第35話 アメリア王女
アデルへの潜入を果たしたエルはその翌日には娼婦たちの治療を開始していたが、支配人ザムスの管理が徹底し、館内を自由に動くことが許されなかった。
エルが部屋から出られるのは午前から昼過ぎまでの間、つまり娼婦たちが眠っている時間帯で、しかも下女の監視のもと自室と病室との行き来のみ。
そのため潜入から数日が過ぎても、アメリア王女はおろか他の娼婦とも顔を合わせることがなかった。
長期戦を覚悟したエルは娼婦の治療を1日1人に留めて時間を稼ぎ、アメリア王女を探すための打開策を探ってみたが、ザムスの警戒網に穴はなく、何もできないまま時間だけが過ぎていった。
だがその日の夕方、転機が訪れる。
初日以来姿を見せていなかったラドクリフ伯爵がエルの部屋を訪れたのだ。
「これはラドクリフ伯爵。何かご用でしょうか」
アデル関係者の前では貞淑な妻の演技を続けるエルに、伯爵は用件だけ手短に伝えた。
「王国最高の治癒師であるエルさんを見込んで、是非頼みたいことがある」
「つまり娼婦以外に治療をして欲しい人物がいると」
「間もなく舞踏会が始まる。そこに一人で来てくれ」
それだけ言うと、紺色のドレスと舞踏会用の黒い仮面を置いて伯爵は部屋を出て行った。
◇
ドレスに着替えたエルは、下女に連れられて1階大ホールへとやってきた。
会場ではたくさんの貴族や富豪たちが美女を伴って歓談しており、その中にはエルの見知った顔もちらほら見えた。
エルは彼らに気づかれないよう人ごみに紛れ、会場奥で待つラドクリフ伯爵に近づいた。
「待っていたよ。・・・ふむ、なるべく地味なドレスを選んだつもりだったが、それだけでは君の美貌を隠しきれなかったようだな」
「え?」
「ホールの男たちが、君に注目している」
エルが振り返ると、ホールの貴族たちがチラチラとこちらに視線を向けている。
ため息をついたラドクリフ伯爵は、
「この場所から見ていてもらおうと思っていたが、そうも行かないようだ。今夜は私が君の虫よけとしての務めを果たすとしよう」
そう言うと、ラドクリフ伯爵はエルの手を取って、ホール中央へエスコートした。
舞踏会が始まってしばらくすると、ホール中央にある大階段を一組のカップルがゆっくりと降りて来た。
豪華なタキシードスーツに身を包んだ若い男が、同じく豪華なドレスに身を包んだ絶世の美女をエスコートしている。
そんな二人に目線を向けたラドクリフ伯爵が、エルの耳元で囁いた。
「君は初めて会うと思うが、彼はバビロニア王国の王弟カール殿下だ」
「王弟・・・つまり国王陛下の実の弟君」
「アデルの顧客の中で最も身分が高いのが彼だ」
だがエルの意識は、王弟カールよりも彼がエスコートしている女性の方に釘付けになっていた。
彼女も娼婦なのだろうが、ホールにいるどの娼婦よりも格段に美しく、その所作は王族のカール殿下よりも洗練され、ただならぬ気品を感じさせた。
そんな彼女の腰まで伸びた長い白銀の髪がオーラをまとって輝きを放ち、まだ幼さの残るその美しい顔は燃えるように真っ赤な瞳によって凛々しさを際立たせていた。
彼女の美しさに思わず息を飲んだエルは、ラドクリフ伯爵にこっそり尋ねる。
「カール殿下の隣の女性は」
「彼女の名はアリア。我がアデルが誇るナンバーワン娼婦だよ」
「・・・アリア」
(ついに見つけた!)
