東京が大好きだ
このエッセイには一部事実と異なる情報がありますが、場を盛り上げるための方便だと思って見逃していただければ幸いです。
私は東京が大好きだ。
まず、「東京」という名前が好きだ。
字面も発音も意味合いも良い。漢字表記だと二文字とも線対称で見栄えが良い。おかげで縦書きだとなおさら綺麗に見える。さらに、画数が適度に多く、書いてみれば見づらくもなく空疎でもなく丁度いいレベルの密度となる。「東」に払いがある点も好ましい。
発音も長音の連続かつ二音節で、声に出していて気分が良くなる。さあ一度音読してみよう、「とうきょう(とーきょー)」と。これだけで一日のQOLが5%上昇する。
ローマ字表記の "Tokyo(Tōkyō)" も素晴らしい。もちろん漢字表記には敵わないが、一文字目の T が全体を上手いように締めてくれているように感じる。
意味も良い。「ひがしのみやこ」だ。全くもって現実に即している、適切なネーミングである。名前勝ちだ。
東京の都会性が好きだ。
世に都会は数え切れないほどあるが、私は東京よりも都会である都市は(少なくとも地球上には)存在しないと固く信じている。たとえ、ニューヨークであろうとロンドンであろうとパリであろうと香港であろうと上海であろうとソウルであろうとモスクワであろうとバンコクであろうとイスタンブルであろうとも東京を超えることはできまい。
確かに政治的地位や金融センターとしての役割、そのほか人口の面で見れば、先に挙げた都市が東京を上回っている部分があるのは事実として認めざるを得ない。だが東京にはこれらの都市が決して太刀打ちできない強みを持っている。
――東京大都市圏の広さである。東京大都市圏は約3800万人の巨大人口を擁する世界最大の都市圏である。その広さは他の都市圏とは段違いである。
試しに Google Map の衛星写真を使って、同縮尺で東京圏と他の都市圏――ロンドンでもニューヨークでも香港でも何でも差し支えないが――を見比べてみるがいい。東京大都市圏は明らかに市街地が広いことが判るだろう。あるいは中学校や高校の地図帳があるならそれを見ても構わない。市街地の驚きの規模を感じられるだろう。
たとえ世界屈指の摩天楼街を誇るニューヨークといえども、衛星写真で見ればその都市圏は案外狭いことが一目して瞭然である。マンハッタン島を出て暫くドライブすればすぐ市街地を抜けてしまう。
自然にアクセスしやすいことと都市圏が狭いことは表裏一体だから、一概に市街地が大きいことが素晴らしいとは断言できないということは承知の上で、私は、東京大都市圏の、あの広大さが本当に大好きだ。
東京都単体で見ても1400万人を超える人口を擁するのが東京だ。日本の人口の1割以上がこの巨大都市に集まっているのは驚愕の事実である。先進国でここまで一つの都市に人口が集中している例は韓国のソウルくらいしかない。だからこそ東京が大都会となっているのは自明の理である。
東京の街並みが好きだ。
東京の街並みは時に「ぐちゃぐちゃ」だと批判される。都市計画が杜撰な証だと誹謗される。
札幌や大阪は道路の形状が綺麗に整えられている。北京や西安は碁盤の目。ワシントンD.C.は放射直交路状。キャンベラやパリは放射環状路状で、いずれも都市計画がきっちり行われたことがわかる。それに対して東京はどうだ、ガタガタではないか、と。
だが私はその「ガタガタさ」が大好きだ。一種雑然としている東京の道路形状や街並みが大好きである。整備されているという意味での美しさはないかもしれないが、混沌とした、雑多な街並みにも別のたぐいの「美」が確実に存在すると思う。私はその「美」が好きなのである。カオスの美である。
雑然さといえばもうひとつ、東京の下町の道路に林立する電柱が好きだ。
電柱はよい風景を創ってくれる立役者である。電柱がいるだけで街並みに味が出る(悪い味では決してない)。夕焼けの逆光に映える電線が何十本と重なって見える電柱と、道路と家屋の組み合わせは正に藝術以外の言葉が見つけられない。
