! 大罪人ビルドはここにいるエル様に処刑され、今はバニラ様が町長だ」
「この女がビルド町長を処刑・・・どういうこと?」
「このエル様はなんとランドン=アスター帝国の皇女殿下にあらせられる。そして次の町長にバニラ様をご指名になられたのだ」
「皇女殿下って、まさかこのケチ女が・・・」
「話は終わりだ。町長バニラ様への暴行罪により貴様を現行犯逮捕する!」
「待っておくれ! これは娘のしつけでやったことでモガッ、モガモガモガーーーッ!」
猿ぐつわを噛まされ、納屋から連れ出されていく母親を助けようと、老婆が必死にエルに縋りつく。
「もうやめとくれ! 私らはアンタが皇女殿下なんて知らなかったんだ。頼むから私の娘を離しておくれ」
だがエルは真っすぐ老婆を睨みつけると、
「ダメだ。あの母親は一度クサイ飯を食わないと反省しない。バニラのしつけの前に、まずはてめえの娘をちゃんとしつけろっ!」
「クサイ飯って・・・自分の娘をしつけただけで逮捕なんて、そんな無茶苦茶な!」
「あれはしつけじゃなく虐待だ! しかも邪魔だから奴隷商人に売ろうとしたり、責任をバニラ一人に押し付けて警備兵に差し出しやがったくせに、今さら何言ってやがる!」
「もうそんなことしないから。だってバニラが作った香辛料じゃないと殿下は買ってくれないんだろ」
「結局金目当てじゃないかっ! もうバニラは町長になったし、お前たち家族とは縁を切らす」
「そんなこと言っても、あの子が帰って来られる場所はこの家しか」
「家なら心配ない。バニラは帝国人として基地の兵舎に住むことになったからな」
「バニラが・・・帝国人」
「そう、帝国人だ。だからバニラを傷つけると帝国軍が容赦しない。徹底的に叩き潰すから覚悟しろ!」
「ひーーーーっ!」
◇
腰が抜けて床にへたり込んだ老婆を尻目に、再び母屋に戻ったエルは大銅貨300枚をバニラの家族に叩きつけた。
そしてバニラが町長になったこと、母親が当分牢屋から出て来れないことを告げたが、麻袋から溢れ出た大銅貨の山に目が眩んで、エルの話は右から左へ抜けていった。
それを見てため息を一つついたエルは、バニラの肩に手を置いて、
「言うべきことは全て話した。お前はもうこの家族とは縁が切れたし、ここからは町長としての仕事ぶりを俺に見せてくれ」
「わかりましたエル皇女殿下」
「エルお姉ちゃんでいいよ」
「わかった、エルお姉ちゃん」
小さくうなずいたバニラが姉に向き直った。
「そのドレスはシェリアお姉ちゃんからもらった大切なもの。ちゃんと元通りにして私に返しなさい」
だが姉はバニラを睨みつけて、
「うるさいわね、この出来損ないが! これはもう私のものなんだし、絶対に返さないわよ」
「なら弁償しなさい」
「ふん! お金で済むなら払ってあげるわよ。ねえお父さん、そのお金で払って」
姉が父親にねだると、大金を得て気が大きくなっていた父親が大きく頷いた。
「ああ構わねえぞ。それでいくらほしいんだ」
父親がバニラに尋ねると、元の持ち主のシェリアがそれに答えた。
「私の古着だけど安く見積もっても大銅貨2000枚ってところかしらね」
「2000って、この大銅貨で足りるのか?」
数が数えられない父親は、大銅貨の山を指差してシェリアに尋ねる。
それを見たシェリアがため息を一つついた。
「全然足りないわね。あなたにも分かるように言うと大銅貨2000枚は香辛料で20瓶分。そこにある大銅貨は香辛料たった3瓶分よ」
「ええっ! ふ、服がそんな高いはずないだろ! ふざけるなっ!」
「何言ってるのよ。私はこう見えて王女だし、持ってる服は全て高級品なの。それにその服の本当の値段はもっと高いけど大銅貨2000枚にまけてあげるんだから、耳を揃えてバニラに払いなさい」
「そんな大金、ウチにあるわけ・・・」
「あっそ。お金を払わないって言ってるけど、どうするバニラ町長?」
肩をすくめてバニラに向き直るシェリア。
