第41話 プロローグ(後編)
その夜も皇宮では舞踏会が開催されていた。
世界の中心である帝都ノイエグラーデスには国内外からたくさんの王侯貴族が集まっており、昼夜問わず社交を繰り広げられている。
中でも皇宮で開催される舞踏会は最も重要な社交の舞台であり、貴族や貴婦人、そしてその令息や令嬢たちが華麗で優雅な時間を過ごしていた。
一方、まだ正式な皇女となっていないエルは、聖職者として皇宮への入場を許されたため、皇宮舞踏会への参加資格を本来持っていない。
だが皇帝から参加を命じられたエルは、収納魔術具に入れっぱなしにしていたドレスの中から適当なものを選んで、皇宮侍女たちの手によって聖女から淑女へと見事な変身を遂げさせられた。
そして婚約者の候補となる外国の王子たちと顔合わせをするため、皇帝への拝謁の列が全てなくなるまでホールの片隅で待つように言われていた。
そんなエルの隣には、いかにも王女様といった豪華なドレスに身を包んだシェリアが、ふてくされた顔でエルに毒をはいていた。
「もう最悪・・・この私がせっかく帝都まで来てあげたのに、クリストフとの婚約解消を認められないばかりか、陛下にこっぴどく叱られちゃった」
「そりゃ今回のことは100%お前が悪いし、怒られるのは仕方ねえ」
「どうしてエルはクリストフの肩ばかりを持つのよ。私の味方をしてくれたっていいでしょ!」
「別に肩を持ってる訳じゃねえよ。それにクリストフは一本筋が通っているし、中々いい男じゃないか」
「そんなに気に入ったのなら、エルにあげる」
「だからいらねえよ! 俺は男と結婚するつもりなんか・・・いやそうも言ってられなくなった」
「・・・え? どうしたのエル」
「実はさっき陛下に言われたんだ。18歳になったら俺は男と結婚させられる。今からその候補者たちと顔合わせをするんだが、男の中の男を目指すこの桜井正義がまさか男と結婚することになるとはな。あーあ、本当に情けないよ・・・」
「これから婚約者と顔合わせするんだ・・・そ、そうよね。あんたって腐っても皇女殿下だし、政略結婚の駒に使われるのは当たり前よね。でもそんなのに大人しく従うなんて、いつものエルらしくないわね」
「俺らしくないか・・・。そうかもしれんが、俺には叛逆者の子供というレッテルが付きまとっているようで、想像以上に難しい立場にいるみたいなんだ」
「そうなんだ・・・」
「ハッキリ言って俺は父ちゃんと母ちゃんを奴隷から解放して一緒に暮らせればそれでいいし、王子と結婚するだけでそれが叶うのなら安いものだ」
「そうかも知れないけど、本当にそれでいいの」
「他に手も浮かばないし仕方ないよ。それにあの皇帝はハッキリ言ってバケモノ。俺が何人いようとアイツには絶対に勝てねえ」
「それ私も思った・・・。うちの女王陛下も怖すぎるし、私たち万事休すね」
シェリアが悔しそうな顔でそうつぶやくと、クリストフも寂しそうにエルに言った。
「うちの寄宿学校を卒業したらエルさんも嫁入りしてしまうのですね。いつかはその時が来るのは分かってましたが、エルさんと一緒に冒険ができなくなるのはとても寂しいです」
「俺も寂しいよ。どうやら外国の王家に嫁がされることになるらしいし、帝国に残るお前たちとはもう一緒にいられなくなる。獄炎の総番長も解散だな」
「「「はあ・・・・」」」
大きなため息をつく3人だったが、スザンナだけは普段通りの表情を見せている。
「エル様ならどこに嫁がれても立派な王妃様になれると存じますし、侍女のわたくしはずっとお傍にお仕え申し上げます」
「スザンナは一緒に来てくれるのか。俺が外国に嫁げば父ちゃんと母ちゃんを奴隷から解放して「国外追放」に減刑すると陛下も約束してくれたし、カサンドラたちも連れて全員で移住するか」
「はい、それがよろしいかと」
