第七話 キッカケ
「リン。もう、朝だよ」
ミルは優しく彼女の耳元で囁いた。その声でググッと身体を伸ばしながら、リンはゆっくりと起き上がった。
「まだ眠い?」
「ううん、大丈夫」
目を開けると、既に狩人は起きているようで、椅子に座って考え事をしているのが見えた。
「……ヴェナーディさん?」
「あぁ、おはよう」
「昨日はその、眠れましたか?」
ぼちぼちね、と言って彼は席を立つ。そしてその足で外に出ていった。
ミルの方へ目をやると、付いて行ってあげて、という具合の仕草を自分に送っているのが見えた。
リンはその通りに、狩人に付いて行った。
少し歩いてから、彼は立ち止まる。そして後ろを振り向き、ジッとミルのいる狩人の小屋を見つめ礼をした。もう一度顔を上げた時のその表情は、彼がもうきっと、次に何をすればいいかを知っているかの様に、意志を映した目だった。
「僕は、会えた」
その目で小屋を見つめながら、彼はリンに話した。
「会えた……竜の、女の子にですか?」
目線を今向く方向の少し下、リンの方に変える。正面に見えるその顔は、昨日のように誰かを気にかけるような優しさが見えた。
「あぁ。そして、もう一度。会いたい気持ちができたんだ」
「そうなんですね!……良かった」
安心したのか、彼女の優しい顔はもっと柔らかく変わった。
「君のお陰、だそうだね?」
「えっ?」
「さっきミル、って子に全部聞いたさ。元々、僕がすぐ夢から醒めても問題ないと判断したのか、もっと無理やりな方法で醒ますつもりだった……ってね」
リンはそれを聞いて、複雑な思いを浮かべた。
確かに昨日ミルがずっと質問攻めしていた時、リンにはこれ以上やめて欲しいその気持ちと同時に、ミルがそんな人であって欲しくないと信じる気持ちが生まれていた。
むしろ、後者の心情の方が強かった。
「私は、そんなに良い人じゃないです。いつもの優しい目とは違うあの人に戸惑って、ちょっと怖くて……気付いたら止めていたっていうか……」
下に俯き、少しだけ哀を含む表情でリンは呟くように言った。
「普段は良い人なんだ?」
急に聞かれて一瞬戸惑うリン。
「ま、まあ…高いところから落ちた時に助けてくれたり、色々教えてくれたり…あっ!あと朝起こしてくれたり?」
けれどすぐその口からは、ミルがしてくれたことを喋っていた。
そんな彼女を見つめながら、ヴェナーディはなんとなく、昔のミレアの事を思い出していた。何故、彼が国に保護されていた時、あの子に会いたいなんて思ったか。
その理由がもう一つあることを。
「そんだけ、あの人に惚れたのかい?」
「いっ、いや惚れたなんて、そんな!確かに顔は良いですけど…」
顔を赤らめ両手を横に振りながら、彼女は答える。あからさまな反応に苦笑しながら、ヴェナーディは口を開いた。
「君たちがどうやって会ったのか。朝、少しだけ聞いたよ」
朝の日差しがゆったりとその丘の景色を包んでいる。そこを通る風が過ぎたのを見計らう様に、彼は呟いた。
「うん、まあ惚れる理由はなんとなく分かるよ」
「だ、だから私!惚れるとか、そういうんじゃないですって!」
「ははっどうかな。さてっ、と」
彼はスゥっと息を吸った。昨日初めて会った時よりも、その顔には生が現れている。
「僕はもう。ミレアに、この気持ちは隠さないよ」
行先を向いて、彼は自分に言い聞かせるように呟く。
その言葉に、リンも安心していた。無事に夢を醒ますことが出来そうだと。
「僕の行くべき場所、一緒に付いて来てくれるかい?」
「…分かりました」
二人は、ミルが居る小屋を後にして、狩人の思い当たる森の中へと向かった。
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木の匂いに包まれた微風が、ふと木漏れ日を揺らす。森に入ってからしばらくして。
彼は立ち止まると、リンに声を掛けた。
「昔の事を、ちゃんと思い出したくてさ」
