第26話 娼婦エル
王都バビロニアの高級娼館「ペティーテ」にやって来たエルとクリストフ。
その建物に近づくと、入り口で客引きをしていた黒服の男から呼び止められる。
「あんた奴隷商人だろ? なかなかいい奴隷女を連れてるようだが、ウチの店に売り込みかい?」
笑顔を張り付けた仮面の下で、鋭い眼光を光らせる20代後半ぐらいの若い男性マネージャーは、一目見てエルを気に入り、なるべく安く仕入れようとクリストフに交渉を持ちかけて来た。
それに涼しげな顔で応じるクリストフ。
「俺はレッサニア王国で奴隷商をしている者だが、このバビロニア王国にも手を広げようとウチでも5本の指に入る奴隷女を連れて来た。王国随一の高級娼館であるおたくの店と取引ができればいい実績作りになると思ったんだが、邪魔ならすぐに消えるぞ」
そう言って、エルを連れて立ち去るふりをするクリストフ。
彼にこうした駆け引きができるようになったのは、全てエルの熱血指導のおかげだった。
午前中に娼館街の下見を終えて、いくつかの高級娼館にターゲットを絞った二人は、衣装を買いそろえた後、宿屋に引きこもって演技の特訓を行った。
もちろんエルに奴隷女の練習は不要であり、全ての時間をクリストフの演技指導に費やした。
その際、エルは自分の経験を活かして様々なシナリオを用意し、どんなケースにも対応できるよう寸劇の稽古を繰り返し行った。
一切の妥協を許さないエルの指導はとても厳しく、たった半日の練習だったが、クリストフを本物の奴隷商人にすべく徹底的に鍛え上げた。
クリストフとしても、愛するアメリアを助けたい一心から驚くべき集中力を発揮し、エルの用意したシナリオを全て頭に叩き込むと、誰も教会の枢機卿だとは気づかないほどのリアルさを獲得した。
それでも百戦錬磨の女衒を騙すのはたやすいことではなく、クリストフの演技を側面からサポートするため、エルは妖艶な衣装に身を包んだ。
肩や胸もとが大胆に露出した上半身に加えて、この世界ではあまり見かけないミニスカートをはくことで、太ももが惜しげもなくさらされている。
この衣装だけでも周りの娼婦が霞むほどのインパクトがあるのに、それを絶世の美少女のエルが着ることでその破壊力が数倍に跳ね上がった。
結果、女衒である前に一人の若い男であるそのマネージャーは、エルの妖艶さに生唾を飲み込むと、立ち去ろうとするクリストフを慌てて呼び止めた。
「邪魔なんてとんでもない。それにウチが王国随一の高級店とはさすがお目が高い。話ぐらいは聞いてやるから、まあ中に入れよ」
((釣れた!))
ニヤリと顔を見合わせたエルとクリストフは、娼館の裏側にある控え室へと案内された。
◇
部屋のソファーに座ったクリストフとその後ろに立つエル。二人の向かい側にマネージャーがゆっくりと腰を下ろす。
「クリストフさんと言ったか。あんたが連れて来たそのエルって娘は、一体いくらで売り出そうと考えているんだ」
マネージャーは将来エルが稼ぎ出すであろう金額を計算し、出せる上限額をざっと見積もった。
彼の想定では、エルはこの娼館のトップに今後10年は君臨し、娼館「ペティーテ」の名を全国に轟かせる逸材になると踏んでおり、そんな彼女を他の娼館には絶対に渡せないと思っていた。
だがクリストフは具体的な金額を提示せずに答えをはぐらかす。そして、
「そう急かすな。実はここ以外も何軒か回ってみてようと思っている。この国の相場が知りたいのでな」
マネージャーは内心焦りながらも、それを表情に出さずクリストフの言葉を牽制した。
「ほう・・・つまり俺たち娼館相手に競りを仕掛けようと言うわけか。だがこの街でウチより金を出せる店はないし、そんなことをしても時間の無駄にしかならないぞ」
「そうかな? 話によると他にも有力な高級店があると聞いた。確かアデル・・・だったかな」
