第46話 港町シュターク
二日目の朝。
夜明けとともに目を覚ましたエルは、ベッドから飛び起きてセーラー服に身を包むと、朝のお祈りを終えたばかりのサラに声をかけた。
「さあ一日の始まりだ。甲板でラジオ体操をするぞ」
「はいエル様!」
心地よい潮風を感じながら軽く汗を流した二人は、小腹をすかせた状態でダイニングに一番乗りした。
テーブルに座ってしばらく待っていると他のみんなも徐々に集まり、船の専属シェフが作った朝食がテーブルに並び始める。
ヒューバート騎士団は早々に全員が勢ぞろいし、その後エミリーやスザンナ、クリストフたちがバラバラと席に座っていく。
そして一番最後に眠い目を擦ったシェリアがアリア王女に連れられてテーブルに着くと、ようやく朝食会が始まる。
どうやら遅くまで酒を飲んでいたらしく、二日酔いで食事が進まないシェリアにアリアが小言を言う。
「もうアメリアちゃんたら。いくらタダだからって、船倉にあったワインを酒樽ごと部屋に持ち込んじゃいけません」
「だって夕食のワインが美味しすぎたし、仕方ないでしょ。それにアリア姉様だって美味しそうに飲んでたじゃない」
「わたくしは適量頂きましたが、だからと言って吐くまで飲むのは感心しません。あなたも王女としての嗜みを身につける必要がございます」
「・・・はぁい」
さすがのシェリアも、18年連続防衛を果たした最強女王の養女になったアリアには怖くて逆らえないらしく、エルがいくら言っても聞く耳を持たなかった小言に今のところ大人しく従っている。
それを見たエルは、アリアをこのままシェリアの教育係にすることに決めた。
◇
そんな風に順調にスタートした船旅だったが、2日目の深夜、これまで穏やかだった海が一変した。
船が大きく揺れて飛び起きたエルは、窓を激しく打ち付ける暴風雨に怯えるサラを船室に残し、艦橋に駆け上がった。
そこでは艦長以下、ブリュンヒルデ艦隊の船員たちが必死に操舵をしており、彼らを横目に艦橋の一番前の座席に座ったエルは、既に隣に座っていたジャンが抱えたバケツの1つを手渡された。
「なんだよこれ?」
「お前さんの分だ。すぐ必要になるからそいつを抱えて座ってろ」
首をかしげながら座席のベルトを締めたエルは、窓の外に広がる真っ暗闇の大海を見つめる。
エメラルドプリンセス号の船首から照射される光魔法によって照らし出された先には、見たことないような暴風雨と荒れ狂う海の姿があった。
高さ数10メートルを超える大波が矢継ぎ早に襲いかかってくると、その度に大波を乗り越えてジェットコースターのように上下動を繰り返すエメラルドプリンセス号。
「ぐぬおーーー、お、落ちるーっ! 俺はジェットコースターが苦手なんだよ、おえーーーっぷ!」
エルはバケツに顔を突っ込んでゲエゲエ吐くと、エル同様バケツを手離せなくなったジャンが顔を真っ青にしながら答える。
「南方新大陸に海路で行くのは不可能だと言われていたが、こんな大嵐が待ち受けていたのか。うっぷ」
「本当に大丈夫なのか? 沈没したりしないよな」
「従来型の木造帆船ならあっという間にバラバラになるこの「航行不能領域」だが、ドワーフ王国製の鋼鉄船は今まで一度も沈没したことがないらしい」
「本当かよ、すげえな」
「全くだ。船体に大穴でも開かない限り、どれほどの大波に飲み込まれようとも絶対沈没しないらしいぜ」
「それはいいが、こんなに激しく揺らされたら中の人間が持たねえよ。おえーーーっぷ!」
そんな激しい嵐は1昼夜続き、再び穏やかな海域に入った4日目の朝には、全員がげっそり痩せていた。
◇
そしてゲシェフトライヒを出港して一週間。
エルたちは無事、港町シュタークに到着した。
艦上から見る町並みは建築様式もバラバラの雑多な集落といった雰囲気だが、帝国軍基地周辺には帝国人を目当てに亜人たちが集まってこのような町が形成されているのだそうだ。
エメラルドプリンセス号が整備のためにそのまま港のドックに入ると、エルたちはそこで待ち受けていた基地司令官に兵舎へと案内される。
「ようこそ南方新大陸へ。ブリュンヒルデ殿下からの命令書には、皆様をできるだけ自由にさせてやってほしいと書かれております。ですので失礼かと思いましたが、2名1室の士官用兵舎を用意しました」
「タダで泊まれるんだし何の文句もないぞ」
「そう言ってもらえてほっとしました。それから軍の認識票を全員分お渡ししておきます。各基地の出入りや転移陣のご利用の際にはご提示下さい」
「つまり基地を勝手に使ってもいいのか」
「もちろんです。大陸全体に帝国軍基地が点在してますが、これからは我々に一々許可を取らず基地間を自由に移動されて結構です。ただし基地は全て租借地となっており、亜人たちの国への入国の際は関所で認識票を見せる必要があります」
「わかった。ちなみに猫人族の里に行く場合はどうすればいい」
「ここから南へ半日ほどの場所にありますが、軍馬をお貸ししますので出発の際には騎士団の厩舎にお立ち寄りください」
「了解した」
