第23話 偽装夫婦
ギルド3階の宿屋に泊まることになったエルとクリストフ。
狭い部屋の真ん中には大きなベッドが鎮座し、枕が2つ並んでいた。
「「・・・・・」」
二人の間に微妙な空気が流れる。
「コホン。僕は床で眠りますので、エルさんが一人でベッドを使ってください」
真っ赤な顔のクリストフが紳士の嗜みを見せると、
「侯爵家の御曹司のお前が床に寝れるわけないだろ。床には元奴隷の俺が寝るよ」
昔取った杵柄とばかりにエルが主張する。
「それはいけません。皇女殿下を床に寝かせるなんて不敬に当たりますし、ここは僕が!」
「床は硬くてお前なんか一睡もできんぞ。でも俺なら5秒で眠りにつける」
「いや、僕が」
「いや、俺が」
「「・・・・・」」
「なら二人で寝るか。ベッドも広いし、男と雑魚寝をするぐらい別に俺は気にならんし」
「とんでもない! 嫁入り前の皇女殿下が男と床を共にするなどあってはならないこと。もちろん僕は絶対に手なんか出しませんが、いらぬ醜聞が立ってしまってはアスター大公家に申し訳が立ちません」
「嫁入り前も何も、俺は嫁になど行かん。それにこれは極秘任務なんだから醜聞の立ちようもない」
「・・・確かに、僕たちがここにいることは誰も知らないですね。では二人だけの秘密ということでベッドは二人で使いましょう」
寝床も決まり、外出の予定のない二人は夕食まで時間をそれぞれ過ごす。
先にクリストフを風呂に入れさせたエルは、ナギ爺さん特製の道具を取り出すと、装備を分解して丹念に磨き始めた。
「今日は移動だけで終わったのに、雑草や泥がはねて意外と汚れているな」
この手の整備が大好きなエルが具足を熱心に磨いていると、風呂から上がったクリストフが突然叫び声をあげた。
「うわっ、何て格好をしているんですかエルさん!」
「えっ?」
慌てて扉を閉めたクリストフに、エルはようやく自分の格好に気が付く。
普段のエルは、騎士装備の下には下着しかはいておらず、いつものようにパンツ一丁で整備を始めてしまっていた。
「す、すまんクリストフ! 見苦しいものを見せちまったな」
エルは慌てて収納魔術具からゆるふわワンピを取り出すと、さっと上から羽織った。
「おーいクリストフ、大丈夫だから開けていいぞ」
エルの言葉に、恐る恐る扉を開けたクリストフは、真っ赤な顔で恥ずかしがりながらエルに謝罪した。
「ノックもせずに突然部屋に入ってしまい本当に申し訳ありませんでした」
「今回のは完全に俺が悪い。いつもの調子で、装備の手入れを始めちまった」
「いつもあんな格好で整備をしているのですか?」
「そうなんだが、今は死にたい気分だよ。女の下着を着けてる姿を見られちまって、本当にみっともない。日本男児の恥だ・・・」
「みっともないなんてとんでもないっ! 美の女神が地上に降臨したかのような美・・・あ、いやコホン。ああアメリア、君以外の女性を見て興奮を覚えてしまったこの破廉恥な僕をどうか許してくれ!」
天に向かって必死に懺悔するクリストフだが、エルはエルで自己嫌悪で心が折れそうになっている。
「そもそも俺が女の下着を着けているのは、これがキャティーが作ったものだからで、彼女の喜ぶ顔が見たかっただけなんだ」
ブツブツ呟くエルだったが、突然いいことを思いついた。
「でもよく考えれば、この旅にキャティーはいないわけだし、男の下着をはいていても彼女が悲しむこともない。よしクリストフ、お前の下着を貸してくれ」
「ななな、何を言い出すんですかエルさん!」
「だからお前のパンツを俺に貸せ」
「そんなのダメに決まってるじゃないですか! エルさんは皇女殿下なんですよ!」
「皇女だろうとなかろうと、どんなパンツをはいてるかなんて人に言わなきゃ誰にも分からないだろ。それに俺は他人の下着でも平気ではけるタイプの人間だ」
「僕が気にします! 絶対にダメ!」
