『MとCに関するいくつかの推察』④
「ど、どうかした?」
涙声で、対馬が尋ねて来た。顔から手を離し、こちらを見上げる彼女に、たった今目にした物を伝える。
対馬は膝を伸ばし、僕の隣りから、怖々と室内を覗き込んだ。
「『M』と、『C』……」
対馬が呟く。やはり、彼女にもそう見えたようだ。
問題は、どうしてクレアがそんな物を書き残したのか──あれがダイイング・メッセージなのであれば、誰のことを指し示しているのか、だが……。
しかし、僕はすぐに思考を打ち消した。それよりも、この事件を他の二人に伝えることの方が先決だ。
「藤堂たちにも、伝えに行こう」
対馬を促すと、僕たちはまず、キッチンにいるであろう藤堂の元へ向かった。廊下にある方のドアを開くと、藤堂はテーブルに乗せたボウルに手を入れていた──ハンバーグのタネを混ぜていたようだ。
「あれ? 二人とも顔色悪いけど、何かあった?」
小首を傾げる彼女に、クレアが亡くなったとだけを伝える。当然のこと、藤堂は戸惑った様子だったが、すぐに両手に嵌めていたビニール手袋を脱いで、僕たちに着いて来てくれた。
今度は三人で二階に上がり、伊勢原の部屋に声をかける。初めはレスポンスがなかったが、再びノックして呼びかけると、彼はようやく応じてくれた。
「なんや? もうメシの時間か?」
そう言って、眠たげに目を擦る。
「違う。クレアが亡くなったんだ。──しかも、誰かに殺されていた」
今度はハッキリと、殺人事件であると口にした。藤堂が息を呑むのが伝わって来る。
伊勢原は、ギョロリとした目を瞬かせたのち、
「はぁ? 何やねんそれ。お前ら、ドッキリでも仕掛けとんのか?」
しかし、その顔に浮かんだ笑みが強張るのに、さして時間は要らなかった。僕と対馬の表情から、嘘などではなく、本当に非常事態なのだと、悟ったようだ。
「……もしかして、ホンマなんか? ホンマにクレアが」
口で説明するより、現場を見てもらう方が手っ取り早いだろう。何より、僕も未だに状況を把握できていなかったのもある。
僕たちは全員で一階に下り、再びクレアの部屋へ戻って来た。
その後、警察への通報は、別荘の持ち主である対馬がしてくれることになり、残る面々は、リビングにて待機する。
そして、通話を終え中に入って来た彼女から、警察とのやり取り──この吹雪の影響で、到着が遅くなる旨──を、聞かされたのだった。
※
以上が事件発覚前後の出来事になる。思い返しているうちに、だいぶ冷静さを取り戻すことができた気がした。
しかしながら、推理を組み立てるのに必要な情報は、まだまだ不足しているようだ。やはり、今一度現場の様子を見て来た方がいいのかも知れない。
クレアの亡骸を目にするのは、やはり気が進まないが……。
迷いはしたものの、僕は思いきって行動に移すことに決めた。
「もう一度だけ、現場を見に行ってみようと思う。何か、手がかりが見付かるかも知れないし」
当然のこと、みな驚いた様子だった──特に、対馬はあからさまに難色を示していた。それでも、どうにか説得を試みると、
「……わかった。なら、俺も一緒に付いて行くわ。もしかしたら、ホンマは若庭が犯人で、証拠を隠滅しようとしとる可能性もあるからな」
伊勢原が疑うのも無理はないか。それに、誰かと一緒の方が、重要な証拠を見落としてしまう可能性も減るだろう。
僕は伊勢原と共に、再び殺人現場へと向かった。
クレアの部屋に着くと、僕は手始めに、凶器となった般若の面を観察した。この面はどうやら鉄製の物らしく、鈍器として使うには十分すぎるほど質量のあることが、見た目からでも窺える。
また、鬼の顔には、全体にまんべんなく──額から生えた二本の角にまでも──伸びるような血飛沫が、幾筋も付着していた。そして、さらによく見てみると、ところどころに、掠れた血痕の上から、さらに血の筋が上書きされている箇所があった。つまり、血痕は二度付着したことになる。
おそらく、犯人はこの部屋に逃げ込んだクレアに追い付き、再び般若の面で殴り付けたのだろうが……僕はなんとなく、引っかかるものを覚えた。
それが何による違和感なのかわからぬまま、今度はクレアの頭の下に広がる血溜まりに、視線を移す。が、こちらに関しては大した発見はなく、事件の痛ましさを再確認するに留まった。
ちなみに、僕を監視する為に付いて来たはずの伊勢原だが、部屋に入ることはなく、それところか、室内に顔を向けようとさえしなかった。死体を見るのが怖いのだろう。無理からぬことだし、僕だって恐怖を感じないと言ったら嘘になる。
それでも完全に目的を忘れたわけではないらしく、時折チラチラと、横目で盗み見るような視線を、こちらに寄越してはいたが。
そんな風に伊勢原に見守られつつ、僕は次に、例のダイイング・メッセージに目を落とす。
そして、そこで初めて、あることに気が付いた。
どうも、「M」に対して、「C」の方が、少し小ぶりに見えるのだ。
──もしかして、これは小文字なのか?
大いにあり得ると思った。むしろ、一度そう意識してみれば、「C」が意図的に小さく書かかれていることは、明白ではないか。
となると、『斜陽』の「M・C」とは関係ないのかも知れない。かと言って、他に思い付くものはなかった為、この発見は一度頭の片隅に留めておくことにして、最後に、最も嫌な作業に取りかかる。
心の中でクレアに謝りつつ、僕は血塗れの彼女の頭を、可能な限り観察した。目に見える外傷は、後頭部にある物のみだが、頭の下に血溜まりがある以上、カーペットに着いた右側頭部にも、怪我を負っていると考えられる。
むしろ、直接的な死因となったのは、こちらの傷なのだろう。クレアは犯人の追撃による出血で、命を落としたのだ。
クレアの遺体に手を合わせ、改めて冥福を祈ったあと、僕は廊下に出た。
「もうええんか?」
「ああ、ひとまずは……正直、あまり成果があったとは言えないけどね」
ダイイング・メッセージの「C」か小文字だったことは、なんとなく伏せておくことにした。
「そうか。まあ、素人なんやしそんもんやろ。それより、終わったんならさっさと二人のところに戻ろうや。体冷えてもうたわ」
短い現場検証を終え、僕たちはリビングに引き返す。
外は未だに吹雪が続いており、吹き荒ぶ風の音と、窓ガラスの軋む音が、絶え間なく廊下に響いていた。おそらく、犯行時の物音も、この吹雪の為に、掻き消されてしまったのだろう。




