『MとCに関するいくつかの推察』③
時刻はだいたい十二時半頃。僕たちは、福井県のとある山中に位置する、対馬家の別荘に到着した。
まっさきにリビングのストーブを点け、みんなで暖を取る。積雪の中の行軍で冷えきった体を解凍し、ひと心地着いたところで、各々部屋に荷物を置きに向かった。
そして、再びリビングに集合し、昼食が開始される。
今から本格的な料理を作るのは、気力的にも時間的にも厳しいものがあり、それぞれ持ち寄った物をキッチンで温め、テーブルに広げた。
「今日の夜と明日の朝は、私と桜でちゃんとしたものを作るから、安心してな」
申し訳なさそうに苦笑しつつ、対馬はマックのフライドポテトに手を伸ばす。それは藤堂の差し入れで、アルバイト先であるK駅前の店舗で購入して来たそうだ。
「サクラのハンバーグ、むちゃ楽しみ!」
夕食のメニューはクレアの要望により、ハンバーグとポトフ、それからサラダに決まっていた。食材に関しても、麓の町に到着した際に、最寄りのスーパーで調達して来ている。
「クレア、中途半端に関西弁覚えたよね」
口許に手を添え、藤堂はクスリと微笑む。
「『ゴウにイればゴウに従え』が、ワタシのモットーやねん」
さすがに今の「やねん」はわざとだろう。
それはそうと、クレアはなかなか日本語が達者だった。読み書きはまだ不慣れ──特に書く方に関しては、もう少し修行が必要だろう──なようだが、日常会話はほぼ完璧と言っていいし、諺も幾つか会得していた。
「でも、少し意外やね。伊勢原くんも料理ができたなんて」
「まあ、うちは両親の仕事が忙しくて、昔からメシは自分で作っとったからな。なんなら、明日の朝メシは俺が作ったってもええで?」
本人も料理の腕前には自信があるようで、胸を張って答える。実際、彼の拵えて来た金平ごぼうと唐揚げ、そして卵焼きは美味であり、それが輪をかけて意外だった。
ちなみに、バイト先が書店である上に、人に振る舞えるほど料理の上手くない僕は、適当にスーパーで買って来たスナック菓子くらいしか提供できるものがなく、いささか肩身の狭い思いをしていた。
終始和気藹々とした雰囲気で昼食を終え、あと片付けを済ませると、僕たちはいよいよ、今回の合宿の目的である、課題の執筆に取りかかる。文章創作である以上、五人で協力して作業を行う必要もないのだが、それぞれ執筆に行き詰まっていた為、気分転換も兼ねて──そちらにウェイトを置きすぎてしまっている感は否めないが──、こうして福井県の雪山まで、足を伸ばしたのだ。
初めのうちはリビングで、それぞれ原稿用紙やノートPCに向かっていたのだが、一時間ほど経った頃には、大半の者が書き終えて、自室に引き上げていた。
最後に、僕と伊勢原の二人が残る。
その後も少しの間、リビングで頑張っていたのだが、やがて伊勢原が、
「眠たなって来たから、部屋に戻って寝て来るわ」
大欠伸をしながらそう言い出したので、僕も自分の部屋で、休憩を取ることにする。
ちなみに部屋割りは、僕と伊勢原と藤堂が二階の客室、クレアと対馬が、一階の客室を利用していた。
二階の廊下で伊勢原と別れたあと、僕は何をするでもなく自室で過ごす。
しかし、一時間半ほどが経過したところで、休むことにも飽きてしまった。かと言って課題に取りかかる気にもなれず……誰かに会えないかと、僕は再びリビングに下りることにした。
リビングに入ると、クレアが一人、ソファーに腰掛けて、窓の外を眺めていた。
この時にはすでに天候は荒れており、ゴウゴウと吹き荒れる風の音が、室内にいても聞こえて来るほどだった。
「外、吹雪になってる。……少し、懐かしい」
「クレアの地元も、やっぱり寒いの?」
僕も別のソファーに腰を下ろしつつ、尋ねる。
「うん。ウィニペグは、夏はむちゃ暑くて、冬はむちゃ寒い」
彼女の出身地は、マニトバ州のウィニペグと言う地域にあるそうだ。そして、これは州全体に言えることだが、気候の変化が非常に極端なのだとか。
クレアと話しているうちに、キッチンの方から藤堂と対馬の話し声や、物音が聞こえて来るようになった。どうやら、夕食の支度が始まったらしい。
※
それからほどなくして、クレアは席を立った。「お花を摘みに行って来る」とのこと──意外と難しい言い回しを知っているなと、僕は妙なところで感心した。
クレアがリビングを出て行くと、まもなく廊下の方から、対馬の声が聞こえて来る。
「もしもし、どうしたん? 急に……」と言う言葉からして、誰かから電話がかかって来たのだろう。相槌を打つ声は、すぐに遠ざかって聞こえなくなった。
──十分ほど経過した頃だろうか。ガンッと言う、何が硬い物が床に落ちたような音を、聞いた気がした。
しかし、そこまでハッキリと耳にしたわけではなかった為、その時はさほど気に留めなかった。外で鳴っている風の音を勘違いしたのだろう、と思ったほどだ。
しかしながら。
本当はこの時、すでに事件は起きていたのだ。
意外なことに、クレアはなかなか戻って来なかった。気になってボンボン時計の針を見上げると、すでに三十分近くが経とうとしていた。手洗いに行っただけにしては、やけに遅くないか?
