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『MとCに関するいくつかの推察』①

「警察、何やって?」

 ソファーの上から伊勢原(いせはら)冬馬(とうま)が尋ねる。剽軽者の彼らしからぬ、緊張した面持ちが浮かんでいた。

 これに対し、リビングに入って来た対馬(つしま)早希(さき)は、嘆息と共に答えた。

「それが、吹雪の影響で到着が遅れるみたい。どれくらいかはわからんけど、ひとまず現場をそのままにして待機しているようにって」

 彼女の言葉を聞いた僕は、反射的に窓の外に目を向けた。そこには、僕たちの通う阪南芸術大学のある大阪では、到底見ることなどできない光景が、広がっていた。

 突風に乗った雪がしきりに窓ガラスを叩き付け、数メートル先でさえも、満足に見渡せない。確かに、吹雪と呼んで差し支えない荒天である。

 ここに到着した昼頃には、チラチラと風花の舞う程度だったのだが……午後になった辺りから、空模様は急変した。

「大人しく、言われたとおりにするしかないな」

 観念したとばかりに、伊勢原は背もたれに身を預ける。それから、隣りに顔を向け、

「大丈夫か? 藤堂(とうどう)。顔色が悪いけど、アレなら部屋で休んどってええからな?」

 気遣うその声に、藤堂(さくら)は、セミロングの髪を小さく揺らして、かぶりを振った。

「ううん、平気。……でも、なんだかまだ信じられんくて」

 無理からぬことだろう。僕にしてみても、未だに衝撃が覚めやらない。

 ──まさか、クレアが殺されるだなんて。

 カナダからの留学生であり、ゼミの友人であるクレア・ペナーの死に、僕は少なからず狼狽えていた。ついさっき──遺体を発見する三十分ほど前までは、何事もなく笑い、語り合っていたと言うのに……。

 しかし、クレアがあの眩しい笑顔を見せることも、頑張って習得した日本語を話すことも、もう二度とないのだ。あまりにも突然すぎて、喪失感を抱くことすらできなかった。

 おそらく、他の三人も同様だったのだろう。みな沈痛な面持ちで、顔を俯けていた。

 しばしの間、静寂がリビングに降り立つ。外の吹雪の音が鮮明になるのを感じた僕は、壁にかかったボンボン時計を見上げる。時刻は十六時三十分を、少し過ぎたところ。いったいあとどれくらいの間、警察を待たなければならないのか……。

「……ねえ」沈黙を打ち破ったのは、対馬の声だった。「あれって、やっぱり()()()()()()()()()()()やったんかな」

 誰にともない問いかけ──それを聞いた脳裏に、現場の様子がフラッシュバックする。カーペットの上に横たわるクレアの、血で汚れた横顔や、振り乱したブラウンヘアー──後頭部が痛々しく陥没しており、頭の下には血溜まりができていた──、薄く開いたまま閉じることのない、グレーの瞳や、返り血に染まった凶器。

 そして、その空虚な眼差しの先には、自身の血を使って書いたと思われる、二つのアルファベットが、残されていた。

 ──赤黒い、「M」と「C」が。

 クレアは今際の際に、それだけを書き残し、息を引き取ったのだ。

「確かに、状況だけ見れば、そうとしか思えんな。けど、ホンマにあの文字がダイイング・メッセージやとしたら……犯人は、俺たちの中におるってことにならんか?」

 伊勢原の放った言葉に、女子二人はハッとした表情を浮かべた。まるで、彼に言われて初めて、その恐るべき可能性に思い至った、と言うように。

 しかしながら、僕としては、クレアの亡骸を発見した時から、ずっと疑っていたことだった。

 ここは人里離れた山中の別荘であり、外は先述したとおりの吹雪だ。そんな状況下で、行きずりの何者かに殺害されたと考えるのは、さすがに無理がある。

 何より、部屋に置かれていたクレアの荷物に荒らされた形跡はなかったことから、強盗目的の犯行とは考えられない。

 となれば当然、犯人は彼女と関わりのある人物──現在この別荘に滞在している僕たちの中にいるとするのが、妥当だろう。

 だからこそ、僕は余計に、ショックだったのだ。クレアが殺害された上に、その犯人がこの中の誰かであるだなんて……正直に言って、信じたくなかった。

「まだそうと決まったわけじゃ」

 対馬の弱々しい声音を、伊勢原は「いや」と遮る。

「こんなところに強盗が押し入るとは思えんし、だいいちそれなら、メッセージなんて残すわけがない。クレアが伝えたかった犯人ってのは、少なくとも、俺らの知っとる人間やと見るべきや」

「そんな……」

 藤堂が絶句した。普段から下がり気味の眉毛が、いっそう不安げにカーヴして見える。

「問題は、やっぱりあの『MC』が、何を指しとるかやけど……」

 わずかに考え込んだのち、伊勢原は不意に僕の方を向き、

若庭(わかば)、何か思い付かんか? ミステリはお前の担当やろ」

 確かに、ミステリは好きだし、今ここにいる面子の中では、一番知識もあるだろう。しかし、いつの間にそんな立ち位置になっていたのか。

 期待と不安が綯い交ぜになった三組の眼差しを受け、僕──若庭(よう)は、なんとか意見を絞り出す。

「ええっと……取り敢えず、一つだけあるにはあるよ。たぶん、みんなも同じことを思い浮かべただろうけど」

「もしかして、『()()』?」

 先読みした対馬に、僕は頷いて返した。

 太宰治の傑作の一つ、『斜陽』。その作中において、「MC」──作中における表記は「M・C」だが──は、最大のキーワードであると言えよう。

 そして、僕たちの所属する、文芸学科岩倉ゼミで出された春季休暇中の課題は、この『斜陽』を題材に、短編小説を一作執筆することだった。だからこそ、クレアはあのダイイング・メッセージを着想したのではないか──彼女にも同様の課題が出されていたし、日本に来る前に、英訳された物を読んだことがあると言っていた──、僕はそう考えた。

「で、でも、ホンマにあれが『斜陽』から来とるんやったら、誰のことを指しとるの?『斜陽』の『M・C』は、序盤と終盤で意味が変わるはずやけど……」

 迂闊にも、藤堂に言われて初めて気が付いた。彼女の言うとおりではないか。

「M・C」には、二通り──解釈次第では三通りの意味がある。そして、それらはどれも、容疑者である友人たちの特徴と、一つずつ符合していた。

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