第25話 王都バビロニア
一気に王都まで転移したエルとクリストフ。
二人は早速、デニーロ商会の書簡にあった高級娼館「アデル」を探しに街に出ることにした。
王都バビロニアは国境の街ジェラトよりも数倍大きく、街の中心には王城がどっしりと構えていた。
おとぎ話に出てきそうなその城は、デルン城はもちろんゲシェフトライヒ城よりも一回り大きく、周囲を見渡しても芸術的な建造物が数多くあり、ここが長い歴史を誇る国であることが分かる。
だがエルたちは、芸術品のような建物が建ち並ぶ街の中心部に背を向けると、猥雑な繁華街のはずれにある、いかがわしい娼館街へと入っていった。
まだ午前中ということもあり人通りもなく閑散とした娼館街では、狭い街路の両側に軒を連ねる娼館の前を、そこの下女たちが気だるそうに掃除していた。
娼館はどの店も似たような作りで、看板の下には娼婦が顔見せするための小部屋が用意されていて、夜になると淫靡な照明に照らされた彼女たちがこの小部屋の中に入る。
そして部屋を覗き見た男たちが気に入った娘を見つけたなら、入り口にいるやり手ババアに声をかけて、その娘と共に娼館の奥へ通されていく。
冒険者仲間のオッサンたちがそうしているのをエルは何度か遠目に見たことがあったが、クリストフは娼館街に入ったことなどあるはずもなく、知識としてその存在を知っているに過ぎなかった。
そのためクリストフは、娼館街の中を歩くだけでも緊張して、挙動がおかしくなっていた。
「・・・おいクリストフ、そんなにキョロキョロせずもっと自然に歩け」
「エルさんは慣れているかもしれませんが、僕はこんな所に来るのは初めてで」
「慣れてねえよ! 俺もこんな近くで見るのは初めてだけど、これは潜入捜査なんだから怪しまれたら情報を得られなくなる」
「それは分かっているのですが、どうも僕はこの雰囲気に馴染めず」
「・・・もう分かったから、お前は真っすぐ前を見て歩け。俺が「アデル」を探す」
「お役に立てずにすみません・・・」
そうして朝の娼館街を練り歩いた二人だったが、何周しても「アデル」を見つけることができなかった。
「おかしい。アデルなんて店、どこにもない。ギルドの情報では、この辺りでしか娼館を営業できないことになっているし、実際たくさんの大衆店に混じって高級店がいくつもあった。なのになぜ」
「大衆店と高級店の違いも、僕にはわかりませんが」
「そもそも「アデル」についての情報自体がギルドで全く手に入らなかったし、本当に存在するのか疑わしくなってきたな。ただデニーロ商会がウソをつくはずがないし、ひょっとすると名前が違っていたのかも知れない」
「名前が違っていては、最早どうやって探せばいいのか・・・」
「いや、やりようはある。例えば娼婦とかやり手ババアに直接話を聞いてみるんだ」
「ギルドに情報が無いものを、娼婦なんかに聞いて分かるものなのですか?」
「蛇の道は蛇と言って、同業者なら何か情報を持っているかもしれないし、「高級娼館アデル」は知らなくても「アリア」という名の娼婦の噂なら聞いたことある奴がいるかも知れない」
「なるほど! でもどうやって娼婦に話を・・・」
「お前が客になって話を聞け」
「ええっ! そんなの無理です。僕にはアメリアという婚約者がいるし、彼女への裏切りになるようなことは断じてやりたくない」
「だがなクリストフ、入った店にたまたまアメリアが居ることだってあるし、そのまま連れ出せばそれで今回の極秘任務は終了だ」
「えっ? ・・・そうか、アメリアはここで娼婦をしていたんだった。そして僕じゃない男と娼館の中で・・・ああぁぁ・・・」
頭を抱えて落ち込んでしまったクリストフに、エルは軽はずみな発言を反省した。
「悪かったよクリストフ。アメリアは俺が責任を持って純潔の乙女に戻してやるし、娼婦から話を聞くのもこの俺がやってやる。だがこの女の身体でどうやって娼婦に話しかけるか」
そしてしばらく考えたエルは、
「俺が娼婦のふりをしてどこかの娼館に紛れ込むか」
「だだだだダメですよエルさん! 仮にもあなたは皇女殿下で、万が一のことがあればアスター大公家に申し開きができません!」
「そんなこと言っても、お前が娼館に入りたがらないから仕方ないじゃないか」
「それはそうなのですが・・・」
「じゃあこういうのはどうだ。お前が奴隷商人になって奴隷の俺を娼館に売りこむ。それなら二人一緒に娼館に入れるし、その時に店のマネージャーから話を聞きだせばいい」
「僕が奴隷商人ですか・・・全く自信がありませんがエルさんが一人で娼館に潜入するよりはずっとマシですね。やりましょう!」
「よし、そうと決まれば色々と準備が必要だ。まずは奴隷商人風のヤクザっぽいスーツと、娼婦が着るような露出高めの服を買いに行くぞ」
◇
エルたちが娼館への潜入を試みている頃、エミリーたちは商都ゲシェフトライヒから真東にある港町「ミジェロ」に到着していた。
ここは、バビロニア王国国境とのちょうど中間地点にあたり、東西に長く伸びるミジェロ運河を貿易船がひっきりなしに通過する、交通の要衝であった。