東京の高層ビル群が好きだ。
蓋し、高層建築物は都市の誇りである。限られた土地を最大限活用しようとする人間の努力の発露だからだ。そして何より、高層ビル群は美しいのである。何千年と積み上げられて発展してきた人類文明の高さを感じられる。
大手町から虎ノ門まで広がる高層ビル群が好きだ。どのビルも(大抵)茶~紺の色調で無機質なイメージである。生命の気を感じられない無機的な雰囲気が機械的であって好きだ。これらのビルは商業ビルであったり業務ビルであったりする。日本の経済を支えてくれる企業が入っているということだ。それは素晴らしいことである。あのビル一つ一つに何千人という人々が居ると考えるとはなはだ驚歎する。
永田町や霞ヶ関まで行けば国土交通省であったり法務省であったりと各省庁のビルがある。正真正銘の日本の国家機能の中枢が鷹揚と屹立していることに感動を覚える。
遠くからこのビル群を上手いように撮れば写真の端から端までビルの壁ができる。人工物で景色を埋め尽くすその様が壮麗で圧倒的だ。少し撮影角度や撮影場所を変えれば途端に隙間が生じてしまうというある意味での脆さもある意味好きである。
西新宿の超高層ビル群が好きだ。前者と比べれば規模と密度は落ちるが、こちらには東京行政の中心たる東京都庁舎がある。元々浄水場だった場所が再開発されたという経緯もあって、区画が綺麗に整備されているのが好ましい。雑然の美しさとは別の美しさ、即ち「秩序の美しさ」がここにはあると思う。特に東京モード学園のビルはなかなか洒落ている。もちろん東京都庁舎のツインタワーとしてのかっこよさも負けてはいない。
また、良いように撮影すれば富士山と超高層ビルの共演さえ実現しうるのも好きだ。自然と人工の組み合わせは、時に途轍もなく美麗な風景を作り出してくれる。
東京の繁華街が好きだ。
東京の繁華街といえば枚挙に暇がないので、今回は主要なところに絞って後は泣く泣く割愛させていただく。
銀座(新橋や八重洲、神田なども部分的に含む)が好きだ。短冊の形で規則的に作られた街並みに、わりあい高いビルが所狭しと並んで多種多様な店舗が入っている、密な点が好きだ。また、2km歩いても場所によってはまだ繁華街が続いているという破格の広さが好きだ。
特に四丁目のセイコー時計塔と銀座三越の組み合わせが良い。『シン・ゴジラ』でここが熱線で破壊されるシーンを見たときにはあまりの感動で涙が出てしまったほどだ。時計塔の対にあるリコーのビルも円柱形でコンパクトな点が好みに合っている。
銀座は他の繁華街に比べて高級感があって上品な(大人びている)のが良い。もし、ここにパチンコ店とゲームセンターが15店舗くらい入店してガンガン騒音を立て始めたら私は幻滅してしまうかもしれない。ブランドショップや宝石店や時計店が銀座に鎮座しているのが相応しいと思う。
並木通りの高層ビル群が素晴らしいのは言うまでもない。また、少し南に下れば歌舞伎座があるのも良い。日本の伝統文化は高層ビルの森の中にも確かに佇んでいるのである。
高級感がある繁華街という点で私の性にぴったり合っているとは言えないが、それでも私は銀座が好きである。
新宿が好きだ。銀座とは打って変わって大半が庶民的で雑多としているその雰囲気が好きだ。新宿駅の常識外れの大きさも好きだ。西に行けば先述した端整な超高層ビル群を訪れることができる点も良い。東口側の密な繁華街の賑やかさは素晴らしいし、歌舞伎町の妖しく混沌とした空気もまた見事である。新宿三丁目を過ぎてもまだ繁華街が続いているのは驚異的である。
新宿通りに紀伊國屋がドンと店を構えているのは文化的で良い。店が細長くてコンパクトな割に蔵書量は恐ろしく多いのが好きだ。その近くにあるクロス新宿ビジョンの映像技術は称讃されて然るべきである。ビジョンのすぐそこにある公共喫煙所がこみごみした副都心の雰囲気に一役買っていて、遠目から見るぶんには良い。
