7 新しい日常
その日からわたしの部屋は客間に移された、専属メイドには当面、ダイアナとステラが交代で就くことになり、食事は貴族用の部屋に用意される。
こうなると使用人エリアに足を踏み入れることはなくなり、わたしは使用人でありながら、貴族と同じように生活することになった。たぶんベラ夫人もそうだったのだろう、わたしはベラ夫人への待遇まで引き継いだことになる。
ベラ夫人は前公爵夫人と旧知の仲で、知人として公爵家に協力している体だった。ということはわたしも前公爵夫人の知人であり、協力していることになるんだろうか。あの方の知人だなんて恐れ多くてご遠慮申し上げたい。
もっとも、待遇こそ貴族のそれになったが自分はあくまで使用人のひとりに過ぎないのだと自らを戒めている。なぜなら、
「メイフラワー様、旦那様から花束が届きましたよ」
ベラ夫人の訪問以来、公爵様から毎日のように花束が届く。ポピー、アネモネ、チューリップ、いずれも色は赤。花言葉にはそれほど詳しくないが赤い花はたいてい愛を囁く。こんなことをされたら自らの立場を忘れてしまいそうだ。
今日はとうとうヒマワリが届いた、初夏というにはまだ早い季節、いったいどこで手に入れたのだろう。さすがは公爵家の流通網だと言うべきか。
ちなみにヒマワリの花言葉は、私はあなただけを見つめる。
ダイアナから渡された花束を困惑した顔で受け取ると、彼女は遠慮なくクスクスと笑った。主人と使用人の関係ならば完全にアウトだが、わたしはダイアナと同僚であり友人だと思っている。だから咎めたりはしないし、むしろわたしも口調を改めもせずに文句を言った。
「公爵様はなにをお考えなのかしら」
「言葉通りの意味だと思いますけど」
「でもわたくしは使用人です、それとも公爵様が使用人に手を出す方だとでも?」
ダイアナは何も言わず、ただ苦笑している。
こうなると彼女はもうだんまりだ、なにを聞いても少し微笑んで困った顔をするだけでなにも教えてはくれない。
「まったく。腹立たしいほどに公爵家の使用人は教育が行き届いているんですね」
わたしの嫌味にダイアナはにっこりと微笑んで、恐れ入ります、と応じた。
結局、ヒマワリはベラ夫人の仕事部屋に飾られ、わたしはヒマワリに見つめられながら仕事をしている。視界の端に映るヒマワリは熱心にわたしを見つめており、いつかの公爵様を思い出させる。
『待ってるから』
そう言って指先に口づけをした公爵様のとろけるような目線を思い出し、つい顔が赤くなってしまった。書類の山に埋もれるように顔を伏せたところでアンダーソンさんがやってきて怪訝な顔をされる。
「何もおっしゃらないで頂けると助かります」
蚊の鳴くような声で告げると、仕事の出来る家令は事務連絡だけで立ち去ってくれた。その背中を呼び止める。
「ヒマワリを片付けて欲しいのですが」
「それはできかねます」
アンダーソンさんはダイアナと同じようににっこりと微笑んだ。わたしはその日一日、公爵様に見つめられながら仕事をした、効率が悪かったことは言うまでもない。
すっかり恒例となっていた公爵様からの花束がその日は届かなかった、だから油断していた。
「旦那様がお帰りになりました」
「ただいま、メイフラワー」
アンダーソンさんに続いて仕事部屋に入ってきた公爵様はそれが当然であるかのようにわたしの手を取って指先にキスをした。
「お、かえり、なさいませ」
公爵様の不意打ちにどうしていいかわからず、しどろもどろの不格好な挨拶しかできなかった。それでも彼は甘くとろける目線を送ってきて、わたしの顔はきっと見苦しいほどに赤くなっている。
「ずっと留守にしていて申し訳ありませんでした」
主人から留守を詫びられた場合、使用人はどう返事をするのが正解なのか。助けを求めて周囲を見やるが、
「花束の代わりに公爵様自身が届きましたね」
「ステラはうまいことを言いますね」
アンダーソンさんとステラは楽し気に会話をしながら部屋を出て行ってしまった。ドアはきっちりと閉められ、公爵様と二人きりになってしまう。
「メイフラワー」
呼びかけられてはっとして公爵様に向き直った、そしてすぐに後悔した。彼はほんのりと頬を染め、とてつもない色気をダダ漏れにしている。
「答え合わせをしましょう」
公爵様に促されるまま、わたしはソファへと座った。彼はわたしの隣に座る、膝が触れ合いそうなほどの近さにたじろいだが、手を離してくれないので距離をとることもできない。
「答え合わせというのは?」
努めて冷静さを保ちながら公爵様に問いかけると、公爵様は少し目線を下げた。
「まずはあなたがおばあさまに言われた内容を確認しましょう」
ここで前公爵夫人が出てくるとは思わなかった。驚きながらもあの夜の会話を思い出す。
「オルドリッチ前公爵夫人はわたくしが留学したことをご存じでした、それで、その学は公爵家で活かすべき、とおっしゃいました」
「それだけですか?」
念押しをされ、丁寧に記憶をたどってみたが、やはりそれしか言われていない。頷くと公爵様は大きなため息をつき、そのまま黙ってしまった。
「あの」
公爵様がずっと黙っているので仕方なくこちらから声をかけると、
「違うんです」
彼は所在なさげに小さな声で言った。
「違う?」
「おばあさまが言ったのはそういう意味ではありません」
そういう意味とはどういう意味?
「あの、おっしゃられていることがよく・・・」
「おばあさまは使用人として公爵家に仕えよと言ったわけではありません」
公爵様がわたしの言葉をさえぎって言った内容に驚いて思考が止まってしまう、考えがまとまらないうちに彼はさらに言った。
「公爵夫人として公爵家に来るように言ったんです」