少し開けたその中央には、不思議な切り株があった。
それは切られているのに、確かに命が宿っている様な、そんな雰囲気を漂わせる切り株。きっとその上から差し込む、木の葉を介した柔らかい光が、神秘さを醸し出しているのだろう。
「ええと、あなたがその子と会った場所が、この辺りなんですね?」
「うん、初めて会った場所がね」
切り株に、狩人は手を伸ばした。しっとりとした湿気った感触は、今も昔も、変わらない。確かめるように慎重に、彼は苔の生えたその切り株に腰を掛けた。
「ミレアになんでそんな会いたかったか、思い出したよ」
腰掛けたその場から辺りを見渡す。まるで秘密基地のようにそこだけ開けたその場所は、やっぱり変わらない。
「あの子は昔、男勝りな性格だった。助けれるものなんでも助ける性格でさ」
リンはただ、その場に懐かしさを覚えた彼のその声に、耳を澄ませていた。
「女々しいこと言うと、惚れたんだ。昔、僕も彼女に助けられたから。って言っても、所詮は子どもの初恋だけどさ」
まるで、雲間から透過して流れる、光のカーテンのような明かり。それが、ちょうど真ん中の切り株に腰を掛ける、彼の顔を照らしていた。
「僕は、その最後まで気持ちを伝えれずに、彼女と毎日会う約束を破った」
不可抗力とは言え、嫌われたとさえ思った、と彼は語った。
「思い出したんですね」
「え?」
「私と車掌さん__ミルがあなたに思い出して欲しかったこと。それは今言った、会いたかった本当の理由だったんです」
リンの言葉に彼は首を傾げた。
「でも昨日、ミルさんは……」
「あなたが話さなかったその後の話……あなたは目が覚め、そしてそこに居ない彼女を心配したんですよね。それもそのはず、応急処置されている体を見れば、自分が昔の友とバレたんだと分かるはず」
「確かに、僕は国に戻って…既に捕まって処刑されかけていたミレアを助けようとした。けど、その想いは純粋に」
「きっとあなたは夢に落ちる途中で……いえ、狩人になってからきっと、その理由を忘れていたんですよ」
約束を破ったこと。それに対する後悔。だからこそ再び会って謝りたかったという気持ち、そして好きだったという思いを伝えたい気持ち。
……違う、そんな大それた話じゃない。そんなにできた話じゃない。その理由は単純だった。そんなことかと思うほどに。
けれど、その程度のことが彼を夢に縛り付けていたのだった。
「……そうだ。僕は彼女に会いたくなかったんじゃない。僕は逃げていたんだ、色んなことから」
ゆっくりと狩人は上を見上げる。そして徐に、しかし力強く目を瞑った。
「逃げちゃダメなんだよな」
彼は夢の中という実感の無い日々に忘れ去った、全部を思い出した。
現実で彼女を追い掛け、救う為に自分が犯した行為。もし仮に目を覚ましたとしても、親を殺したあの国から追われることになる。
それが怖くて、恐ろしくて、だから目を覚まさなければ。
ずっとその恐怖に苛まれずに済む。いやむしろ、そのまま死ねるなら。
でも違う。それは彼女に全部背負わせることになる。
「僕は帰るよ、夢から覚める。そして、謝りに行こうと思う」
ぎゅっと胸のネックレスを握りしめて目を開けた。
「ならもう、大丈夫ですね!向こうでもきっと!」
彼は立ち上がり、夢から覚めようと天に手を伸ばした。次第に彼の周りが柔らかな光に包まれ、体は透明になっていく。
夢から覚める前に、彼は目線をリンの方に向け最期の言葉を掛けた。
「ありがとう、リンさん。車掌にもよろしく言っておいてくれ」
はい!とリンが答えると、安心したかのように微笑みながら彼は突如現れた光の中へ消えていった。その光は次第に糸のように薄くなり、消えてしまう。
その様子を見て、彼女は張りつめていた気持ちを緩めるように肩を下した。
「一件落着、ですよね?」
ゆっくりと株に近づき、彼が座っていた場所に触れる。そこにはまだ、狩人の体温のぬくみがあるような、そんな気がした。