その名前を聞いた瞬間、マネージャーはほんの一瞬だけ顔色を変えたが、すぐに笑顔を張り付けた。
「そんな店聞いたことがないな。いずれにせよ王都バビロニアで一番の娼館はこのペティーテ。何なら街の男どもに聞いてみなよ」
「随分な自信だな。まあ後で聞いてみるとしよう」
(エルさん、やはりアデルの情報はそう簡単には引き出せませんね)
(ああ。だがここまでは俺の想定内だし、この男ならパターンHで行けそうだ)
(パターンH・・・よりによって聖職者の僕がその作戦を。神よ、我を許したまえ・・・)
二人がアイコンタクトを使って瞬時に作戦会議を終えると、エルが遠慮がちにクリストフに尋ねる。
「あの・・・ご主人様、少しよろしいでしょうか」
「・・・何だ」
「私、アデルよりもこのお店に興味があります。中を見学させていただけるよう、マネージャー様にお願いしていただけますか・・・」
そんなエルにクリストフは声を荒げた。
「何だとコイツ! 奴隷のクセに店を選べる立場だと思っているのか! お前は一番高く売れた店で、死ぬまでこき使われていればいいんだ!」
「で、ですが・・・私」
「このやろう! ご主人様に逆らうとどうなるのか、そのだらしない身体にしっかり刻み込んでやる!」
そしてクリストフが懐から魔術具を取り出すと、奴隷を戒めるための呪文を唱えた。
その瞬間、エルの奴隷紋が反応して全身に耐え難い痛みが走った。
「ぎゃーーっ! ううっ・・・くっ・・・うあああぁぁっ!」
崩れるように床に倒れて悶絶するエル。
激痛に耐え切れず、涙を流して許しを乞うエルに、奴隷の扱いに慣れているはずのマネージャーでさえ、その額に冷汗が滲み出てきた。
それと同時に、エルが悶えるたびにその大きな胸が艶めかしく揺れ、真っ白な太ももが小刻みに痙攣し、めくれ上がったミニスカートからむき出しになった大きな尻と純白の下着がマネージャーの眼に焼き付いて離れなくなった。
一日中美しい娼館たちに囲まれ、女のそういう姿に見慣れているはずのマネージャーも、エルが涙を流して自分に助けを求めて来た瞬間、頭の中の理性が全て吹き飛んでしまった。
「もういい! 今すぐその呪文を止めてやってくれ! 青天井とはいかないがそちらの言い値でその娘を買い取ろう。いや頼むからウチに譲ってくれ! もちろん店の様子はいくらでも見学させてやるし、今からこの俺が案内してやる。これから長い付き合いになるんだし、お互いいい関係を築いて行こうじゃないか!」
◇
娼館の中を見学させてもらうことになったエル。
マネージャーが先導し、その後ろをエルとクリストフが歩いていく。娼館にはすでに客が入っていて半数近くの部屋が使用されている。
廊下まで聞こえてくる男女の営みに、途中まで平静を装っていたクリストフも我慢ができなくなった。
「・・・すまないが俺は長旅で疲れたようだ。さっきの部屋で休んでいるから、ウチの奴隷女をゆっくり見学させてやってくれ」
「ああ、もちろんだとも。エルはこの俺が責任持って案内するから、クリストフさんは部屋でゆっくり休んでいてくれ」
そして申し訳なさそうにエルに目配せしたクリストフは、そそくさとさっきの部屋に戻って行った。
その後、空き部屋を一通り見学させてもらったエルは、今度は娼婦たちの控室へと案内される。
そこは通りに面した例の顔見せ部屋で、淫靡な明かりに照らされた娼婦たちが、中を覗き込む男たちに一生懸命媚を売っていた。
その様子を見ていたエルにマネージャーは、
「ここにいる女たちはみんな年を食っちまってひいきにしてくれる客もいなくなったから、飛び込みの客を取るためにああやって媚を売っているんだ。ウチのトップクラスの娼婦たちはあそこではなく、指名があるまで自室で待機している」