「それに王族になれば誰からも命令されることはなくなるし、冒険者の真似事ぐらいはできるだろう」
「それはどうでしょうか。エル様はお世継ぎを作ることに専念させられるはずですし、当分の間は王宮から一歩も出られないと存じますが」
「えっ? ど、どうしてだ・・・」
「魔力を持たない平民とは異なり、貴族はお世継ぎが産まれにくいのです。ですので魔力の強い王族はかなり大変らしく、始祖7血族ともなればそれはもう」
「ひ、ひーーっ!」
「嫌ーっ! やっぱり私、結婚するのやめるっ」
◇
スザンナの話を聞いて顔を真っ青にしたエルとシェリアだったが、シェリアが逃げ出す前にクリストフが腕をしっかりホールドすると、皇宮に来ていたネルソン侯爵家の親族たちの元へと挨拶に向かった。
一方、黙ってエルたちの話を聞いていたジャンも、「伯爵の仕事がたまっているから今日は家に帰るわ」と言い残して、スザンナにエルを任せて会場から姿を消してしまった。
そして残されたエルとスザンナは特にやることもなくなり、拝謁の列が少しずつ短くなっていくのをただボンヤリ見つめていた。
そんな玉座の後ろには皇子や皇女たちがずらりと並んでおり、その全員がエルよりも年下の子供ばかりだった。
「今まで見てきた貴族家と違って、アスター大公家は随分と若いんだな。これも例の政変の結果なのか」
エルがそう尋ねると、スザンナがとても言いにくそうに耳元で囁いた。
「その通りなのですが、実はフィメール王国時代のアスター侯爵家はかなり衰退していたらしく、陛下のご家族以外は始祖の血が薄まっていたようです」
「15年前の政変の結果、陛下の弟妹は全員叛逆罪で処分されたという話だし、あの子たちはみんな陛下の子供ということか。すげえな」
「いいえ、半分は陛下のお世継ぎで間違いございませんが、残り半分は政変以降にお産まれになった陛下の弟妹であらせられます。つまりエル様から見れば叔父、叔母に当たるかと」
「・・・・・え?」
「あまり大きな声では話せませんが、陛下のご両親はまだ現役で、血筋を残そうと頑張っておられます」
「マジかよ! そんな話、聞きたくなかったぜ」
「アスター皇家にとっては血筋を残すことがそれだけ重要な使命であり、何よりも優先される大切なお務めなのです」
話を聞くまでは、玉座の後ろで孫に囲まれる初老の夫婦を微笑ましく見ていたエルだったが、スザンナの話を聞いた後は、まるで自分の未来を見た気がして膝から崩れ落ちそうになった。
◇
そんなエルたちの元に、貴婦人の集団がゆっくりと近づいてきて、その一人が大きな扇子で口元を隠しながらスザンナに話しかける。
「随分若作りされたご婦人がいらっしゃると思えば、なんとスザンナ様ではございませんか。デルン子爵家にお輿入れされたはずなのに、まだそんなかわいいドレスをお召しになられて、皇宮の舞踏会に何しに来られたのかしらね」
「あら、これはお久しぶりですヴェルモア伯爵夫人。貴族学校を卒業して以来ですので、かれこれ9年ぶりですか。すっかり貫禄がおつきになられて、わたくしのお母様の友人かと勘違いいたしました」
いきなり始まった二人の貴婦人による言葉の応酬。
「あら言ってくださいますわね。ですがわたくしはお世継ぎにも恵まれ、こうして社交界に戻って参りました。噂によるとあなたはまだお務めを果たせていないようですし、しっかり頑張らないと側室に先を越されても知りませんよ。ウフフフフ」
「そこはどうぞご心配なく。わたくしはメルヴィル伯爵家に戻り、こちらにいらっしゃるエル皇女殿下の侍女を仰せつかっておりますので」
「なんですって?」
驚いた貴婦人の集団が一斉にエルに目を移す。
そして頭の先から足元までじっくりとエルを品定めした彼女たちは、扇子で口元を隠しながらヒソヒソ話を始めた。
(・・・どうやらアスター家の人間というのは本当のようですが、こんな方いましたっけ)