新宿地下街の圧倒的な広さが好きだ。広さとは正義である。ありえないほどの数の人々が、しかしぶつかることなく歩いていく様は人間の空間認識能力と、新宿という第一の副都心の経済力をしかと思い出させてくれる。ドン・キホーテ近くの出口から地上に出たところにあるユニカビジョンは近未来的で美しい。
歌舞伎町は面白い。世界有数の繁華街としてその名を全世界へ轟かせているのが好きだ。たとえ深夜になっても寝静まることなく不夜城として君臨しているのが好きだ。
燦然と輝くネオンサインが所狭しと並ぶ下に何千人という人の群れが歩き続け、犯罪まがいの客引きを抑制しようとするポスターや放送が幾度となく流される中に雑居ビルが超密度で集中しているのがサイバーパンク的で大好きだ。無料案内所や性風俗店、ホストクラブ、ラブホテルなどの実店舗が公然と居を構えて存在を堂々アピールしているのもまた一興である。
それでいて余程のことがない限りは女性だけで出歩いても無事に帰ってこられる治安の良さも好きだ。これは日本という国家だからこそ成し遂げられる快挙だと思う(驕り高ぶりすぎかもしれない)。さらに言えば、新宿東宝ビルのゴジラヘッドがユニークで好きだ。ビルから首から上と右腕だけを出して咆哮しているのがかっこよくて可愛らしい。一度ゴジラヘッドを見られるという一室に泊まってみたいところである。
新宿は何回訪問しても飽きることがない素晴らしい大都会である。
渋谷が好きだ。若々しい雰囲気が溢れた活気と魅力に満ちた街であることが好きだ。
特にスクランブル交差点は最高の名所だ。千人以上の人々が一青信号の間に対岸へ渡っていくさまは正に人の洪水である。周りを高層ビルに囲まれた中、スクランブル交差点だけがぽっかりと空いた穴のように凹んで見えるのが好きだ。もはやスクランブル交差点は交差点ではなく、渋谷という第二の副都心の象徴なのである。
近傍にあるハチ公像も好きだ。主人を待ち続けた忠犬の物語が百年近く経った今でも人々の耳に留まっているのは間違いなくこの像のおかげである。春になるとハチ公の目の前で桜が綺羅びやかに咲くのも良い。
渋谷は絶えず改造が進行するのが好きだ。渋谷駅周辺の再開発がずっと行われ、日々工事の騒音が響きながら街が新たに形作られていくのを想像すると心が躍動する。渋谷という都会の生命性を感じ取れることができる。
再開発が終わって超高層ビルが建っていくのが大好きだ。街の個性が失われるという悲しさと寂しさをひっくるめてもその感情は変わることがない。スクランブルスクエアなど、ガラス張りのビルで晴れの日に見ると陽光を反射していて華麗である。
渋谷の繁華街が好きだ。スクランブル交差点周辺の大看板広告群が好きだ。東京という桁外れの大量消費社会の迫力を身体を以て理解できる。
センター街は都会の喧噪という言葉がよく似合う。とりわけハロウィンの日に。時に大迷惑をかけながら街を闊歩する仮装人間たちが興味深い。バスケットボールストリートというほとんど浸透していないであろうニックネームも好きだ。センター街からひとつ道を横に移ったところのPARCOに繫がる繁華街も別種の活気があってまた好きである。
渋谷が文字通り低地にあるのが好きだ。駅から北に歩いていくと上り坂になっていて、ああ本当に谷なのだなと実感できた時は感動を覚えた。東京は全く平坦な街なのではなく、実際には高低差があるのは自明の事実だがそれを体感できたのが嬉しかった。
手短になって申し訳ないが、渋谷に連なる原宿と表参道も素晴らしい繁華街である。二つとも若者で溢れていて随分と洒落ているのが好きだ。原宿から二駅で新宿まで行けるのはたいへん便利である。
池袋が好きだ。コンパクトに纏まっていてなおかつ多種多様な店舗が詰まっているのが好きだ。西武百貨店が駅の東口側に合って東武百貨店が西口側にあるという紛らわしさも面白い。時にダサいと言われるのも含めて好きになれる。