ここにたどり着くまで大変な苦労をしたエルは、突然目の前に現れたターゲットに思わずガッツポーズしそうになったが、それを気取られないよう貞淑な妻を装う。
そんなエルの手を再び取ると、ラドクリフ伯爵は王弟カールとアリアの元へ彼女をエスコートした。
◇
舞踏会も進み、男たちはパートナーを伴って徐々に姿を消していくと、カールもアリアを伴い再び大階段を登って行った。
カールに抱き寄せられ扉の向こうへと消えていったアリアの後ろ姿に、エルの脳裏にクリストフの顔が思い浮かんでしまった。
ここに彼が居ないことが何よりの救いだったが、切ない気持ちで下を俯くエルの耳元で伯爵が囁いた。
「ここに来てもらった理由が分かったと思う。場所を移して話をしようか」
「はい」
ラドクリフ伯爵はエルを連れて、カール殿下の後を追うように大階段で2階に上がると、最上階にある私室にエルを案内した。
「見ての通り、カール殿下も例の病気にかかっている。君にお願いしたいのは彼の病気を治すことだ」
「喜んで。・・・もしかしてですが、病に臥せっている娼婦たちはあのカール殿下が」
「そうだ。本当に困ったものだよ」
ため息を一つ吐いた伯爵は、エルを相手に昔語りを始めた。
◇
この娼館は父である先代ラドクリフ伯爵から引き継いだもので、外務卿を務めていた先代は東方諸国の王族や貴族をもてなすための迎賓館としてここを立ち上げた。
やがてここが手狭になるほど外交関係が華やかになると、当時の国王が王城の近くに大きな迎賓館を建設し、表舞台はそちらに移行することになる。
だがこの館はその役目を終えることなく続き、利権に群がる政商たちが入り込むと、金に女と、欲望渦巻く「裏の迎賓館」として発展していく。
それゆえアデルは徹底した秘密主義で表社会からその存在を消し去ることに成功し、父親の引退後は息子の当代伯爵にそのまま引き継がれた。
だが順風満帆だったアデルの経営も、当代ラドクリフ伯爵が引き継いだ頃から徐々に傾いていく。
彼に父親ほどの経営手腕がなかったこともあるが、それより問題だったのが彼と同年代である王弟カールの存在だった。
カールは王族らしく欲望に忠実な男で、アデルのルールを無視しては気に入った娼婦を手当たり次第に手を付けていった。
しかもどこからか病気を貰ってきた彼は、アデルの娼婦たちを次々と感染させてしまったのだ。
「カール殿下は王国最高の治癒師に自分を治療させ、週に2、3度はここに遊びに来る」
「身体が悪いのにそんな頻繁に・・・。最初は気づきませんでしたが舞踏会が進むにつれてキュアの効果が切れ、あざが浮かび上がっていました。病状はかなり深刻です」
「・・・最悪な奴だよ全く」
普段感情を表に出さないラドクリフ伯爵が、カールに対しては忌々し気に表情を歪める。
「カール殿下の治療は承りましたが、わたくしが王城へ行けばよろしいのですか」
「そこまでしなくてもいい。次回ここを訪れた時に、殿下を君の部屋に立ち寄らせることにする」
「承知しました。ところでアリアさんの治療はしなくてもいいのですか」
「・・・やはり彼女も感染しているのか」
「ハッキリ症状が出ているわけではありませんが、もしかしたらご自分で治癒魔法をかけているのかも知れません。よろしければ明日にでも」
「そうしてもらえると助かる。こんな状況なのでアリアには殿下専属になってもらっているが、彼女を求めている顧客は多いからな」
◇
翌日。
娼婦たちの治療を終えて部屋に戻ると、支配人ザムスが待っていた。
「アリアの部屋にお前を連れていくようにとの伯爵のご指示だ。一人でついてこい」
そうぶっきらぼうに吐き捨てたザムスに従い、一人部屋を出たエル。
だが彼に案内されたのは、廊下をはさんだ向かい側の部屋だった。
(まさか、こんな近くにアメリア王女がいたとは)
「絶対におかしなマネはするなよ」
廊下で待つザムスが警戒心を隠さない中、エルが部屋に入るとネグリジェ姿のアリアがベッドに腰かけていた。
「あら? 聖女様がわたくしに何のご用かしら」
「ラドクリフ伯爵の依頼で病気の治療に参りました」
「病気・・・伯爵には気づかれていたのですね」
やはりアリアはカールと同じ病にかかっていた。
聞くと、アリアは強力な治癒魔法が使えるため、自分で魔法をかけてカール同様外見だけは何とか取り繕っていた。
だが病気そのものが治るわけでもなく、病状が進行して自分の命があとわずかであることを感じ取っていたようだった。
だからエルの申し出に笑顔で答えつつも、この病気に治療法はなく、所詮気休め程度にしかならないと彼女は考えていた。
「では治療を始めますので、ベッドに横になってください」
◇
エルの治療が終わった。
あれだけ辛かった症状が消え去り、身体のどこにも痛みを感じない。
「信じられない・・・本当にあの病気が治るなんて」
「他の皆様も順調に回復されていますし、もう大丈夫だと思います」
アリアは信じられないという表情でエルの顔を見つめると、
「聖女様はわたくしの命の恩人です。何かお礼ができればいいのですが、あいにく何も差し上げられるものがございません。一体どのように感謝の気持ちを伝えればよいのか」
「お礼など必要ありませんが、一つだけ質問させていただいてもよろしいですか」
「ええ。わたくしに分かることなら何でも」
「では。・・・あなたはネルソン侯爵家から誘拐されたアメリア王女で間違いありませんか」
「・・・・・」
「・・・・・」
エルの質問に、だがアリアは何も答えなかった。
満面の笑みをたたえていた彼女の表情が次第に曇っていき、何も言葉を発しなくなった。
エルはことを急ぎすぎた自分を反省して、アリアの元を去ろうとしたその時、
「・・・実はわたくし、ここに来る前の記憶が何もございません」
「・・・記憶喪失」
次回もお楽しみに。
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