するとバニラは表情を消して父親に告げた。
「なら窃盗罪で、お父さんとお姉ちゃんの二人を逮捕します」
「何だとっ!」
父親が大声を出して怒鳴ったが、バニラの後ろにズラリと並んだ警備兵が腰のサーベルを抜いた。
「うぐっ・・・た、逮捕はやめてくれ。だがウチにそんな大金は・・・」
「ないなら何か売ってお金を作ることね」
「ウチに売るものなんて何も・・・あ、そうだ! お前が香辛料を作ってそれを売れば」
「お父さんってバカなの? どうして私への弁償のために私が働いて返すのよ」
「おおお、親に向かってバカとはなんだっ!」
「私はもうお父さんと縁を切ったし、この家も出ていく。それに町長として、泥棒にはしっかり罰を与えないといけないの。警備兵さん、この二人を逮捕して」
「ま、待ってくれバニラっ! 明日まで、明日まで待ってくれたら必ず金を払う!」
「明日? それでお父さんは一体何を売るつもり?」
「娘たちだ。みんな見た目もいいし、全員売り払えば金は用意できるはず」
そんな父親の言葉に姉妹全員がパニックになった。
「「「い、嫌ーーーーーっ!」」」
「お父さん、奴隷になんかなりたくないっ!」
妹たちは真っ青な顔で泣き叫び、姉は父親に泣いて縋りつく。
そしてバニラはこれまで売られていった姉たちの悲しそうな顔を思い出し、この男だけは絶対に許してはならないと思った。
「警備兵さん、たった今お父さんが人身売買の計画を暴露しました。余罪もあるので至急逮捕して下さい」
「ち、ちょっと待ってくれ! なぜ俺が逮捕されなくちゃいけないんだモゴッ! モゴーーーッ!」
何が起きたのか理解できないまま、猿ぐつわをかまされた父親はあっという間に外に連れ出された。
それを呆然と見送る家族にバニラが告げた。
「人身売買は未遂であっても大罪。お父さんはもう一生牢屋から出すつもりないし、今日からお兄ちゃんが家長よ」
「・・・一生って、ウソだろバニラ」
「本当よ。それでお姉ちゃんが私から盗んだドレスの支払いは全部お兄ちゃんが責任を持つことになるんだけど、家にあるお金全部と町にあるウチのお店、それからウチの畑を渡してくれたら許してあげる。この家は残してあげるからありがたく思って」
「いやちょっと待てっ! そんなことをされたら俺たちはどうやって暮らしていけば」
「そんなの自分で考えなさい。あと念のために言っておくけど、お姉ちゃんたちを奴隷商人に売ろうとしたら、お兄ちゃんも一生牢屋だからね」
「え・・・」
長男を筆頭に男兄弟たちが呆然とする中、奴隷として売られずにホッとした姉がドレスを脱ぎ始めた。
「これ返すから、それで許して・・・」
「今更だよお姉ちゃん。私とお姉ちゃんはもう縁が切れてるし、今は町長として話しているの。だから盗んだ物はちゃんと弁償して、みんなで力を合わせてこれから生きて行ってね」
「そんなの無理よっ! 畑も店も何もないのにどうやって暮らせば・・・」
「じゃあ仕方がないから、特別に仕事をあげようか」
「え、本当に?」
「実は税金を使って町の清掃作業をしようと思ってるんだ。清掃員としてみんなを雇ってあげるから、私がやってたクソ集めを家族全員ですればいいと思う」
「ええっ! あんなの女のする仕事じゃないわよ!」
「・・・そうね。でも私は毎日やらされてた。嫌なら仕事はあげないから好きな仕事に就けばいいと思う」
バニラがそう冷たく言い放つと、兄が慌てて頭を下げた。
「分かった。家族全員でその仕事をさせてもらう」
「そう。じゃあ全員雇ってあげるから、お姉ちゃんも頑張ってね」
「い、嫌あああっ!」
全てを失って床に座り込んだバニラの兄姉たちは、警備兵に守られて悠然と去っていくバニラの後ろ姿を、ただ呆然と見送るしかなかった。
次回新章スタート。お楽しみに。
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