東口側を見れば日本最大の面積を持つジュンク堂書店があるのが好きだ。書店とは図書館と並ぶ人類の智慧の館である。それが広大であったとき、我々は何んな顔をすればいいか分からなくなってしまう。もちろん"SEIBU"の文字がデカデカと掲げられた西武百貨店の迫力も好きである。
またアニメイト本店がある点も高く評価したい。アニメや漫画に熱中の趣味のある方は文字通り生命を与えられることうけあいであろう。当然私もその一員である。
サンシャインシティという総合商業施設が好きだ。飲食店から水族館まで、映画館から会議室まで揃っているのは利便性の極端な顕現である。特に私は水族館が好きである。そもそも魚が好きだからである。決して広いとはいえないスペースで可能な限りよく見せようとする努力が窺えるのが殊勝だ。
西口側は歓楽街のイメージが強いが東京芸術劇場という最大級の劇場があるのが良い。文化都市東京の矜持が垣間見える。大きなパイプオルガンは楽器であるだけでなくそれ自体が藝術作品だと思う。そこから発せられる重厚な音色を鑑賞してみたい。
無論、歓楽街を否定するわけではない。人間の本能から生ずる欲望とはムリに抑えようとしても失敗するのが常であり、法律の範囲内で運営されるならば歓楽街の数多の店々はそれらの良き発散場所となってくれるからだ。
浅草が好きだ。東京という文明の塊のような巨大都市に浅草寺という日本文化の塊が鎮座しているのが好きだ。明治時代にタイムスリップしたかのような人力車の面々が好きだ。外国人観光客の絶えることがない一大観光地であるのが好きだ。
商店街の通りが人で溢れかえっているのが好きだ。あれを「人ごみ」と呼んで嫌う方々もたくさんいるが、私は人間がたくさんいて活況を呈していることにエネルギーを感じられるから大好きである。
道路に並ぶ色々の店舗は見ていて飽きない。一部地域を除けば縁日でしか楽しめない屋台が毎週運営されていて屋台の味を気軽に楽しめるのが羨ましい。
これだけ観光地化されていながら、寺そのものはきちんとした仏教施設であるのが好きだ。私はどの宗教にも敬虔でないので陶酔したりはできないが、何かに対して真摯な信仰心を持てるのは素晴らしいことだと思う。
花やしきもまた良い。江戸時代からの歴史を持っていることは驚歎以外の何ものでもない。規模は大きくないがそれがコンパクトであって良いと言うべきではないか。
浅草から一駅行けば日本最高の電波塔たる東京スカイツリーに着けるのも高く評価したい。あの巨塔を前にすればどんな人間もちっぽけな存在に過ぎない。見上げるとその大きさと高さに圧倒されて空恐ろしい気分になる。
以上の他にも繁華街は多くある。秋葉原、上野、鶯谷、六本木、新大久保、代官山などなど。こんなにも多くの繁華街があることに昂奮が止まらない。
東京の鉄道網が好きだ。名実ともに世界最強の鉄道網であり、目も眩むほどの過密ダイヤで恐ろしいくらいに大量の路線がJRか私鉄化を問わず同時に存在しているのが大好きだ。世界の乗降客数ランキングのTOP10を東京の駅が殆ど独占しているのを知った時には嬉しさのあまり頭がどうにかなりそうだった。
ラッシュ時には2、3分間隔、日中にも5、6分間隔で電車がどんどん来る気前の良さが大好きである。次の電車をずっと待つ必要が無いのはイライラしないで済むし便利だ。乗換体制が万全に整えられているのも良い。
あの超過密ダイヤを作っている人々とそれを実際に運行している人々に敬意を捧げたい。この鉄道網のお陰で自動車を保有する必要性は大きく低下しているのである。駅と駅の間隔が狭いお陰で「一駅歩く」という、地域によっては困難な所業を成し遂げられるのである。
東京の電車が短くても10両編成、長ければ15両編成という大盤振る舞いなのが好きだ。物凄まじく大勢の人々を乗せられる並外れた車輛の輸送力と、ほとんど電車を遅れさせることなく駅に到着させる鉄道会社の制御力と、その電車を正確に停車位置に停めてくれる運転手たちの技術力をここに讃える。