俄かに心配になってい来た僕は、念の為、声をかけに向かうことにした。無論、まさか彼女がすでに殺されているなどとは、夢にも思わなかったのだが……。
廊下に出て、斜め向かいにあるトイレのドアに声をかけた。しかし、反応はなく、ドアノブの表示を見てみると、空室を表す「青」だ。
どうやらすでに用は足したあとらしいが、それではどこへ行ってしまったのだろう? 自室に戻ったのか?
そう思った時、玄関の方から、対馬がやって来た。ずっと電話をしていたのか、彼女は手にしていたスマートフォンをズボンのポケットにしまう。
「あれ、若庭くん下りて来とったんや」
「ああ。──クレア、見かけなかった?」
「見てへんよ。私、今さっきまで談話室におったから」
対馬がいたと言う談話室は、玄関を挟んだ向かい側に位置していた。
「クレアがどうかしたん?」
僕は対馬に事情を説明する。
「たぶん、部屋に戻ったんだと思うんだけど……」
「なら、一緒に様子見に行ってみよっか。もし体調崩しとったら、心配やし」
かくして、僕と対馬は連れ立って、クレアの部屋を目指した。
廊下はリビングとキッチンに並行する形で伸びており、突き当たりにある出窓の手前で、左手に折れていた。その角を曲がった先、真正面に見える扉が、クレアに充てがわれた部屋だ。
そして、出窓の前の角を曲がった途端──明らかな異常が、廊下の中に見て取れた。赤黒い汚れが、まるで足跡のように、床に滴り落ちており、それがクレアの部屋の前まで続いているのだ。
──まさか、血なのか?
そうとしか思えず、僕は反射的に身を強張らせた。
対馬も同様だったのか、「わ、若庭くん、あれって、もしかして血やない?」と、震える声で尋ねて来る。
僕は必死に恐怖を抑え込み、
「……かも知れない。とにかく、クレアの部屋に行ってみよう」
僕たちは再び歩き出し、ほどなくしてその扉の前に立った。ドアノブにもベッタリと血が付着しており、クレアに何かがあったことは明白だった。
また、ドアはシッカリと閉じられているのではなく、留め金がドア枠に引っかかっているのが目に入る。
「クレア、入らせてもらうよ……」
僕はそう断ってから、血の跡を踏まないように注意しつつ、ノブを握るのではなく、ドアの縁に指をかけて、廊下側に開いた。
──刹那、室内の惨状が目に飛び込み、思わず息が止まりそうになる。
クレアは、入ってすぐのところで、うつ伏せに倒れ込んでいた。頭の下に大きな血溜まりができており、美しかったブラウンヘアーも、真っ赤に染め上げられている。
「クレア!」
友人の名を叫んだ対馬が、部屋に入ろうとするのを、僕は咄嗟に押し留めた。
「……無駄だよ。もう、亡くなってる」
そう呟く自分の声が、まるで他人のもののように聞こえる。
クレアがすでにこと切れているのは、薄く開いたままの瞳──光が消え、すでに淀み始めていたグレーの瞳──を見れば、明らかだった。
「そんな……」
絶句した対馬は、顔を覆ってその場にしゃがみ込んだ。僕はなんと声をかけてよいものかわからず、ひとまず殺人現場へと、視線を戻す。
凶器が何であるかは、すぐにわかった。クレアのジーンズを履いた脚の傍に、血の飛沫に塗れた般若の面が、落ちていたのだ。
それは元々、廊下の出窓のところに、飾られていた物だった。先ほどその前を通り過ぎた時には、気にしていなかったが、出窓には確かに、空になった木製のスタンドだけが残されていたことを、思い出す。
返り血を浴びた鬼女の顔は、それでもまだ憎悪を満たすには至らぬとばかりに、醜怪に歪んでおり──僕はしばしの間、金縛りにでも遭ったかのように、こちらを睨む二つの目玉を、見つめ続けた。
──そして、ようやく視線を外すことができた時、僕は初めて、あることに気が付いた。
クレアの左手が、人差し指を立てた状態で投げ出されているのだ。その長い指の先にも、血が付着しており──それを見た僕は「まさか」と思い、身を乗り出した。
果たせるかな、クレアの虚ろな眼差しの先には、二つのアルファベットが──自身の血を用いて──、書き残されていた。
その二文字は酷く歪んでおり、大きさも一定ではなかったが……確かに、「M」と「C」にしか、見えなかったのである。