また運河を渡った南側には帝国騎士団の駐屯地「ミジェロ基地」があり、ここから南側に広がる「南方新大陸」に陸路で向かう際の補給基地となっている。
そんな港町ミジェロは多くの旅人でにぎわっており、転移酔いでフラフラになったエミリーたちは、ここで一夜を明かすことになった。
隠れるように場末の安宿に入り、部屋で作戦会議を始めるエミリーたち。早速ジャンが話を切り出した。
「ギルドの受付嬢にも確認したが、エルの奴はどうやらこの街に立ち寄っていないらしい。アイツは魔法もロクに使えないくせに魔力だけは一丁前にあるから、国境の街まで一気に行っちまったのかもしれないな」
「だとすると、エルちゃんはもうバビロニア王国の国境を越えちゃったのかな」
「いや、それは難しいだろう。関所のチェックは厳重な上に、アイツは見るからに皇家の姫様って外見だからな。どうせ立ち往生しているだろうし、そこで合流してラヴィの転移魔法で国境を突破させてやろう」
「それがいいわね。あ~あ、私たちにもっと強い魔力があればよかったんだけど、転移酔いが気持ち悪くてもう一歩も動けないわ」
「それは仕方がない。ベテランの騎士でも1日でミジェロまで跳躍するのは結構大変なんだ。お前らはかなり頑張った方だよ」
そう言いながらも、ジャンだけは一人ピンピンしており、比較的元気なラヴィがソファーにもたれかかる聖騎士3人に水を運んで世話をしている。
そのマリーが座りなおしてジャンに尋ねた。
「ヒューバート伯爵。私たちは別にお金に困っているわけではないのに、どうしてこのような安宿に泊まる必要があるのですか」
するとジャンが頭をかきながら、
「こういう宿じゃないと、奴隷が部屋に泊まれないからだ」
「え?」
「奴隷というのは馬屋か納屋に泊まるのが普通だが、こういった場末の安宿は少し金を握らせてやれば見逃してくれるんだよ。バビロニア王国でも通用するテクニックだからよく覚えておけ」
「それって私たちが奴隷のふりをしているからで、この設定をやめればもっといい宿に泊まれるのに」
「それはダメだ。エルほどではないにしてもお前らは見るからに貴族って外見だし、戦に敗れて奴隷堕ちした令嬢ってことにしておいた方が何かと都合がいい」
「奴隷堕ちっ! はは・・・ははは・・・海賊どもの慰み物にされたこの私にピッタリの役回りですね」
ガックリ落ち込むマリーに代わって、いつも暗い顔のユーナがジャンに尋ねる。
「その設定ボクにとってはむしろご褒美なのですが、この旅の間中ずっと安宿で過ごすのですか?」
「そうだ。お前らのような生粋の貴族令嬢には辛いかもしれんが、エルの護衛になったからには今のうちにこういう生活にも慣れておくといい」
「皇女殿下の護衛なのに、なぜ安宿に慣れておく必要があるのか分かりませんが、少し楽しくなってきました、ヒューバート伯爵閣下」
目が宙をさ迷うマリーと、珍しく前向きなユーナ。
そしてベッキーもなぜか楽しそうにしている。
「ベッドが2つで女の子が5人・・・今夜はどういう組み合わせで寝るのかな。私は誰とでもOKよ」
それを聞いたマリーとユーナの顔が青くなる。
「「わ、我々は奴隷らしく床で寝ることにするから、ベッキーは一人でベッドを使うといい」」
「えええ・・・そんなのつまんないわ」
「「と、とにかく明日もあるし、今日はゆっくり眠りたいのだ」」
「ちぇっ、いいもん二人とも。私はエミリーお姉様かラヴィちゃんと一緒に寝るから」
◇
夜になり、エルたちは再び娼館街へとやってきた。
奴隷商人風のヤクザなスーツを着たクリストフは、娼婦に扮したエルを連れて一番高級な娼館に向かっている。
エルはその幼さを隠すために少し派手めの化粧をし、肩がむき出しで胸元も大きく開いた赤いワンピースを着て、男たちの視線を釘付けにしながら悩ましげに街を闊歩する。
その首筋には痛々しい奴隷紋が浮かび上がっているが、さっきわざわざ奴隷商会まで赴きクリストフを所有者として奴隷契約を行った正真正銘の本物である。
「・・・エルさん、本当にここまでする必要があったのでしょうか」
「ある。何せ相手は海千山千のプロの女衒。やるなら徹底的にリアルを追求すべきだ。それに、こと女奴隷に関してはその道15年のベテランだぜ、俺」
「・・・分かりました。ここはプロ奴隷のエルさんに全てお任せします」
「おうよ!」
そんなエルが娼館街を歩いていくと、女を買い求めにやってきた男たちがこぞって振り返る。
そしてエルの美しさに完全に心を奪われると、いかにも奴隷商人風の男に連れられて歩いている状況から、今から娼館に売られようとしていることを目ざとく悟る。そして自分が最初の客になろうとゾロゾロ後をつけて来た。
それを見た他の娼婦たちが「営業の邪魔だよ」と憎々し気にエルをにらみつけ、彼らの雇い主である「やり手ババア」はエルを自分の手ごまにしようと、客引きに対する以上の熱でエルたちに声をかけてくる有様だった。
そんな騒ぎを巻き起こしながら到着したのが、午前中に目をつけていた街一番の高級娼館「ペティーテ」だった。
「クリストフ、行くぞ!」
次回もお楽しみに。
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