東京の駅が時々要塞のごとく複雑で巨大なのが、自分でも嫌になるくらい本当に、本当に大好きだ。乗り換えに15分を要するなんてもう最高である。特に新宿駅、渋谷駅、東京駅の3つは国家最高英雄褒章を与えられるに値する。駅ナカだけで一日どころか場合によっては三日ほど過ごせる尋常ならざる構内の広さと賑やかさが大好きだ。
自分が今どこにいるか分からなくなって迷ってしまうほどに超複雑な鉄道駅は不便かもしれないが素晴らしい。現在位置が不明でも案内板の通りに進めばちゃんと目的地に着ける親切さも気に入っている。
利便性と浪漫を兼ね備えた東京の鉄道網が大好きだ。
上記に近縁の話題として、東京の鉄道網に沿って発達する街が好きだ。その驚くべきことは、区内の大抵の駅前には大小の程度はあれど繁華街が形成されているところである。ふつうの街ならば駅前に繁華街が存在するのは主要駅(岡山市なら、岡山駅)くらいである。
ところが東京では主要でない駅、例えば千歳烏山駅や上坂橋駅であっても駅前には複数の店舗が集積している。これは1400万都市たる東京こそ成し得る大業である。この現象に私は東京の果たしなき都会性を見出す。言うまでもなく好きである。
東京に名門大学が数多く存在するのが好きだ。東京大学、東京工業大学、東京理科大学、慶応大学、早稲田大学、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学、その他にも様々な大学が東京にある。
学問とは人間が今までに積み上げてきた叡智の宝庫であり、それを持続発展させられる大学という教育研究機関が東京に多数存在するのは混凝土でできた文明だけでなく豊富な文化をも併せ持つ東京という都市をよく象徴してくれている。
たくさん大学があるから、選択肢も広まるというものである。地方ならば名門大学がないかあってもいくつか、というケースは数知れず。そんな中で選べる学校が多いということは憧れの的になる。
選択肢というのは何も大学だけに限った話ではない。専門学校や高校、習い事の教室なども東京は段違いに多い。人口の多さは多様性を生み出すことの好例だろう。100人に一人のマイナーな趣味でも、1400万都市では14万人もの愛好者が居るのである。
意外と東京にも自然が豊富にあるのが好きだ。区内だけでも例えば新宿御苑、代々木公園、芝公園、浜離宮恩賜庭園、日比谷公園、葛西臨海公園、そして皇居がある。私は大都会を主に好むが、たまには人の手があまり加わっていない自然に身を委ねてゆったりリラックスするのも中々良いものだと思う。
また、こう言っては失礼になるかもしれないが、都心のアクセスしやすい場所にこれほどの緑地が存在しているのはギャップを感じられて好きだ。先入観との違いは時に人間に好感をもたらすものである。これらの自然は都会の喧噪に疲弊した人々の癒しの空間となってくれるのだろう。それは素晴らしいことである。
区外に出てみれば更なる自然を堪能できるのも良い。電車を使えば新宿駅から一時間半強で奥多摩まで行けるアクセスの良さは凄まじい。奥多摩湖や高尾山といった色々の大自然を、都心に居を構えながら日帰りで楽しめるという事実は強烈である。
東京の都会人が他者に無関心なのが好きだ(ステレオタイプかも?)。一般的に無関心であることは「冷たさ」や「人間関係の希薄さ」としてネガティブに捉えられがちだが、私は違う視点から無関心を見る。
蓋し適度な無関心は気楽さを生み出し、生活の質を引き上げてくれる。何につけても人から口出しされるのは、それが家族や大親友などならまだよいが近隣の住民であったりすると息苦しく感じ、了いには嫌になってしまうことくらいはあるものだ。
一方で人々が適度に自分に無関心であると、自分は大して人に見られていないのだと思えるようになり、他者に監視される不快感を低減させることができる。本当の自分を開放して気ままに、マイペースに生きることができるようになる。少し奇抜な服装で出掛けても注意されないのは良いことだ。