「ちっ、仕方ねえな。せっかく野郎同士で気兼ねなく旅ができるっていうのに、女の下着しか持ってこなかったのは俺の一生の不覚・・・ガクッ」
◇
装備の手入れを終えて、久しぶりに一人でのんびり風呂に入ったエルは、セーラー服に着替えると夕食を食べにギルド一階の酒場に向かった。
エルの隣にはシャツにスラックスというラフな格好のクリストフが、手を差し出してエスコートしようとしている。
だがエルはそれを拒むと、
「おいクリストフ。女性をエスコートするのは貴族のやることだ。平民の新婚夫婦はもっと直接的というか、腕を組んでベタベタ歩くんだ」
「腕を組むですか? どうするのかよくわかりませんが、エルさんにお任せします」
「よし特別に貧民流アバズレ新婚夫婦の歩き方を伝授してやる。じゃあ飯を食いに行くぞ」
そう言ってエルはクリストフの左腕に抱き着くと、身体を密着させて階段を下りていった。
だがこれに慌てたのがクリストフだ。
「ええええエルさん! むむむむ胸が僕の腕に!」
「無駄に大きいだけで邪魔だと思うが、そこは我慢してくれ。新婚夫婦を偽装すれば俺たちに声をかけてくる輩もいなくなるからな」
「邪魔というか・・・その、あの、あああっ、これはまずいことになってきた。まずい、とにかくまずい。アメリア、こんな破廉恥な僕をどうか許してくれ」
「うるさい! ちょっと静かにしろクリストフ。お前は黙って俺について来い!」
「は、はいっ!」
そしてエルはさらに身体を密着させると、前屈みでぎこちなく歩くクリストフをリードして、ゆっくりと階段を下りていった。
だがこのアツアツの新婚夫婦の演技は絶大な効果を発揮し、酔っぱらいでにぎわう酒場を横切ってもエルにちょっかいかけて来る者は誰もいなかった。
そして酒場の一番奥の席に座ると、元々座っていた冒険者たちがぶつくさ文句を言いながら、迷惑そうに席を移動してしまった。
◇
注文した料理が次々と運ばれ、エルたちの夕食が始まる。
新婚夫婦に見せかけるため、しばらくは他愛もない話をしてアツアツぶりを見せつけていた二人だったが、周りに誰もいなくなるとクリストフが意外なことを言い出した。
「恥ずかしい話ですが、僕はこの年齢なのに女性慣れしていないんです。だからさっきのような失態を見せてしまい、本当に恥ずかしい」
「お前みたいな男前が女性慣れしていないだと? 俺やインテリみたいに彼女いない歴が30年を超えているならそれも分かるが、お前にはアメリア王女という婚約者がいただろ」
「アメリア・・・少し長くなりますが、僕の話を聞いてもらえますか?」
「構わん。どうせ暇だし洗いざらい話せ」
「ありがとうございます。アメリアが婚約者として初めてウチにやってきたのはもう10年以上前で、彼女がまだ7歳の時でした。その頃から彼女はとても恥ずかしがり屋で、少し手が触れただけで顔を真っ赤にするような少女だったんです」
「へえ、可愛い彼女じゃないか。うらやましいな」
「そんな僕とアメリアはいつも一緒に過ごし、城の舞踏会でもアメリア以外とはダンスをしたことがありません。ですので同年代の男友達はいても他の令嬢とはほとんど話したこともなく、すでに婚約者のいる僕に近づくメリットも彼女たちにはなかったのでしょう」
「なるほどな。でもアメリア王女とはずっと恋仲だったんだろ」
「恋仲には違いありませんが、アメリアは僕の婚約者であるのと同時に国賓なのです。そのため彼女の扱いには大人たちが神経をとがらせており、同じ屋敷に住んでいながら互いの部屋を行き来したこともなく、二人が会うのは広間など人目に触れるところに限られていました。もちろん二人で庭を散歩する時も、遠くから騎士団が目を光らせていました」
「うわあ・・・相手が王女ともなると、そんな風になってしまうのか」
「ですので、エルさんがさっき僕にしたように、女性と腕を組んで歩くのは実はこれが初めてで・・・」