「わあすごい! 自室が与えられるなんて、まるでお姫様みたいね」
「そうだろそうだろ。こんなに待遇がいいのは、ウチのような高級娼館だけだ」
「まあ素敵! あのぉ、もしよろしければそのトップクラスの方々とお話しすることはできますか。是非アドバイスをいただきたいので!」
「もちろんだ。気位が高い女ばかりでいい話は聞けないと思うが、今後はライバルとして競い合っていく女たちだし、今から会っておいて損はないだろう」
そう言ってマネージャーが案内したのは、娼館最上階にあるVIP客専用ルーム「貴賓室」だった。
貴賓室は、その部屋自体が娼婦たちの自室になっていて、自分の固定客を招き入れてはそこでおもてなしをする。
そしてマネージャーがエルに紹介してくれたのは、この娼館のナンバーワン娼婦だった。
部屋から彼女を呼び出して、廊下で事情を話すマネージャー。
出てきたのは驚くほど顔の整った娼婦で、年は20代後半ぐらいに見えるが、その完璧なプロポーションにエルも思わず生唾を飲み込んだ。
だが娼婦はマネージャーの話に顔を曇らせると、少し不機嫌そうに睨み付けながら「早く入んな」とエルに告げた。
そしてエルが中に入ると、マネージャーはその場に残ってゆっくりと扉を閉めた。
◇
貴賓室というだけあって、部屋の中には大きな天蓋付きのベッドと高級な調度品が備え付けられていた。
顧客が本物の貴族や大富豪なのだろうか、高級感あふれる貴族趣味のその部屋は、まさにデルン城の客間のような雰囲気だった。
だがムードのある照明やほのかに漂うお香の匂いによって、ここが娼館であることをすぐに思い出させてくれた。
そんな部屋の主は、けだるそうにベッドに腰掛けると、エルを立たたせたまま大きなあくびをした。
「契約前の奴隷のアンタをわざわざ見学させるなんて、あのマネージャーは本気でここの娼婦にしようと思ってるみたいね」
「はい。マネージャー様にはとてもよくしていただいております」
エルがしおらしく答えると娼婦はそれを鼻で笑う。
「ふん、白々しい演技なんかやめな。妙にカマトトぶってるけど、とんだアバズレなのはお見通しなんだからね。どうやってあのマネージャーをたらし込んだのやら」
娼婦が廊下で待っているマネージャーをあごで指さすと、鋭い眼光でエルに遠慮なく告げる。
「アンタに来られると正直迷惑なんだろ。やっとのことで居心地のいい住処を手に入れたのに、またアンタみたいな若い娘たちと競い合うなんてまっぴらごめんさ。頼むからここを出て行ってくれないか」
何もかもを見透かしたようなその娼婦の言葉に、エルも素に戻ってそれに答える。
「アンタの言いたいことは分かった。俺の質問に答えてくれたら話に応じてやる」
「・・・アンタ、ズブの素人じゃないわね。目的が何かは知らないけれど、ここを出て行ってくれるのなら質問に答えてやってもいい」
「アンタはかなりの美人だし、ここでトップを張っていられるのもうなずける。だがさっき、俺みたいな若い娘と競い合っていたと言っていたが、それはどこの娼館のことだ」
「・・・その質問には答えられない。この世界で生きていくためには、決して破ってはならないルールってもんがあるんだよ」
「ルールか・・・ならこれは俺の独り言だから無視してくれても構わない。俺はアデルという娼館にいるアリアという娼婦に会いたい。だが娼館街のどこを探してもその店は見つからなかった。一体どこに行けば会えるのか・・・」
「・・・・・」
「・・・すまなかったな。話は以上だ、あばよ」
「・・・サロン」
「え?」
「商業ギルドのサロンだ。・・・用が済んだらとっとと出ていきな」
「分かった。・・・ありがとうな姉ちゃん」
次回もお楽しみに。
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