干渉しないということは押し付けないということだ。それは「人の目は気にせず思うように生きてくださいね」という、優しさの一種でもあると思う。もちろんこれを冷たさだと思う方もいるだろうが、私はあくまでも優しさであると考える。
時々見かけるしすれ違ったら会釈くらいはするが、その人の名前も家族構成も趣味も知らない。そういった薄い人間関係は、人によっては理想的なものになるのである。
東京が文化藝術に接触しやすい都市なのが好きだ。
例えば区内にある美術館、博物館だけでも東京都美術館、東京国立博物館、東京国立近代美術館、国立新美術館、国立科学博物館といった各施設をたやすく列挙することができる。前に述べた世界最強の鉄道網を使えば手軽に日本や世界の藝術や文化を鑑賞することができるのは、人間の精神状態に非常な好影響を与えよう。科学技術が発達した現代であっても、作品や資料を教科書やインターネットの写真や映像で見るのと、実際に美術館や博物館に行って(時には解説付きで)実物を鑑賞するのとでは実感度が段違いである。
文化藝術は何も美術館と博物館に留まるものではない。図書館や書店も立派な文化の宝庫である。読者も薄々勘づいているだろうが、私は図書館と書店が大好きだ。
知っての通り、東京には1200万冊以上もの書物を有する国立国会図書館がある。日本の出版物の全てがここにある、と聞いても壮大過ぎていまいち実感が沸かないのが正直なところだが、事実として国会図書館には日本で出版された本が全て所蔵されているのである。太っ腹なことに、その一部(といっても膨大な数だ)はデジタル化されていて、東京におらずともインターネットで閲覧できる。
国会図書館でなくとも多くの図書館が東京都には存在する。区内に限っても200以上、都内全域で見れば優に400に匹敵する。図書館の良い所は無料で文化資本にありつけるところだ。その地域ごとの資料が保管されているのも良いところである。
書店も東京には溢れている。池袋のジュンク堂本店と新宿の紀伊國屋書店本店は書店界の二大巨頭だと思う。図書館と違って、気に入った本を購入して自分のものにできるのが書店の最大の長所である。
天井まで所狭しと高く並べられた本の数々を見て楽しみ、最後には好著を発見したときの喜びはインターネット購入では決して味わえない醍醐味だ。そのような体験は大都市圏の巨大な本屋だからこそできることである。書店に入った時の独特な匂いが我々を出迎えてくれるのを想像してみようではないか。感動ものである。大きな書店は一日の四分の一を費やす価値があるのである。
以上に挙げたほかにも、東京で文化藝術を体験する方法はたくさんある。例えば東京芸術劇場でのクラシックコンサートの鑑賞。歌舞伎座での歌舞伎観賞。浅草寺への参拝。江戸切子の製作。築地市場での寿司作り。少し俗なもので言えば、テレビを観ること(地方によっては一部の番組を観られないことがある)、ショッピング、コミックマーケットやコスプレ大会への参加といったことも挙げられるだろう。江戸時代から400年の歴史を持つ東京にはれっきとした文化が根付いている。肉体を駆使した経験は東京だからこそ能くできるのだ。
だから私は東京が好きだ。
もっとも、東京の文化とは「これだ!」と指差せるような物質的なもので語り尽くせるものではないのかもしれない。非物質的文化を私は東京に見出す。一種有機的な文化、つまり人の流れや多さ、都市としての発展度や広大さが無意識に作り出す多様性の文化である。あくせかと動く忙しい文化である。
しかし私はこれ以上具体的な言葉でこの非物質的文化を表すことができない。たいへん悔しいことだ。首尾よく表せた暁には、ここを改定して書き記すつもりである。
東京一極集中が好きだ。
日本の政治や文化や経済やヒトやモノやカネが東京に集中しているのが好きだ。なぜ好きなのかは恥ずべきことに自分でもはっきり言葉にできない。東京一極集中が称讃される場面はとても少ない。大抵「災害やテロに弱い」「地方が衰退する」「東京と地方で格差が発生する」などと批判される。理論的で、尤もな批判ばかりだ。それでも私は東京一極集中が好きな気持ちを変えることはできない。
