第一話 お互いのこと
「それで、こっちが風呂になってるからね。特にシャワーっていうものが付いてて……」
車両の内装を、車掌は軽く説明していく。
「あっ、シャワーは知ってますよ!」
機能の説明を止められた車掌は、少女の方を振り向いた。
何か間の悪いことをしたような気がして顔を背ける。
「そっか。なら説明はいらないかな。やっぱり、ボクの世界と同じものがあるんだね?」
「ボクの、世界?」
「…君がいた世界にとっても似ている世界だよ」
また知らない話が返ってくる。
ただ、きっと何気ない反応でも、自分自身の手がかりにつながるのかもしれない。
とにかく彼女にとって何もかもが、分からないことだらけではないことは分かった。
それだけでも気は楽になるものだ。
「……ところで。この先の車両の紹介で最後なんだけど、その前に聞いておきたいことがあるんだ」
車掌はそう言って後ろを振り向く。
それは車掌を先頭に付いて来る彼女に、列車内の様々なことを説明し、最後の部屋の説明にたどり着く前だった。
「名前、は覚えてるかな?」
「名前……私の?」
頷きながら、車掌は彼女に近寄った。
改めて、間近で見る車掌の顔。今度は、車内の明かりでよく見える。
例えるなら、月夜に佇む一輪の白百合、或いはそこに住まう妖精のような顔。その凛とした顔立ちだけでも、見つめられてドキドキしない人はいないだろう。だと言うのに、時折悪戯に純粋な表情を見せる。
そしてそんな顔が、今まさに真っ直ぐに見つめている。少女は恥ずかしげにボソッと声に出してみた。
「葉山……鈴…だったと思う」
この世界に初めて来た時に、唯一覚えていたこと。初めて声に出す。
「はやま、りん……リンって言うんだね」
表情は、相変わらず柔らかいものだった。にこやかに頷くと、車掌は再び振り返って歩き始めた。
「この先の部屋にはね、入り口のドアの横に使う人の名札を掛けとく、いわばルールみたいなのがあってさ。そこはキミも使うだろうから……っとリンさん、も今後使うからね」
「私の呼び方に。その…さん付けはいらないですよ」
首を横に振りながら、呼び名を訂正する。言い直した瞬間に、既に待ち構えていたかのような早さだっ
た。食い気味な彼女に少し驚きながらも、車掌は微笑んで見つめ返した
「分かった。それじゃあ……」
リン、と呼ばれる前に彼女はもう一言加えた。
「名前、あなたの名前は?」
呼び方に困るから。
そう付け足して、リンは車掌に問い掛ける。車掌は少し黙ってから口を開いた。
「ミル。それがボクの名前」
車掌は躊躇うように、自分の名前を答える。心なしか、耳がほんのり熱っていた。
ミル。見た目に反して、なんとも可愛げのある名前だとリンは思った。ただその感想は、ついつい口から出てしまったようで。
「あー…やっぱりそう…」
ミルはため息を吐いて、最後の車両へと歩き始めた。 ちらっと見えた悩む顔に気付き、リンはハッとした。 なんとか誤魔化そうとは考えたけれど、掛ける言葉は思い付かない。そのまま悶々としているだけ
で、いつの間にか寝室の入り口へ辿り着いてしまった。
「……さて、と」
気を取り直して、ミルは口を開く。
「後でね、ここに名札を掛けてもらうんだけど」
ミルという名札の横にもう一つ、そこには名札を掛けられるフックがあった。
それを見た感じ今後の同居人、というよりは同僚の様にもリンには思えた。
「とりあえず一旦中に入ろうか。ちょっと本とか散らかしてるんだけど、大目に見てね」
ミルに続いてドアの先へ入る。そこには車両いっぱいにベッドが敷き詰められている、そんな寝室部屋が広がっていた。
手前側には本棚と暖色を灯すランプ、雑に積まれた革の本。
靴を脱いで入り口先に揃えると、二人はそのままベッドに乗って四つん這いで後ろの方に向かった。 膝にふかふかとした感触が伝わる。部屋の壁や天井の後方半分は、窓ガラスで囲まれていた。
まるで屋内から天体観測するような、そんな空間。
「外の世界が広がってる寝室、すごい…」
さっきまで自分がいた外を眺めながら、ベッドの上に腰を落ち着かせてリンは呟いた。
「特徴的、かな?」
苦笑しながら、ボクが考えたんだけど、どう?とリンに感想を求めた。
リンは、ベッドにダイブしては半回転し、そのまま仰向けになって天井を見上げた。
天窓の円形のフレーム。その間から、自分のいた真っ暗な宵闇が広がっている。
「ううん。色んな世界の景色を見ながら眠りにつける、良いと思います!」
旅行にでも行く様なワクワクした気分を言葉の節々に織り込む様にして、リンはそう答えた。
ミルも彼女と同じようにして、仰向けで空を見上げる。視界に映る世界。いつもなら一人で見ていた世界を、今日は少し違う気持ちでミルは見つめていた。
「……私は好き、ですよ」
「ええっと?」
リンの一言に、ミルは隣を向いて聞き返した。
「ミルって名前」
そう言ってリンは目を瞑る。
ただ、そんな何気ない気持ちで発した言葉でも、相手の心には意外と干渉するもので。
「そ、そっか」
ミルは少し嬉しくなって——少し恥ずかしくなって、リンのいる方とは反対に体を傾けた。 しばらく黙った後に、ミルはただ一言「ありがとう」と言った。
それはミルが彼女の寝息を立てたのを確認した後、でもあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふわぁ……っえ!?」
気付かぬうちに寝落ちしてしまったリンは目を覚まして直ぐに驚いた。ミルが隣で寝ていたから、という
訳ではない。
「ああ、おはよう。よく眠れたかい?」
彼女は窓の外にいた。
もちろん景色が変わった訳ではない。外は相変わらずの暗さである。
ミルはそんな中、僅かな車内の明かりを頼りに窓ガラスを拭いていたのだ。