「それからこの港町シュタークを始め各基地の周辺は全て安全ですので、町中を自由に回られても何の問題ありませんよ」
「そうか。なら早速ここを観光させてもらうよ」
「どうぞどうぞ。かなり汚い町ですが亜人たちの暮らしぶりを知るにはちょうどいいと思います」
そして南方新大陸についての説明が一通り終わり、基地司令官は背筋を伸ばして敬礼してエルたちを見送った。
◇
兵舎に荷物を置いたエルたちは早速街に繰り出すことにした。
基地正門の広場やそこから続く町のメインストリートには、美味しそうな肉や野菜、珍しい果物を売る露店が所狭しと並んでいる。
その活気あふれる街並みに、ヒューバート騎士団のみんなはあっという間に人ごみの中に溶けていった。
「みんないなくなったぞ。どこへ行ったんだ」
エルが尋ねるとジャンは、
「適当に楽しむつもりなんだろうが、アイツらはああ見えてちゃんとお前さんのことを守っている。だから気にせず自由に行動してくれ」
そう言うと、ジャンも右手をヒラヒラとさせながら雑踏の中へと消えていった。
「よし俺たちも亜人たちの町を隅々まで散策するぞ」
エルは意気揚々と足を踏み出そうとしたが、みんなはなぜか尻込みして基地から出ようとしない。
「・・・みんな行かないのか?」
エルが不思議そうに尋ねると、エレノアが申し訳なさそうに言った。
「・・・申し訳ありませんが、猫人族の里へ向かう準備がしたいので、本日は兵舎に残ることに致します」
涼しげなサマードレスに着替えて気合い十分だったエレノアは、だがしきりに足下を気にしている。
その視線の先を見たエルが事情を察した。
「・・・ああこれが気になるのか。じゃあ俺について来たい奴だけ一緒に来い」
そう言ってエルはエレノアの足下にあった「馬の落とし物」を蹴飛ばした。
港町シュタークは基地の中と外でガラリと様子が変わり、清掃魔法で常に清潔に保たれている基地内とは対照的に、亜人たちで賑わう街路には至る所に汚物が転がっている。
貧民街の路地裏で生まれ育ったエルにはごく普通の光景も、上級貴族のエレノアたちには町全体がスラム街のように映っているようだ。
エレノア同様、スザンナやアリアも兵舎に残りたそうな様子だったが、シェリアがため息を一つつくとクリストフに尋ねる。
「私たちはエルについて行くしかないけど、あんたは大丈夫なのクリストフ?」
するとクリストフは余裕の笑みを浮かべ、
「僕は王都バビロニアのスラム街に毎日通っていたので、これぐらい問題ありません」
「あっそ」
自分で話しかけておきながら興味なさそうに「ぷいっ」とそっぽを向いてしまったシェリアの手を取ったクリストフは、笑顔で彼女をエスコートしてエルの隣に並んだ。
「クリストフお前、シェリアから毎日塩対応されてるのに本当に根性があるな。改めて見直したぞ」
「それは違いますよエルさん。僕はアメリアが隣にいてくれるだけでとても幸せなんです。さあ張り切って冒険を始めましょう!」
「お前、それで幸せなのか・・・」
結局他のみんなは兵舎に残って明日から始まる旅の準備を整えたり基地周辺でのショッピングを楽しむらしく、エルの散策に付き合うことにしたのはエミリーとインテリの二人だけだった。
◇
港町シュタークはかなり大きな町で、その人口の半数以上はウサギのような長い耳を持つ兎人族で占められていた。
次に目立ったのは犬人族で、この二種族以外は鳥人族や竜人族など多種多様な獣人たちが貧しいながらも身を寄せあって暮らしていたが、一方すぐ近くに里があるはずの猫人族の姿は全くと言っていいほどこの町では見かけなかった。
そんな「巨大貧民街」とも言える港町シュタークを散策してわかったのは、各種族がその特徴を活かして狩猟や農耕を生業にしていることだ。
例えば多数派である兎人族の男たちは穀物や根菜を中心とした畑作に精を出しており、犬人族や鳥人族、竜人族の男たちはその体躯を活かして狩猟活動に勤しんでいる。
そして亜人同士互いの獲物や農作物を物々交換し、余った食料を店に並べて帝国人相手に商売をする。
つまり物売りをするのは専ら女性の役割となるが、若い母親世代は家事や子育てで家から離れることはできないため、店番は子育てを終えたおばさんか結婚前の娘たちとなる。
まだ年端もいかない少女も店の仕事を覚えるため、甲斐甲斐しくお手伝いをしていた。
一方少年たちはまだ子供と言えども主要な働き手であり、父親と共に狩りや農作業に精を出す。
だが、まだ身体ができていない小さな少年たちは、町中に転がる「肥やし」を拾い集めて郊外の畑にせっせと運ぶ仕事をしている。
「俺が住んでいた貧民街と全く同じ暮らしぶりだな。見た目こそ違うが、亜人と俺たちはやっぱり同じ人間なんだよ」
エルは満足そうに「うんうん」と頷くが、頭の上を飛び回っていたインテリが何かを見つけた。
「大変やアニキ! 向こうの方で兎人族の少女が少年たちに取り囲まれイジメられてまっせ!」
「何だとっ! よしインテリ、助けに行くぞ!」
次回もお楽しみに。
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