古くは「金の卵」の時代から東京に人々が流入し続けているのが好きだ。2008年から日本の人口はずっと減少し続けているのに、東京の人口は社会増加によって未だに自然減を打ち消す勢いで増加し続けているのが歪んでいて大好きだ。この事実はいつも私を恍惚の渦へ引きずり込んでくれる。特に4月の人口増加は希望の光と映る。
なぜ東京に人がどしどしと集まるのだろうか? やはり、それだけ東京が魅力的な都市だからか。日本国に雇用や学問の面で、東京に勝る都市は存在しない。もしかすると「地方に残る理由がないから」なのかもしれないが。それならば少し悲しい。
また、「東京は人が多すぎる」などと言って東京に魅力のないことを主張する言論は豊饒に実っている一方で社会増加の潮流は不易なのが不思議である。
東京が憂鬱になるくらい人で溢れているのが好きだ。満員電車などその好例であろう。もちろん人ごみの中で暮らす人々からすれば満員電車なんかは大変嫌なことだろうし、今すぐ解決されてほしい懸案なのだろう。しかし私のような東京外人間からすればかの人の量はある意味、羨望の的だ。満員電車をはじめとした異常な人の多さは半ば国策として行われた東京一極集中のおかげであるのは間違いない。
東京一極集中により集積の経済がはたらくのが好きだ。別企業の人間と話し合うなら、電話やメール、オンライン会議で話すよりも直接会ったほうが潤滑なコミュニケーションができるに決まっている。そして、直接会うなら態々新幹線で何時間もかけるよりも在来線で30分で着けるほうが便利に決まっている。前文は一例に過ぎないが、こうして本社機能は東京に集まってくるのだ。
東京一極集中によって東京に多様性が生まれているのが好きだ。先にも同じようなことを述べたが大事なことだからもう一度記す。
都市の人口が多いということは愛好者が少ない趣味嗜好を持つ人や各種少数者の数も多いということだ。10人にひとりの割合であっても東京には140万人以上いる。これは京都市の人口とほぼ同じである。
例えば万年筆を愛好する人は現代では非常に少ない。ボールペンが開発され、殆どの人々がそちらに移ってしまったからだ。だが東京では(大都市では)万年筆の愛好者も必然的に多くなる。需要が生まれる。ゆえに比較的大規模な文具店が堂々と経営でき、彼らの需要を満足させる。
東京一極集中のおかげで東京では資本主義社会の産物ならば基本的に何でも手に入る。大都市圏まで含めれば3800万人分の市場が形成されているからだ。あるいは労働面を見てもよいかもしれない。東京には大企業のみならず様々な企業が集結している。従って地方では得難い職であっても東京なら見つかることも多い。あなたが就きたい仕事を選べる可能性が上がるのである。
東京一極集中で日本が危機に脆弱になっているのが好きだ(私は反日ではない。誤解なきよう)。一度首都直下地震でも来てみれば、あるいは北朝鮮が核ミサイルの飽和攻撃を行えば、たちまち日本の経済と政治の中心たる東京は壊滅し、国家機能は大混乱に見舞われることだろう。東京一極集中は諸刃の剣なのだ。
堅強に見えて実のところ災害やテロに弱くて、華奢で、刹那的で、儚い東京が好きだ。大好きだ。ゴジラに東京が粉砕されるところを観ると悲しさを感じるとともにある種の昂奮を覚える。東京が壊滅してしまうのは凄く悲しく感じるのにそれを予測・創造してみれば心が軋みながら躍る。破壊の美学である。消滅の美学である。
東京の人口増加もずっとは続かない。楽観的に考えても2035年には減少し始めるだろう。日本の人口が減っているのだから当然の帰結だ。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。東京が衰退するのはつらいことである。見たくはない。