(流行遅れのドレスをお召しですし、帝都にお住まいではなさそう。どうせまた東方諸国の田舎貴族がアスター大公家のご落胤を騙って帝都に連れて来られたに違いありませんわ)
(アスター大公家と言っても所詮は東方の田舎貴族。我々帝国貴族と違って血筋のハッキリしない娘が現れても、特に驚きはございませんわ)
わざと聞こえるように陰口をたたく貴婦人たちに、スザンナは冷たい笑みを浮かべて警告した。
「エル様がアスター本家に連なる血筋であることはローレシア陛下も認めています。今の話は聞かなかったことにしますので、すぐにここを立ち去りなさい」
「いいでしょう。お世継ぎが産まれずデルン子爵家を離縁された可哀相なスザンナ様のお顔を立てて差し上げます。さあ皆さま、あちらに行きましょう」
「「「そうですわね、オーッホホホ!」」」
貴婦人たちが足早に去って行くと、スザンナが申し訳なさそうにエルに謝罪した。
「わたくしのせいでエル様のご気分を悪くさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「アイツらのことなんか興味もねえし、俺のことは気にするな。それよりスザンナに対するあの言い方が気に食わねえ。何でアイツらはいきなりケンカを売って来たんだ」
「あの方たちとわたくしは違う派閥で、ランドン大公家の直臣である彼らにとって、アスター大公家に取り入ったわたくしが気に入らなかったのでしょう。それでわざとあのような言い方を」
「つまり対抗意識と嫉妬か。それにしてもわざわざデルン子爵家の話を持ち出さなくてもいいじゃないか」
「ですがわたくしが離縁されたのは事実ですし、わたくしにとってはエル様へ暴言の方が許せません」
「だったら俺は気にしてないしアイツらのことなんかもう忘れよう。それよりスザンナはまだデルン子爵家に未練があるように感じたが」
「もし未練があるとすれば、それはデルン家に対してではなく、わたくし自身にお子が授からなかったことだと存じます」
「え?」
「子を産み母になることが、子供の頃からのわたくしの夢でした。ですが今はエル様の侍女であることがわたくしの誇り。エル様にお世継ぎができれば、それを我が子だと思って大切に育てとう存じます」
そう言って微笑んで見せたスザンナの表情は、やはり少し寂しそうだった。
◇
謁見の列がようやく途切れ、皇宮侍従がエルとスザンナを玉座まで案内した。
玉座の周りでは外国の王子たちが既に待ち構えており、皇帝陛下からエルを紹介されると、その全員が思わず息を飲んだ。
「美しい・・・さすがはアスター大公家の姫君」
「陛下も絶世の美女であらせられるが、エル皇女殿下の美しさもまた格別」
「とても16歳とは思えない完成された美・・・今すぐにでも僕の妻に!」
「いや、この僕の花嫁にこそ相応しい!」
王子たちが口を揃えてエルを賞賛したが、エルは心の中でうんざりしていた。
(王子という人種は、どいつもこいつも軟派すぎる。男ならもっと硬派に生きるべきだ!)
もちろんそんなことを口にすることもなく大人しくダンスに応じるエルだったが、殺到する王子たちの相手を順番にこなしていくエルの姿に、他の帝国貴族たちは騒然とした。
「アスター大公家にあんな妙齢の皇女がいたとは知らなかった・・・」
「見事なまでのアスター美女。どこから連れてきたんだあの娘」
「よく調べてみる必要があるが、むざむざ外国に嫁がせるのは勿体無い。上手くすれば我が家門がアスター大公家の外戚になることも・・・」
こうして帝国社交界に鮮烈な印象を残したエルは、だがその翌日には逃げるようにゲシェフトライヒへの帰路についた。
次回もお楽しみに。
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