「だからあんなに顔を真っ赤にしてたのか。だが俺はアメリア王女と違って女らしくないし、ていうか本当は男なんだ」
「エルさんが男なんて何を言ってるんですか。アメリアよりずっと女性らしいのに」
「俺が王女より女性らしい?」
「アメリアはエルさんより二つ年上ですが、発育途上というかまだ少女のような感じで」
「ああ、身体のことか。俺はただ胸と尻がデカイだけで、パンツ一丁で装備の手入れを始めてしまうガサツな男・・・いや女だ。ていうか、さっきは見苦しいものを見せちまって本当に悪かった。反省してるよ」
「実は女性の素肌を見るのも今日が初めてで、さっきは必要以上に取り乱してしまって申し訳ありません。エルさんは自分のことを見苦しいと言いますが、僕から見ればまるで本物の美の女神が地上に舞い降りたかのような美しさなのです。アメリアもとても美しい少女ですがおそらくエルさんには少し及ばないかと」
「さすがにそれはないだろうし、そういう誉め方をされるほど死にたくなってくる。だがクリストフが女に耐性がないというのは今日初めて知ったし、上手く新婚夫婦を演じるためにも色々と訓練をしないとな」
「訓練・・・ですか」
「そうだ。さっきみたいに腕を組んで歩くのは当然として、人前では名前の呼び方も変えた方がいいな。俺はお前のことを「あなた」と呼ぶから、お前は俺のことを呼び捨てにしろ」
「えっ? いきなりハードルが高くありませんか」
「高くない。俺たちがやっているのは敵国に潜入しての隠密行動なんだぞ。高級娼館からアメリア王女を奪取するには、あらゆる困難に立ち向かわなければならんのだ」
「分かりました。それでは・・・エル」
「なあに、あなた・・・」
「「・・・うわ、きっつー」」
エル自身が提案したにも関わらず、互いの呼び方を変えただけで怒涛のような羞恥心の屈辱感が押し寄せてきた。
それはクリストフも同じで、酒場のテーブルに突っ伏した二人は、しばらく起き上がれないほどのダメージを食らってしまった。
◇
食事を終えた二人は、明日に備えてすぐに眠ることにした。
パジャマ代わりのゆるふわワンピに着替えたエルは、一つしかない大きなベッドでクリストフの隣に横たわった。
「・・・エルさん、本当に二人で寝るのですか?」
「もちろんだ。広くていいベッドだし、すぐにでも眠れそうだ」
「エルさんのことが気になって、僕は全く眠れる気がしませんね」
「だから俺のことは男だと思って、お前もさっさと寝ろ。じゃあ・・・お休み」
そう言ってエルが布団をかぶって眠ろうとした時、隣の部屋から男女の声が聞こえ始めた。
「エルさん、エルさんっ!」
「・・・何だよ」
「この声って、まさか・・・」
「ああ。どうやらおっぱじめたみたいだな」
「そんな・・・」
「安宿なんだから壁も薄いし、そりゃ聞こえるさ」
「エルさんはこんな状況でも平気なんですか!」
「平気も何も、俺は物心ついた頃から貧民街で暮らしているし、こんなの普通だよ」
「これが普通・・・」
「・・・おっと、今度は反対の部屋の奴らも始めやがったか。どうやらこの階は冒険者夫婦専用のフロアーらしいな」
「ひえーーっ!」
「だがこんなのいちいち気にしてたら負けだ。明日は早いしとっとと寝ようぜ。・・・じゃあお休みクリストフ・・・ぐう・・・ぐう・・・」
「え、エルさんっ!」
あっという間に眠りについたエルだったが、クリストフはその後も全く寝付けなかった。
両隣からは男女の営みが夜通し聞こえ、隣を見れば美しい姿勢で静かに寝息をたてる絶世の美少女の寝顔がクリストフの眼に焼き付いて離れなかった。
結局明け方まで寝付けなかったクリストフは、眼に大きなクマを作りながら再びエルと腕を組んで朝食に向かうことになってしまった。
次回もお楽しみに。
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