東京タワーや東京スカイツリーが場を締める、東京の美しい夜景が儚くて好きだ。あの夜景を構成する建物の一つ一つの中に人がいて、それぞれに歩んできた人生があるのだと考えると無性に切ない気分になる。燦然と輝く建物の電気の美しさに魅了される。この二つの気持が合わさった時に生じる感情は何物にも代え難い。
ところで私は、東京は都市生命体であると思う。都市生命体という用語が存在するのではなく、私の造語である。
無意識な各機関――筋肉や心臓、神経回路など――のはたらきが合わさって意識のある人間を作っているように、人の動きやモノ・カネの流れ、行政、情報、交通機関、ライフラインなどのはたらきが合わさって東京を一種の生命体としているのだ。
再開発を見れば東京の新たな形態へ進む活力を感じることができるだろう。列車やバス、自動車の走る姿、人々の闊歩する姿には東京の息吹を感じられるだろう。それらそのものは特に確固たる信念を持った行動ではないが、そういった動きが幾重にも幾重にも重なればもはやそれは生命の基礎活動と見分けがつかなくなる。そして、東京はそうなるだけの価値と力を把持していると信じる。
生命体としての東京が好きだ。植物のようにどっしりと構え、決して動くことはないがその中には明らかに生き物としての有機的活動を見出すことができる。生命とはかくも魅力的なものなのか。もはや東京とはメタセコイアの巨木と変わらないのではないかとすら思う。東京に打ち震えるのである。
……ここまで読んできてくださった方はもう理解していると思うが、私は東京に限りない幻想と憧憬を抱いている。私は京阪神大都市圏の人間である。
恐らく、東京に住んでいる方からすれば(幼少期から住んでいるならば一層のこと)、東京は私の思うほど美しくも魅力的でも活力に溢れてもいないのだろう。極めて大規模というだけで、特に変哲もない都市なのだろう。
だから私は東京には住みたくない。一ヶ月も住めば私が東京へ抱いていた感情の半分ほどは消え失せて日常の一部に吸収されてしまうだろう。私は過去の経験でこれに似たことを一度経験しており、それは正しいことだと頭では分かっている。
だが、私は幻想を捨てたくないのだ。できることなら永遠に東京への幻想を抱いたまま死にたい。年に数回旅行で訪れて東京に圧倒され、残りは地方で暮らす人生を生きたいのだ。東京にお住みの方々には、どうか、どうか私のこの身勝手な気持ちを温厚にも寛恕してほしい。
私は東京が大好きだ。
「東京」という名前が好きだ。東京が世界一の大都会なのが好きだ。東京の混沌とした街並みが好きだ。東京の高層ビル群が好きだ。東京の桁外れの華やかさを誇る繁華街の数々が好きだ。東京の世界最大規模の交通網が好きだ。東京の大抵の駅前に繁華街が形成されているのが好きだ。東京が学問の一大拠点であるのが好きだ。東京にも自然が溢れているのが好きだ。「東京人」が他人に無関心なのが好きだ。東京の文明が好きだ。東京の文化が好きだ。東京の文化資本レベルの高さが好きだ。東京が文化の大きな発信地点であるのが好きだ。東京の非物質的文化が好きだ。東京一極集中が好きだ。それに伴って生じる東京の儚さが好きだ。東京が一種の生命体として振る舞えるのが好きだ。
私は東京が存在する世界線の地球に生を授かることができて非常に幸福である。私は日本に生まれることができて本当に良かったと思う。パスポートなしで大した面倒なく東京を訪問できるのだから。そのうえ東京以外に生まれることができて真に良かったと思う。東京に尽きせぬ憧れと幻想を抱いて生きられるのだから。
東京が日本に位置しているのがとても嬉しい。大変な喜びを感じる。私自身でもこの文章を書いていてあまりの熱情に当惑してしまうほどだ。
ああ東京よ。私の人生の一部にして我が誇りよ。偉大なる日本の心臓よ。永遠なる日本国の首都よ。
私はあなたに出会えて本当に幸せだ。あなたを訪れることができて本当に嬉しい。あなたを愛しています。
最後にあなたへの限りない愛情の一欠片を伝えて、終わりとしよう。
東京よ、ありがとう。
ここまで読んでくれてありがとうございました。気が向いたらまた読み返してください。