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9 公爵夫人の日常

朝、目を覚ますと正式にわたしの専属メイドとなったダイアナがやってきた。

「おはようございます、奥様」

「おはよう、ダイアナ」

別室では同じく専属メイドとなったステラが今日の着替えを用意して待っている。

わたしは書類上ではオルドリッチ公爵夫人となったが、寝室はまだ公爵様と別にしている。気持ちが追い付いていないからだ。

正直、公爵様がわたしを思ってくださっていたのは全く気が付かなかった、彼はいつも親切で素敵な紳士で時折色気を見せる方、でもそれはわたしだけではなく、他の誰に対しても同じなのだと思っていた。

遊びに来てくれた親友のメアリーにそうこぼすと、彼女は心底あきれた顔をしていた。

「求婚しなかったジュリアンも悪いけど、鈍感なメイフラワーにも問題ありよね」

「鈍感って」

「あんなにわかりやすく好意を示してたのに。だいたい外国で偶然会うなんて、そう何度もあるわけないでしょ?」

外国は広いのよ、とメアリーは付け加えた。

確かにそうだ。我が国は数か国に囲まれていて、その主要都市を数えたらキリがない。その中のたった一つの街でしかもピンポイントにどこそこの商館で出会うなど、事前に約束でもしていない限り難しい。

多分お父様がわたしの足取りを公爵様に伝えていたんだろう、それはそうだ、わたしは留学時点で公爵様の婚約者だったのだから。婚約者の行き先を把握していてもおかしなことではない。

「でもまさかおばあ様が代わりにプロポーズするなんてね」

メアリーはケラケラと笑った。

「あのおっしゃりようでそれと気が付いたらもはや神だわ」

わたしの文句にメアリーは笑いながらも同意した。彼女だって前公爵夫人(女帝)の意図は読めなかった、わたしたちはあの場で顔を青くした同類だ。

「でもよかったんじゃない?収まるところに収まって」

メアリーに言われて、これでよかったのだろうか、と思う。

公爵様のことは素敵だと思っていたし、きちんと異性として意識していた。でも公爵家なんて雲の上の存在で、メアリーとわたしが親しいから公爵様は気にかけてくださっているだけ、と想いに蓋をしてきた。

そのストッパーを急に外していいと言われても戸惑うばかりで、寝室を共にしていないのもそういう理由だった。


寝室を別にしてほしいと公爵様にお願いしたとき、彼はとても悲しそうな顔した。

「メイフラワーはわたしが嫌い?」

「そんなことは!」

「では好き?」

そう聞かれて即答ができなかったわたしに公爵様は小さくため息をついて、

「好きになってもらえるよう努力するよ」

と言い、手始めに、と濃厚なキスをされた。

わたしはそれだけですっかり翻弄されてしまって、キスのあとのペロリと唾液を舌で拭う公爵様の色気にまたくらくらさせられてしまった。


公爵様とのやり取りを思い出して、顔を赤くしていると、旦那様がお帰りです、とステラが教えてくれた。

「ただいま、メイフラワー」

「おかえりなさいませ」

公爵様と続けそうになり慌てて言葉を飲み込んだ。それに気づかなかったのか、あるいは気づいたからか、公爵様は少し踏み込んだキスをしてきた。驚いて体を離すと彼の色気たっぷりな視線は、あとで、と言っている。

そうして何気ない顔をして、メアリーに挨拶をした。

「メアリー、久しぶりだね」

「お久しぶりです」

メアリーは人妻らしくきちんと立ち上がって公爵様に挨拶をした。

「妻の話し相手をしてくれてありがとう」

彼女の前で妻と強調するのはやめてほしい。しかし恥ずかしがっているのはわたしだけのようで、メアリーも公爵様も普通に会話をしている。

「公爵夫人のお話相手でしたら、いつでもお声掛けください」

「ありがとう、アルバートによろしく」

高位の方がこう言ったらそれは帰れということだ。淑女のマナーとしてメアリーもそれを心得ていてその場で辞してしまう。

「メアリー」

思わず縋るように彼女に視線を送ったが、口パクだけで、ごめんね、と言い、ステラの案内で帰ってしまった。

部屋に残されたのは公爵様とわたし。いつもは二人きりになった途端に抱きすくめられるのに、今日はそれがない。恐る恐る公爵様を見ると彼は笑顔で、

「ただいま、メイフラワー」

と言った。これはやり直ししろということらしい。

「おかえりなさい、ジュリアン」

何とか名前を呼ぶが彼の顔を見られない。

「メイフラワー」

公爵様の呼びかけにしかたなく、先ほどとは別の意味で恐る恐る彼を見た。

「!」

案の定、これでもかというほどにとろけきった甘く熱い目線をわたしに向けていた。

「あぁ、愛しい人に名前を呼ばれるなんて、これほどに幸せなことはない」

と、これでもかというくらいにのろけまくるのだ、本人に向かって。

「お願い、やめて」

「なぜ?愛しい人に愛を囁いてなにがいけないの?」

「恥ずかしいわ」

「恥じらう君が見たいんだ」

「いやよ」

「この顔を知っているのはわたしだけだろう?」

「それは」

「他の誰にも見せてはいけないよ、フラウ?」

「!」

愛しい人に名前を呼ばれる、たったそれだけのことが幸せなのだと、そう教えてくれたのはジュリアンだ。

「フラウ」

ジュリアンにそう呼ばれるとわたしの胸は痛くなり、その痛みから逃れたくて彼に縋り付いてしまう。

「愛してるよ、フラウ」

ジュリアンの腕の中で聞く密やかな囁きにわたしは満ち足りていく。

「わたしもよ、ジュリアン」

そうしてわたしたちはキスを交わす。初めは触れるだけ、徐々に舌を絡ませ、最後には互いの唾液が混ざるほどに深いものになる。

「フラウ、いいかな?」

ジュリアンはわたしに許可を求めてきた。

彼のものになりたい。

初めて素直にそう思えて、

「連れていって」

と自ら彼の首に腕を回した。


そのとき、


「旦那様、王宮より火急の呼び出しです」


アンダーソンがドアをノックする音がした。

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